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02. 闇色の魔導師
しおりを挟むそんなド迫力の美男こと、アンリだけれど……今日に関して言えば、近寄りがたさはかなり増している。なぜなら、その美しい瞳の下にうっすらと影が落ちているから。
不機嫌って感じはないけれど、なんというかちょっとだけピリピリしてる、みたいな? 身近でたとえるなら、そうだなあ……うちのパン屋のご主人が新作レシピを考案するときにじぃーっと作業台とパン種を見つめて真剣に何か考えてる感じに少しだけ似てるかも。邪魔しちゃいけないって感じかな。
アンリが勤めているところ——魔法研究塔の人たちにとっては、こういう雰囲気はそんなに珍しくはない。職業柄ってやつなんだと思う。
だから、俺は気にせずに彼の質問に笑顔で答える。初対面どころか数日に一度は話をする間柄だから、怖いとか、俺はまったくないんだよね。
「うん、俺は元気そのものー」
いつもはそれなりの頻度で来店してくれるアンリが、この店を訪れたのは、じつは五日ぶり。そろそろ「何かあったのかな」って気になってたから、今日こうやってアンリの顔を見られたのは、正直ホッとしてる。
まあ、パン屋に絶対来なきゃいけないってわけじゃないし、お客さんにはそれぞれ事情がある。この街には、ここの近所じゃないけど他にもパンを売ってるところはあるから、よく来てくれるなぁって人がだんだん来なくなることも、ないわけじゃない。だから、アンリが何日来なくても、おかしくないっていうか、あると言えばあるというか。
でも、これまでアンリは日があく予定があるときは、事前に教えてくれていたんだよね。それなのに、何の報せも無しに五日も来ないってのが、俺的にはかなり気になってたというか……心配だったんだ。
——ほらさ。このまま来なかったら、色々理由を考えちゃうから。
だから、さっき店先で彼の姿が見えたときに、嬉しかったし安心した。
五日も顔を見せなかったのは、目の下に浮かんでいる隈や、さっきうっすら纏っていたピリピリした雰囲気に関係しているんだろう。
プライベートをむやみやたらに探るのは良くないけれど、つい気になってしまった。
「アンリさんは……ちょっとお疲れ? 今日もお仕事忙しかった?」
「ははは……バレたか。実はここ数日忙しくてな。今夜も遅くまで作業するつもりなんだが、さすがに疲れが溜まってしまって。もうひと仕事する前に、休憩がてらシニリントゥまで来たんだ」
「働き詰めってわけね。はぁー、塔の魔導師さんはいつも大変だねぇ」
そう言えば「好きでやっていることだから」と、アンリは穏やかに微笑んだ。
ほらね。話すと案外気さくな人なんだ。
俺がさっき言ったように、アンリは街の東側を流れる川の向こうに聳え立つ魔法研究塔の魔導師だ。その塔では、八人の魔導師が勤めているらしい。
そして、アンリはその中でも優秀だと評判の魔導師なのだそうだ。ええと、たしか『筆頭魔導師』とかいうやつだっけな。……筆頭ってことは、たぶん一番凄いんだろう。塔の管理者は別にいるとは言ってたけれどね。俺は、魔法にも塔にも詳しくないから、そこらへんの凄さはあんまりわからないけど、筆頭だなんて、やっぱり凄いんだと思う。
ちなみに『魔導師』というのは、魔法を生業にしている人のことだ。そして、『魔法』っていうのは、生まれながらに『魔力』という特別な力を持っている人が使える特別な能力のこと。
魔力を使うことで、火や水を生み出すことができたり、風を起こすことができたり、人によっては自分の体を強くしたり、治癒能力を高めたりもできるらしい。さすがに、たちまちに怪我や病が治ったり、ありもしない命を生み出したり、死人を蘇らせたりはできないけれど、便利な能力には違いない。火を起こすのにわざわざ火打ち石を使わずに済むし、乾いた砂漠のような場所でも水を湧かせられるんだから、凄いなんてもんじゃない。
まあ、魔力は無限ではなくて、魔法を使えば使うほどに消費されるらしいし、結構体力を使うらしいから、実際に砂漠に連れて行って「ここでずっと水を出しててください」って言うのは酷らしいけれどね。魔力は寝たり、休養を取ったり、魔力回復用の薬なんかを飲むことで回復するから、魔力が無くなってそれっきりなんてことはないんだけれど。
そんな魔法だけど、魔法を扱う職業は魔導師のほかにもある。
騎士団に所属して魔法を使って戦う『魔法騎士』や、市井で呪いごとや生活に密着した魔法を使って商売を営む『魔法使い』なんて呼ばれる人たちだ。でも『魔導師』というのは、そのどちらでもない。
彼らは言わば、魔法の研究者だ。
世にある魔法をさらに良いものにするために考えたり、時には新しい魔法を生み出して魔法騎士や魔法使いに教えたりもする。オーブンとか保冷庫みたいな魔石で動く便利な道具——『魔導具』っていうんだけど——を考えて、この世に生み出してくれたのも魔導師だって聞いたことがある。
魔法を研究し、発展させて、人々の暮らしをより良いものへと導く者——それが魔導師と呼ばれる人たちだ。
ゆえに、魔導師は魔法を職にしている人たちからはもちろんのこと、俺みたいな魔法を使えない人たちからも尊敬の念を持たれている。要は、俺からすれば雲の上の存在みたいな、とっても凄い人。
「あんまり根詰め過ぎないよーにね、アンリさん」
魔導師がどれだけ難しいことをしているかも、どれだけ忙しいのかも、具体的にはわからないけど。
でも、週に二、三度は会っている仲だから、目の前にいるアンリがとってもお疲れで、それでも今夜も遅くまで働こうと、気合いを入れ直していることくらいはわかった。……無理をしすぎないでほしいな。
ほんと、無理はダメ。ぜったい。
——命は、一つなのだから。大切にしてほしい。
少しだけ心に翳った思いを振り払うようにして、俺は頭を振った。それから、胸のうちで思ったことはそっと奥へしまって、俺はへらっと笑いながら彼を気遣う言葉をかける。アンリは気遣われたことに対して、微笑みながらも真剣に、深く頷いてくれた。
「ありがとう、リスト。十分に気をつけるとしよう。——それで、今日のおすすめを聞いてもよいだろうか?」
「うん、もちろん。んーと、このあともお仕事ってことなら、そうだなぁ……甘いのならオレンジを練り込んだパンかな。あとは、胡桃のパンも美味しくておすすめ。俺も今日の昼に食べたよ。それからー……しょっぱい系がいいなら、今日はゴボウと人参のキンピラパンと、角煮をごろごろ入れたパンも好評だよ。ま、うちのパンはどれも美味しいから、それ以外ももちろんおすすめだけどねー」
おすすめを訊ねられたのをきっかけにして、俺は接客モードへと切り替えた。
この時間は、もうあまり商品が残ってはいないから種類も限られるんだけど、その中からアンリが好みそうなものをピックアップしていく。
甘いパンも、しょっぱいパンも、どっちも好きなことは把握済み。
それから、一人で食べるのか同僚と食べるのかは知らないけれど、たくさん買ってくれることも。だから、ちょっと多めにおすすめしても、アンリはうんうんと頷いてくれる。
俺も、このパン屋の従業員だからさ。
売り上げにはきちんと貢献しないとね。
「それじゃあ、それを二つずつ貰えるかい」
「はいはーい、かしこまりー。さっき言ったの二個ずつっとー」
シニリントゥは、両端の壁に沿って造られた三段組の陳列棚と、店舗スペースの中央に置かれた大きなテーブルの上に種類ごとにパンを並べて、お客さんがトングを使っておのおの買いたいものをトレイへと取っていくスタイルだ。
でも足腰の悪いおばあちゃんとか、ちっちゃな子どもとか、怪我をしてる人とかには俺が取ってあげるようにしてる。それに、今みたいに他にお客さんがいない暇な時間帯とかも。まあだから、この時間に来ることが多いアンリには、よくしてあげてるかな。
俺はカウンターから離れて、トレイとトングを使って慣れた手つきでさっき勧めたパンを棚やテーブルから二つずつ取っていく。
別に、アンリがパンを取れないわけでも苦手なわけでもない。今は他に誰もいないし、俺がやってあげたいだけ。アンリ相手じゃなくても、俺はきっと同じことをしてる。お客さんとの交流って、楽しいからさ。
「あっ、おまけで一口サイズの揚げドーナツを何個か包んでおくね。こっちはご主人お手製じゃなくて、俺と子どもたちの手作りなんだけどさ。でも甘くて美味しーから、きっとお仕事の合間に食べたら元気出ると思うよー」
パンをトレイに盛って、カウンターに戻って漏れがないのを確認して紙袋に包んでいく。それから、カウンター脇に避けてあったバスケットへと手を伸ばした。中には、バスケットに盛られていた揚げドーナツをパンを入れたのとは違う小さめの紙袋にささっと入れて、二つの紙袋をアンリに差し出した。
どちらも焼きたて、揚げたてからは時間が経ってしまったけれど、それでも小麦のいい香りがふんわりと鼻腔を掠めていく。きっとアンリのお腹も心も満たしてくれるに違いない。
「いつもありがとう。また来るよ」
「こちらこそ、いつもご贔屓いただき、ありがとうございまーす。ふふふっ。またお待ちしてますねー」
代金を受け取って、ひらひらと手を振れば、疲れた顔色をしながらもアンリは微笑んで、店をあとにしていった。彼がいなくなると、少し寂しい空気を纏って、再び静けさが訪れる。
(時間は……そろそろ四時か。もうちょいしたら、何人かお客さんが来るかな? そしたら全部売り切れて、今日はおしまい)
壁にかかる時計を見ながら、俺は残りの営業時間を考える。
そう——これは、なんてことはない、いつもの光景。
けれど、この『いつも』がずーっと続くとは限らないことも、だからこそ一日一日を大切に過ごさなければならないってことも、俺は身をもって知っている。
(アンリさん。お疲れだったなー。無理しないでよね、本当に……)
無意識のうちにうなじに手をやると、そこは僅かに熱を帯びた気がした。
俺のうなじには、アルファからつけられた噛み痕が残っている。
——俺のパートナーがつけてくれた、永遠の証だ。
でも、この証をくれた彼は、もうこの世にいない。
彼がいなくなってしまったあの日に、俺の『いつも』は変わってしまったのだ。
◇◇◇
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