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09. 幌馬車の行方
しおりを挟むミシッ! あるいは、パキッ! といった石が割れる音がした。
その次に、ピカッという擬音じゃ言い表せないほどの、眩い光が布越しに降り注いだのは一瞬の出来事だった。
「うわっ!?」
「なんだ? 何が起きたっ!」
ほぼ同時に、複数人の男の声が上がり、馬が嘶く。
光に驚いた馬が足を止めてしまったのか、ガタゴトと揺れていた馬車が急に止まり、男たちが俄かに騒ぎ出した。
「おいっ、止まるな! おいってば!」
御者らしき男の焦る声。だが、床の振動は止まったままだ。
目隠しをされている状態じゃ、察することができるのなんて微々たるもの。でも俺が渾身の力を込めて、腰骨付近を痛めまでしてやった動きでどうやら魔導具はきちんと作動したらしい。いまだに目蓋の裏は真っ白に染まっていた。
「ってか、なんだよこの光! 裏か?」
「まさかあいつ、何かしたんじゃないだろうなっ!」
「くそっ、眩しすぎて全然見えねえ!」
強烈な光が馬車から溢れる異常事態に、ようやく犯人たちは動き出す。
(うわ……これ、やっぱまずかったか……?)
慌ただしく動き始めた犯人たちの気配に、思わず背筋が凍る。
何か現状を打破できる策を、と考えての行動だったけれど、事を急いてしまったかもしれない。もちろん、これで助けが来てくれればいい。ただ、ダメだったときのことをあんまり考えてなかった。
(俺の考えなし……!)
俺を攫おうっていう理由も目的もわからないのに。下手したら、命を失うようなことを平気でするやつらなのかもしれないのに……。
さっきの勢いはどこへやらだけど、そんな考えが頭をよぎって途端に怖くなってきた。
——ここで死んだら、きっとヴィヒトリに会えるだろうけど。
でも、こんな形での再会をヴィヒトリは多分、望んでいない。
暴漢にいいようにされて、酷い目に遭って死ぬなんて……ヴィヒトリは悲しむだろう。どんなに会いたくても、彼を悲しませたいわけじゃないんだ。
(ああ、ヴィヒトリ……っ、どうしよう……!)
いまだ、男たちの怒号が辺りに響く。
布越しでも目がチカチカするほどに眩しい光は、そうこうしているうちに徐々に勢いが弱まってきているのか、白い視界は再び暗闇へと染まっていく。光が落ち着いてきたからか、男たちの気配が近づいてきているのを感じた。
「……っ」
ガタンッという物音や、厚手の布が擦れる音に体が強張る。
ぐいっと床が——馬車が傾いて、誰かが乗ってきたのがわかった。俺は恐怖のあまり息をすることも忘れて、ぎゅっと目を閉じた。
「おいっ! きみっ、大丈夫かっ!?」
聞こえてきたのは、怒号ではなく焦りを含んだ心配の声。
体を強張らせていた俺に気を遣ってか、「安心しろ。もう大丈夫だぞ」という声をかけてくれる。どこか聞いたことのある声の主は、すぐに目と口を覆っていた布も外してくれた。
「——って、きみ……リストか?」
ぼやける視界が徐々にクリアになってきたのと同時に、名前を呼ばれる。
覆われていた布が外され、目の前に現れたのは一人の騎士——ヘルマンだった。
「はぁ…………はは……たす、かった……」
俺は、ほっと息をつく。
ヘルマンは驚愕の表情を浮かべつつも、背中側で縛られている俺の腕に気づくと、すぐにその縄をナイフで切ってくれた。最初に襲われたとき、俺がまあまあ暴れてしまったせいで、手首や手の甲には擦り傷や痣ができている。
「ヘルマンさん、助けてくれてありがとう」
「やっぱりリストだよな。どうして、きみが……ああいや、それよりも手のほかにどこか怪我は? それに、何かその……酷いことはされなかったか?」
「ううん、平気。変な格好のまま動いたから関節とか痛むけど、殴られたりとかヤバいことされたりとかはないよ」
ヘルマンが言葉を濁した『酷いこと』っていうのは、陵辱されてないかってことが訊きたいんだろう。俺に番がいることはヘルマンはよく知っているけど、オメガだからか一応気にしてくれたみたい。
犯人は、俺を背後から襲ったから、きっと首筋の噛み痕には気づいたとは思うけどね。
大丈夫だとアピールするように、へらっと笑えば、ヘルマンは安堵したのか大きく息を吐いた。
「リストが『もしも』に遭っていたら、俺はヴィヒトリになんて言えばいいか……。とにかく、よかった。本当に……無事でよかった……」
亡くなった伴侶ヴィヒトリの同僚であるヘルマンとは、今も交流はある。ヴィヒトリが生きていた頃よりは顔を合わせる回数は減ったけれど、シニリントゥにも来店してくれるし、俺が暮らしている寄宿舎にもよく顔を出してくれる。
あの日——ヴィヒトリが死んでしまった日に、頭を下げ続けてくれたヘルマン。
俺はそんなこと思ってないけれど、彼はいまだに自分のせいでヴィヒトリが死んだのだと。そんな罪悪感を背負い続けているみたいだった。
ヘルマンに肩を貸してもらって、転がされていた場所を出ると、やはり俺がいたのは馬車だった。荷台の中が見えないように幌で覆われた荷馬車。大きさはそう大きくない。大人が五人も入れば、いっぱいになりそうな大きさだ。
幌の横には、どこかの商会風の紋章が描かれている。それが本物か偽物か、俺には見分けがつかなかった。
場所は見た感じ、ギリギリ街の中だ。
でもあと少し馬車が走っていたら、街の外に出ていたような……そんな街のはずれだった。つまりは、間一髪ってところ。
「騎士団の人が見つけてくれてよかったよ。ほんと、もうダメかと思った」
はぁーっと盛大に息を吐く。
駆けつけてくれた騎士団の人たちにも怪我の有無を確認されたので、とりあえず一番目につく手首をひらひらと見せれば、痛々しげな顔をされた。馬車から少し離れたところで手首の怪我の手当てをしてもらえることになって、大人しくついていく。
ちなみに犯人たちはどうなったのかと、辺りを見渡すと、馬車を挟んだ向こう側に騎士や警邏隊の人たちがたくさんいるのが見えた。それから、その合間からは商人風の格好をした数人の男たちも。
「ところで、さっき異様に明るい光が放たれていたんだが、あれはリストが?」
「うん? あー……たぶん?」
俺と同い年くらいの若い騎士が、俺の手当てをしてくれている間に、ヘルマンが訊ねる。
彼の言うような『異様に明るい光』だったかどうか、俺はちゃんとは見てないけれど。でも、アンリが言ったようにあの石が『光を放つ魔導具』なら、正しく光が放たれたんだろう。
けれど、なんとも、ふわっとした回答をしてしまったからか、ヘルマンは難しそうな顔をした。
「あっ、えっと! 俺が魔法を使ったとかじゃなくてね。塔のアンリさんにもらった魔導具を使ったんだ」
「魔導具?」
「うん。ちょっと待って。ポケットに入ってる」
ヘルマンが、何かを使わないと起きるはずもない強い光を訝しんだのは、俺が魔法を使えないことを知っているからだ。それに、アンリさんから貰った魔導具だって、俺が貰ったときにそうだったように『衝撃を与えれば強い光を放てる』なんてもの、あんまり一般的じゃない。
魔法騎士なんかの間では戦いに役立つような道具があってもおかしくないし、貴族界隈では防犯グッズや誘拐対策用の特殊な魔導具もあるらしいけれど……まあ、俺の家は没落気味だからね。そういうのって結構お高めだから、本来俺とは縁が薄いものなんだよな。
俺とヘルマンの仲だから、そういう魔導具を俺が持っていたとしても、さすがに盗んだとは思われないだろう。けど、どこで手に入れたんだって話にはなる。
だから俺は、説明するより見せたほうが早いと、石が入っているジャケットのポケットへ手を伸ばした……んだけど——。
「あ、れ……。あーははは……なんか、今になって手ぇ震えてる」
ポケットに手を突っ込んで、中にあるはずの石を探るも、なかなか上手く掴めない。それがどうやら自分の手が震えているからだということに、ようやく気がついた。「うまく取れないや」と笑うしかなかった。
「代わりに取り出しても?」
親切に声をかけてくれたヘルマンに頷けば、俺の代わりにポケットから何個かに割れた石を取り出してくれた。
「これが、魔導具?」
手のひらに乗せて見せられたのは、大小様々な形や大きさに割れた黒い石。
「そうらしいよ。もともとは一つの石で……白っぽかったんだけどな。それに、思ってたより粉々だ」
腰を打ちつけたときに音がしたから、割れたかなぁとは思ってたけど、せいぜい真っ二つに割れたとか、ヒビが入ったくらいかと思ってた。まあ目で見ながら、手で割ったわけじゃないし、力加減も全然わからなかったからなぁ。
この感じじゃ、打ちつけた腰骨あたりは結構な痣になってるかもしれない。なるべく意識しないでおいたんだけど、さっきからちょっと痛い気もするし。
(俺、けっこう無茶したのかもなぁ)
それからヘルマンからは、どこで襲われたのかとか、犯人について気づいたことはあるかとか、どうやって魔導具を使ったんだとかを訊かれて、俺はわかる範囲のことを答えた。と言っても、背後から襲われたから顔は見てないし、ヘルマンやヴィヒトリと違って騎士みたいに訓練を受けたわけでもないから、何人だったかもわからない。
ただ、猫の鳴き声がしたから、心配になって路地裏に入ってしまったところを襲われたってだけ。まあその猫の鳴き声は偽物だったわけで。
今思えば、あの猫の鳴き声がするブリキ缶は、俺みたいなやつを誘き寄せるための、誘拐犯の罠だったんだろう。
「そうか。その魔導具らしき缶も含めて、引き続き調査にあたろう。市民に注意喚起も呼びかけないとな」
「だね。これで事件解決に繋がればいいんだけど」
そうしてヘルマンや他の騎士からの質問に応じる形で、簡単な事情聴取を受けていると……。
「リスト……!」
「アンリさん……?」
ヘルマンたち騎士の間を縫って現れたのは、よく知った姿。
いつもの紺色のローブに、闇色の髪。でもいつもと違って、やたらと髪は乱れていて、息も切れている。よくよく見れば、額や首筋に汗がうっすら浮かんでいた。
「えっ、えっ? どうしてここに? お仕事忙しいんじゃなかったっけ?」
予想していなかった人物の登場に、俺はすっかり混乱していた。
目を丸くしながら訊ねる俺に、アンリは深く息をついて、よろよろと俺の前に座り込んだ。
「休憩中に塔の上から街を眺めてたら、光が見えて……。もしかしたらと思って来てみたら、やはりリストだった……」
「……もしかして、心配して来てくれたの?」
アンリが研究で詰めている塔から、ここまでめちゃくちゃ遠いってわけじゃないけど、それなりの距離はある。なにせ、今いる街のはずれと塔は真反対側だ。ちょっとそこまで、って距離じゃない。
額に滲む汗とか、切れている息だとか、ちょっと乱れた髪だとか。もしかしたらアンリは走ってきたくれたのかもしれない。
「ええっと……ありがとうね、アンリさん
「リスト、きみは……」
「あー。その、じつはさー、なんかうっかり攫われそうになったっぽくて。でも、アンリさんから貰った石のおかげで騎士団の人たちに見つけてもらえたよ。あれ、すごいんだね? 俺、目隠しされてたから、よくわかってないんだけどさ」
アンリを心配にさせたくなくて、俺はいつもみたいにへらっと笑う。
これが合っているかもわからないまま、なんてことはないって素振りで笑ったはずなのに。——なぜだか、ぽろっと涙が出てきた。
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