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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達
三十夜 魯坊丸、熱田会議でプレゼンション
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〔天文十七年 (一五四八年)夏五月六日ひぐらしが鳴く頃に〕
昼に中根南城で軽い昼食を取ると中根南城を出発し、千秋邸で季忠と加藤順盛と打ち合わせをしている内に夕方になった。
ケッケケケケっと一匹の寒蝉が鳴く声が聞こえた。
セミ科の寒蝉は朝ではなく、夕暮れに鳴く変わった蝉であり、一日が終わるもの悲しさがあるというが、セミは梅雨が明けてから鳴くのが普通だ。
紀貫之 『古今集』にも、
川風の 涼しくもあるか うちよする
浪とともにや 秋は立つらん
とあるように秋の訪れを予感させる歌に使われ、随分と気の早い蝉なのかもしれない。
皆が集まり、資料の写しを渡した。
桶を売る『桶売り』は俺の発案である。
江戸時代、関東で灘の酒が気に入られ、千石船を使って運ばれた。
畿内でも売られていたが、関東にも売られた。
百万人の大都市の江戸である。
灘の酒造所だけで賄いきれない消費量となり、灘の酒造所は地方の藏から酒桶を買った。
桶を買わなければ、売る分が確保できなかった。
その頃、東海(愛知・岐阜・三重)に丹波杜氏や但馬杜氏が多くやってきて、灘酒の造り方をもとに『中国酒』を造った。
それが東海でも酒造が盛んになったという。
冬場は農閑期となり、百姓も仕事が減る。
そこで酒造所が彼らを雇って酒を造り、彼らの出稼ぎ所となった。
出来た『中国酒』は灘に売られ、灘で味を調えて関東に出荷された。
灘の杜氏らが全国に散って、その技術を伝えたことで日本全国に優秀な杜氏が誕生したと聞いたことがある。
どれほどの桶買いがあったのかは資料が残っていない。
村起こし事業の一環で酒造所を買い取ったときに、そんな資料を集めて読んだ。
灘のやり方は戦国の世では通じない。
技術だけ盗まれて終わる。
役儀を破ると『神の怒りに触れるぞ』と脅しても無駄だ。
酒を造っているのが神社・仏閣であり、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊の僧らが熱田明神を恐れる訳もない。
だから、発想を逆にした。
桶を買うのではなく、桶を売るのだ。
僧坊酒は、蒸し米と麹と水を一度に大甕に仕込んで時間を掛けて二段仕込みで造る。
黄金に輝く澄んだ河内の天野の僧坊酒が圧倒的に美味いと評判であった。
最近、急激に人気が上がってきたのが、大和の正暦寺の僧坊酒だ。
南都諸白と呼ばれていたのでピンときた。
諸白とは、蒸し米と麹の両方に白米を使い、火入れで味を変わるのを防いだという技法だ。
これが清酒の原点とか、何とか書かれていた。
ここから酒造りの技法が伊丹や灘に伝わり、清酒造りが一気に花を咲かせた。
俺が教えた酒造りは江戸三百年間を掛けて完成した技法である。
但し、俺は杜氏でないので、道具と行程のみを知っている穴空きの回答書のようなものだった。
その空白を埋めてゆかないと清酒に辿りつかない。
昨日、伊勢神宮の神官である松本元吉と堺商人の津田宗及を酒造所に案内すると、巨大な木桶のみでびっくりしていた。
製造法はもちろん教えないが、河内の酒造りと比べても作り手の少なさや生産量が段違いであることが確認できた。
桶売りは可能と判断に至った。
やはり、僧坊酒を造っている僧侶らより300年は先を行っている。
何となく申し訳ない気持ちだ。
申し訳ないが、彼らを気遣ってゴロゴロライフを諦めるつもりもない。
臨時の熱田会議は大領主と豪商のみが集まった会合だ。
城でいう家老のみを集めた感じだ。
俺は彼らに資料を開かせた。
「まず、これが事業計画です。資料一をご覧下さい」
写本させた事業計画書に最初に資料一があり、今後の生産量の伸びを示した。
熱田に建てた酒造所の生産量だけ、周辺国に売るには十分な量だ。
大桶で5,400リットル(十斗樽30樽 1升瓶3000本)が造れ、藏に十桶が置かれている。
つまり五十藏なので、1回の生産が2700トン(十斗樽1万5,000樽 1升瓶150万本)となる。
これが年四回の生産で10,800トン(十斗樽6万樽 一升瓶160万本)の製造予定だ。
加えて、津島では三ヵ月ごとに十個の藏が建ってゆき、来年の冬に熱田と同じ五十藏となる。
百藏の年間生産量は、倍の21,600トン(十斗樽12万樽 一升瓶1,200万本)だ。
一升瓶を30文で卸すつもりなので36万貫文の収入となる。
仮に、最低の10文でも12万貫文だ。
対して、一升瓶(1,800ml)の清酒を造るのに1.3kgの玄米が必要なので、10万4000石(15600トン)の米を使用する。
米の相場を1石と二貫文とする仮定すると、5万2000貫文で仕入れて30万8000貫文の荒利益だ。
順調に売れてくれれば、六十万石から三十万石の大名に匹敵する財力を得る。
しかし、これだけ巨大なマーケットが現れれば、市場はどうなる?
イメージするならば、
ヨーロッパでトヨタ車が売れてシェアの一割を奪った感じだ。
慌てたヨーロッパはEV化を進め、トヨタ排除を進めた。
結果は、散々だったがトヨタ車を拒絶したのだ。
同じだ。
尾張の酒が大量に持ち込まれれば、その地域で締め出しを食らう。
売らせてもらえない。
そもそも領主らは、村で独自に造る濁酒やお抱えの酒造所の白酒もあり、売れる量は無限ではない。
庶民はまだ銭を多く持っておらず、自分で酒を買う余裕はない。
買ってくれるのは武家である。
売っているのは地域の神社・仏閣の息がかかった土蔵と呼ばれる商人なのだ。
彼らと対立すれば、売ることは叶わない。
「資料二をご覧下さい。これまでの米の買い付け価格と兵の出兵数を参考に推測の人口を算出しました」
「魯坊丸様、尾張国の石高五十万石、美濃国も五十万石、駿河・遠江・東三河国を合わせて七十万石とありますが誠ですか?」
「正確な数字ではありません。あくまで計算に基づく参照の数字です。ですが、大きな大差はないと思います。駿河は金が産出されますが、今川方が送ってくる兵力は一万人程度です。北条方に兵を残しているので、二万人から二万五千人と考えて100万石並の大名ですが、米の収穫は少ないのが、計算から推測されます」
「誠なら、織田家と今川家の差は余りないことになりますな」
「熱田と津島が栄えれば、そうなります」
皆の注目が石高に行ってしまったのは、大失敗だった。
石高は俺の朧気な記憶を頼りに書いたものだ。
駿河・遠江・三河は平地が少なく、尾張と美濃は濃尾平野が広がっている。
平地の広さが農地に直結するので珍しいことではない。
石高を書いたのは、そこにいる人口の参考の為だった。
1石で1人と数えれば、尾張の50万人、美濃も50万人、駿河・遠江・三河で70万人と数えて、東海の人口はざっと百七十万人だと言いたかった。
対して、畿内は周辺を含めると三百万石もあり、三百万人を抱えている。
21,600トン(十斗樽12万樽 一升瓶1,200万本)の酒を、170万人に売るのと、470万人に売るのとどっちが売りやすいかと言いたかった。
酒の生産量がわからないが東海だけに売ろうとすれば、シェア10%を超える気がした。
だって、10万石分の米からできた酒だよ。
170万石なら5%を超え、470万でも2%なのだ。
中々の脅威だろう。
出来れば、もっと全国に分散したい。
津島に酒造所を建てるが、稼働は10藏のみとして販売量に応じて増産するつもりだ。
最初からしないと言えないので、まだ言ってない。
「まず、販売先の版図を広げる。東は房総半島まで、西に西国のすべてだ」
「可能ですか?」
「熱田神宮の人脈を使って全国の神社に酒を納め、彼らの氏子に売ってもらう。しかし、使者を送り、約定を固め、輸送ルートを確保するのには時間が掛かる」
「まぁ、そうなりますな」
「そこで、ここに出席してもらった松本元吉殿だ。伊勢の大宮司様より書簡を預かっており、伊勢に寄付することが条件ではあるが、伊勢で尾張の酒を売る許可をもらった」
「それでは!」
「宗定、津島を通じて好きなだけ売れ」
今日の熱田会議には、津島衆を代表して川口宗定が参加していた。
これは嬉しい知らせだ。
伊勢神宮のお墨付きがあれば、伊勢のどこでも売れる。
また、東美濃の領主らの許可ももらっているので、東美濃で熱田衆も好きなだけ売れる。
しかし、美濃の斎藤利政や駿河・遠江・東三河の今川義元の許可はないので、色々と工夫をしている。
その工夫に追加する。
「松本元吉殿は廻船問屋を行っておる。まず、伊勢で酒を造らぬ酒造所を建てる。そこに桶を売って、伊勢の酒として東海から関東に売る。伊勢は今川家と争っておらぬので、熱田の船より運び易いであろう」
「それは名案でございます」
「熱田の酒を伊勢の舟で運んでいるが制約は多い。しかし、伊勢の酒ならば、伊勢神宮と近しい神社などに入れて売ることができる」
「なるほど、伊勢の人脈も使う訳ですか」
「その通りだ。そして、西国の播磨まで堺の商人である津田宗及が運んでくれる。交渉もしてくれるそうだ」
「それはありがたい」
出来た酒を運ぶ船が足りなかったが、松本元吉と津田宗及が手配してくれるので船の問題が解決した。
伊勢でやる桶売りを、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊でもやりたい。
ヨーロッパでトヨタ車が売れすぎれば排除されるが、日本製の半導体などの部品が排除されたという話を聞かない。
つまり、中身がトヨタ車でも、入れ物がベンツ車なら怒らない。
中身が尾張の酒でも、器が延暦寺、興福寺、石山御坊であれば、僧侶は怒らない。
実際に造っているのは土蔵の酒屋であり、自分で造って売るのも、桶を買って売るのも違いない、
俺が提案しているのは『桶買い』でなく、『桶売り』だ。
名を捨てて実を取る。
面目を重きに置く、彼らにとって美味しい話なのだ。
問題は、『誰が猫の首に鈴を付けるか』なのだ。
「魯坊丸様は尾張の酒でなくてもよいと申されるのですか?」
「見栄で飯は食えん。出来た酒も売れねば、捨てることになるぞ。それこそ大恥ではないか」
「確かに」
「捨てるくらいならば、こちらが儲かる値で最初から売る。尾張の商売は、これより『薄利多売』を目指す」
「儲かるときに儲けるのが大道でございますぞ」
「大型船を造るには銭がいる。一度に大量の荷が運べれば、それだけ利が付く。それがわかっているのに、大型船を造るのを諦めて、小銭を稼ぐのが大道か?」
「別に大型船を諦めるなど」
「同じだ。時間を掛ければ、南蛮船を模した船を誰かが造るぞ。最初に造った者が最大の利益を享受する。面子に拘って酒を捨てることになれば、すべてを失うぞ」
しばらく、熱田の商人らが黙ってしまった。
帝が好まれたという酒は高値で売れる。
それを安く桶で売って、売った先が高値で売るのを、指を咥えてみることになる。
それほど悔しいことはない。
「一度安値で桶買って大儲けの味を覚えた奴らは、桶を売らぬと言われない為に、我らに文句が言えなくなるぞ」
「買わぬと脅してきませんか?」
「売らねばいい。だが、一度でも美味い酒を覚えたものは昔の酒で我慢などできぬ。他の所からこっそりと仕入れることになるな。延暦寺、興福寺、石山御坊の三つが供託して、買わぬと言わぬ限り、怖くもないぞ」
「なるほど。では、どなたを通じてお頼みするのですか?」
「それがおらん。俺が聞きたい」
延暦寺が買わぬと言えば、興福寺や石山御坊から回ってくる。
興福寺が買わぬと言えば、延暦寺や石山御坊から回ってくる。
石山御坊が買わぬと言えば、興福寺や延暦寺から回ってくる。
三者が供託しない限り、畿内には酒が出回ってしまう。
だから、三者に同条件で酒を買わす契約を結ばせば怖くない。
だが、誰がその話をまとめるのか?
この策の一番難しいところなのだ。
こちらから話を持ってゆけば、絶対に他の陣営に桶を売るなという条件を付けてくる。
それを断るのが難しい。
自分で言っておきながら、絵に描いた餅だった。
「魯坊丸様。その役目を某にお任せ下さい」
「任せたいが出来るのか? 酒を売るのとは意味が違うぞ」
「店の看板である『天王寺屋』を賭けても無理でございましょう。しかし、堺には会合衆がございます。それぞれの陣営に人脈があり、堺衆の合意で決まれば、延暦寺、興福寺、石山御坊の三つも文句は言えません。その三つが片付けば、法華宗や禅宗の寺にも同じ話をもってゆけます」
「なるほど、堺の会合衆か」
「これを請け負えば、堺衆に莫大な利益が回ってきます。これを見逃す馬鹿はいません。お任せ下さい」
「皆の者。どう思う。俺は賛成だが、半数が断るならば、別の手を考える。今のところ、他に手はないがな」
採決を放棄した者が一名のみ、ほぼ全会一致で堺の会合衆を頼ることに決まった。
俺が賛成だと言った時点で、千秋季忠、加藤順盛、大喜五郎丸の三人も賛成し、俺を含めて全体の三割が賛成なのだから否決されることはほぼない。
武田信玄や毛利元就もこんな感じだったのだろうな。
談合制を装いながら、独裁と変わらぬ。
こうして各自から代表を堺に送ることになった。
天王寺屋の津田宗及。
中々に決断力のある商人であった。
昼に中根南城で軽い昼食を取ると中根南城を出発し、千秋邸で季忠と加藤順盛と打ち合わせをしている内に夕方になった。
ケッケケケケっと一匹の寒蝉が鳴く声が聞こえた。
セミ科の寒蝉は朝ではなく、夕暮れに鳴く変わった蝉であり、一日が終わるもの悲しさがあるというが、セミは梅雨が明けてから鳴くのが普通だ。
紀貫之 『古今集』にも、
川風の 涼しくもあるか うちよする
浪とともにや 秋は立つらん
とあるように秋の訪れを予感させる歌に使われ、随分と気の早い蝉なのかもしれない。
皆が集まり、資料の写しを渡した。
桶を売る『桶売り』は俺の発案である。
江戸時代、関東で灘の酒が気に入られ、千石船を使って運ばれた。
畿内でも売られていたが、関東にも売られた。
百万人の大都市の江戸である。
灘の酒造所だけで賄いきれない消費量となり、灘の酒造所は地方の藏から酒桶を買った。
桶を買わなければ、売る分が確保できなかった。
その頃、東海(愛知・岐阜・三重)に丹波杜氏や但馬杜氏が多くやってきて、灘酒の造り方をもとに『中国酒』を造った。
それが東海でも酒造が盛んになったという。
冬場は農閑期となり、百姓も仕事が減る。
そこで酒造所が彼らを雇って酒を造り、彼らの出稼ぎ所となった。
出来た『中国酒』は灘に売られ、灘で味を調えて関東に出荷された。
灘の杜氏らが全国に散って、その技術を伝えたことで日本全国に優秀な杜氏が誕生したと聞いたことがある。
どれほどの桶買いがあったのかは資料が残っていない。
村起こし事業の一環で酒造所を買い取ったときに、そんな資料を集めて読んだ。
灘のやり方は戦国の世では通じない。
技術だけ盗まれて終わる。
役儀を破ると『神の怒りに触れるぞ』と脅しても無駄だ。
酒を造っているのが神社・仏閣であり、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊の僧らが熱田明神を恐れる訳もない。
だから、発想を逆にした。
桶を買うのではなく、桶を売るのだ。
僧坊酒は、蒸し米と麹と水を一度に大甕に仕込んで時間を掛けて二段仕込みで造る。
黄金に輝く澄んだ河内の天野の僧坊酒が圧倒的に美味いと評判であった。
最近、急激に人気が上がってきたのが、大和の正暦寺の僧坊酒だ。
南都諸白と呼ばれていたのでピンときた。
諸白とは、蒸し米と麹の両方に白米を使い、火入れで味を変わるのを防いだという技法だ。
これが清酒の原点とか、何とか書かれていた。
ここから酒造りの技法が伊丹や灘に伝わり、清酒造りが一気に花を咲かせた。
俺が教えた酒造りは江戸三百年間を掛けて完成した技法である。
但し、俺は杜氏でないので、道具と行程のみを知っている穴空きの回答書のようなものだった。
その空白を埋めてゆかないと清酒に辿りつかない。
昨日、伊勢神宮の神官である松本元吉と堺商人の津田宗及を酒造所に案内すると、巨大な木桶のみでびっくりしていた。
製造法はもちろん教えないが、河内の酒造りと比べても作り手の少なさや生産量が段違いであることが確認できた。
桶売りは可能と判断に至った。
やはり、僧坊酒を造っている僧侶らより300年は先を行っている。
何となく申し訳ない気持ちだ。
申し訳ないが、彼らを気遣ってゴロゴロライフを諦めるつもりもない。
臨時の熱田会議は大領主と豪商のみが集まった会合だ。
城でいう家老のみを集めた感じだ。
俺は彼らに資料を開かせた。
「まず、これが事業計画です。資料一をご覧下さい」
写本させた事業計画書に最初に資料一があり、今後の生産量の伸びを示した。
熱田に建てた酒造所の生産量だけ、周辺国に売るには十分な量だ。
大桶で5,400リットル(十斗樽30樽 1升瓶3000本)が造れ、藏に十桶が置かれている。
つまり五十藏なので、1回の生産が2700トン(十斗樽1万5,000樽 1升瓶150万本)となる。
これが年四回の生産で10,800トン(十斗樽6万樽 一升瓶160万本)の製造予定だ。
加えて、津島では三ヵ月ごとに十個の藏が建ってゆき、来年の冬に熱田と同じ五十藏となる。
百藏の年間生産量は、倍の21,600トン(十斗樽12万樽 一升瓶1,200万本)だ。
一升瓶を30文で卸すつもりなので36万貫文の収入となる。
仮に、最低の10文でも12万貫文だ。
対して、一升瓶(1,800ml)の清酒を造るのに1.3kgの玄米が必要なので、10万4000石(15600トン)の米を使用する。
米の相場を1石と二貫文とする仮定すると、5万2000貫文で仕入れて30万8000貫文の荒利益だ。
順調に売れてくれれば、六十万石から三十万石の大名に匹敵する財力を得る。
しかし、これだけ巨大なマーケットが現れれば、市場はどうなる?
イメージするならば、
ヨーロッパでトヨタ車が売れてシェアの一割を奪った感じだ。
慌てたヨーロッパはEV化を進め、トヨタ排除を進めた。
結果は、散々だったがトヨタ車を拒絶したのだ。
同じだ。
尾張の酒が大量に持ち込まれれば、その地域で締め出しを食らう。
売らせてもらえない。
そもそも領主らは、村で独自に造る濁酒やお抱えの酒造所の白酒もあり、売れる量は無限ではない。
庶民はまだ銭を多く持っておらず、自分で酒を買う余裕はない。
買ってくれるのは武家である。
売っているのは地域の神社・仏閣の息がかかった土蔵と呼ばれる商人なのだ。
彼らと対立すれば、売ることは叶わない。
「資料二をご覧下さい。これまでの米の買い付け価格と兵の出兵数を参考に推測の人口を算出しました」
「魯坊丸様、尾張国の石高五十万石、美濃国も五十万石、駿河・遠江・東三河国を合わせて七十万石とありますが誠ですか?」
「正確な数字ではありません。あくまで計算に基づく参照の数字です。ですが、大きな大差はないと思います。駿河は金が産出されますが、今川方が送ってくる兵力は一万人程度です。北条方に兵を残しているので、二万人から二万五千人と考えて100万石並の大名ですが、米の収穫は少ないのが、計算から推測されます」
「誠なら、織田家と今川家の差は余りないことになりますな」
「熱田と津島が栄えれば、そうなります」
皆の注目が石高に行ってしまったのは、大失敗だった。
石高は俺の朧気な記憶を頼りに書いたものだ。
駿河・遠江・三河は平地が少なく、尾張と美濃は濃尾平野が広がっている。
平地の広さが農地に直結するので珍しいことではない。
石高を書いたのは、そこにいる人口の参考の為だった。
1石で1人と数えれば、尾張の50万人、美濃も50万人、駿河・遠江・三河で70万人と数えて、東海の人口はざっと百七十万人だと言いたかった。
対して、畿内は周辺を含めると三百万石もあり、三百万人を抱えている。
21,600トン(十斗樽12万樽 一升瓶1,200万本)の酒を、170万人に売るのと、470万人に売るのとどっちが売りやすいかと言いたかった。
酒の生産量がわからないが東海だけに売ろうとすれば、シェア10%を超える気がした。
だって、10万石分の米からできた酒だよ。
170万石なら5%を超え、470万でも2%なのだ。
中々の脅威だろう。
出来れば、もっと全国に分散したい。
津島に酒造所を建てるが、稼働は10藏のみとして販売量に応じて増産するつもりだ。
最初からしないと言えないので、まだ言ってない。
「まず、販売先の版図を広げる。東は房総半島まで、西に西国のすべてだ」
「可能ですか?」
「熱田神宮の人脈を使って全国の神社に酒を納め、彼らの氏子に売ってもらう。しかし、使者を送り、約定を固め、輸送ルートを確保するのには時間が掛かる」
「まぁ、そうなりますな」
「そこで、ここに出席してもらった松本元吉殿だ。伊勢の大宮司様より書簡を預かっており、伊勢に寄付することが条件ではあるが、伊勢で尾張の酒を売る許可をもらった」
「それでは!」
「宗定、津島を通じて好きなだけ売れ」
今日の熱田会議には、津島衆を代表して川口宗定が参加していた。
これは嬉しい知らせだ。
伊勢神宮のお墨付きがあれば、伊勢のどこでも売れる。
また、東美濃の領主らの許可ももらっているので、東美濃で熱田衆も好きなだけ売れる。
しかし、美濃の斎藤利政や駿河・遠江・東三河の今川義元の許可はないので、色々と工夫をしている。
その工夫に追加する。
「松本元吉殿は廻船問屋を行っておる。まず、伊勢で酒を造らぬ酒造所を建てる。そこに桶を売って、伊勢の酒として東海から関東に売る。伊勢は今川家と争っておらぬので、熱田の船より運び易いであろう」
「それは名案でございます」
「熱田の酒を伊勢の舟で運んでいるが制約は多い。しかし、伊勢の酒ならば、伊勢神宮と近しい神社などに入れて売ることができる」
「なるほど、伊勢の人脈も使う訳ですか」
「その通りだ。そして、西国の播磨まで堺の商人である津田宗及が運んでくれる。交渉もしてくれるそうだ」
「それはありがたい」
出来た酒を運ぶ船が足りなかったが、松本元吉と津田宗及が手配してくれるので船の問題が解決した。
伊勢でやる桶売りを、比叡山の延暦寺、大和の興福寺、摂津の石山御坊でもやりたい。
ヨーロッパでトヨタ車が売れすぎれば排除されるが、日本製の半導体などの部品が排除されたという話を聞かない。
つまり、中身がトヨタ車でも、入れ物がベンツ車なら怒らない。
中身が尾張の酒でも、器が延暦寺、興福寺、石山御坊であれば、僧侶は怒らない。
実際に造っているのは土蔵の酒屋であり、自分で造って売るのも、桶を買って売るのも違いない、
俺が提案しているのは『桶買い』でなく、『桶売り』だ。
名を捨てて実を取る。
面目を重きに置く、彼らにとって美味しい話なのだ。
問題は、『誰が猫の首に鈴を付けるか』なのだ。
「魯坊丸様は尾張の酒でなくてもよいと申されるのですか?」
「見栄で飯は食えん。出来た酒も売れねば、捨てることになるぞ。それこそ大恥ではないか」
「確かに」
「捨てるくらいならば、こちらが儲かる値で最初から売る。尾張の商売は、これより『薄利多売』を目指す」
「儲かるときに儲けるのが大道でございますぞ」
「大型船を造るには銭がいる。一度に大量の荷が運べれば、それだけ利が付く。それがわかっているのに、大型船を造るのを諦めて、小銭を稼ぐのが大道か?」
「別に大型船を諦めるなど」
「同じだ。時間を掛ければ、南蛮船を模した船を誰かが造るぞ。最初に造った者が最大の利益を享受する。面子に拘って酒を捨てることになれば、すべてを失うぞ」
しばらく、熱田の商人らが黙ってしまった。
帝が好まれたという酒は高値で売れる。
それを安く桶で売って、売った先が高値で売るのを、指を咥えてみることになる。
それほど悔しいことはない。
「一度安値で桶買って大儲けの味を覚えた奴らは、桶を売らぬと言われない為に、我らに文句が言えなくなるぞ」
「買わぬと脅してきませんか?」
「売らねばいい。だが、一度でも美味い酒を覚えたものは昔の酒で我慢などできぬ。他の所からこっそりと仕入れることになるな。延暦寺、興福寺、石山御坊の三つが供託して、買わぬと言わぬ限り、怖くもないぞ」
「なるほど。では、どなたを通じてお頼みするのですか?」
「それがおらん。俺が聞きたい」
延暦寺が買わぬと言えば、興福寺や石山御坊から回ってくる。
興福寺が買わぬと言えば、延暦寺や石山御坊から回ってくる。
石山御坊が買わぬと言えば、興福寺や延暦寺から回ってくる。
三者が供託しない限り、畿内には酒が出回ってしまう。
だから、三者に同条件で酒を買わす契約を結ばせば怖くない。
だが、誰がその話をまとめるのか?
この策の一番難しいところなのだ。
こちらから話を持ってゆけば、絶対に他の陣営に桶を売るなという条件を付けてくる。
それを断るのが難しい。
自分で言っておきながら、絵に描いた餅だった。
「魯坊丸様。その役目を某にお任せ下さい」
「任せたいが出来るのか? 酒を売るのとは意味が違うぞ」
「店の看板である『天王寺屋』を賭けても無理でございましょう。しかし、堺には会合衆がございます。それぞれの陣営に人脈があり、堺衆の合意で決まれば、延暦寺、興福寺、石山御坊の三つも文句は言えません。その三つが片付けば、法華宗や禅宗の寺にも同じ話をもってゆけます」
「なるほど、堺の会合衆か」
「これを請け負えば、堺衆に莫大な利益が回ってきます。これを見逃す馬鹿はいません。お任せ下さい」
「皆の者。どう思う。俺は賛成だが、半数が断るならば、別の手を考える。今のところ、他に手はないがな」
採決を放棄した者が一名のみ、ほぼ全会一致で堺の会合衆を頼ることに決まった。
俺が賛成だと言った時点で、千秋季忠、加藤順盛、大喜五郎丸の三人も賛成し、俺を含めて全体の三割が賛成なのだから否決されることはほぼない。
武田信玄や毛利元就もこんな感じだったのだろうな。
談合制を装いながら、独裁と変わらぬ。
こうして各自から代表を堺に送ることになった。
天王寺屋の津田宗及。
中々に決断力のある商人であった。
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