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第一章 魯坊丸は日記をつける

四十七夜 魯坊丸、酒をつくる

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〔天文十六年 (一五四七年)冬十月初旬〕
熱田の神官は、城主、領主、商人など多岐に渡る。
権力者に媚びて兵を出したり、関所を無視できるという神職の特例を利用して商人の真似ごとをしたり、権威を使って遠い国と取引もする。
神職が本職なのか、副職なのか、それはよくわからない。
彼らが一同に集まる会議が神職総会だった。
だから、城主であっても神官でない養父の中根忠良のような者は呼ばれない。
そこが城の評定と異なる。
熱田神宮を支える者だけが集まる集会だ。
その仲間に俺が加わった。
純粋に喜ぶ者もいれば、利用しようと近付く者もおり、皆が集まってきそうなので早々に退席した。
問題は帰り道だ。
熱田神宮から中根南城への道は二本あり、一つは神宮の西側に表参道がある。
古渡、那古野へと続く道だ。
そこを少し北に向かってから東に曲がって三本松を抜けて精進川しょうじんがわに掛かっている橋を渡る。
これがいつも使ってる熱田神宮への道だった。
しかし、その道は会議に参加した他の神官も利用しており、声を掛けられる可能性が高い。
はっきり言って鬱陶しい。
そこで、もう一つ道を選択した。
神宮の東に広がる鎮守の森を通って精進川まで抜け、川の土手を北上する裏参道である。
森の中は薄暗く、道も整備されていない。
そういう…………理由だけで利用されない訳ではなかった。
俺は家臣に支えられながら馬に乗っており、福らは馬の横を歩きながら周囲を警戒していた。
前に二人、後に一人の護衛も同様だ。
教師の定季も数えれば、五人が緊張している。
俺らの道を遮る愚か者はいない。
福の目が少し泳いで動揺している。
それもその筈で、痩せこけた子供、乳もでないような母親が赤子を抱いていた。
皆、今にも死にようにみえた。

「魯坊丸様」
「な、ん、だ?」(なんだ?)
「いいえ、何でもございません」
「そ、う、か」(そうか)

福は俺の名を呼びながら、言葉を飲み込んだ。
確かに、見ているだけで辛い。
同じような河原者らの子供らが、最近は笑いはじめ、それを嬉しそうに報告をする福の笑顔が、年相応の少女で可愛らしくみえる。
そんな子供らと変わらない者が死に掛けている。
助けてやってほしいと声を出すのは簡単だが、俺の負担になることを侍女がいうのは、侍女の本分から逸脱いつだつする。
まったく、言葉にすればよいのに。

「さ、だ、す、え。こ、の、も、の、ら、を、た、す、け、る、の、ばぁ。あ、つ、た、み、よ、う、じ、ん、ら、し、い、お、こ、な、い、か」(定季。この者らを助けるのは、熱田明神らしい行いか)
「そうでございますな。熱田明神と言えば、熱田明神らしい慈悲と言えます」
「な、ら、ばぁ。た、す、け、る、か」(ならば、助けるか)
「お情けでございますか?」
「ふ。ま、さ、か」(ふっ、まさか)」

俺は鼻で笑うと否定した。
残念ながら、俺はそこまで慈悲深くない。
俺は自分の手が届く範囲しか、責任を持たないし、持つつもりもない。
だが、通る度にこの光景を見るのも嫌だ。
福が困る顔も見たくない。
そして、何よりも俺の手はそれほど小さくない。
俺はそんな事を呟きながら、本当に小さな手を空に突き上げて握りしめた。
ちっちゃい手だ。

「で、如何なさいます」
「さ、け、を、つ、く、る」(酒をつくる)
「酒ですか?」
「し、ろ、ざ、け、よ、り。す、ん、だ。と、う、め、い、な、さ、け、だ」(白酒より澄んだ。透明な酒だ)

ほぉ~、定季が顎を撫でながら内容を聞いてきて考えはじめた。
俺は、濁り酒しかないことを確認する。
黄金色に輝く透明な酒なら寺が作っているらしいが、無色透明な酒はないという。
ならば、俺が作る酒は新しい酒だ。
新しい酒には付加価値が乗り、倍で売れれば採算が乗る。

「寺が文句を言ってきますぞ」
「あ、つ、た、の、さ、け、だ。な、に、が、わ、る、い。あ、つ、た、と、あ、ら、そ、う、の、か。だ、が。に、わ、り、びぃ、き、で、お、ろ、し、て、や、ろ、う」(熱田の酒だ。何が悪い。熱田と争うのか。だが、二割引で卸してやろう)
「確かに、熱田神宮と事を構える愚かな寺はおりませんな」
「そうであろう」(そうであろう)

この付近で熱田神宮と正面から争うような馬鹿な寺はいない。
定季がその理由を説明してくれた。
神仏習合が進み、この周辺の寺は、寺なのに熱田の分社を置いている。
長島に浄土真宗の大物がいるが、安値で卸すと言えば仲良くするだろう。
定季の見立てでも争う馬鹿もいないと言ってくれた。
それに売れるほどの酒を造ってから悩む事案であり、今から心配することではない。
重要なことは一つであり、酒造りは儲かるのだ。
その酒造りに必要な人材をこの鎮守の森から拾ってゆく。

「す、べぇ、て、を、た、す、け、る、の、は、む、り、だ。そ、れ、で、よ、い、か」(すべてを助けるのは無理だ。それでよいか)
「ありがとうございます」
「あ、す、か、ら、ひ、え、や、あ、わ、を、と、ど、け、て。た、き、だ、し、を、さ、せ、よ」(稗や粟を届けて、炊き出しをさせよ)
「宜しいのですか?」
「お、れ、の、め、い、れ、い、を、き、く、も、の、を、つ、く、る、と、う、し、だ」(俺の命令を聞く者をつくる投資だ)
「畏まりました」

重要なことは酒造りではない。
酒を造って銭を儲ける。
その銭を使って土木作業員を雇う。
中根だけではなく、熱田、井戸田、田子、八事、平針などの熱田領のすべてに鍬衆を作る。
今日の会議をみて、それができると感じた。
仮に百人を一組として十組の鍬衆を作れば、俺の一言で一千人の兵が集まる。
熱田領で二十組は作りたい。

「しかし、領主らが賛同しますか?」
「ぜ、に、を、し、よ、う、に、ん、が、か、し。り、し、を、な、か、ね、が、か、す」(銭を商人が貸し、利子を中根が貸す)
「なるほど。商人は儲かり、領主は一文も使わずに開拓ができる訳ですな。ですが、金利を中根が払えますか?」
「こ、の、き、ん、り、ばぁ。ね、ん、い、ち、わ、り、と、す、る」(この金利は、年一割とする)
「そのくらいならば、中根でも肩代わりできますな」

肩代わりした利子にも年一割の金利を上乗せする。
酒で儲けた銭がすべて解けてしまうが、代わりに俺には傭兵が残る。
周辺の領主らにも開拓を唆し、五十組の鍬衆を揃える。
俺が元服するまでに、一声で五千人は欲しい。
はっきり言って俺に戦略を考える才がないのは、先日の戦いでよくわかった。
才能がなければ、どうすればよい。

答えは簡単だ。

純粋な武力で圧倒すればよい。
兵五千人に、鉄砲と爆薬を十分に用意しておく。
隣の今川義元とかいう馬鹿が、織田家に喧嘩を売っているので、備えなければならない。
今は親父がいるので大丈夫だが…………長生きはしていなかったと思う。
俺が知る世界かどうかも怪しいので深く考えないでおこう。
仮にあと十年として、俺が元服する頃までに揃えておけばよいだろう。

「ま、ず、ばぁ、さ、け、づ、く、り、だ」(まずは、酒造りだ)
「酒造りの当てはございますか?」
「ご、ろ、う、ま、る、が。さ、か、ぐ、ら、を、つ、く、つ、て、い、る。ひ、と、つ、か、り、る」(五郎丸が酒蔵を作っている。一つ借りる)
「五郎丸が酒造りをしておりましたか」
「わ、き、み、ず、が、い、る。ど、こ、か、あ、る、か」(湧き水がいる。どこかあるか?)
「湧き水ですか。この精進川の上流にいくつもあります」
「ど、こ、の、り、よ、う、ち、だ」(どこの領地だ)
「熱田の直轄領です」
「こ、う、つ、ご、う、だ」(好都合だ)

酒造りに必要な湧き水、杜氏、作業員が揃った。
五郎丸に一口噛ませれば、初期投資の銭を出してくれる。
その儲けた銭で、組織を大きくする。
一度組織を立ち上げれば、俺は寝ていても膨らんでゆく。
これは絶対にやるべきだ。
組織を完成させれば、寝ていても儲かるようになり、安全も確保できる。
これぞ、果報は寝て待て。
大切なことなので二度言うが、果報は寝て待て。
ちょっとだけ頑張るぞ。
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