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第一章 魯坊丸は日記をつける
三十一夜 魯坊丸、覚悟をきめる
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〔天文十六年 (一五四七年)初夏四月下旬〕
河原者がたくさんやってきた。
寝泊まりは東八幡社の拝殿をしばらく借りることになった。
社務所の方が色々と揃っているが、百人を詰め込むスペースがない。
神楽堂を奉納するとでも仄めかせば、一年は文句を言ってくることはないと城代が言う。
中々の悪党だ。
つまり、一年以内に住まいを建てればいいのか。
ならば、開拓する畑の近くで城の東に屋敷を建てればいいだろう。
物置を兼ねる大きな屋敷がいい。
そうなると、防御力も必要だ。
曲輪で囲い、臨時の外壁を立てられる仕掛けを施し、水路を城の外と曲輪の外にも掘って、内堀と外堀のように仕上げれば、城の防御力も上がって一石二鳥だ。
俺は紙と筆を用意させて城の絵図面を書いてみた。
ミミズが這ったようなみづらい絵だった。
「ど、う、だ、こ、ん、な、か、じ、の、そ、ど、ぼ、り、を、ぼぉ、る、の、ばぁ?」(どうだ、こんな感じの外堀を掘るのは?)
「これが城でございますか?」
「そ、う、だ」(そうだ)
「こちらは?」
「く、る、は、だ」(曲輪だ)
「くる?」
「く、る、は、だ」(曲輪だ)
「曲輪、あぁ、土手でございますか。で、こちらは?」
「ぼぉ、り、だ」(堀だ)
「『ほ』・『り』ですか?」
「こ、ち、ら、が、う、ち、ぼぉ、り、こ、ち、ら、が、そ、ど、ぼぉ、り」(こちらが内堀、こちらが外堀)
「あぁ、内堀と外堀でしたか」
城代に説明しているが、福がいないと三倍は疲れる。
東の湿田を埋める土は、城の西側の丘陵へ伸びる部分を削れば、西側にも畑ができる。
内堀と外堀は溜め池を兼ねさせる。
大量の水をこちらに流せば、長根村の長もいい顔はしないだろう。
そう考えると、大量の水を使う水田は拙い。
水田は一部に絞り、薬草畑や野菜畑をメインとしよう。
予定より大規模になったが、城下町ならぬ城下村と考えればいいのだ。
薬師が薬を高値で引き取ると言っていた。
薬草で薬を作り、それを薬師に下ろせば、すぐに生活に必要な銭は稼げる。
初期投資も問題ない。
五郎丸が三百貫文までなら無利子で貸すと豪語していたので甘えさせてもらおう。
先に薬草畑を整備すれば、後はのんびりと拡張してゆけばよい。
構想がまとまってきた。
何とかなりそうだ。
そんなことを考えていると福が怖い顔をして戻ってきた。
「魯坊丸様。奥方がお呼びでございます」
「わ、が、つ、た」(わかった)
城代に後を任せ、俺は本丸の評定所から奥座敷の母上の部屋に移動した。
美人顔が大無しになるくらいに眉を顰めていた。
最近、叱られることが多いのだが何故だ。
解せぬ。
「呼び出された理由は判っていますか?」
「か、ばぁ、ばぁ、ら、も、の、を、め、し、が、が、え、た、こ、ど、で、す、が」(河原者を召し抱えたことですか)
「そうです。事の重大さがわかっていません」
「わ、が、り、ま、せ、ん」(わかりません)
「説明しましょう」
そこから母上と福の二人掛かりで戦国時代の常識を説明された。
戦国時代というか、室町時代の常識だ。
まず、人は城か、町か、村などのどこかの群に所属している。
町で品物を売りに行って、誰かに乱暴をされた場合、その者が所属する村や町が報復をする。
俺は織田家の熱田中根城に所属しているので、俺に何かあれば、中根南城が報復し、力が足りないと思えば、熱田、織田家に援助をもとめる。
俺を害するのは、織田家を敵にするのと同義となる。
問題はそこではない。
この時代の問題は、その者が行った行為の善悪に関係ないことだ。
俺が悪い事をしたか、良い事をしたかは関係ないという。
「ぜ、ん、あ、ぐ、に、が、ん、げ、い、な、い、ど、ばぁ、ど、う、い、ご、ど、で、す、か?」(善悪に関係ないとは、どういう事ですか?)
「貴方が悪さをして罰されたとしても、罰されたことによって中根南城の面目を失います。報復をして、仕返ししなければ周囲の領主から侮られる危険となるのです」
「い、み、が、わ、が、り、ま、せ、ん」(意味がわかりません)
酷い話だった。
例えば、俺が兵を連れて隣町を襲って略奪したとする。
悪いのは俺だ。
略奪を止めた者が正しいが、俺はその者に負けたことになる。
負けた儘では面目が立たない。
面目が立たないから中根南城の全力でその者と町を滅ぼす。
そうしないと、中根南城の者は弱腰と侮られる。
弱い者は袋叩きにして奪ってしまえとなり、周囲の領主が談合して襲ってくる。
城と土地をすべて奪われる危険をはらむのだ。
つまり、報復しなければ、土地を守る実力がないとされて周囲の領主から奪われ、報復すれば町を滅ぼされたという大義名分を上げて攻めてくる。
弱みを見せるのは危険なのだ。
だから、無闇に問題を起こしてはならない。
だから、中根南は、熱田、織田家に従属し、将軍や朝廷より土地を納める許可をもらう。
ここを支配する正当な理由を得る。
中根南城を襲う事は、熱田、織田、将軍、朝廷の面目を潰す。
襲った者は、熱田、織田、将軍、朝廷からの報復を受ける恐怖に縛ることで抑止する。
これが世界の常識だった。
そんな枠組から外れているのが河原者だ。
河原者とは、その土地などを捨てて逃げたなれの果てだ。
「魯坊丸様。村人が余所者を嫌うのは毛嫌いしている訳ではありません」
「魯坊丸。よくお聞きなさい。その者が何か不祥事を起こせば、中根南城の責任となるのです」
「その者が隣村と諍いを起こせば、村同士の戦になることもあります」
「わかりましたか。素性もわからぬ。信用もおけぬ者を仏心で安易に助けることはなりません」
「私は魯坊丸様のお優しいお心に胸を打たれました。魯坊丸様の意志に従いたいと思ったのです。ですが、奥方様に言われ、魯坊丸様に害を及ぼすならば、反対せねばなりません」
善意とか、人助けとか関係なく、抱えた河原者が問題を起こせば、俺の責任問題となるとか。
酷い話だ。
後ろ盾がない河原者は、安い賃金で仕事させられる。
農民らの手当も安いが、その比でない。
動物の皮を剥ぐなどの人が嫌がる仕事をしながら、最低の手当のみでその日の暮らしを支える。
搾取するだけ搾取する。
なんかちょっと腹が立った。
俺は見も知らぬ者の為に働くのは御免だ。
世界平和とか、世界から飢餓をなくそうとか綺麗事をいう奴が嫌いだ。
本気でそう思うなら、自分が持つ全財産をレートの上に載せて戦ってみろと言いたい。
自分は温々とした場所にいて、人の財布をアテに援助をねだる。
胡散臭い。
それなら初めから大きなことを言わず、自分の手の届く範囲でできることをすればいい。
幸せのおすそわけなら笑ってみていられる。
偽善を偽善と言える奴を俺は尊敬する。
でも、俺はそんなに偉くない。
できることなど知れている。
俺は母上が困っている顔を見たくないから、知恵を巡らせる。
福のあかぎれた手を放置できないから、技術を惜しまない。
城の者は笑っている方がいい。
そうでないと、ゴロゴロしていている俺が楽しくない。
河原者など助ける義理などないが、安い労働力として俺が呼んでしまった。
呼んだ限り、責任は付きまとう。
タダより高いものはないか。
失敗した。
彼らを幸せにする力は俺にないが、食うに困らない環境を作る力ならある。
ヤレるのにヤラないという選択はない。
常識なんて知るか。
全部、ひっくり返してやる。
「ばぁ、ばぁ、う、え。お、れ、を、し、ん、じ、て」(母上、俺を信じて)
「何を信じろというのですか?」
「ぜ、ん、ぶ」(全部)
「全部?」
「そ、う、ぜ、ん、ぶ。お、れ、ばぁ、で、ぎ、る」(そう、俺はできる)
「俺はできる…………ですか? 何を?」
「だ、が、ら、ぜ、ん、ぶ」(だから、全部)
俺は真剣な目で母上をまっすぐにみた。
母上が何度も瞬きをして、俺を見返していた。
最後に肩を落として溜め息を吐き、「協力しましょう」と小さく呟いた。
福も両手に拳をぎゅうと握って俺を見ていた。
叩き潰そうとする奴らがいるなら叩き返せばよい。
腹を括った俺の本気を見せてやる。
自重はあの寒い冬にも~うとっくに捨てていた。
やるぞ。
河原者がたくさんやってきた。
寝泊まりは東八幡社の拝殿をしばらく借りることになった。
社務所の方が色々と揃っているが、百人を詰め込むスペースがない。
神楽堂を奉納するとでも仄めかせば、一年は文句を言ってくることはないと城代が言う。
中々の悪党だ。
つまり、一年以内に住まいを建てればいいのか。
ならば、開拓する畑の近くで城の東に屋敷を建てればいいだろう。
物置を兼ねる大きな屋敷がいい。
そうなると、防御力も必要だ。
曲輪で囲い、臨時の外壁を立てられる仕掛けを施し、水路を城の外と曲輪の外にも掘って、内堀と外堀のように仕上げれば、城の防御力も上がって一石二鳥だ。
俺は紙と筆を用意させて城の絵図面を書いてみた。
ミミズが這ったようなみづらい絵だった。
「ど、う、だ、こ、ん、な、か、じ、の、そ、ど、ぼ、り、を、ぼぉ、る、の、ばぁ?」(どうだ、こんな感じの外堀を掘るのは?)
「これが城でございますか?」
「そ、う、だ」(そうだ)
「こちらは?」
「く、る、は、だ」(曲輪だ)
「くる?」
「く、る、は、だ」(曲輪だ)
「曲輪、あぁ、土手でございますか。で、こちらは?」
「ぼぉ、り、だ」(堀だ)
「『ほ』・『り』ですか?」
「こ、ち、ら、が、う、ち、ぼぉ、り、こ、ち、ら、が、そ、ど、ぼぉ、り」(こちらが内堀、こちらが外堀)
「あぁ、内堀と外堀でしたか」
城代に説明しているが、福がいないと三倍は疲れる。
東の湿田を埋める土は、城の西側の丘陵へ伸びる部分を削れば、西側にも畑ができる。
内堀と外堀は溜め池を兼ねさせる。
大量の水をこちらに流せば、長根村の長もいい顔はしないだろう。
そう考えると、大量の水を使う水田は拙い。
水田は一部に絞り、薬草畑や野菜畑をメインとしよう。
予定より大規模になったが、城下町ならぬ城下村と考えればいいのだ。
薬師が薬を高値で引き取ると言っていた。
薬草で薬を作り、それを薬師に下ろせば、すぐに生活に必要な銭は稼げる。
初期投資も問題ない。
五郎丸が三百貫文までなら無利子で貸すと豪語していたので甘えさせてもらおう。
先に薬草畑を整備すれば、後はのんびりと拡張してゆけばよい。
構想がまとまってきた。
何とかなりそうだ。
そんなことを考えていると福が怖い顔をして戻ってきた。
「魯坊丸様。奥方がお呼びでございます」
「わ、が、つ、た」(わかった)
城代に後を任せ、俺は本丸の評定所から奥座敷の母上の部屋に移動した。
美人顔が大無しになるくらいに眉を顰めていた。
最近、叱られることが多いのだが何故だ。
解せぬ。
「呼び出された理由は判っていますか?」
「か、ばぁ、ばぁ、ら、も、の、を、め、し、が、が、え、た、こ、ど、で、す、が」(河原者を召し抱えたことですか)
「そうです。事の重大さがわかっていません」
「わ、が、り、ま、せ、ん」(わかりません)
「説明しましょう」
そこから母上と福の二人掛かりで戦国時代の常識を説明された。
戦国時代というか、室町時代の常識だ。
まず、人は城か、町か、村などのどこかの群に所属している。
町で品物を売りに行って、誰かに乱暴をされた場合、その者が所属する村や町が報復をする。
俺は織田家の熱田中根城に所属しているので、俺に何かあれば、中根南城が報復し、力が足りないと思えば、熱田、織田家に援助をもとめる。
俺を害するのは、織田家を敵にするのと同義となる。
問題はそこではない。
この時代の問題は、その者が行った行為の善悪に関係ないことだ。
俺が悪い事をしたか、良い事をしたかは関係ないという。
「ぜ、ん、あ、ぐ、に、が、ん、げ、い、な、い、ど、ばぁ、ど、う、い、ご、ど、で、す、か?」(善悪に関係ないとは、どういう事ですか?)
「貴方が悪さをして罰されたとしても、罰されたことによって中根南城の面目を失います。報復をして、仕返ししなければ周囲の領主から侮られる危険となるのです」
「い、み、が、わ、が、り、ま、せ、ん」(意味がわかりません)
酷い話だった。
例えば、俺が兵を連れて隣町を襲って略奪したとする。
悪いのは俺だ。
略奪を止めた者が正しいが、俺はその者に負けたことになる。
負けた儘では面目が立たない。
面目が立たないから中根南城の全力でその者と町を滅ぼす。
そうしないと、中根南城の者は弱腰と侮られる。
弱い者は袋叩きにして奪ってしまえとなり、周囲の領主が談合して襲ってくる。
城と土地をすべて奪われる危険をはらむのだ。
つまり、報復しなければ、土地を守る実力がないとされて周囲の領主から奪われ、報復すれば町を滅ぼされたという大義名分を上げて攻めてくる。
弱みを見せるのは危険なのだ。
だから、無闇に問題を起こしてはならない。
だから、中根南は、熱田、織田家に従属し、将軍や朝廷より土地を納める許可をもらう。
ここを支配する正当な理由を得る。
中根南城を襲う事は、熱田、織田、将軍、朝廷の面目を潰す。
襲った者は、熱田、織田、将軍、朝廷からの報復を受ける恐怖に縛ることで抑止する。
これが世界の常識だった。
そんな枠組から外れているのが河原者だ。
河原者とは、その土地などを捨てて逃げたなれの果てだ。
「魯坊丸様。村人が余所者を嫌うのは毛嫌いしている訳ではありません」
「魯坊丸。よくお聞きなさい。その者が何か不祥事を起こせば、中根南城の責任となるのです」
「その者が隣村と諍いを起こせば、村同士の戦になることもあります」
「わかりましたか。素性もわからぬ。信用もおけぬ者を仏心で安易に助けることはなりません」
「私は魯坊丸様のお優しいお心に胸を打たれました。魯坊丸様の意志に従いたいと思ったのです。ですが、奥方様に言われ、魯坊丸様に害を及ぼすならば、反対せねばなりません」
善意とか、人助けとか関係なく、抱えた河原者が問題を起こせば、俺の責任問題となるとか。
酷い話だ。
後ろ盾がない河原者は、安い賃金で仕事させられる。
農民らの手当も安いが、その比でない。
動物の皮を剥ぐなどの人が嫌がる仕事をしながら、最低の手当のみでその日の暮らしを支える。
搾取するだけ搾取する。
なんかちょっと腹が立った。
俺は見も知らぬ者の為に働くのは御免だ。
世界平和とか、世界から飢餓をなくそうとか綺麗事をいう奴が嫌いだ。
本気でそう思うなら、自分が持つ全財産をレートの上に載せて戦ってみろと言いたい。
自分は温々とした場所にいて、人の財布をアテに援助をねだる。
胡散臭い。
それなら初めから大きなことを言わず、自分の手の届く範囲でできることをすればいい。
幸せのおすそわけなら笑ってみていられる。
偽善を偽善と言える奴を俺は尊敬する。
でも、俺はそんなに偉くない。
できることなど知れている。
俺は母上が困っている顔を見たくないから、知恵を巡らせる。
福のあかぎれた手を放置できないから、技術を惜しまない。
城の者は笑っている方がいい。
そうでないと、ゴロゴロしていている俺が楽しくない。
河原者など助ける義理などないが、安い労働力として俺が呼んでしまった。
呼んだ限り、責任は付きまとう。
タダより高いものはないか。
失敗した。
彼らを幸せにする力は俺にないが、食うに困らない環境を作る力ならある。
ヤレるのにヤラないという選択はない。
常識なんて知るか。
全部、ひっくり返してやる。
「ばぁ、ばぁ、う、え。お、れ、を、し、ん、じ、て」(母上、俺を信じて)
「何を信じろというのですか?」
「ぜ、ん、ぶ」(全部)
「全部?」
「そ、う、ぜ、ん、ぶ。お、れ、ばぁ、で、ぎ、る」(そう、俺はできる)
「俺はできる…………ですか? 何を?」
「だ、が、ら、ぜ、ん、ぶ」(だから、全部)
俺は真剣な目で母上をまっすぐにみた。
母上が何度も瞬きをして、俺を見返していた。
最後に肩を落として溜め息を吐き、「協力しましょう」と小さく呟いた。
福も両手に拳をぎゅうと握って俺を見ていた。
叩き潰そうとする奴らがいるなら叩き返せばよい。
腹を括った俺の本気を見せてやる。
自重はあの寒い冬にも~うとっくに捨てていた。
やるぞ。
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