【完結】番じゃなくても愛してる

秋良

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07. 事件と魔導具

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「リストも十分に注意してくれ。夜に一人で出歩いたり、暗がりに行くのは避けたほうがいい。これに関してはここ最近だけでなく、常日頃から用心するに越したことはないが……なにせ、この物騒な状態だ。昼間だって可能な限り一人にならないようにしたほうが安心だろうな」

 眉根を顰めながら、アンリは心配してくれる。
 内容は随分と過保護なものだから、いつもだったら笑ってしまっただろう。でも、人攫いなんてここら辺じゃ聞いたことなかったから、今は用心しすぎるくらいでいいのかもしれない。

「うん……そうする。まあ若い女性狙いってことなら、俺は対象外だとは思うけど。けど、誰であっても気をつけておいたほうがいいもんね」
「そうとも。きみは男性ではあるが、綺麗だから心配だよ」
「あはは。容姿の良さで言えば、アンリさんも大概だとは思うけどねー」

 アンリの言葉をしっかり心に留めつつも、俺は言葉を返した。
 カロリーナだけじゃなくてお客さんからもしょっちゅう容姿を褒められる。だから、アンリからも「綺麗」と言われるのも今回だけじゃない。そういうアンリも相当の美形なのだから、と返せば、彼は肩を竦めてみせた。

「——そうだ。これを渡しておこう」

 ごそごそとローブのポケットを漁ったアンリは、手のひらの上に乗せられるくらいの小さな石を取り出して、さっきの栄養剤同様カウンターに置いた。
 色は白っぽいというか、灰色っぽいというか、そんな感じの色。そして僅かに、きらきらと小さな光を湛えている。見たことのない石に首を捻った。

「……宝石?」
「いや、魔石の一種だな。中に光の魔法を詰めてある。何かあったときにこの石に強い衝撃を与えれば、かなり明るい光が灯るようになっているから、目眩しくらいにはなるはずだ」

 なんと、この石は魔石らしい。魔石というか、「衝撃で光が灯る」というから魔導具に近いんだろう。
 オーブンや保冷庫などの魔導具に使う魔石は、いろんな色や形があるけれど、アンリが取り出した石が初めて見たものだった。それは特別な魔石なわけでなく、魔導具めいたものだからなのかもしれない。

「いいの? 光の魔法がってことは、魔導具ってことだよね? なら、高いものなんじゃ……」
「いや、それは研究で使ったものの余り……というか、副産物のようなものだ。ほかに使い道もないから、いずれは廃棄する代物だよ。だが捨てるくらいならリストに使ってもらえたほうがいい。無論、使わずにいられるのが一番だが……」

 アンリは悩ましげに顔を顰める。まあたしかに、彼の言うように、もしこの石を使う必要があってことは不測の事態に巻き込まれているってことだからね。俺も、そんなことにならなければいいと思う。

「アンリさんは使わないの?」
「私は魔石がなくても魔法が使えるから大丈夫だ」
「あ。そっか」

 そうだ。アンリは魔導師なのだ。
 魔石や魔導具がなくても、光を生み出すことくらい訳ないのだろう。

 まあ魔導師でも魔法騎士でも魔法使いでも、魔石を使う魔導具は便利なのでよく使っているんだけれど。魔法は、魔力を消費するから使わないほうがラクといえばラクってことらしい。

「じゃあ、有り難くもらっちゃうね」

 さっきの理屈で言えば、アンリがこの石型の魔導具を使えば魔力の節約にもなる。でも、これは彼の優しさの表れだから、その親切を受け取るのが俺ができる彼への礼だと思った。

「にしてもさ……まさか、この街でそんなことが起きるなんてね。行方不明になっちゃった人が早く見つかるといいな……」

 女性を狙っていると思しき、行方不明事件。
 本当に人攫いなのか、それともそれぞれの女性が何か理由があって自ら行方をくらませたのか定かではないけれど。でも短期間で似たようなことが起きたとなれば、やっぱり事件性がある可能性が高いんじゃないかな。ただの家出とか、どこかで迷子になっているだけなら、まだいいんだけれど……。

 徐々に陽が落ち始めた外を不安げに見ながら、俺はアンリとの接客を続けるのだった。


 ◇◇◇


 事件の話を聞いてから、数日後——。

「あらっ、大変! もうこんな時間っ」

 作業をしていた手を止めて、壁に掛かる時計を見上げたエイラが慌てた声を上げた。エイラの声につられて、俺も顔を上げると、硝子窓から見える街はすっかり暗くなっている。時計を見ると、時刻は午後八時をとっくに回っていた。

「ん? あー……外もすっかり夜だねぇ」

 外に広がる夜の景色に、俺は止まりかけた手を急いで動かした。
 磨き掃除をしていた調理台を、最後の仕上げとばかりに綺麗な水で絞った手巾で、台を隅々まで拭いていく。くすんでいた色味もパッと明るくなって気持ちがいい。丁寧に手入れ作業をした甲斐があるってもんだ。

「はい、これでおっしまーい。——うん、ピカピカになったね」

 綺麗になった調理台やオーブンに大満足していると、エイラは保冷庫から冷えた炭酸水を取り出して、グラスに注いでくれた。
 ひと仕事終えたあとのシードル……ってわけじゃないけど、疲れた体にしゅわしゅわの炭酸水は癒しの効果抜群だ。

「こんなに遅くになってたなんて。気がつかなくってごめんなさいね、リスト」
「いやいや、俺も全然気づかなかったもん。こーいう単純作業って、ついつい没頭しちゃうよねぇ」

 今夜、俺とエイラが閉店後も少し残っていたのは、パンを包む袋を作ったり、ジャムを入れる瓶を洗浄したり、オーブンなどの調理道具の手入れをしたりといった、パン作り以外の細々とした作業をするためだ。

 こういう作業はいつもなら、コツコツと日々の業務の合間とか、開店閉店の前後にちょこっとやるとかしてるんだけど、俺がちょっと前に発情期で休みをもらってたからさ。
 その期間は、従業員が一人欠けてご主人とエイラだけ——子どもたちももちろんいるけど難しい作業はできないからね——になるから、なかなか手が回らないことが多い。さらに、この前からは行方不明事件が起きていることで客足が読みにくくて、思ったように動けていなかったりもする。

 ということで、閉店後に少し残って一気に片づけてしまおうと、エイラと二人ではりきっていたのだ。
 エイラは主に袋作りや瓶の洗浄、ボウルやめん棒といった細々とした調理器具の手入れ担当。俺は、オーブンや調理台といった大物系の手入れ担当。

 これでも俺、男だからね。「男手」って胸を張って言えるほど屈強な体つきでないのは申し訳ないけれど、それでも力仕事はエイラじゃなくて俺がやるべきでしょ。まあエイラもパン屋の女将だから、そんなのは気にしないでって言うけどさ。
 でも、ほら。こういうのは俺が気にしたいんだ。オメガであっても、やっぱり女の人や子どもには特別優しくしたいって思うから。俺なりのプライドってやつ。

 ちなみにご主人はご主人で、こことは違うところで別の作業をしてる。

「今日はこんなところかなぁー。店のほうも手入れしたかったけど、それは明日か明後日に回そう。保冷庫は週末にやっちゃいたいね」
「そうね。これ以上、遅くなるといけないからね。あーほんと、もっと早く気づけばよかったわ。近頃、物騒だっていうのに。あたしったら、すっかり夢中になっちゃって」

 年かしらねぇ、なんて呟くエイラに、そんな年齢じゃないでしょ、と返す。しっかり者の女将だけれど、エイラはまだ二十代半ばだ。俺とそう変わりない。

「炭酸水、ごちそうさま。じゃ俺、帰るよ」

 炭酸水を一気に飲み干して、調理台横にある流し台でささっとグラスを洗う。その隣にある水切りかごに置いてから、俺はつけていたエプロンを外した。
 エプロンをしまっていると、エイラが心配そうに声をかける。

「帰り道、一人で大丈夫? 主人に送らせようかしら」
「いやいや、いいってー」

 エイラが二階にご主人を呼びに行こうとしたのを、俺は慌てて止めた。

 このパン屋は一階は店舗、二階がパン屋一家が住む居住エリアになっている。ご主人はパン作りが落ち着く午後からは二階へと上がって、子どもたちの世話をしたり、家事をしたりしているから、ここに姿はなくても大忙しなのだ。
 まだまだ手のかかる子どもを二人抱えつつ、人気のパン屋を夫婦二人で切り盛りしている。そう迷惑はかけられない。

「へーきへーき。ここから家まで灯りのある道しか通らないし、人通りもまだあるし。それに、万が一が起きたら大声で叫ぶよ。騎士や警邏隊の人が見回ってるって話だから、すぐに駆けつけてくれるでしょ」

 先日、アンリと話した感じだと、そろそろ騎士団や警邏隊が本格的に動き始めるとのことだった。今日来ていた騎士の人も巡回を多くするって言っていたし、警邏隊の人もなんだか忙しそうにしていた。
 実際に、昼を過ぎて陽が落ち始めたあたりから、店の前を通り過ぎていく騎士や警邏の人たちの姿も増えたように思う。

 けれど、エイラはまだ心配のようだ。
 なおも悩み、どうしたものかと腕を組んで唸っている。

「うーん、そうかもしれないけれど……あんたは女の子も顔負けの見た目なんだから、用心しすぎるくらいがいいんじゃない」
「だとしても、番持ちのオメガなんて誰も襲わないってー。メリットないもん」

 心配してくれるエイラに、俺は苦笑しながら答えた。

 この街じゃ滅多に聞かない『人攫い』は、北や東の集落ではよくあるらしい。女性や子どものほかに、オメガの人を狙ったものもあるという。特性柄、性奴隷にしやすかったり、風俗に売り飛ばしやすいってのもあるんだろう。
 俺は行ったことはないけど、王都のほうでも男女問わずオメガを狙った犯罪っていうのは多いんだそうだ。

 だから、エイラの言うことはわからないわけではないんだけど……どっちにしても、狙われるのはオメガであっても『番がいないフリーのオメガ』だ。
 性奴隷や風俗を例に出したように、女性やオメガを攫うのは、やっぱりそういった欲望の捌け口にされることが多いわけで。つまり、番がいるオメガは何かと都合が悪い。

 というのも、番がいるオメガとの性交は、アルファであってもベータであっても気持ちよくないらしい。しかも、オメガ側で言えばかなりの苦痛が伴うらしいのだ。俺はさすがに経験はないけれど、人によっては泣き叫ぶほどの痛みや苦しみを受けるのだとか。
 つまり、やるほうも、やられるほうも、どっちの得にもならない。なんだったら雰囲気もぶち壊し。そんな感じだから、番持ちのオメガは、そのオメガの番以外から見れば攫う価値はないはずなのだ。

「それよりさ、エイラさんこそ今夜はゆっくり休んでよ。俺が休みもらってたから、ここしばらくはお店も子育ても大変だったでしょ。俺、明日もまたちょっと早く来るし。明日に回せるものは置いておいてよ。そしたら、明日俺がやるからさ。家族の時間も大切にしなくちゃ」

 俺のことを心配してくれるのは嬉しいけれど、俺はやっぱりエイラにはちゃんと家族の時間を大切にしてもらいたい。今、この一瞬一瞬が掛け替えのない時間なのだから。

「うーん……そう? じゃあ、そうねぇ……お言葉に甘えようかな。ありがとね、リスト。あんたがいてくれて本当に助かってるよ」
「ん。どーいたしまして」
「じゃあ、また明日。気をつけて帰ってね」

 売れ残りのハーフバゲットを包んで持たせてくれたエイラに頭を下げて、俺はすっかり陽の沈んだ街へと足を踏み出した。


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