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第一章 魯坊丸は日記をつける

閑話(四十五夜) 八事の戦い 〔加納口の戦い(四.五)尾張編〕

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〔天文十六年 (一五四七年)九月十九~二十一日〕
岡本おかもと-定季さだすえ中根なかね-忠貞たださだに挨拶を交わすと中根南城から出陣した。
中根南から武士五人、従者五人、兵二十人を連れ出した。
北城、中城からそれぞれ武士三人、従者三人、兵十人が合流して、兵が四十人となる。
さらに、各村から六十人が加わって総勢百人となった。
城主の忠良ただよし様が百人の兵を連れていったので、総勢二百人の兵を動員したことになり、城や村に残っている兵はわずかだ。
誰かが攻めてくれば、一溜まりもない。
定季は魯坊丸の顔を思い出しながら、「無茶なことを言われる」と陰口を呟いた。
怖いモノ知らず、子供ならではの策だと思えたからだ。
長根村でしばらく待機していると、山から槍の長さや鎧兜が不揃いの武装した集団が降りてきた。
定季は先頭の武将に声を掛けた。

作之助さのすけ殿。今日は宜しくお頼み申す」
「定季様。どうしてこんなことに…………鉄砲は撃てますが、戦場は初めてです。役に立ちませんぞ」
「鉄砲が撃てれば十分でございます」

定季はその後ろにいた傭兵の頭に声を掛け、今回の主力に据えることを告げた。
傭兵と言っても信用できる者達である。
武士が力を持った三百年ほど前から熱田神宮は氏子らを編成し、源、足利、斯波などに加勢して、神宮の安全を買ってきた。
そのまま家臣となり、全国に熱田神宮の氏子領主が誕生した訳だ。
定季の岡本家も先祖を辿れば、そんな氏子らに辿りつく。
氏子で編成された傭兵なので信用がおけた。
だが、残念なことに傭兵達は余り強くないと千秋季光から定季は説明を受けていた。
最強の傭兵は季光自身が使い、強力な傭兵は有力大名に売り込み、そこそこ強い傭兵は情報収集に各地に潜らせる。
それ以下、警邏や護衛しか使い道がない傭兵が回されたのだ。
今回に限って、定季はこの傭兵らに期待する。
少なくとも真新しい槍を持ち、同じ軽装の鎧を身に纏っている農兵や作業員よりは活躍できると考えていたからだ。
傭兵の頭が定季に耳打ちをした。

「作業員は兵として期待できませんが、命令には忠実な神人です」
「神人ですか」
「熱田神宮に縁の深い神社からかき集めたそうです」
「では、私も神官職を持っていることを告げることにしましょう」
「それが宜しいかと」

神人とは、村を失った流民や村を追われた者が神社の森林などに身を隠し、供え物などを食して命を繋ぎ、雑役を行う下級の神職として拾われた者のことだ。
何故、逃げた者が神社などの敷地内に身を隠すと言えば、神社内にある物はすべて供物として扱われ、逃げてきた人も神社の物とされ、追っ手も手が出せなくなる。
神人とされた者は職が解かれない限り、拷訊ごうじん(拷問)や刑罰を加えることができなくなるからだ。
希な例だが、妻を辱められた夫が、その犯人の庄屋の息子を殴り殺して、神社に逃げてきた者のことを定季は思い出していた。
曰く付きの者も多いが神社に恩を感じており、まず裏切る心配がない。
況して、「熱田明神の生まれ代わりである魯坊丸様が考えた策だ」とでも言えば、村人や河原者と同様に獅子奮迅ししふんじんの働きをしてくれると口元を緩めた。

中根勢は昼前に八事に到着すると、柴田しばた-勝里かつさとと八事の領主代らと打ち合わせを取った。
中根勢のみ天白川から分岐する高針川の河原で野盗を待ち受ける。
勝里が率いる柴田・八事連合は夕方から北上し、天白川の向こう岸から来る島田の牧勢と鳴海の山口勢と同流したのちの対応をお願いした。
つまり、平針街道の西を勝里の柴田勢が塞ぎ、同じく平針街道の東を島田勢と山口勢が塞ぎ、飯田街道の西側から五郎丸の命を受けた井戸田と田子の兵が押し寄せ、飯田街道の東側は中根勢が先行して抑える。
逃げ道を失った野盗は、下社へ向ける北へ続く脇道のみを残す。
もちろん、下社の柴田本体が南下して出口を塞ぐのだが…………それを敵に知らせる必要もない。
打ち合わせが終わると。忠貞は中根勢を飯田街道で高針川の渡河地点に移動した。
移動を終えると開始する夕方を待った。

夕方前に八事から逃げ出そうとする旅人を捕獲した。
定季は縄で縛って河原で拘束しておけと命じた。
尋問などに兵を割く余裕がないからだ。
日が暮れると、飯田街道の西側から無数の松明の火で明るく映り出す山の輪郭が見えた。
ゆらゆらと揺れる松明の火が近付いてくる。
この時期は月の出が遅いので、松明の火がより明るく見えた。
寺から追い出された旅人らを街道の真ん中で拘束していると、勝里からの連絡が届いた。
勝里らは野盗を見逃さないようにゆっくりと進軍する。
一つの寺に到着すると中を見聞する使者を送り、一つ一つと隠れ家となる寺を潰していった。
八事に寺を置く者が八事の民と対立する。
それが何を意味するのかは、寺だって承知していた。
また、勝里からの使者が到着した。
紹介状を持った者を寺で匿ったと聞いて、忠貞が定季に口を開いた。

「定季殿。寺や神社も困惑しているようですな」
「確かに。平針新屋敷家の家臣の紹介状や、笠寺の頼みなら断れません」
「まさか、新屋敷家が裏切っていようとは…………?」
「まだ、確定した訳ではありません。まず、野盗の処理です。急いては事をし損じますぞ」
「わかりました」

忠貞は素直な青年だと定季は思った。
八事を中心に地図を見ると、南に平針街道、北に飯田街道が走っている。
寺を追い出され、行き場を失った野盗らが南から北上する織田勢に焦っていることが手に取るようにわかった。しかも飯田街道の西側から迫ってくる。
その松明の火が八事に入ると、織田勢の包囲が完成してしまうと思えるだろう。
勝里は牧勢と山口勢と合流すると、打ち合わせ通りに、八事の兵を表山方面に派遣して包囲網を広げた。
八事の西側から松明の火が山へ登ってゆくのが見えてきた。
野盗らに山に身を隠すのも困難と思わせる為だ。
敵の心理を逆手にとって誘導するなどという策を二歳の稚児が考えたなどと誰が思うだろうか?
本物の神童を目の当たりにして、定季の心が高揚していた。
予想通りに、旅人を装った野盗らが飯田街道の高針川の渡河地点に姿を見せた。

「止まれ! 荷物を置いて腹ばいになれ」
「我々は旅商人でございます。これはいったいどう言うことでしょうか?」
「問答無用だ。荷物を置いて腹ばいになれ」
「お待ちください。我々は織田家に逆らうつもりなどありません」

十人ほどの旅人らが話し掛けながらジワリジワリと近付いてくる。
これは商人の動きではない。
また、後ろの物陰に多くの気配を感じた。
定季は手を後ろに回して合図を送った。

「止まれ! 止まらねば、容赦しない」
「お武家さま。我々は商人でございます。このような非道なことを…………」
『放て!』

定季の声に続けて、忠貞も『放て!』と皆に命じた。
パンパンパンパンパン!
鉄砲五丁が火を噴くと、商人に扮した野盗らが咄嗟に身を躱して初撃を避けた。
だが、次に土手に身を隠していた兵が立ち上がり、弓、投石などを放った。
物陰に身を隠していた野盗らが左右に分かれて高針川を越えようと企むが、さらに外側を迂回した傭兵と作業員の一団が外側から襲い掛かった。
鉄砲を持ち替えた鍛冶師に合わせて、見習いらが爆竹に火を付けて放った。
バババババババババァ、パンパンパンパンパン!
一体、何丁の鉄砲を揃えてきたのか?
鉄砲を知る者なら困惑し、鉄砲を知らない者なら異様な音に度肝が抜かれる。
いずれにしろ、一瞬で戦意を失った野盗らが逃亡を図った。
唯一、残された北の脇道に逃げ出した。
定季は「魯坊丸様、お見事です」とその場にいない主の名を口ずさんだ。
追撃戦なら戦闘経験の浅い者でも簡単だ。
誤算があるとすれば、捕らえた野盗をその場で村人らが殴り殺しにして足を止めてしまうことだった。
先に逃げた野盗を取り逃がしそうになったのだ。
定季ははじめから野盗を殲滅することが目的ではないので問題ないが、兵として鍛えていない者を扱う難しさを実感した。
だが、嬉しい誤算もあった。
逃がした野盗らは高針川を渡河するには、対岸を警護する松平三蔵が率いる松平勢も振り切る必要があった。
中根勢を追って対岸の松明も北上しており、十分に振り切ってからでないと渡河できない。
だが、そんなことを考える野盗らの前に柴田勢が姿を現した。
しかも下社の柴田家が周辺の協力を求めて大軍で南下してくれていた。
野盗らは山側へ逃げるしかない。
見事に地獄谷 (人間地獄)へ導かれた。
定季もここまで見事に策が嵌まるとは考えていなかった。
地獄谷に追い詰められた野盗の生き残り15人が捕らえられたのは月が真上にあがった真夜中のことであった。

翌二十日は戦後処理がはじまり、ここから定季の正念場が待っていた。
野盗を裏から操っていた正体を暴きつつ、その目的が西尾張にあることを皆に伝え、ここに集まった兵力を一時的に那古野に集結させる合意をもらう必要があった。
定季は策を提案した当事者のような顔をして説得に成功し、翌二十一日から兵の移動を開始するのだが、その昼に古渡城が清須勢に襲われている報告が届き、作戦の変更を余儀なくされた。
定季は天を仰ぎ、「この定季、未熟でございました。魯坊丸様、申し訳ございません」と心の中で謝罪した。
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