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05. たった一つの命
しおりを挟む「リスト……! ごめんっ! ごめん、俺……!」
青ざめた顔をして部屋に入っていたのは、その庇われた同僚の騎士、ヘルマンだった。部屋に入るや否や、床に額がつくほどに頭を下げるヘルマンに、俺はなんて声をかけていいかわからなかった。
だって、必死に頭を下げるヘルマンも、体のあちこちに傷や怪我をしていたんだ。利き腕に包帯を巻いて、顔だって大きな絆創膏が貼られている。それだけで、魔獣退治の任務が大変だったことは十分に理解することができた。
それに……ヴィヒトリが救った相手がヘルマンだとわかって、俺は「ああ、そっか……」と納得してしまった。
「……顔を上げてよ、ヘルマンさん」
「でも……っ、でも……!」
なぜか涙が一筋も流れない俺と違って、ヘルマンは大粒の涙を流して、顔をぐちゃぐちゃにしながら、ずっと謝罪の言葉を口にしていた。ごめん、ごめんと何度も言うヘルマンに、やっぱり俺はどう返していいかわからなくなって、しばらくの間悩んでいた。悩むというより、多分思考がうまく働いてなかったんだと思う。
いつも陽気な同僚にこんなに必死に謝らせるなんて、ヴィヒトリも罪なやつだよな、なんて見当違いのことを思ってたりもした。
ヘルマンは、ヴィヒトリと同い年の騎士だ。それから、あと半年もすれば待望の第一子が生まれると聞いている。ヘルマンも奥さんもベータで、結婚したのは五年ほど前のこと。なかなか子どもに恵まれないと悩んでいたところの懐妊だったから、俺もヴィヒトリも自分のことのように嬉しかった。
奥さんにも会ったことがあって、とても優しい人なんだ。うちもかなり仲がいいとは思っているけれど、ヘルマン夫妻も相当に仲が良い。だから、その仲良し夫婦のところにやってくる赤ん坊はきっと幸せになれるだろうなって思ってた。家族でも親戚でもない俺だって、赤ん坊が生まれてくるのが楽しみだったくらい。
だから——ヴィヒトリはきっと、もうすぐ生まれるヘルマンの子と奥さんのことを咄嗟に考えたんだろう。大切な同僚の、大切な未来を思い浮かべて、自然と体が動いてしまったんだと思う。……ヴィヒトリはさぁ、ほんと、すごいよね。
決して、俺のことを蔑ろにしたわけじゃなくて。
俺のことを思い出さなかったわけでも、たぶんなくて。
ただ、ただ、ヴィヒトリは呆れるほどに、騎士として誠実だったんだ。
「ヘルマンさんが、無事でよかった。ヴィヒトリも……きっと、そう思ってる。だから、そんなに謝らないでよ。……ね?」
謝り続けるヘルマンに対してようやく出たのは、そんな言葉だった。
それを口にした瞬間に、俺は「ヴィヒトリが俺のパートナーで……番でよかったなぁ」と心の底から思った。
ヴィヒトリは、心根の良い男だったんだと。
誠実で、真面目で、立派な——立派すぎる騎士だったんだと。
それで命を落としちゃったら世話ないよなって、思わなかったわけじゃないけど。でも、ヴィヒトリのことも、ヘルマンのことも、ほかの騎士たちのことも、俺は責めるつもりにはなれなかった。
大好きな人は、騎士として誇れる生き方をしたのだ。だから俺も、その伴侶として恥じない振る舞いをしなきゃって無意識のうちに思ったんだと思う。
「リスト。私たちはこれからも、きみの味方だからね」
「はい。ありがとうございます、サムエルさん」
笑顔を返すことはできなかったけれど、俺はサムエルに深々と頭を下げた。
それから二人の家に一人で帰って——たしか、何日も何日も泣き腫らした。
涙って枯れることがないのかなってくらい、ずっと涙は止まらなくて。枯れたから涙が止まったんじゃなくて、疲れ切ったから涙が止まったんだと思う。昼も夜もわからなくなるほどに泣いて、泣いて……一生分の涙を流しても足りないほどに、俺の心は深い哀しみに暮れた。
このとき、俺は二十一歳。ヴィヒトリは二十七歳。
結婚して三年。番になって二年が経ったときの、秋のことだった。
◇◇◇
それから、ヴィヒトリの亡骸は丁重に葬送された。
俺とヴィヒトリの家族はもちろんのこと、騎士団の人たちだけでなく警邏隊の人たちまでもが来てくれて、ヴィヒトリを見送ってくれた。
その日はよく晴れていて、いい葬儀だったと思う。
俺は涙ばかりが溢れてしまって、ヴィヒトリを笑顔で見送ることができなかったんだけれど。でも、秋晴れのきれいな空に、大きな雲が一つだけぽつんと浮かんでいて、そこからヴィヒトリが見てくれているような気がしたのは嬉しかった。亡くなっても、俺のことを見守ってくれてるんだなぁって思えて……嬉しくて、それ以上にすごく哀しかった。
そして、俺はほどなくして二人の小さな家を引き払った。
小さな家でも、たった一人で住むのには持て余してしまうし、定職というほどの仕事を持っていなかった俺がその家に住み続けるのは難しかったからだ。
ヴィヒトリは騎士として優秀で、それなりの給金を貰っていたのもあって、その家は小さくとも居心地の良い家だった。ちょっとした庭もあったし、陽当たりだってよかった。ヴィヒトリとの思い出に溢れた家だから、住み続けたい気持ちはなくはなかったけれど、俺だけの稼ぎじゃその家を借り続けられなかった。
思い出いっぱいの家を出るってなったとき、生家に帰ることも、嫁ぎ先のヒルトネンの家に行くこともできはした。けれど俺は、自分の意思でそのどちらも頼らない選択をした。
生家は没落気味で俺を構う余裕なんてなかっただろうし、ヒルトネン家との関係性は良好だったけれどヴィヒトリの兄はオメガの伴侶を貰っていて、子どもも二人生まれていたから、なんとなく気が引けたというのがあった。
だから、俺が世話になると決めたのは、騎士団が運営しているシェアハウス。
そこのシェアハウスは、特定の条件を満たしたオメガの男性だけが入居できるんだけれど、家賃はほとんどタダみたいなもん。しかも騎士団の好意によっていろんな支援が受けられるから、俺にとっては有り難い寄宿舎だったのだ。ちなみに行ったことはないけれど、女性専用の寄宿舎もある。
騎士団からの「支援」ってのは色々ある。格安の家賃然り、食事や生活費の支援然り。ほかに代表的なものでいえば、俺が今飲んでいて、絶望的に相性の悪い抑制剤ってのもある。
本来なら抑制剤っていうのは、俺の稼ぎで買うにはちょっと悩むくらいの値段がするのだ。けれど、騎士団が購入してくれるので無料で服用させてもらってる。少ない稼ぎでも、それなりに不自由なく暮らしていけるように、騎士団がたくさんの支援をしてくれるので、兎にも角にもすごく有り難い。
というのも、騎士団が運営しているのには、ちゃんと理由があって。
ここに入居しているのは、俺みたいな騎士の伴侶を亡くしたやつだとか、騎士じゃなくても魔獣や小競り合いのなかで命を落とした伴侶がいるやつだとか、あとは稀ではあるけれど暴漢とかに襲われて心身ともに傷を負ったやつだとか……ざっくり言えば、何かしら不幸な境遇にあるオメガの男性だけなのだ。似たような傷を抱えた人同士が、肩を寄せ合いながら暮らせる場所——それが、このシェアハウスだった。
俺はここに世話になるようになって、それから一人でちゃんと生きていけるようにパン屋での仕事を始めた。パン屋で働くことになった経緯は……まあ、詳しくは置いておくとして、困っていたエイラを助けたことがきっかけだ。
「ミカ……いつも、ごめん…………ありがと……」
少しばかり吐き気が落ち着いたところで、俺はようやくまともに謝罪と感謝の言葉を口にした。
「ううん、気にしないでよ。お互い様でしょ」
ミカもまた、事情を抱えてこのシェアハウスにいる。
彼の場合は、番関係にはなっておらず、籍も入れていなかったけれど、仲睦まじい交際相手の騎士がいた。でもその騎士は、ヴィヒトリと同じように任務中に命を落とした。
番でも婚姻関係でもなかった二人だから、事実だけを見れば、ミカは新しい恋人を見つけることもできる。けれど、亡くなった騎士の恋人を深く愛していたミカの心が癒えるのには、まだ少し時間が必要だ。
俺や彼のように、恋人や伴侶を亡くしたオメガたちは、このシェアハウスで少しずつ心の傷を癒していく。そして、つらい傷が癒えて、新しい暮らしに踏み出せるようになった人は少しだけ寂しげな顔をしつつも期待を胸に抱きながら、ここを卒業していく。……まあ、番を亡くした俺みたいなオメガが、ここを卒業するのは難しいけれど。
その代わりってわけじゃないけれど、この心優しい同居人の心の傷がゆっくりでもいいから、いつかは癒えて、笑顔で見送れることを俺は密かに祈っている。
「少し横になる? こっちは僕が片づけておくからさ」
「ん……そうする……。ミカがいてくれて、助かった……」
「僕もリストくんがいてよかったよ。ほら、目を閉じて休んでて」
「うん……」
薬の副作用はいまだ治ったわけじゃないけど、吐き戻すものもなくなって、胃液も限界まで出してしまったからか、ようやく俺は突っ伏していた盥を離れて、部屋の端に寄せられている寝台に横たわった。キリキリと胃と胸が痛む。
片づけてくれるというミカの親切に有り難く甘えて、目を閉じる。まだまだ続くつらい目眩が、ほんの少しだけ軽減したように思えた。
(ヴィヒトリ……俺は、まだ生きてるよ……)
目蓋を閉じると浮かぶ、最愛の人の顔。
俺だけが知ってる笑顔。俺だけが知ってる安らぎの表情。
思い出の中のヴィヒトリは、歳をとることがない。三年前——亡くなったときと変わらぬ、二十七歳の姿のまま。
俺はあれから三つ、歳をとった。これからさらに三年すれば、ヴィヒトリに追いついてしまう。
(会いたいよ……)
発情期を迎えるたびに、ヴィヒトリのことを思い出す。
そして、思い出すたびに「早く彼に会いたい」と思う。けれど、彼と会うってことは、俺も命を落とすということだから……。その願いが叶うのは、いつになるかわからない。
ヴィヒトリは、騎士としても伴侶としても番としても、いつも真剣に生きてきて、その命を全うした。それなら俺も、自分の命を粗末にしてはいけないって。そう、ちゃんと思っている。
俺の命は、たった一つの命なのだ。そしてこれは、最愛の人——ヴィヒトリが愛してくれた命。だから、俺はこの命を全うするまではどんなに哀しくて、寂しくて、恋しくても、生きていかなくちゃいけない。
そのために俺は今日も、合わない薬に頼ってでも発情期をやり過ごす。いつか命を全うして、空の彼方で見守ってくれているヴィヒトリと再会したときに「頑張ったな」と言ってもらえるように。
——遠くから、見守っていてよ、ヴィヒトリ。
——俺は胸を張って会えるように、頑張って生きてみせるからさ。
◇◇◇
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