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第一章 魯坊丸は日記をつける

四十夜 魯坊丸、右筆の昔話をきく

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〔天文十六年 (一五四七年)八月朔日〕
暑い、暑い、猛暑が続いた。
旧暦の七夕は新暦のお盆前であり、暑さ寒さは彼岸まで。
秋分まであと一ヵ月と思っていると、七月が終わると閏七月がはじまった。
あぁぁぁぁぁ、旧暦は一三ヵ月の年があるイベントもあった。
道理で暑さが下がらない訳だ。
雨が降らず、乾田の稲はぐったりとしていた。
村長が揃って天乞いを頼みにきたが、もうすぐ降るからしばらく待てと言って帰した。
入道雲が大きくなっていたので夕立が降る。降ってくれ、降るといいな。
そんなことを思っていると夕立が降った。
何やら外が騒がしい。
何でも雨を俺が振らせたと村人が騒いでいるという。

「お、れ、ばぁ、あ、づ、た、み、よ、う、じ、ん、じ、や、な、い」(俺は熱田明神じゃない)
「そうなのでございますか?」
「ぶぅぐ」
「わかっております。魯坊丸様は熱田明神ではございません」

目をキラキラに輝かせて、「そういうことにしておきます」という感じで断言されても信憑性がない。
最近は教師の定季さだすえの方がわかってくれる。
但し、俺の知恵は夢の中で知ったことにした。
すると、定季は神々に愛されている俺が天界に招かれたとでも解釈しているようだ。
定季が福に「魯坊丸様は神々の加護があるだけです」というと、福は「熱田明神の生まれ代わりゆえに、他の神々の加護を受けられておられるのですか」と、さらに拡大解釈をしていた。
千秋季光が広めた噂は村人の中では確定らしい。
だが、この噂は長根荘と井戸田荘に限られる。
井戸田荘は大喜爺ぃの拠点であり、俺が考えた品々が出回っている。
炭団や石鹸の生産で村人が最初から恩恵を受けた。
夜寒の地引網漁に手伝いを出して、鰯などを持ち帰ってゆく。
定季がくる前から俺がやったことを知っている。
しかし、その他の地域から見ると、田子荘の岡本家で名を馳せた定季が来てから急激に変わったように見えているらしい。
少し前、定季の甥っ子である大喜東北城の城主岡本おかもと-久治ひさはるから手紙が届いていた。
その手紙の内容に、久治から定季に詫びる言葉が永延と綴られていた。
定季がその手紙を俺に見せてくれた。

「申し訳ございません。間違いは正しておきます」
「ま、て。こ、の、ま、ま、で、よ、い」(待て、このままでよい)
「しかし、これには誤解がございます。魯坊丸様に名誉に関わります」
「こ、う、つ、ご、う、だ。そ、う、お、も、わ、せ、て、お、け」(好都合だ。そう思わせておけ)
「ふっ。お人が悪い。魯坊丸様が元服する頃に知ることになるでしょう。その顔を見るのを楽しみとしましょう」

勘のよい定季は俺の意図を察してくれた。
久治は定季が才能を隠して仕えてくれたと解釈していた。
定季が活躍し過ぎると、岡本家の当主を「定季に」という声が上がりかねない。
影に徹した定季のお陰で、今の久治があった。
少なくとも久治や岡本家の一族、そして、田子荘の領主らはそう考えていた。
俺の元にやってきた定季は、次々と新しい施策を考えて実行している。
久治の手紙には、「叔父上には色々と我慢させて申し訳なかった」と何度も謝罪が繰り返されていた。
つまり、周り熱田衆は定季が考えたと勘違いしていのだ。
幼児の俺が考えたとするより、師の定季が考えたことにすれば信憑性が高まる。
今まで以上に無理が通し易い。

「さ、だ、す、え、ばぁ、しんようされているのだな」(定季は信用されているのだな)
「某は凡人でございます」
「そ、う、か。て、が、み、に、は、て、ん、さ、い、と、あ、る、が」(そうか、手紙には天才とあるぞ)
「若気の至りでございます」

定季が昔話をはじめた。
田子荘の岡本家は、熱田神宮の神官を歴代に継いでいる名家であったが、一国人に過ぎなかった。
岡本家の次男であったが、幼い頃は神童とよばれた。
元服する頃には、四書五経ししょごきょうを諳んじて、人を見下すようになっていた。

「私に、百、二百、一千の兵があればと嘆いておりました。その頃、信秀様が活躍しはじめたのです」
「お、や、じ、が」(親父が)
「私より五ツほど若く。元服したて若造が戦場で活躍したのです。悔しかったものです。私に機会があれば、同じように…………」
「き、か、い、が、な、か、つ、た、の、か?」(機会がなかったのか?)
「いいえ。考えつかなかったのです」

親父は那古野城の今川いまがわ-氏豊うじとよと歌などで親しくなっており、招かれた席で定季は、親父とあったことがあるという。
威風堂々いふうどうどうとした体格から想像できない繊細な歌を詠み、文化人としての一面を覗かせていたという。
その歌を聴いて氏豊が親父を信用した。そして、わずかな手勢で那古野城を乗っ取ってしまった。

「当時の私は、兄が亡くなり、その息子の後見役となっておりました。その気になれば、岡本家の一族を説得して、同程度の兵力を集めることができました。ですが、そのような案は浮かびません。書物を読むだけでは、真の英雄とはなれないのです」
「だ、ま、し、う、ち。こ、そ、ど、ろ、だ」(騙し討ち。こそ泥だ)
「真の目的を隠し、相手を騙すことができるのが素晴らしいのです。ですから、熱田衆は織田家に従うべきと進言しました」

定季の進言を聞き入れた久治は、熱田衆の談合の席で織田家に帰属することを主張した。
千秋季光も同じ意見だった。
織田家に臣従するにあたって、田子荘を久治に預けるのが一番よいと考えた千秋季光は、久治を大喜東北城の城主に抜擢した。
加えて、大喜家から姫をもらうことになり、田子荘の者は久治を認められて、今に至る。
定季の先見の明が高く評価され、周囲から『岡本の知恵袋』、あるいは『岡本の天才』などと呼ばれている。
定季は親父こそ天才であり、自分は凡人だという。
さて、そんな田子荘における大喜家の影響力が大きいらしく、五郎丸に命じられて久治は定季を俺に差し出した。
後見役の必要もなくなっていたので、定季も話を受けたらしい。
だが、この定季の活躍を聞き、久治は自分がどれほど足かせになっていたのかと思い悩んでいる。
そこだけ申し訳ない気もする。
害もないので、誤解させておけばよい。

やっと八月になり、この冬と来年の作付けの話だ。
周りの村長を集めて、城で話し合った。
今年は最初に雨が続き、後は日照り気味だった為にやや不作だった。
山の土を入れた田畑がマシのような…………?
見た感じで稲穂の数が多いらしい。
あくまで気分的だ。
効果があったかは疑わし。
湿田は暑さに負けず、例年並みだった。
但し、俺がやっていた水田だけは豊作に見えるらしい。
すべてを水田にしたいという意見もあったのだが、残念ながら水田を作る水路も水量も足りない。
この冬は肥料小屋のいくつかを潰して、肥料を放出して小麦や大豆、稗、粟などを作る。
村と街道の間に溜め池を作る。
その溜め池から竹ポンプで水を吸い上げて、溜め池で賄える範囲の水田を開拓することにした。
長い目でみると、八事荘を説得して天白川から水路を引く。
天白川の水量があれば、巨大な溜め池が作れる。
この辺りをすべて水田にすることを可能だ。

「では。か、り、い、れ、ばぁ、さ、ぎ、よ、う、を、ち、ゆ、う、し、て、つ、だ、い、に、ゆ、か、せ、る」(では、刈入れは、作業を中止して手伝いに行かせる)
「魯坊丸様の命令で、城の作業を中止にして、河原者を刈入れの手伝いに向かわせるとのことです。必要な人数をあとでお申しください」
「畏まりました。ありがたいことです」
「刈入れを終わらせ、冬の作付けをはじましょう」
「その通りでございます」

最近、福が俺の意図を察して率先して動いてくれるから楽だ。
立案と調整は定季に任せよう。
会談が終わると、ごろりと寝転がってお昼寝に入った。
後はよろしく。
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