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20. 消えない不安
しおりを挟むとは言っても、なかなか心というのは難しいもので。
さらに数ヶ月が過ぎ、あっという間に季節は春。
アンリとは恋人と呼べる関係になって以来、プラトニックな純愛を育んでいる。
晩冬にヴィヒトリへの報告を済ませたのにもかかわらず、だ。というのも、俺の覚悟がまだつかずに、番関係を解消する魔法を受けていないからで……。
(そろそろやらないと、とは思っているんだけどな……)
はぁ、と小さくため息をつきながら、俺は自室のクローゼットから外出着を取り出した。まあ外出着といっても、大したものじゃない。部屋着かそれ以外かくらいの違いしかなくて、特別にめかしこむわけでもない。
クローゼットの中には、生家やヒルトネン家へ行くときに着る、きれいに仕立てた服も何着か入っているし、ヴィヒトリが買ってくれたお気に入りの服もある。でも、それらには手を伸ばさず、俺が手に取ったのは職場に着ていくものと変わらない、生成りのシャツに履き心地のよいシンプルなデザインのボトム。
今日、パン屋は定休日だ。俺もそれにあわせて休みをもらっている。
そして今日はこれから、アンリと会う約束があるのだ。
塔に勤める魔導師、それも筆頭魔導師たるアンリは忙しい。俺は勤めているパン屋・シニリントゥが定休日の毎週月曜日にあわせて週に一度は必ず休みがあるし、隔週に一度は火曜日も休みだから、それなりに休みはもらえてるほうだ。
それに対して、アンリは基本的には休みもなく、毎日塔で何らかしかの研究や実験をしているらしい。毎日仕事をこなさないといけないってわけじゃないらしいけど、やっぱり他の魔導師のサポートをしたり、相談に乗ったりとしていると、なんだかんだで塔に顔を出すことになるんだとか。アンリが暮らしているのは、塔のすぐ近くに借りている家だから通いやすいってのもあるみたい。
とはいえ……。
「正直、働きすぎだよね。お客さんのときに、休めてるって言ってたの、割りと嘘だったじゃん。まあ倒れるまではやってないっぽいけどさぁ」
ぶつくさ言いながらも、身支度を整えていく。
働きづめのアンリが、俺の休みにあわせて取ってくれた貴重な休みだ。今はこうやって、ぶつぶつと文句を言っているけれど、彼とともに時間を過ごせるのは素直に嬉しい。
そう。アンリとの時間を嬉しく思えている。
心の中にはヴィヒトリがいて、彼との思い出をなくしたわけじゃないけれど。ちゃんとヴィヒトリへの愛情もたっぷりとあるけれど。
でも、春の訪れとともに、同じ心の中にアンリという存在を入れることに、ようやく抵抗や罪悪感が薄れてはきた。
「だから、早く決めてあげないといけないのになぁ」
すっかり身支度を整えたあと、俺はクローゼットの端に眠る外出着を見た。それは、ヴィヒトリが亡くなる前、夏の終わりの時期に買ってくれた服だ。
亡くなる日までの間、ヴィヒトリは菓子や花、ちょっとした文具などの贈り物をしてくれた。どれも大切な宝物だ。
思えば、彼が亡くなった年。あの年は、秋になってからヴィヒトリは忙しそうにしてた。だから、この服を買ってくれたあの日が二人で街を歩いた最後の休日だったかもしれない。
「……こうやって感傷に浸るから、ダメなんだよね」
わかってはいるのだ。
前に踏み出すためには、ヴィヒトリとの思い出ばかりに目を向けてはいけない。最愛の彼を大切にすることは悪いことではないけれど、もう一人——好きだという気持ちを渡したい相手にもしっかり向き合わないと。そうしないと、自分にも、アンリに対しても真摯じゃない。
そのためにも、番関係を解消する魔法を受けなければならない。
でも……それでも……なかなか、覚悟を決められないのだ。
「だめだめ。これからアンリさんと会うんだから。楽しい時間にしたいだろ。シャキッとしなよ、リスト!」
机の上の置き時計を見れば、待ち合わせの時間が迫っていた。
自分自身に喝を入れて、俺は鞄を掴んで部屋を出た。
+ + +
待ち合わせたのは、メロイアの中心街にある小さなカフェだった。
オープンしたのは一年半くらい前で、ケーキとコーヒーが美味しいと評判のお店。今日は平日で、昼前だからか店内はそんなに混んでいない。
何も変わらない平穏な街だけど、新しいお店がオープンしたり、老舗のお店がリニューアルしたり、時には畳んだ店があったりと、数年のうちで変わったところもある。
ここに来るまでの街並みも、馴染みのある見慣れたものだったけれど、ヴィヒトリが生きていた頃と比べると変わってしまったところも多い。店の並び、街路樹の高さ、道端を彩る小さな花壇……ふとした視線の先に小さな変化を見つけることができた。
せっかくのデートなのに、ほんの些細なことが胸に小さな棘となって刺さる。
これはきっと、部屋を出る前に、やけに感傷的になってしまったからだ。
「はぁ……」
アンリとこうして顔を合わせて、何気ない時間を過ごしていて、じわじわと薄れていたはずの罪悪感が強まっていく。無意識のうちについたため息に、アンリが気遣わしげな視線を寄越す。そこでようやく、自分が気鬱な気持ちに沈みかけていたことに気づいて、はっとした。
「ご、ごめん……! せっかく休みを合わせてもらったのに」
「いや。だが元気がないな。どうした?」
この半年、プライベートで彼と過ごすときは、なるべく明るく楽しくを心掛けてきたのに。それに、アンリの前でため息をつくなんて失礼だ。
慌てて笑顔を作れば、アンリは「いいや」と首を振った。俺を詰ることもせず、むしろ慈しみ深い瞳を向けてくれるアンリにぐっと目の奥が熱くなる。常日頃から「無理はするな」「自分前ではありのままでいてほしい」と伝えてくる彼の前で、なおも取り繕おうとしてしまう自分に自嘲して、俺はおずおずと口を開いた。
「あの、さ……アンリさんに、謝りたくて」
ぽつり、と呟いた答えにアンリはふむ、と顎に手をあてた。
「何か謝ることをされた憶えはないが……どうしてそう思ったんだ?」
優しい声色に問われ、俯き加減になっていた顔を上げると、薄緑色の瞳が柔らかい光を湛えながら俺を見ていた。ふぅ、と小さく息が漏れる。ため息とは少し違う、力が抜ける俺のそれに、アンリがふわりと笑った。
俺もつられて小さく笑って、コーヒーカップに口をつける。まだ多くを話していないのに、これから伝えようとしていることを考えると口の中が渇いていたのだ。まだ温かなコーヒーを一口飲んで、唇と喉を少し潤してから、俺は真っ直ぐにアンリを見つめた。
やっぱり、ちゃんと伝えよう。話を聞いてもらおう。
アンリなら、きっと受け止めてくれる。
そう思わせてくれる彼に、俺は心の中で感謝して、意を決して口を開いた。
「俺たち、お互いの気持ちを通じ合わせてから、もう半年が経つでしょ。でも、俺はまだアンリさんと、本当の意味で向き合ってあげられてないからさ。それが、申し訳ないなって思ってて」
「そんなことはないと思うが……」
首を傾げるアンリに俺は首を振る。アンリがそういうのだから、彼は本当に俺が自分と向き合っていないとは思っていないんだろう。そのことにほっとしつつも、もう少し話を続けさせてほしいと言えば、彼は頷いてみせた。
せっかく二人きりの外出だけど、いい機会だ。
自分の気持ちを聞いてもらおう。……聞いてもらいたい。
だってこのまま、だらだらとプラトニックな関係を続けていくのは、どう考えてもアンリに悪い。なにより、自分の心もずっと上手く定めきれていない。
ふとしたときに気鬱になったり、自分自身に落ち込んだりしながら半年近くが過ぎてしまった。そうやって過ごしているから、今日みたいにアンリの前でため息なんかついて、心配させている。
両想いなのだから、アンリだって本来ならば、幸せに満ち溢れた日々を送れるはずなのに。その機会を奪っているのは、他でもない俺だ。
——こんなの、もうやめなきゃ。
「俺ね、今も続いている番関係を解消できればなって、思ってはいるんだ。それは、本当だよ。嘘でも虚勢でもなくって、ちゃんと心から思ってる。でも……やっばり、その……すごく、怖くてさ……」
この半年、『でも』や『けれど』ばっかりな自分に嫌気がさす。
進みたい気持ちと、怖い気持ち。その二つから常にぐるぐると追いかけられている気分で、ずっと前に進めていない。
「ふむ。リストは何が怖い?」
アンリの瞳は優しげでいて、何かを見抜くように俺を見る。
俺を想ってくれている恋人の顔のなかに、研究者然とした空気を感じて、そういえばこの人は、他の誰よりも魔法に詳しい人なのだと思い出していた。
「たとえば、魔法そのものに対しての恐れなら、それは特段おかしなことではない。魔法というのは、魔法慣れしていない者からすれば未知のものだ。怖いと思うのは当然だ。その感情に折り合いをつけるのに有する時間は、個人差もある」
だから気に病むことではないのだと、アンリは話す。
でも俺は、彼の言葉にふるふると首を振った。
「魔法を施されるっていうのも、たしかに怖いよ。怖いっていうか、緊張する。けど、何よりも怖いのは……番を解消したら、ヴィヒトリへの気持ちが……無くなっちゃうんじゃないかってことなんだ……」
番になること——アルファに噛み痕をつけられることと、相手を想う気持ちに、明確な相互関係はない。
たとえ、望まぬ相手に噛まれたときに恋愛感情が生まれるかと言えばそうではないし、永久に愛すると誓って番になった者同士でも愛情が薄れずにいられるかは別問題だ。稀ではあるけれど、番であっても愛情は冷め切ってしまったというカップルもいないわけじゃないって話も聞く。
番の関係自体と、愛情は別物。
なのに、俺は不安で仕方がないのだ。
「アンリさんにこんなこと言うのは、酷いよね。だって、他の男を忘れたくない、これからも愛していたいって言ってるんだから。でも——」
怖いんだ、と言葉を紡いだのと同時に、アンリが名前を呼んだ。
「リスト。私が半年前に伝えたことを憶えているか?」
「半年前……。うん、憶えてるよ」
あれは冬の日。
その前日は満月を過ぎた月がきれいに浮かぶ夜で、たくさんのことを考えすぎて寝不足に陥って。それが原因で接客中にふらっと転んでしまった、あの寒い日のことだ。
あの頃は自分の気持ちがぐちゃぐちゃに、こんがらがってしまっていた。
今思えば、抑制剤の副作用がしんどい時期が増えたり、人攫いに遭ったり、その人攫い事件のせいで治安があまり良くなくなってしまって街がピリピリしていたり……そんなことが重なって、気づかぬうちに小さな不安が少しずつ溜まってたんだと思う。夢見が悪くなって、体調にも影響を出してしまって、アンリには相当心配をかけた。でもおかげでと言うか、自分の心の変化にも気づけたし、自分がかなり無理をしていたことに気づかされた。
それで、アンリとはたくさん話をした。
それからアンリからたくさん、きらきらした言葉をもらった。そんな冬の日だ。
あの日、アンリは俺に言ってくれた。
「——番を想う俺を丸ごと、好きでいてくれる」
「そうだ」
深く頷くアンリの表情は穏やかでいて、力強さを感じた。半年前に、俺を丸ごと受け止めると宣言した、頼れる男の顔だ。
すっかり研究者然とした空気も抜けて、俺の想い人のひとりは、とても愛情に満ちた瞳をしていた。
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