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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

閑話(十七夜) 小豆坂の戦い

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 〔天文十七年 (一五四八年)春三月十八日夕刻~十九日〕
 上和田城に到着した織田-信秀は不機嫌になった。
 息子の信広に小豆坂の頂上を確保しておくように命じたのに、小豆坂の頂上を今川方に奪われていたことを知ったからだ。
 十七日、信広は必死に岡崎城を攻め立てた。
 しかし、勇猛な三河武士の活躍で突破に見込みはなく、兵を下げた。
夕方近く、藤川に今川方が現れたと聞くと、鎌倉街道が通る乙川の上流に千人の兵を配置して、今川方の侵攻に備えながら岡崎城の包囲を続けた。
岡崎城の南東にある六所神社に本陣を移し、信広の思考は岡崎城を救援にきた今川の軍をどこで迎え討つかと頭を切り替えたのだ。
道が狭くなった所に五百人の兵を配置し、今川方が攻めてくれば、兵を後退させて広い場所に引き込むと、一気に山側から横腹を叩いて先陣を葬る。
岡崎攻めの織田方四千人で一万人近い今川勢の勢いをそこで削ぐことを考えた。
そこまでは悪くない。
 信秀からの使者が小豆坂を奪取しておくように命じられると、兵五十人を向かわせた。
 敵も同じことを考えていたらしい。
五十人程度の今川兵と交戦となったが、前哨戦は頂上付近で互角の戦いであった。
しかし、後詰めのない織田方に対して、今川方は続々と後陣が駆け付け、織田方は撤退を余儀なくされたのだ。
岡崎城の救援にくる今川勢を叩くことに固執し、小豆坂を軽視した信広の失態であった。
 信秀が上和田城に入ると、報告にきた信広を信秀が叱った。
 岡崎城の攻略を放棄し、小豆坂を確保してくれた方が楽だったからだ。

「兄者、今更嘆いても何も変わらん」
「信光。そうやって信広を甘やかすな。西三河を治めてもらおうと託しているのだ。それぐらいの器量は見せてもらわねば困るのだ」
「兄者は信広に期待し過ぎだ。武将として評価しておるが、統治者としてあれに劣る」
「あれは例外だ」
 
 あれのことがわからず、信広は首を捻った。
 すでに今川方の先陣三千人が岡崎方面で睨み合っており、安易に兵を下げることができない。
 信光が兵の配置を提案した。
 まず、岡崎城を囲む兵を千人に減らし、東の菅生神社に五百人、南の久後崎に五百人を配置し、遊軍の五百人を上和田に戻す。
また、今川と対峙する明大寺村の五百人は動かさず、六所神社の信広の兵一千五百人を上和田に戻し、松平忠倫の兵五百人を六所神社に入れて、指揮を忠倫ら三河勢に委ねる。
 四千人の内、二千人を上和田に戻すことで、尾張から連れてきた三千人を加えて、上和田の織田方は五千人となる。
 
「儂が千人を引き連れて、南の勝鬘寺しょうまんじを迂回して、南から今川勢の背後を襲う。兄者は今川勢の注意を前に引き付けてほしい」
「背後からの挟撃か」
「敵の数は岡崎の兵を入れれば、今川勢は一万一千五百人だ。我らは七千人だ。坂を登っての戦で無事で終われる訳もない」
「先陣は某が」
 
 叱られた信広が名誉挽回めいよばんかいと名乗りでた。
 すると、他の武将も「我に、我に」と声を上げる。
 士気の高さでは、今川方に負けていなかった。
 翌朝、今川方の陣容が知れた。
 岡崎方面に三千人、小豆坂の頂上に三千人、本陣が三千人、後詰め千人であり、対する織田方は、岡崎に二千人、小豆坂の麓に四千人、遊軍千人の配置であった。
 岡崎方面の織田勢には、今川勢に威嚇攻撃のみをして、今川勢が引けない状況を作るように命じた。
 織田方は四十メートルの高低差のある坂を登りながら今川勢を押して、敵の本陣を呼び込めば、背後から信光が率いる遊軍が背後から襲って勝利を引き込む。
 今川の本陣が前のめりになれば、織田方の勝利。
 先鋒の攻撃がゆる過ぎれば、今川本陣が周囲を警戒して、奇襲は不成功に終わり、織田方の敗戦が決定する。
 博打のような戦い方だが、信秀はこういった差配を得意とした。
 戦上手な信秀を『尾張の器量者』と呼んだ。
 
『押せば、勝てる。押して、押して、押しまくれ』
 
 判り易い指示に兵も迷いがない。
知将はあれやこれやと細かい指示を出すが、それを実行できるだけの将も兵もいない。
それを見極めて指揮するのを得意とした。
勢い余る織田勢に、坂を下る今川勢が押された。
一段目の坂で衝突し、勢いが増さった織田勢が押し込んで、坂を更に登った。
逃げる兵を通しながら矢を放って織田勢の勢いを止めようとするが、鬼の形相で信広が大きな体で先陣を切れば、周り兵が追い掛けて勢いが止まらない。
二段目の坂を登り切った。
残り三十三尺 (10m)を登り切れば、織田勢の勝利が確実となる。
織田方は手柄欲しさに勢いが増す。
信秀が勝ったと小さく拳を握ったが、その瞬間から疑惑が過った。
今川方が脆すぎる…………以前の今川方ならば、ここから激しく抵抗した。
だが、信広らの勢いが止まらない。
遂に、頂上まで達したが、その直後に本陣の大将である太原たいげん-雪斎せっさいが動き、副将の朝比奈あさひな-泰能やすよしが信広らに突撃を開始した。
その瞬間、信秀は天を仰いだ。
早過ぎる。
迂回した信光が後ろを回り込むのに一刻半は掛かるのだが、信光は昼前に勝敗が決するなど考えていない。
急ぎ過ぎて敵に気づかれては本末転倒となる。
今頃、偵察がすでに頂上部で戦っているのを見て、慌てて兵を急がしているのが予想できた。
そして、信秀が小豆先の脇を睨んだ。

「伏兵がくるぞ。各自、用心せよ」

信秀が急いで伝令を走らせた。
だが、手柄欲しさに血走っている兵の耳に届くだろうか、否だ。
信秀は悔しさのあまり歯ぎしりを鳴らした。
伏兵を用心しない訳ではない。
左右に百人ずつの部隊を編成し、道なき道で山を登る兵を用意していた。
伏兵を用心する為の兵である。
しかし、もしも敵との交戦が膠着したなら伏兵として、側面を叩く、敵の大将のみ狙うなど、状況に応じて臨機応変に対応できる将らを当てた。
伏兵対策はばっちりであった。
だが、側面が登る速度を上回り、織田家の先鋒が坂を登り切ってしまった。
撤退を偽装するなどという策ではない。
雪斎は微妙に弱い兵を配置し、今川の将と兵を織田への生贄として差し出した。
必死に抵抗するので雪斎の策と気づくのが遅れた。

「腐れ外道、それでも僧侶か。味方を殺される為に配置するなど、人のすることではないわ」

信秀は怒り声を上げて盾台を叩いた。
最初から有利な坂道を捨てて、頂上付近の少し広くなった場所を戦場地と決めていたのだ。
逃げてくる味方の今川兵を無視して、朝比奈-泰能が突撃して勢いを止める。
更に、味方を無視して後方へ矢を射る。
後続の織田方が流れ込み、頂上部が混戦となってゆく。
雪斎の本陣も迫って、敵の士気がわずかに戻った。
だが、そこまでであった。
二段目辺りから今川の伏兵が溢れて襲ってきた。
伝令の声を聞いて構えた兵もいたが、圧倒的に数が足りない。
四千人の兵が二千ずつに分断された。
頂上で戦っていた織田兵が背後から今川が迫ってくると、首狩りに熱くなっていた頭に冷や水を被せられたように狼狽し、兵の戦意が萎えた。
ここを見逃す雪斎ではない。
最早此までと見切った信広が反転して背後に突撃を掛けた。
決死の覚悟で血路を開いたのだ。
だが、信広はあっさりと通されて背後から追撃戦へと変わった。

「信広の愚か者め」

雪斎は信広を逃がしたのではなく、後続の正面に逃げるように誘ったのだ。
信広は織田軍の勝敗を考えるならば、左右のどちらかに血路を開くべきであった。
狭い坂道で何とか今川軍を抑えている所に味方が雪崩れ込めばどうなるか?
味方を逃がしつつ、今川を抑えるなどできる訳もない。
織田軍の総崩れが始まった。
信秀は撤退を命じると、麓の広くなった所に殿しんがりを配置させた。
信光にも作戦の中止の伝令を走らせた。
信秀は早々に矢作川を渡ったので、雪斎は上和田城などを降伏させ、岡崎城の包囲を解かせると、早々に兵を引き上げた。
和睦したと言っても、北条氏康を信じた訳ではない。
矢作川東岸の城を奪えれば、十分な戦果と考えたようであった。
信秀は『加納口の戦い』に続き、悔しい敗戦となった。
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