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11. 聞いてないよっ

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(まずいまずいまずい。この洞窟にブラックハウンドがいるなんて聞いてないよっ!)

 ブラックハウンドは、ここらへんではあまり見ない魔物だ。というのも、主な生息地は山間の谷底。僕が住んでいる町周辺は森と平原……というか畑が広がっているけれど、山や谷からはちょっと離れている。
 だから、僕が住む町にある冒険者ギルドに来る依頼も、ブラックハウンド退治なんてほとんど見かけない。時折、等級の高い冒険者たちが遠征に行くことはあるらしいけれど、少なくとも僕がうろつけるような場所での目撃情報はなかったはずだ。

「グルルル……グォォン……」
「っ……」

 僕はびっしょりと冷や汗をかきながら、ゆっくりと一歩ずつ下がる。
 目を逸らしてはいけないのは熊だったっけ? まあどっちにしても、このブラックハウンドから目を逸らすのはかなりまずい。なんでまずいかはわからないけど、とにかくダメだ。目を逸らしたら、その次の瞬間には頭からパクッと食べられちゃいそう。

 なんとか洞窟から出られれば、一目散に走りだすこともできるだろうから、まずは入り口まで退避しよう。

 ……って思ってたけど、そういえば入り口ってどっちだっけ?
 あれ? 僕の後ろの右側? 左側から来たっけ? っていうか、ここに来るまでどのくらい曲がり角まがったっけ? あれ? あれ……?

 そこでようやく僕は、かなりのパニックに陥っていることに気がついた。
 入り口まで退避しようなんて冷静なふりをしてたけど、ブラックハウンドを目の前にしてるのだ。体は僕の五倍もあって、口からは鋭い牙が覗いていて、目だってあんなに鋭い。手足についた爪も、あれでガッとやられたら、かなり痛そう。

「……う、うわぁぁぁぁあっ」

 ついに僕は、目を逸らし、背を向けて走り出した。
 後ろからはグルグルと喉を鳴らし、涎を振り撒かんばかりのブラックハウンドが迫ってくる。僕は自分でも訳がわからないまま、とにかく全速力で走った。途中で自分の足に筋力増強の魔術をかけたり、ブラックハウンドに向けて氷の粒を放ったり、自分の体を少しでも速く走らせるために追い風を作ってみたりと、火事場の馬鹿力のごとく魔術を使いまくった。

 その甲斐あってか、がむしゃらに走ったはずなのに洞窟の出入口が見えてきた。ここに来るまでに、何度かブラックハウンドの爪に皮膚を裂かれたから無傷とはいかないけど、まだ命は狩り取られてない。
 けど、けれど——正直、あそこから出る頃には僕の魔力は底を尽きそうだ。考えなしに手当たり次第、魔術を使ったのがまずかった。

(ケチらず護衛雇っておけばよかった!)

 いつぞやも同じようなことを思ったなぁ……。
 前は運良くピンチを切り抜けた……というか助けが来てくれたけど、そう何度も都合良く助けなんか来るはずない。今度ばかりは、もうダメかも。

 それでも無我夢中で走って、ようやく洞窟を抜けたとき——。

「アンデシュ、伏せろ!」

 この一ヶ月で随分と聞き慣れた声がして、僕は反射的に地面へと伏せた。
 途端、ドスッ! という鈍い音とともに、グギャオオオオ! という咆哮が上がる。

 ブラックハウンドが絶命する声だった。

 いったい何が起きたんだろうと、僕は恐る恐る伏せた顔を上げた。けれど、目の前には何もない。洞窟のあった森がずっと先まで続いていて、緑の草むらや木々が鬱蒼と茂っているだけだ。

「あ……え……ゆ、夢……?」
「夢じゃないよ」

 その声が聞こえてきたのは、僕の背後から。
 はっとしながら、僕は体を起こしつつ後ろへと振り返った。

「る……ルカスさん……」

 そこには、真っ黒な塊の前で血に染まった剣を持ったルカスさんの姿があった。僕はブラックハウンドに背を向けて一心不乱に走っていた。それで、魔力がもう切れるってときに洞窟の出入口が見えて。洞窟から出られたのはいいけれど、もう魔力も尽きたからダメだろうと絶望したところで、声に従ってその場で身を伏せたのだ。
 だから、最初に顔を上げたところで目の前には誰も、何も、なかった。僕を追いかけてきていたブラックハウンドは、僕の背後で斃されていたからだ。

 ブラックハウンドを剣で斬り殺したのは、紛れもなくルカスさんだ。
 僕はまたもや、ルカスさんに命を救われたんだ。

「はぁー……無事でよかった……。寿命が三十年くらい縮むと思った……」
「あ、あの……。どうして、ここに……?」
「その話はあと。——帰るよ」

 そう言って、ルカスさんは呆然としてた僕の腕をがしっと掴んで、回復の魔術薬をじゃばじゃばと僕の傷口にかける。ブラックハウンドにつけられた傷があっという間に治っていった。……それ、使ってよかったの? 即効性のある回復魔術薬なんて、ものすごーく高価なのに。

 すっかり傷が癒えると、今度は僕をひょいっと背負う。以前に人攫いの輩にされたみたいに肩に軽々担がれた荷物扱いの格好みたいじゃなくて、普通のおんぶ。
 魔力も尽きていたし、体をなんとか起こしたはいいものの全然力が入らなかった僕としては有り難い……んだけど、心なしかルカスさんが放つ不機嫌そうな雰囲気にのまれて、何も言えなかった。

 なんでここにいるんですかとか、ブラックハウンドを一人で斃しちゃうなんてすごいやとか、そういうことがたくさん頭をよぎっていたけれど、声をかけるのも憚られる冷たい空気に、なぜだか引いたはずの冷や汗が止まらなかった。


 ◇◇◇
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