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26. 約束とピアス

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 握られていた両の手を離されたかと思うと、がばりっと自分より上背のある体がマティアスを抱き締めていた。

「あ、アルテュールさま……?」
「今宵、あなたのもとを訪れても?」

 耳元でそっと囁かれ、真っ赤に染まっていた顔はさらに赤くなる。衣服に覆われ、見えていないところもきっと赤く染まっているだろう。ドクドクと早鐘を打つ鼓動はどちらのものなのか、逸る心を抑えられない。
 その誘いが恋人の逢瀬であることはマティアスも理解していて、「はい……」と消え入りそうな声とともに、こくりと深く頷いた。

「月が昇り、星が煌めく頃に宿舎に迎えにあがりますね。一緒に食事をして、夜更けまでお喋りしましょう」
「はい。あ、でも……」

 夜更けまでと言われて、マティアスは久方振りにアルテュールとの時間をもてるという喜びに包まれて、けれど気掛かりなことが脳裏をよぎった。
 すると、マティアスが何を考えているのか察して、アルテュールがくすっと笑いながら顔を覗き込んでくる。片腕は腰に回しながら頬に触れられ、顔を上を向かされると、翡翠の瞳には至近距離で男の顔が映し出された。

 恋心を抱いてしまった相手だからか、それともアルテュールが類を見ないほどの美貌の持ち主だからか、見つめられるだけで呼吸の仕方も忘れてしまいそうになる。

「マティアスくん、明日はお仕事ですよね? ふふっ、わかっています。朝までにはきちんと宿舎にお返ししますから」

 本当は朝が来てもずっと一緒にいたいのですけど、とアルテュールは愛おしげにマティアスの頬を撫でた。それが意図することが何たるかは、さすがのマティアスも理解できた。そもそもマティアス自身、それに少しだけ期待してしまってもいたから、なおさらだ。

「では、また星が煌めく頃に」

 ちゅ、と額に唇を落として、アルテュールは名残惜しそうな目線を残しながらもマティアスの体から離れていく。一人分の体温を失った体に、陽が落ちつつある冷たい風が吹きつけて、マティアスはぼんやりとしながらアルテュールの背中を見送っていた。



 ◇◇◇



 それからマティアスは、大慌てで宿舎まで帰ってきた。
 王宮を出るときに門番に無事ピアスが見つかったことを伝えて、許可証は騎士団に返してきたけれど、どうにも夢うつつな状態で。はっと我に返ったときは、宿舎にある自分の部屋で立ち尽くしていた。

(アルテュール様が、あのお兄さんだった? 立派な占星術師になって、オルティアースに帰ってきた? 本当に……?)

 寂しい思いをしていたマティアスをずっと癒やしてくれていた存在。顔も名前も忘れてしまっていたのに、その存在だけはずっと忘れずに覚えていて、心の拠り所にしていた大切な思い出。大切な人。
 その人がじつはアルテュールで、しかもマティアスとの再会を喜んでくれた。それだけじゃなくて、恋人として仲良くなりたいのだとも言ってくれた。

 ——星の導きで、またきみに会えるように。

 そう言った、在りし日の記憶が蘇る。
 頭に浮かぶ過去の一幕は、アーティがアルテュールだとわかったからか、当時十四歳ほどだったお兄さんの姿形が、朧げながらも銀髪に優しい目をした少年へと置き換わっていく。曖昧だった記憶を保管するように、今のマティアスの想いがセピア色の思い出に優しい色をつけていく。

 あのときに放った彼の言葉通りに、耳を飾っていた二つのピアスが二人を引き合わせてくれた。……なんて乙女めいた考えを浮かべてしまうほど、マティアスは一連の出来事に浮かれていた。

「あ……そうだ、ピアス……」

 ふと、手のひらに収まっていたピアスの存在を思い出す。
 花弁の中に落ちていたという、真鍮製の小さなピアス。落としたときから日数が経っているので少し土埃に汚れていて、いつもの煌めきはわずかに失われている。フープ状のそれは、ピアス穴に引っ掛かる部分が少しだけ曲がっている。おそらく何かの拍子で曲がって、耳から外れてしまったのだろう。

「月が昇る前までに、きれいに直そう」

 マティアスは机へと向かった。
 王宮を出たときはもう西の空は真っ赤に染まっていて、山へと陽が落ち始めていた。小さな窓から見える空は紺色が混ざっている。アルテュールが訪れるのは、おそらくそう時間は開かない。
 このくらいの修繕なら、手持ちの手入れ道具でなんとか直りそうだ。引き出しからいつもの道具を取り出して、曲がった箇所を直し、いつも以上に磨き上げようと、マティアスは星のピアスを手に取った。



 ◇◇◇
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