【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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番外編

二十四の冬にまた貴方を好きになる 04 *

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 それからいったい、どのくらいの時間が経ったのか。
 虚勢を張るのもなかなか難儀するようになってきて、私はついに寝台に横たわりながら、ひたすらに本能に抗っていた。

 手のひらに食いこむ爪。切れて血の滲む唇。ぎゅっと目蓋を閉じて、荒れ狂おうとする本能を無理やり静めるように体を小さく丸める。
 幸か不幸か、食事のときから私を監視し続けているシェーファーは椅子から微動だにせず、私に襲いかかる素振りはない。私の背中に視線を向け続けるだけ。

「イリエス様自ら、私を求めていただきたいのです」

 というのは、男の言葉だ。

 そんな未来は到底やってこない、と。
 そう返したかったが、黙って背を向け続けた。

 しかし、私の感情をよそに、本能は「雄が欲しい」と体の奥が訴えてくる。

「日が変わる頃には我慢もできなくなりましょう」

 私の視界には入っていないが、おそらくシェーファーはニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべているのだろう。見てもいないのに、ねっとりとした視線が絡みつくのを感じて寒気が走る。にもかかわらず、体は別の熱を求めて昂りつつあった。

 時間の流れは残酷だ。
 時計はなく、星の光も見えない部屋では時の移りはわからない。日が変わる頃まで、あとどのくらいの猶予があるのか。……たしかな情報がなくとも、己の体が一番状況を理解していて、だからこそ今すぐこの体を投げ出してしまいたかった。

(絶対に、嫌だ)

 かつての自分ならば、この体には……私には価値などなく、自分自身で何かを求めることもしなかった。唯一の願いは純然たる死だけ。
 そうやって何十年と生きてきたけれど、今はこの体も心も、生そのものに対しても、一定の価値を感じてはいる。

 私が愛する人が大切にしてくれているものだから。
 それを私自身が捨ててはいけないのだと理解している。

 けれど、本能とはときに、心や意志を裏切るものだ。
 生家でオメガが忌避されてきたのには、そういう背景も少なからずある。そしてなにより、その性を持つ私自身が本能の厄介さをよくわかっている。

(だとしても、絶対に……明け渡したくなどない)

 ギリギリと下唇を噛み、白くなるほどに手を握った。
 神などいないけれど、それでも何かに……ディオンに祈りたかった。

 ——どうか、助けてほしい、と。

 すると、私の耳にガタリという物音が届いた気がした。……階下だろうか。
 一瞬、助けが来たかとも思ったけれど、背後で椅子に座る男に動揺はない。

 そういえば、この建物がどんなところなのか、私は知らない。しかし、考えてみれば男の仲間がいても不思議ではない。今のところ姿は見かけないが、いつまでもそうとは限らない。シェーファーの望みが普通であるはずもないのだ。
 いつぞやに、異母弟やその仲間たちにまわされた日々を思い出し、背中に冷たいものが走る。あれだけ何も感じなかった日々が嘘のように、今は、待ち受ける未来が悍ましい。

 と、同時に、多くを求めたがるオメガの本能が小さく蠢くのを感じて、吐き気がした。この体は誰であってもいいわけではないのに。

(もうダメかもしれない……)

 どんなに心を強く、固く保ったとして、最後には本能に呑まれてしまう。
 そんな悪い想像が頭を埋め尽くしかけたとき——バタバタと階段を駆け上がる音がした。

「イリエス!」

 バンッ、と乱暴な音とともに扉が開く。
 驚いて振り向けば、ギラギラとした目を鋭くした美丈夫の姿があった。

 瞬間、ぶわりと匂い立つ慣れ親しんだ香りが包む。想い続けているただ一人の相手。彼のフェロモンを感じたのと、心が安堵したのはまったくの同時だった。
 抱き寄せられ、抱き締められ、耳元にディオンの声が届く。

「すまない! すまなかった、イリエス。きみを一人にしてしまって!」
「ディオンさま……」

 触れる体温が心地良い。痛いほどに抱き寄せる腕と沈痛な声。
 何をそんなに謝ることがあるのかと告げたいのに、体はもう限界を迎えていた。一気に体の力が抜けて、そのままディオンに預ける。

 ——ああ、よかった。帰ってこられた。

 浮かんだのは、そんな言葉。
 もうすでに、私の帰る場所はディオンの腕の中なのだと噛み締めた。

「言い訳も、言いたいこともたくさんあるが……イリエス」
「はい」
「生きていてくれて、ありがとう。——帰ろう、俺たちの家へ」

 優しい声に、堪えていた涙が落ちる。

 私の足に嵌っていた枷は、ディオンとともに助けに来てくれた騎士の人が鎖を断ち切り、かけられていた錠も壊してくれた。毛布に包まれた私を、ディオンが抱き上げる。
 強制的に発情の状態を引き出されつつある体を、ディオンはアルファの本能で察してくれたらしい。彼自身も私のフェロモンにあてられてつらいだろうに、そんな素振りを一切見せず凛然と歩く。

 建物を抜けて、通りに出たところで見慣れた顔がもう一つ。
 心配そうな眼差しを私に向けたのは、ディオンの愛馬フラムだ。

 馬は賢いと言うけれど、彼女にも心配をかけてしまったらしい。おそらく主人であるディオンがフラムで駆けてきたとき、馬上の主は血相を変えていたのだろう。主人の心情を慮れる優しく馬だ。
 フラムにも、あとで謝らなければと思いながら、はぁ……と熱い吐息を毛布の中へと溶かす。今は余裕がなく、心の中だけで彼女に頭を下げた。

 彼女に初めて乗ったときから幾年かが経過している。以前に比べれば全盛期は過ぎた。けれど、あと一年ほどはディオンは彼女と共に駆けるつもりだと話していたことを不意に思い出していた。
 彼女とは、私も素敵な思い出がある。今この瞬間は叶わずとも、また彼女に乗せてもらいたい。彼女の顔を見られる……そんな日常に帰ってこられたのだと、ほっとした。

 そのフラムを部下に任せて、ディオンは私を抱えて馬車へと乗り込む。

「……ん、んぅっ」

 馬車の扉が閉じるか否かのタイミング。周囲の目がなくなったところで、熱い口づけを与えられた。
 私が堪えられなかったのか、それともディオンも同じか。いずれにしても、はち切れそうなほどに溢れかえった欲望をぶつけて、吐き出して、貪りたい衝動が爆発する。

「はぁ……っ……あの、ディオン様……」
「今は、ここまで。馬車とはいえ、外だからな」

 ギリギリで堪えたディオンは御者に合図を送り、馬車を出させた。

「イリエス、発情期はまだなはずだよな? 何をされた?」
「わかりま、せん……。ただ……お茶と食事に、非合法なものを含めた、と……そんなことを、言ってました」
「薬の類いか」
「おそらく……」

 ディオンは、チッ、と上品な顔に似合わない舌打ちをする。

「医者にきちんと診てもらおう。だが、その前に……体の熱をどうにかしないとな。俺も、きみも、まずはこれを落ち着かせないと」
「ごめんなさい。お願い、します……」

 謝らないで、と今度は優しく口づけられた。
『落ち着かせる』の意味することはわかっている。私だって、本能でも心でもディオンが欲しい。それが強制的に引き出されたオメガの業だとしても、本当に欲しいのは彼だけ。今はもう、他の誰にも渡したくはない。

 時に優しく、時に堪えきれないように口づけをかわしながら馬車に揺られた。
 その間がとてももどかしく、何度となく「もうここで」と言いたくなったけれど、すべての理性を働かせて浅ましいことを口走ることなく家路につく。

 十日ほど前に移ってきた王都の家——新しい我が家に着いた頃には二人とも互いのフェロモンにあてられて、ケニーたちへの帰宅の挨拶も早々に寝室へと駆け込んだ。

 ——こんなに相手を求めてしまうのは、本能のせいだけじゃない。

 安堵と欲情が交わるなか、私はディオンの腕の中ですべてを彼に委ねた。


 ◇◇◇


「ああっ……だめ、だめですっ、ディオンさま……!」

 寝台の上、白い四肢を晒しながら、私は身悶えていた。
 乱れたシーツを指先で掴みながら、頬を枕に埋めても、なお嬌声を止められない。

 寝台にうつ伏せになり、腰だけが高く上がっている。そこにディオンの熱い猛りを奥深くまで穿たれては引き抜かれ、再び奥を突かれた。その繰り返し。

「イリエス……っ」
「あっ、深ぁ……あっ、あっ!」

 肌と肌がぶつかる音に混じって、いやらしく濡れた音が響いた。
 すでに一度、正常位で抱かれたのに。体にこもる熱はまだ散らずに、貪欲にディオンを求めている。

 ディオンは一度、私は二度も精を吐き出している。それでも、肌を合わせるだけで理性は溶けていく。いつしか自分でも腰を擦りつけて、ディオンの雄を感じていた。

「あ……そんな……また、あぁんっ」
「すごいな、イリエス……なかがうねって、絡みついてくるよ」
「ひっ、あっ……わかんな、あっ」

 じゅぷっと、ひときわ大きな音とともに深くを貫かれて、肉襞が蠢く。入り口はこれ以上は無理だというほどいっぱいに、太い屹立を頬張っていた。

「すごいな、食いちぎられそうだ」
「い、言わないでっ、ひぁっ」

 ずっと揺さぶられ続けて、もう自分の力で体を支える余裕がない。
 投げ出していた腕を後ろから取られたと思ったら、そのまま上体を起こされる。寝台の上で座位になったディオンの上に座る形になってしまい、下から深いところまで抉られ、体がびくびくと跳ねた。

「可愛いな、ほんと……」

 耳元で囁かれ、耳朶を食まれながら、なかをグリグリと凶暴な切先で刺激される。甘い官能が体を駆け巡り、発散させるはずの熱が再び生まれてしまって、どうしようもない。

「こっちも……可愛く、ツンと尖ってる。ほら……」
「あっ! んふ、あっ……やあっ、あぁっ」

 背後から回された指が胸の尖りを摘まれる。その快楽に、ぎゅうっとディオンを締めつけてしまい、それがさらなる甘さを生む。
 体の奥まで暴かれて、愛されて、思考がディオンでいっぱいになっていく。

「あっ、あっ。ディオン、さまっ……もう、ん、はっ、奥……やぁっ」

 両脚を持ち上げられて、上下に動かされるたびに、あられもない声が上がった。
 後ろから聞こえるのは、色気の混じる荒い呼吸音。好きだよと、愛してると、可愛いという甘い響きが幾度となく耳をくすぐって、何も考えられなくなった。

 頭も体も、その奥の奥までとろかされて、二人の境界線がわからなくなるほどに密着して、入り込まれて。穿たれる熱に、何もかもが真っ白になっていく。

「あっあっ、ぁあぁっ!」
「くっ……」

 彼だから侵入を許した最奥へ放たれる熱い飛沫。その熱さに、滾りに、想いに、オメガという本能が全身で歓喜していた。
 でも、それは……自身の性ゆえだけじゃないと、そう思う。

 ——この愛を与えてくれるのがディオンだから。

 ディオンが私を隅の隅まで、余すことなす愛し尽くしてくれるから。私の心がとびきりの熱に酔いしれている。
 跳ね上がる体と心。抱き締める腕の強さに思考が霧散して、甘い夢へと混ざっていく。

 そうして私の意識は、愛する人の体温へと溶けていくのだった。


 ◇◇◇


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