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第一章 魯坊丸は日記をつける
閑話(三十四夜) 山口教継の暗躍
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〔天文十六年 (一五四七年)夏五月はじめ〕
夜寒で地引網漁が披露された夕方。
鳴海城主の山口-教継は、山口宗家の重俊に呼ばれて笠寺観音の笠覆寺に向かった。
教継の父であった教房は、桜中村砦を造り、そこを拠点に東に勢力を伸ばし、野並、鳴海を勢力下におさめた。
教継は鳴海に新たな城を築いて、それを確かなものとした。
山口宗家は笠寺の寺部城を拠点に松巨島の全域を支配しており、塩の販売を独占することで強い影響力を持っていた。
その後ろ盾となっているのが、笠覆寺の笠寺観音であった。
笠覆寺は薬師如来を信仰する寺であり、由来は天平五年(733年)に不思議な光る流木を見つけ、彫らせたところ、十一面観世音菩薩が出てきて、それを安置したのがはじまりと伝わる。
どこにでもよくある話だ。
鎌倉の世に阿願上人様が再建され、塩を作ることでこの辺りを掌握された。
曾祖父の任世様は故郷の山口を離れ、この地で山口を名乗られ、笠覆寺の後ろ盾を得て、山口家を根付かされた。
重俊の兄である重成には、鳴海を抑える為に力を貸してもらった恩があるが、跡を継いだ重俊に頭ごなしで命令される謂れはない。
重俊は、それがわかっていない若造だ。
笠覆寺の近くで、中根の地引網漁を見聞しに行った盛隆とあった。
盛隆は市場城の城主であり、私と同じ山口の分家となる。
熱田神宮の大宮司である千秋季光殿から尾張で初の『地引網漁』を見に来ないかという招待をうけ、山口家を代表して参加させられた。
「盛隆殿。この度は貧乏籤でございましたな」
「いやいや、参加したくとも、宗家の重俊が行くなと言われれば参加できない。むしろ助かったと思っております」
「なるほど。そういう考え方もあるのですな」
「まず、敵を知らねば、対処のしようもありませんからな」
「で…………その敵は如何でしたか?」
「手強い。その一言ですな」
盛隆は笠覆寺に入れば、口にできない熱田神宮の手腕を褒めた。
まず、織田弾正忠家の子である魯坊丸を手にいれた千秋季光は、熱田明神の生まれ代わりと喧伝し、その慈悲深さを強調していた。
その魯坊丸が考えたという品々を熱田町に広げ、その有能さを褒め讃えていた。
「見た感じはどうでした」
「御年二歳。見た目以上に優秀な御子でしたな。あと十年もすれば、頭角を現わすやもしれん」
「ほぉ~、中々に優秀とみえる」
「あの年で挨拶ができるならば、上々であろう。しかも気遣いができる。我が山口家に織田家の子を預けて頂ければ、儂は薬師如来の生まれ代わりと喧伝し、笠寺観音に飾ってたであろう」
「随分と気に入ったようすですな」
「あの気難しい図書助が気にいるくらいだ」
「なんと⁉」
熱田湊を抑える羽城の図書助こと加藤-順盛は、海運の力で強い勢力をもつ武将である。
熱田水軍の将と言ってもよい。
嫡男の信長が那古野城の城主になると、信秀様は加藤家の機嫌をとる意味も兼ねて、その息子を信長の小姓とした。
信秀様も一目置く熱田の将である。
「しかも教師役に岡本-定季を置いていた」
「なんと、岡本の天才を」
「千秋季光の気に入りようが手にとるようにわかるであろう」
「拙うございますな」
「まったくだ。そう言えば、河原者らも地引網を引きにきておった。その子供が魯坊丸に手をふって大人に叱られておった。完全に取り込みに成功しておったな」
「河原者でございますか」
最近、中根で河原者を集めている。
貧しく死にそうな者らを何とかしないと、と魯坊丸が考えて食を施しているという。
熱田明神ならば、慈悲の心も深い。
などと信じるか。
信秀様がこの秋に美濃へ出兵されると宣言されており、千秋季光は以前より多く兵を集めて参陣するつもりだ。
その兵を河原者で埋めるつもりなのだ。
石鹸二箱で誤魔化されるものか。
「教継殿は河原者で数合わせと考えているかもしれんが、あれは違う。完全に取り込んでおった。一夏あれば、十分な兵に育てることも可能ですぞ」
「そうか。それで熱田明神の名を借りたのか」
「岡本の策やもしれん」
「そうなると、稚児といっても侮ることはできませんな」
「厄介なことになってきた」
教継は盛隆の言葉に頷いた。
魯坊丸は信秀様の子であり、熱田神宮を頼りにしている証である。
しかし、同時に中根家と村上家の血を引く。
長根村を治めるのに適していた。
加えて、母方の祖父が大喜家の者であり、大喜家とも良好だ。
そこに加藤家と岡本家が加われば、熱田の有力な家が勢揃いすることになる。
魯坊丸の後ろ盾となる熱田神宮の力が増すのは明らかだ。
だが、問題はそこではない。
熱田神宮の力が増すだけならば、山口家は隣人として付き合えばよいのだ。
この熱田神宮と敵対するのが、笠覆寺だった。
笠覆寺は、鎌倉の世に塩と常滑焼きを独占することで、熱田神宮を凌駕するほどの富を得た時期があった。
常滑焼きと言えば、畿内から西国まで広まった。
しかし、世が乱れて、常滑焼きの利権を失ったことで陰りが見えた。
だが、笠覆寺の僧らはその栄華をわすれられない。
信秀様が熱田神宮と同格に笠覆寺を扱わないことに不満を覚えている。
だが、信秀様から見れば、織田家の主力である津島衆や、大宮司である千秋季光自身が参陣する熱田衆と、笠寺衆を同列に扱う訳がない。
非協力的な笠覆寺。
個々の武将の手柄はともかくとしても、笠寺衆として織田軍で活躍した記憶がない。
このままでは見限られるぞ。
教継はそんなことを考えながら笠覆寺に入っていった。
笠覆寺では、すでに重俊が待っていた。
盛隆の報告を聞くと、笠覆寺の住職が憤慨した。
「住職様。お怒りをお鎮めください。地引網漁で釣る魚の半分は笠寺のものです。織田家には、しっかりと苦情を入れておきます」
「そのようにして下さい。まったく、熱田明神を名乗らせるとは図々しい奴らだ」
「その通りでございます。この報いは必ずさせて頂きます」
「おぉ、重俊様。頼りにしておりますぞ」
「織田弾正忠家も知多を支配する上で、笠寺衆の力を無視する訳にいきません。いずれはそのことを思い知らせてやりましょう」
住職は那古野城が今川-氏豊の頃は、このような不手際はなかったと嘆いた。
教継はその言葉に目を光らせた。
事実ではあるが、未だにそのような言葉を吐く理由がない。
すでに9年も時が過ぎており、乱世の世では当り前のことではないか?
新しき支配者と縁を結び直すのが生き残る上で当然なのだ。
つまり、懐かしむには理由がある。
考えられるのは、今川方の寺本城の花井家辺りから寄進があったのではないか?
そう考えれば、笠覆寺の織田批判も納得がゆく。
織田家と今川家の対立は激しさを増しており、今川家と通じることは悪いことではない。
笠覆寺の立場を理解できるが、このように山口宗家を唆して、我らをやおもてに立たされるのは御免こうむる。
だが、重俊は我らの話を聞こうとしなかった。
会談は終わり、笠覆寺を出ると、盛隆の笠覆寺への悪態が漏れた。
「我らを巻き込んでもらいたくないな」
「まったくでございますな」
「織田家が勝つか、今川家が勝つか、先のことはわからん。織田家に必要以上に肩入れせぬのは同意するが、謀反を企てているなどと噂されて巻き添えを食らうのは御免こうむる」
「盛隆殿。某は信秀様から山口宗家を監視するように命を受けております」
「なんと⁉」
「信秀様は用心深いお方です。報告を怠れば、私も疑われます。嘘は申せません。笠覆寺が今川と通じているかも知れないと報告をあげようと思いますが、同意頂けますか」
「…………」
「駄目ですか?」
「同意はできんが、止めもせん。今川に与するつもりなど、まったくない」
「わかりました。そのように報告しておきましょう」
「謀が得意な教継殿も大変だな」
「嘘がすぐに顔にでる盛隆殿がうらやましいですな」
「頭がよいというのも大変だな。ははは」
盛隆は笑いながら道を違えた。
教継は交渉ごとを任せられる優秀な武将であった。
優秀ということは謀も得意であり、信秀はそんな危険な武将を懐に入れる。
優秀なものを遠ざけるようでは、底が知れる。
底が知れない信秀に、教継は仕える価値を見出していた。
夜寒で地引網漁が披露された夕方。
鳴海城主の山口-教継は、山口宗家の重俊に呼ばれて笠寺観音の笠覆寺に向かった。
教継の父であった教房は、桜中村砦を造り、そこを拠点に東に勢力を伸ばし、野並、鳴海を勢力下におさめた。
教継は鳴海に新たな城を築いて、それを確かなものとした。
山口宗家は笠寺の寺部城を拠点に松巨島の全域を支配しており、塩の販売を独占することで強い影響力を持っていた。
その後ろ盾となっているのが、笠覆寺の笠寺観音であった。
笠覆寺は薬師如来を信仰する寺であり、由来は天平五年(733年)に不思議な光る流木を見つけ、彫らせたところ、十一面観世音菩薩が出てきて、それを安置したのがはじまりと伝わる。
どこにでもよくある話だ。
鎌倉の世に阿願上人様が再建され、塩を作ることでこの辺りを掌握された。
曾祖父の任世様は故郷の山口を離れ、この地で山口を名乗られ、笠覆寺の後ろ盾を得て、山口家を根付かされた。
重俊の兄である重成には、鳴海を抑える為に力を貸してもらった恩があるが、跡を継いだ重俊に頭ごなしで命令される謂れはない。
重俊は、それがわかっていない若造だ。
笠覆寺の近くで、中根の地引網漁を見聞しに行った盛隆とあった。
盛隆は市場城の城主であり、私と同じ山口の分家となる。
熱田神宮の大宮司である千秋季光殿から尾張で初の『地引網漁』を見に来ないかという招待をうけ、山口家を代表して参加させられた。
「盛隆殿。この度は貧乏籤でございましたな」
「いやいや、参加したくとも、宗家の重俊が行くなと言われれば参加できない。むしろ助かったと思っております」
「なるほど。そういう考え方もあるのですな」
「まず、敵を知らねば、対処のしようもありませんからな」
「で…………その敵は如何でしたか?」
「手強い。その一言ですな」
盛隆は笠覆寺に入れば、口にできない熱田神宮の手腕を褒めた。
まず、織田弾正忠家の子である魯坊丸を手にいれた千秋季光は、熱田明神の生まれ代わりと喧伝し、その慈悲深さを強調していた。
その魯坊丸が考えたという品々を熱田町に広げ、その有能さを褒め讃えていた。
「見た感じはどうでした」
「御年二歳。見た目以上に優秀な御子でしたな。あと十年もすれば、頭角を現わすやもしれん」
「ほぉ~、中々に優秀とみえる」
「あの年で挨拶ができるならば、上々であろう。しかも気遣いができる。我が山口家に織田家の子を預けて頂ければ、儂は薬師如来の生まれ代わりと喧伝し、笠寺観音に飾ってたであろう」
「随分と気に入ったようすですな」
「あの気難しい図書助が気にいるくらいだ」
「なんと⁉」
熱田湊を抑える羽城の図書助こと加藤-順盛は、海運の力で強い勢力をもつ武将である。
熱田水軍の将と言ってもよい。
嫡男の信長が那古野城の城主になると、信秀様は加藤家の機嫌をとる意味も兼ねて、その息子を信長の小姓とした。
信秀様も一目置く熱田の将である。
「しかも教師役に岡本-定季を置いていた」
「なんと、岡本の天才を」
「千秋季光の気に入りようが手にとるようにわかるであろう」
「拙うございますな」
「まったくだ。そう言えば、河原者らも地引網を引きにきておった。その子供が魯坊丸に手をふって大人に叱られておった。完全に取り込みに成功しておったな」
「河原者でございますか」
最近、中根で河原者を集めている。
貧しく死にそうな者らを何とかしないと、と魯坊丸が考えて食を施しているという。
熱田明神ならば、慈悲の心も深い。
などと信じるか。
信秀様がこの秋に美濃へ出兵されると宣言されており、千秋季光は以前より多く兵を集めて参陣するつもりだ。
その兵を河原者で埋めるつもりなのだ。
石鹸二箱で誤魔化されるものか。
「教継殿は河原者で数合わせと考えているかもしれんが、あれは違う。完全に取り込んでおった。一夏あれば、十分な兵に育てることも可能ですぞ」
「そうか。それで熱田明神の名を借りたのか」
「岡本の策やもしれん」
「そうなると、稚児といっても侮ることはできませんな」
「厄介なことになってきた」
教継は盛隆の言葉に頷いた。
魯坊丸は信秀様の子であり、熱田神宮を頼りにしている証である。
しかし、同時に中根家と村上家の血を引く。
長根村を治めるのに適していた。
加えて、母方の祖父が大喜家の者であり、大喜家とも良好だ。
そこに加藤家と岡本家が加われば、熱田の有力な家が勢揃いすることになる。
魯坊丸の後ろ盾となる熱田神宮の力が増すのは明らかだ。
だが、問題はそこではない。
熱田神宮の力が増すだけならば、山口家は隣人として付き合えばよいのだ。
この熱田神宮と敵対するのが、笠覆寺だった。
笠覆寺は、鎌倉の世に塩と常滑焼きを独占することで、熱田神宮を凌駕するほどの富を得た時期があった。
常滑焼きと言えば、畿内から西国まで広まった。
しかし、世が乱れて、常滑焼きの利権を失ったことで陰りが見えた。
だが、笠覆寺の僧らはその栄華をわすれられない。
信秀様が熱田神宮と同格に笠覆寺を扱わないことに不満を覚えている。
だが、信秀様から見れば、織田家の主力である津島衆や、大宮司である千秋季光自身が参陣する熱田衆と、笠寺衆を同列に扱う訳がない。
非協力的な笠覆寺。
個々の武将の手柄はともかくとしても、笠寺衆として織田軍で活躍した記憶がない。
このままでは見限られるぞ。
教継はそんなことを考えながら笠覆寺に入っていった。
笠覆寺では、すでに重俊が待っていた。
盛隆の報告を聞くと、笠覆寺の住職が憤慨した。
「住職様。お怒りをお鎮めください。地引網漁で釣る魚の半分は笠寺のものです。織田家には、しっかりと苦情を入れておきます」
「そのようにして下さい。まったく、熱田明神を名乗らせるとは図々しい奴らだ」
「その通りでございます。この報いは必ずさせて頂きます」
「おぉ、重俊様。頼りにしておりますぞ」
「織田弾正忠家も知多を支配する上で、笠寺衆の力を無視する訳にいきません。いずれはそのことを思い知らせてやりましょう」
住職は那古野城が今川-氏豊の頃は、このような不手際はなかったと嘆いた。
教継はその言葉に目を光らせた。
事実ではあるが、未だにそのような言葉を吐く理由がない。
すでに9年も時が過ぎており、乱世の世では当り前のことではないか?
新しき支配者と縁を結び直すのが生き残る上で当然なのだ。
つまり、懐かしむには理由がある。
考えられるのは、今川方の寺本城の花井家辺りから寄進があったのではないか?
そう考えれば、笠覆寺の織田批判も納得がゆく。
織田家と今川家の対立は激しさを増しており、今川家と通じることは悪いことではない。
笠覆寺の立場を理解できるが、このように山口宗家を唆して、我らをやおもてに立たされるのは御免こうむる。
だが、重俊は我らの話を聞こうとしなかった。
会談は終わり、笠覆寺を出ると、盛隆の笠覆寺への悪態が漏れた。
「我らを巻き込んでもらいたくないな」
「まったくでございますな」
「織田家が勝つか、今川家が勝つか、先のことはわからん。織田家に必要以上に肩入れせぬのは同意するが、謀反を企てているなどと噂されて巻き添えを食らうのは御免こうむる」
「盛隆殿。某は信秀様から山口宗家を監視するように命を受けております」
「なんと⁉」
「信秀様は用心深いお方です。報告を怠れば、私も疑われます。嘘は申せません。笠覆寺が今川と通じているかも知れないと報告をあげようと思いますが、同意頂けますか」
「…………」
「駄目ですか?」
「同意はできんが、止めもせん。今川に与するつもりなど、まったくない」
「わかりました。そのように報告しておきましょう」
「謀が得意な教継殿も大変だな」
「嘘がすぐに顔にでる盛隆殿がうらやましいですな」
「頭がよいというのも大変だな。ははは」
盛隆は笑いながら道を違えた。
教継は交渉ごとを任せられる優秀な武将であった。
優秀ということは謀も得意であり、信秀はそんな危険な武将を懐に入れる。
優秀なものを遠ざけるようでは、底が知れる。
底が知れない信秀に、教継は仕える価値を見出していた。
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