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21. 街はずれの魔法塔

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 ——ああ、もしかして俺は、とんでもない男に愛されてしまったんじゃないか。

 今さらながらにそう思ったのは、俺を見つめるアンリがあまりにも綺麗だったから。

 もともと人を惑わすほどの美貌の持ち主ではある。それなのに、すれたような部分はなく、真面目な性格なところが好印象な人だった。恋愛ごとよりも魔法の研究ばかりに目が向いている……そんな印象のほうが強くて、まさかこんなに強く大きな愛情を向けてくる人だと思っていなかった。
 なんの歪みもない、純度の高い気持ちを惜しげもなく与えてくれる。

「アンリさんは……ヴィヒトリへの気持ちを失くした俺はもう好きじゃない?」

 自分を見つめる真っ直ぐな瞳に、つい変な不安を覚えて訊ねた。
 その質問に驚いたのか、涼しげな瞳が僅かに見開く。

「まさか。どんなきみだって好きだ。でも、そうだな……不安で押し潰されそうなリストに、私だから言ってあげられることが一つある」
「なに? 教えて?」
「魔法を受けてヴィヒトリ殿との番を解消したとしても、リストは彼唯一の『番』であることには変わりがない。だから、きみは絶対に、彼を忘れたりなんかしない。リストは、ヴィヒトリ殿の番で、私の愛しい人だ。それではダメか?」

 その答えに、今度は俺が目を大きくする番だった。

「…………ダメじゃない。ダメじゃないよ」

 同じようなことは自分自身でも何度も考えたはずなのに。
 どうしてアンリに言われると、こんなにもすっと胸へと落ちてくるんだろう。

「……ありがとう、アンリさん。ヴィヒトリを亡くした俺を好きになってくれたのが、アンリさんで良かった」

 俺はこれまでも、この先も、ヴィヒトリを愛していいし、アンリをもっともっと好きになってもいい。
 隠さなくてもいいし、つらいときは気持ちを吐露したってアンリは全部受け止めてくれる。俺を丸ごと愛すというのは、そういうことなんだ。

 ヴィヒトリという消えない思い出ごと生きていくことを、諦めなくていい。

 すっかりぬるくなったコーヒーは、俺の大切な思い出の一つになった。


 ◇◇◇


 それから、さらに一週間。
 俺は自分の気が変わらぬうちにと、街の東側に聳える塔——魔法研究塔へとやってきた。

「たっか……」

 空をぐんっと突き刺すんじゃないかって尖塔が伸びている光景に、あんぐりと口を開ける。俺の生家もこのメロイアから離れていない場所にあるし、ヴィヒトリの生家も街の近辺だから、俺は生まれてから今まで、このメロイア周辺で育ってきた。
 でも、じつは塔に来るのは初めてだ。

 魔法研究塔は国の複数箇所にあるけれど、どこもかしこもいわゆる『国家機密』も取り扱っている重要な施設だ。そこに働く人は国お抱えの研究者や探究者。そして、彼らを世話する人たちで構成されている。
 エリート中のエリート。つまりは、ふらっと立ち寄れるような場所じゃないから、俺みたいな、元は貴族の端くれとはいえ、ただの凡人は用がないと近づくこともないのだ。

「リスト・ヒルトネンさんですか?」
「えっ、あ、はいっ」

 尖塔の先を唖然として見ていると、名前を呼ばれた。
 亜麻色の髪を後ろで一つに結って、大きな灰色の瞳をした女性がにこやかな笑みを浮かべながら、近づいてくる。

「はじめまして。私、イルメリって言います。リストさんの案内を任された、ここの職員です」
「あ、っと、はじめまして。リストです」

 どうやら声をかけてくれたのは、塔の人らしい。
 俺が今日ここに来るということで、アンリからは「案内の者が待っているはずだから」と言われていた。その案内の人っていうのが、イルメリと名乗った目の前の女性なんだろう。

「レピスト副所長……ええと、アンリさんがお待ちです。ご案内しますね」

 どうぞこちらへ、と促されて、俺は彼女のあとをついていった。

 それから、いよいよ塔の中へと入って、ぐるぐると螺旋階段を登った先。通された部屋を見て、俺はついぽろっと言葉を漏らした。

「……なんか、想像していたのと違うかも」

 ぐるりと部屋を見渡せば、そこは木製のテーブルが一つと椅子が四脚。壁の一面には大きな棚が備え付けられていて、本や小物が整理整頓されて置かれていた。
 塔にやって来たのも、中に入ったのも初めてだけれど、想像していたのはもっと本や道具がごちゃごちゃと置かれていて、足の踏み場がないような部屋だった。それが実際に来てみれば、想像とは真逆の光景が広がっている。

「あははっ、よく言われます」
「あ……すみません」
「いえいえ! みんな思ってることですから! もっとごちゃごちゃーってしてるって思ってたでしょう?」
「ええ、まあ。でも意外に片づけられているっていうか、こざっぱりとしてるっていうか。思ったより、ごちゃっとはしてないんですね」

 少し緊張していた俺は、にこにこと愛嬌のある笑顔で話すイルメリに肩の力が抜けた。ここに来るまでのうちに、イルメリから聞いた話によると、彼女は魔導師助手としてこの塔で働いているという。
 女性相手に年齢を訊くのは憚られるから訊ねていないが、たぶん俺と同じくらいか、いくつか年上。明るく、人懐っこい印象に好感が持てた。

「この部屋は客人を通す場所だから片づいているだけさ。それぞれの研究部屋なんかは酷いものだ」
「副所長の部屋が一番酷いですけどねー」

 ケラケラと笑うイルメリに声をかけながら姿を現したのは、アンリだった。
 今日も闇色で、理知的な薄緑色の瞳が涼しげにこちらを見ていた。

「いらっしゃい、リスト」
「お世話になります。ふふっ、いつもと逆だね」

 いつもはパン屋に来店してくれるアンリを、俺が「いらっしゃい」と出迎える。でも今日は、アンリが俺を笑顔で出迎えてくれた。
 そのままアンリとイルメリの二人に言われて、部屋の中央にある椅子に座る。まずは二人と話をするらしい。イルメリが香りの良いお茶を出してくれた。

 今日、俺が塔に来たのは、番解消の魔法——少し前にできた副作用のないほうの新しい魔法を施してもらうためだ。

 テーブルの上にはお茶のほかに、いくつかの書類と紙が置かれる。
 その書類は魔法によって受けられる効果がまとめられていて、アンリが一つ一つ丁寧に説明してくれた。

 といっても、内容はそんなに小難しいものじゃない。簡単に言えば、今ある番の関係は解消されるってこと。
 前の魔法は副作用が出る場合があったけど、新しい魔法はその可能性は限りなく低いこと。ただ一応、どんな魔法であっても不測の事態ってのはあるみたいで、その点はしっかり考えたうえでの施行になることも話がされた。

「死亡例は今までにないから、その点については安心していい」
「うん、わかった」

 わかりやすい言葉とトーンで話すアンリの説明に、引き続き耳を傾ける。

 なにより大切なこととして……一度、魔法を受けてしまったら、もう解消した番関係は戻らない、という説明は殊更丁寧に伝えられた。

 もちろん、その相手が生きてさえいれば、またうなじを噛んでもらって番になれる可能性はある。「可能性」という言い方をしたのは、そういった事例が今のところなく、再度番になれるかはわからないからとのことだった。
 この魔法を受ける人は、その大抵が番を喪ったオメガか、望まぬ関係を結ばれたオメガ。だから「再び番になる」ことは物理的、もしくは精神的にない。

 俺も、ヴィヒトリとの番を解消したあと、再び番になることはできない。
 彼はもうすでに、この世にいないのだから。

「改めての確認になるが、魔法を受ける——ヴィヒトリ殿との番関係を解消してもいいのだな?」

 しっかりと意思を確認するように、アンリは訊ねた。
 俺はその問いに、深く頷く。

「うん。ちゃんと、そのつもりで来たよ」

 優しい瞳を見ながら返せば、彼は最後にペンを差し出した。
 書類とともに置かれていた一枚の紙は、魔法を受ける同意書だ。そこに自分の名前をサインすれば、魔法を施行してもらう準備が整う。

 今日は、アンリ自ら、俺に魔法を施してくれるのだ。イルメリはその助手。特に偉い身分でもない俺に、筆頭魔導師が直々に魔法をかけてくれるのは、おそらく破格の待遇だろう。
 きっと、俺がアンリの最愛だからだ。

 ——ちゃんと覚悟は決めてきた。

 俺は受け取ったペンで、署名欄にリスト・ヒルトネンと綴った。
 署名をしっかりと確認したアンリは、同意書をイルメリに預ける。彼女は心得たとばかりに小さく笑みを浮かべて、それを錠付きの金属製の箱へとしまった。

 では、という声とともに、アンリとイルメリがいそいそと準備を始める。俺はその様子を少しだけそわそわしながら見ていた。
 こういった魔法を受けるのは初めてだから、よくわからないけれど、どうやらそんなに大仰な準備は必要ないらしい。そうこうしているうちにアンリに呼ばれて、俺は部屋の奥に置かれていた一人用のカウチに腰を下ろした。

 いよいよ、魔法を受ける。
 ヴィヒトリと、体の面では番でなくなる。

 無意識のうちに、俺はぎゅっと両手を握り締めていた。その手をふわりとあたたかな手が包みこむ。アンリの手だ。

「なあ、リスト。もしどうしても今後、自分ことが許せなくなったら、私のせいだと思えばいい。リストはアンリ・レピストという悪い男に絆されてしまったのだと。だから、この魔法を受けたのだと」

 カウチの横に膝をついて、アンリは俺をいたわる。
 魔法を受けたあと、それでもやっぱり後悔の念に苛まれないかとアンリは気にかけてくれているのだ。俺がどれほどにヴィヒトリを愛しているかを、彼は理解してくれているから。

 だからこそ、俺はその心に、俺自身の心で応えたい。

「ありがとう、アンリさん。でも——大丈夫。これはちゃんと俺自身の意思だよ。アンリさんが悪い男だからじゃない。俺は俺の意思で、体としてはヴィヒトリとの番を解消する。でもヴィヒトリを嫌いになったわけでもない。あの人はこれからも俺の唯一。ずっとずっと、忘れることのない最愛で、俺の番だ」

 体の結びつきをなくしても、心はずっとつながっている。
 俺がこの命を全うする、そのときまで、ずっと。

「ヴィヒトリにいつか会ったときに、胸を張って『幸せだった』って言いたいんだ。そのために、俺はもう一人の最愛……アンリさんと生きていきたい。だから魔法を受ける」
「決意はできているんだな」
「うん。浮気なやつでごめんね。こんな俺を受け入れてくれて、ありがとう。あなたとも心以外でも愛し合いたいから、自分の心をちゃんと決めてきたよ。だから、アンリさん——俺に魔法をかけてください。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる。
 言葉では十分すぎるほどに想いを伝えられたはずだ。あとは行動にして、この気持ちを形にして、アンリに届けたい。

 と、「わかった」と柔らかな声が耳に届いた。
 顔を上げれば、優秀な魔導師然とした瞳と目が合った。


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