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第一章 魯坊丸は日記をつける

四十六夜 魯坊丸、神官になる

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〔天文十六年 (一五四七年)冬十月はじめ〕
岡崎の松平広忠に安祥城が襲われたと聞いて、親父らは援軍に向かった。
すると、広忠を捕らえて岡崎城を開城させ、広忠に岡崎から追放された松平まつだいら-信孝のぶたかが入城して返り咲いたらしい。
広忠は嫡男の竹千代を人質に出すことを条件に許され、岡崎城主に留まった。
広忠が助かった理由は真喜姫まきひめ(田原御前)である。
水野家の於大を離縁すると、渥美半島を支配する戸田とだ-康光やすみつの娘である真喜姫を迎えると、戸田家と同盟を結んでいた。
今橋城の奪還を企む康光に、織田家からの援助をちらつかせて寝返りを唆した。
水野家と三河湾の領海を争っているので即織田家との同盟とまでは行かないが、今橋城の奪還に織田家が力を貸すことで、織田方への寝返りは了承したらしい。
あくまで密談の内容である。
その交渉に同席した大喜東北城主の岡本おかもと-久治ひさはるが養父の見舞いにきて教えてくれた。
久治は美濃の戦いでは、輜重隊しちょうたいの護衛だったので被害をまったく受けていなかったので西三河へ援軍に参加させられ、戸田家との交渉にも随行したらしい
戦後処理で交渉役に寺の僧侶や神官が使者になることが多く、久治も熱田神宮の神官だった為に交渉役や随行員に撰ばれた。
うつむけで寝ている養父を気遣って久治が声掛けた。

「せっかく、生きて戻れたのです。しっかりと養生してくだされ」
「面目ない」
「背中に十数本の矢を受けて帰還し、清須でも槍を振るっておりましたから、寝込んでいると聞いてびっくり致しました」
「あのときは痛くなかったのだ」

養父は鎧と鎖帷子のお陰で貫通した矢がなかったのだ。
だが、刃先が背中の皮を掻き切っており、応急処置として消毒液で傷口を洗い、軟膏を塗った後に綺麗な布をあててから包帯を巻いた。
そこまでは良かったのだが、そんな状態で清須攻めに参加し、何日も布を交換せずにいれば、傷口が化膿するのも当然だった。
化膿した部分をえぐりとり、消毒液で洗い直した。
毎日のように綺麗な布を交換しながら様子を伺っている。

「季直様と季広様を看取ったのは、久治殿とお聞きしたが…………?」
「季光様は無念であったと思われます」
「まさか、逃したことで身罷みまかるとは…………?」
「季忠様も落ち込んでおられるとか」
「であろうな。まさか、海賊が出てくるなど考えてもおらなんだだろう」
「某が駆け付けたときは舟が転覆しておりました」

織田家の美濃攻めは一月近くになり、兵糧などの輸送を津島衆と熱田の加藤家の水軍が担当しており、撤退が決まると、千秋家の力で引き上げる輜重隊の舟に季直と季広を乗せた。
千秋季忠自身は最後まで親父に連れそうことを決めたが、息子らのみを先に逃したという。
あのタイミングで川賊が現れたのは斉藤家の陰謀の一ツだろう。
運悪く、舟が転覆した。
下級の兵は鎧が質素だったので、沈まないように抗って何とか息継ぎができたので、援軍の舟に助けられたのだが、上級の武士ほど矢を通さない鎧を纏っており、そのまま川の底に沈んでしまった。
久治らが舟で援軍に駆け付けて、川賊を追い払って引き上げたときは手遅れだったという。
兵装が充実した為に溺死とか、皮肉過ぎる。
季忠は息子らの安全を確保したから死地に迎えたけど、知っていたら死んでも死にきれないだろう。
そんな不幸な弟である季忠が、翌日に中根南城に訪ねてきて泣き付かれた。

「魯坊丸様。お助けください」
「な、に、が、あ、つ、た?」(何があった?)
「熱田の神官や領主から織田への不満の声が出ております。信秀様から此度の不幸を謝罪され、今後も熱田を支えてゆくとのお言葉を賜ったのに、織田方から離脱せねばならぬ事態になりかねません」
「そ、ん、な、こ、と、ばぁ、な、い、だ、ろ、う」(そんなことはないだろう)
「もちろん、加藤殿や岡本殿などの賛同を得ておりますので離脱はありませんが、家臣への不満の声を無視する訳には参りません」
「ぐ、た、い、て、き、に、い、え。な、に、が、ふ、ま、ん、だ」(具体的に言え。何が不満だ)
「ぐたいてき?」

片言の俺の言葉は聞き辛いらしく。
福と定季がフォローして、家臣らがどのような不満が上がっているのかと聞き直してくれた。
要するに、
今回の戦で亡くなった武将や怪我人の補充が簡単に利かない。
また、その家族への補填が少ない。
最後に、がんばった自分らへの褒美が少ないという不満だ。
下らん。

「あ、つ、た、ばぁ、お、お、く、の、う、じ、こ、と、し、ん、じ、や、を、か、か、え、て、い、る。そ、こ、か、ら、か、し、ん、を、つ、の、れ」(熱田は多くの氏子と信者を抱えている。そこから家臣を募れ)
「魯坊丸様は、熱田神宮の信者から家臣を集めよと仰せです。尾張、三河、遠江などの東海一円から募れば、たくさんの家臣が集まってくると存じ上げます」
「募るは簡単ですが、その召し抱えた者に与える土地がございません」
「ぜ、に、で、ばぁ、ら、え、ばぁ、よ、い」(銭で払えばよい)
「魯坊丸様は銭で家臣を召し抱えるようにすればよいと仰せです。先日、魯坊丸様は河原者で活躍した者を家臣に取り立てました。報酬はすべて銭です。今後も土地ではなく、銭を上げてゆくと仰せです」

福の声に季忠が目をまたたかせた。
報酬を石高から銭に変えるのが、それほど驚くことなのだろうか?
そう言えば、今後、中根家では家臣に土地を与えず、銭で雇ってゆくというと、定季も驚いていた。
鎌倉から御家人は土地をもらって奉公するという習わしが続き、『御恩ごおん奉公ほうこう』がセットだった。
褒美に土地を与えないと宣言するのが驚きだという。
そして、定季が「嫌だという者はどう致します」と聞くと、俺は「雇わないだけだ」と答えた。
しばらく絶句した後に得心したらしく。
定季が「目から鱗でした」と俺を褒めてくれた。
そんな定季が季忠に声を掛けた。

「季忠様、宜しいですか」
「定季か。何であるか」
「熱田は琉球交易をはじめております。そこから上がる銭で神宮も潤っていると聞きます。その銭で新たな家臣を募り、領主らの負担を減らせば不満が減ります。次に、織田家から褒美や補填を待つまでもなく、季忠様が補填して各領主の配るのをお薦め致します」
「織田様に頼むのはないのか?」
「熱田衆の忠誠は織田様ではなく、季忠様と魯坊丸様のみで宜しかろう」

定季がきわどいことを言い放つ。
織田家への忠誠など必要ない。俺を盛り立てれば、織田家と争うことはないのだから、熱田のことだけを考えればよいと言ったのだ。
季忠のまたたきはさらに早くなる。
そこに定季が叩き込んだ。

「今後、中根家では自前の兵を抱えてゆく方針でございます。自前の兵なら周り領主の顔色を見る必要もありません。この度のような事態になっても、すぐに兵を動かせます。領主が兵を出さないなら、それで宜しいとのでは…………と、魯坊丸様はお考えです」
「魯坊丸様が」
「はい。すべて魯坊丸様がお考えになられました」
「やはり、魯坊丸様は父上が申されたように熱田明神の生まれ代わりであったか」
「魯坊丸様が会議の席にいらっしゃれば、不満の声も小さくなりましょう」
「それは間違いない。魯坊丸様がいらっしゃる席で織田批判ができる者などおらん」
「でしょうな」
「おぉぉぉぉ、何とかなりそうに思えてきました。魯坊丸様、よろしくお願いいたします」

おい、勝手に決めるな。
定季が俺不在で会議が乗り切れるかと問うと、季忠が首を横に振る。
家臣を集めるにしても、神宮自前の兵を雇うにしても、今の季忠では、反対派の神官らを説得できないと嘆く。
俺は何もしないからな!
絶対に何もしない。
美味しそうな家臣と兵を中根家に譲ってもらう、会議の席で上座に座るだけで何もしないという条件を付けて引き受けた。

翌日、熱田神宮に行って神官にされた。
白い着物に、浅黄あさぎ色の文なし袴を付けた最下層の見習い神官だ。
見習いなのに会議では、神棚の横に座らされたので、入ってきた神官らがギョッと驚いた顔をして、俺に挨拶をしてから自らの席に付いた。
会議は季忠の独壇場だ。
何を言うにも、「魯坊丸様が…………」と、慣用句のように付けるので激しい反論が起こらない。
少なくとも領主らの不満を季忠が聞き入れた形になっている。
それが俺の意見か、背後の親父の意見か、判断が付かない様子で誰も言葉にできない。
そんな感じだ。
無事に会議が終わると、季忠の信頼がゲージを振り切って、村人や河原者と同じ狂人の目になっていた。
今までの不満と俺への賛美なんて聞いてられない。
じゃね、城に帰るぞ。
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