【完結】番じゃなくても愛してる

秋良

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01. パン屋の店員

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(2024.10.5 前書き)
足を運んでいただき、ありがとうございます。
前作から時間が空いてしまいましたが、今日から新しいお話の投稿を始めます。
10月中には完結予定です。
まだ絶賛執筆中なので予定している文字数と話数は多少変動しそうですが、毎日更新を目指します。

よろしければ、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
では本編、ごゆるりとお楽しみくださいませー。


・--・--・--・--・



 いつも通りの朝。いつも通りの街並み。いつも通りの日常。
 いつものように、変わらない、ありふれた一日が始まる。

「おはよーございまぁーす」
「おはよう、リスト! 早速で悪いんだけど、丸パンと山パンが焼き上がったから並べておいてもらえる?」

 店舗の裏手にある勝手口から中へ入った俺が、間延びしつつも明るい声で朝の挨拶をすると、俺以上に明るく溌剌とした声が返ってきた。店の女将であるエイラだ。赤茶色の髪を後ろで一つにまとめて、大きなオーブンから焼き上がったたくさんのパンを出している。うん、今日もいい匂い。
 ふんわりと香る焼けたパンの匂いに食欲と幸福感を刺激されつつ、エイラが作業する奥に目をやれば、パン職人の寡黙なご主人が黙々とパン種を捏ね、成形していた。今作っているのは、おそらくバゲットだろう。パンの焼ける匂いって、なんでこう幸せな気持ちにしてくれるんだろうね。

 見慣れた光景に、自然と笑みが深くなった。
 ご主人が作るパンはどれも、とても美味しい。さっき焼けたばかりだという丸パンと山パンはお客さんからの人気の高い商品で、毎日たくさん焼いているし、バゲットも味がいいと評判だ。俺も好きなパンの一つ。好きなものが、好きな人たちの手によって次々と作られていくのは、なんとも言えない幸せがある。

 俺は隅にある荷物置き場に自分の鞄を収納してから、代わりに自分用のエプロンを取り出した。

「はいはーい。終わったら、ももジャムの瓶詰めもして並べておくねー」

 さっとエプロンを身につけて、いつもと同じように天板いっぱいに並んだパンを調理場から店舗スペースのほうへと運ぶ。そして、空っぽの陳列棚に一つ一つ丁寧に並べていく。

 いつも同じ。毎朝繰り返しているやりとり。
 焼き立てのパンの匂いに、明るくて元気いっぱいの女将エイラの声。それに、静かながらも美味しいパンを真摯に作るご主人が纏うあたたかな雰囲気。ありふれた何気ない光景の片隅に、俺もちょっとばかりお邪魔する。

 鼻歌まじりに作業を始めた俺——リスト・ヒルトネンが働くのは、パン屋『シニリントゥ』だ。
 寡黙だけれど優しいご主人が焼くパンと、気立ての良い女将エイラが作る季節のジャムが人気で、近隣に住む住民はもちろん、街の外にある駐屯地に詰める騎士や警邏隊の人、それから川向こうにある魔法研究塔の魔導師たちも、ここのパンやジャムを求めて足を運んでくれる。王都から馬車で半日のところにあるここは、メロイアという名前の、人も街も穏やかな中規模の街だ。

 その街で営むシニリントゥ——『青い鳥』を意味するパン屋の従業員は、パン職人のご主人と女将、それから俺の三人だけ。

「リストっ、あたしもお手伝いするわ!」
「ぼくも! ぼくもしゅるー!」

 パタパタという足音ののち、愛らしい二つの声が響いた。……おっと、忘れてた。

 パン屋の従業員はさっき言った三人のほかに、プラス二人。
 ご主人とエイラの愛娘カロリーナと、愛息子のライノだ。

 父親譲りの焦茶色をした大きな瞳を真っ直ぐに向けて、ハキハキとした口調で話すしっかり者のカロリーナは、春に六歳を迎えたばかり。そして、その姉について回るおチビのライノは、母親のエイラと同じ赤茶色の髪をした男の子で、今年で三歳になる。
 どちらもこのパン屋にはなくてはならない、可愛らしい看板店員だ。

「カロリーナちゃん、ライノくん、ありがと。じゃあジャム用の空瓶を作業台の上に用意してくれる? 一つずつ、ゆっくりねー」
「はぁーいっ」
「わかった、任せて!」

 元気の良い返事に頷いて、俺はさっそくジャムがいっぱい入った琺瑯のトレイを保冷庫から取り出した。昨日、エイラが作ってくれていた桃のジャムだ。
 ちなみに保冷庫ってのも、パンを焼いてたオーブンみたいに魔石を使って動く便利な道具で、こっちはオーブンとは真反対に中がすっごく冷たい。つまり、腐りやすいものを入れておける便利な箱だ。

 そうこうしていると、子どもたちは、自分たちのエプロンを持ってきた。クマとウサギの刺繍が入った、カロリーナとライノお気に入りのエプロンだ。ちなみに、刺繍は子どもたちにせがまれて、俺が施してやったものだったりする。
 いったん手を止めてエプロンをつけてやると、カロリーナがご機嫌な様子で口を開いた。

「リストは、今日もきれいね」
「ふふふ、ありがと。カロリーナちゃんもとっても可愛いよ」
「お世辞はいいの! でも、ありがとう」

 カロリーナの横で、ライノもうんうんと頷いてみせる。
 純真な子どもに褒められて、俺は照れつつも礼を述べた。実際、カロリーナはめちゃくちゃ可愛いと思うんだけどね。

 まあでも、カロリーナが言うように、俺は見目がいい。
 しかも「きれいね」と言われたように、がっしりとした男性的な容貌というよりは、線の細さが見えるような顔立ちと体つきだ。

 白金色の髪の毛は、うなじがすっきりと見える長さだし、そこから伸びる肩だって柔らかさよりは骨ばっている印象のほうが強い。だから、決してカロリーナやエイラみたいに、いわゆる『女性』らしくはないんだけれどね。それでも、月光みたいにきらきらしていて、美しいだなんて言われるくらいには、いかめしい男ってイメージから程遠い。綺麗系って言われるのは否定しない。
 目にかからないように流した前髪から覗く瞳はつり目気味だけど、レッドペリドットのように鮮やかな赤。きめ細やかな白い肌は、男にしてはしっとりとした艶を帯びているっていうのは誰が言った台詞だったっけな。少し薄いものの、形の良い唇は柔らかに弧を描いているからか、冷たい美人って感じではなく、少なくともパッと見は愛想が良さそうに見えるとは思う。

(どれどれ……エプロンも完了っと。次はカロリーナちゃんのを……って、ああ。なるほどね。ふふっ、やっぱり可愛いじゃん)

 ライノのエプロンをつけ終わって、カロリーナの背後に回ったとき、俺はあるものに気がついた。

「髪留め、新しくした? よく似合ってる」
「ほんとっ? パパから貰ったお気に入りなの!」
「うん。ほんと、ほんと。すっごく可愛い」

 お世辞だなんだと言いながら、この髪留めを見てもらいたくて、いつもは自分できちんと着てみせるエプロンを、今日は俺に任せたんだろう。
 可愛らしい乙女心を察しながら、俺は心から彼女を褒めてあげた。ご機嫌具合が増したのなら何よりだ。やっぱ、子どもっていいよな。可愛くて、純真で、キラキラしてて。

「さーてと。今日もがんばりますかー」

 長袖のシャツを腕まくりすると、隣のチビたちも「おー!」と言いながら、同じように腕まくりをする。なんとも可愛らしい姿にくすっと笑って、俺は開店前のひと仕事に気合いを入れるのだった。


 + + +


 朝から昼にかけての忙しい時間を越え、遅めの昼休憩も終えた午後三時頃。

 この店の営業時間は、朝は九時から夕方はだいたい四時から五時くらいまで。焼いたパンがすべて売り切れてしまえば、その日は終了。
 だから、こんな時間に来るのはご近所の主婦や子どもたちではなくて、遠征訓練から帰ってきた騎士たちや、塔に缶詰めになりがちな魔導師たちが多い。

 残りも少なくなってきたパンたちを横目に、ぼんやりと店番をする。さすがに居眠りなんてことはしないけれど、客足が落ち着いたこの時間は、ちょっとだけ退屈で。午後の陽射しが睡魔を誘っていた。

 店には、俺一人。
 俺が出勤する何時間も前から起きて、早朝どころか陽が昇る前からパン作りに勤しんでいるエイラ夫妻には休憩をしてもらっているし、子どもたちもこの時間はお昼寝の時間だ。

(んー……暇……。お客さんも来ないし、ジャム瓶に使うリボンでも作ってようかなぁー)

 眠気覚ましと手持ち無沙汰を解消するため、俺は会計カウンターの裏手にある雑貨棚に手を伸ばした。赤やピンク、緑のリボンリールを手に取って、椅子に腰掛ける。と、そこで店先に背の高い影がちらりと見えた。

「あっ」

 店先に現れた姿を見つけて、少しだけ心が浮き立った。
 手にしていたリボンリールをカウンターの端に寄せて、さっとエプロンを整えて立ち上がれば、ちょうどガラス扉越しにその人物と目が合った。

「アンリさん、いらっしゃーい」

 カランカランとドアベルを鳴らしながら入ってきた常連さんを、にっこりと笑みを受け浮かべて迎え入れた。ひらひらと手を振れば、彼もまた小さく手をあげ応えてくれる。

「やあ、リスト。今日も元気そうで何よりだ」

 俺が「アンリ」と呼んだ男性の常連客——フルネームはたしか、アンリ・レピスト。だいたい三日に一度は顔を出して、パンを買っていってくれる馴染みの客だ。
 たしか前に言っていた話によると、年齢は二十九歳で、俺の五つ上。この街にやってきたのは、だいたい二年半くらい前で、街にやってきてすぐにこのパン屋に通うようになってくれた。同僚にお勧めされて店に来た彼は、どうやらこの店のパンにどっぷりハマってくれたらしい。働いている店のものを気に入ってくれて、常連客が増えるのは、俺も嬉しい。

 アンリは今日も、にこやかな笑みを浮かべて、彼の仕事着である紺色のローブを身に纏っている。耳やうなじが隠れるくらいの長さをした、緩くウェーブのかかった黒髪は豊かだ。それもあいまってか、一言で言うのなら「全体的に闇色」って感じなんだけどね。
 でもその中で、僅かに青みがかっているグリーントルマリンのような薄緑色の瞳は涼しげに煌めいている。表情だって穏やかそのものなので、闇色な印象はあってもジメジメとした暗さは感じない。

(とはいえ、なんとも言えない迫力はあるんだけど。なんたって、恐ろしいほどの美形だもんなぁー。アンリに懸想してる人もいっぱいいるって聞くし)

 心の中だけで、しみじみと呟く。

 アンリは身長もそれなりにある。一般男性の中でも高いほうだ。あまり背の高くない俺が並ぶと、目線は頭一つ分よりもさらに高い。体格はローブに隠れていてわかりにくいけれど、まあ太すぎず細すぎずってところかな。騎士職ではないから、筋肉むきむきって感じではない。
 ただやっぱり背が高いこともあって、それなりに威圧感というか、存在感がある。まして髪も服も暗い色を纏っているから、切れ長だけれど優しい目をしているとはいえ、初対面の人はちょっと近寄りがたい雰囲気があるかもしれない。

 それになんと言っても、この男——顔のつくりが相当にいい。
 自分の見目の良さを引き合いに出すのはあんまり好きじゃないけど、アンリは線の細さを感じる俺と方向性は違う感じの美貌の持ち主で、多くの人が褒めそやすであろう容姿をしている。迫力ある美形とはよく言ったものだけれど、彼はそれを体現していた。
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