【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第五章

55. 願うこと

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 そうして他愛のない会話をしながら「もっと召し上がってください」と出され続ける林檎をしゃくしゃくと食べていると、コンコンと扉を叩く音がした。
 ケニーが返事をすれば、ディオンが顔を覗かせる。

「イリエス、調子はどうだい? 今日は顔色がいいね」

 今朝は早くから家を空けていたディオンは、にこにこしながら寝台まで近寄ってきた。ケニーに勧められた椅子に座りながら、彼は「お土産だよ」と小さな花束を渡してくれる。
 濃い青が鮮やかな、美しいリンドウだ。

「おかえりなさいませ、ディオン様。お早いお戻りですね」

 花を受け取ってしばし目を楽しませてから、ケニーに花瓶に入れて飾ってくれるように頼んだ。ディオンからの贈りものは大切にしたい。花束を受け取った彼は、準備をするため一度部屋を辞していった。
 私が眠り続けている間も、ディオンはこうして花を持ってきて私を見舞ってくれていたらしい。私が目を覚ましたときに、何か心安らぐものがあればいいと、いつ目覚めてもいいようにと、花は絶やされることがなかったという。

 このリンドウも……もしかしたら、私の想い出の中にある花だと、知ったうえで持ってきてくれたのだろうか? リンドウは、彼からペンダントを贈られた日に見た花だから。もしそうなのなら嬉しいなと、私の心はあたたかくなった。

 彼の優しさをじんわりと感じながら、私はディオンに声をかけた。

「父や兄たちの様子はいかがでしたか?」

 ディオンは日に一度は必ず、どんなに忙しくても私の家族の様子を見に行ってくれている。もちろん、監視の意味合いもあるのだろうし、リュシオン殿下に任されていることもあるのだろうけど。

「まあ、相変わらずかな。牢と言っても貴族を入れるための貴族牢だから、待遇は悪くないはずだよ。一日三食昼寝付き。それなりに立派な寝台に、清潔な服だってある。むしろ領地経営も仕事もしなくていいのだから、ラクなくらいかもね?」
「ふふ……そうですね。まあ、あの方たちの矜持が許せば、でしょうけど」

 肩をすくめながら冗談を交えて話すディオンに、私も冗談めかして返した。
 まあ実際に、彼らの心情を述べるのならば、悠長に昼寝をする状態ではないだろう。罪を犯して捕まったということは、何かしらの処罰が待ち受けているということだから。

「まずは口先だけでも考えを改めてくれれば、とは思って話をしているのだけれど、なかなかね……。でも耳に入れることで、新たな考えを受け入れやすくなるかもしれないから、もうしばらくは続けてみるよ。そうなれば、リュシオン殿下も王家の方々も、そう厳しい扱いはし続けないとは思うし」
「ディオン様には、重ね重ねご迷惑をおかけしています」

 ディオンがなかなか考えを変えない私の家族へ、粘り強く話しに行ってくれているのは、偏に私のことを思ってくれてのことだろう。曲がりなりにも血を分けた家族だから……という配慮を感じ、私はそっと溜め息を吐いた。

「ですが……人はそう、簡単には変われません。父は祖父から、兄は父から徹底的にデシャルムとしての教育を受けてきましたから。……世界が狭いのです」

 父も、兄も、言わば純粋培養で育ったアルファだ。——良い意味ではなく、悪い意味で。
 アルファ至上主義の者が自分の幼い子供にアルファがいかに素晴らしく、オメガが劣っているかと説き続ける。デシャルムはそういう古い家なのだ。偏った主義主張は連綿と受け継がれてきてしまっただけであり、彼らだって被害者といえば被害者ではある。

「そうだねぇ……。デシャルム侯のほうがかなくなかと思っていたけれど、案外レイナルドのほうが頭が固いのも、嫌な歴史の積み重ねゆえかもしれないな。ああ、デシャルム侯といえば……イリエスが目覚めたことを告げたら殊の外、心配そうにしてたよ」
「父が? まさか。ありえません」
「きみはそう思うかもしれないけれど、事実だよ。まあ、そうだな……あまり嬉しくないことか。伝えないほうがよかったね」

 ごめん、と謝るディオンに私は首を横に振った。

 伝えてもらったほうがよかったのか、それとも聞きたくなかったのか、私にもわからない。父が私を心配するなんて、意外だなとは思ったけれど、それに何の感情も浮かばなかった。父の心情は、どんなに頭を捻っても私には想像できない。

「父や兄たちが、もう少し柔軟な思考になってくれるといいのですが。それは……長い目で見なければならないのでしょうね。場合によっては、相当の年月か……あるいは、一生変わらないやもしれません」

 父より頑なだという兄。
 私を疎み続け、次第に兄やグェンダルに私を任せてさえいたあの父でさえ、私から見れば残念な思考の持ち主にしか見えなかったが、その男に育てられたのだから相応なのかもしれない。容姿も学もないわけではない兄の生まれるところが違っていたのならば、彼は牢に入れられることもなかったのだろうか。

 詮なきことを考えていると、花瓶にリンドウを生けたケニーが戻ってきて、窓際のキャビネットに飾ってくれた。それからお茶の準備をすると言って、また部屋を退室していく。
 柔らかな陽射しを浴びるリンドウが、少し荒れかけた私の心を癒してくれた。

「ところで——本当にいいのかい? 彼らに重い処罰を望まない、なんて」

 ケニーが扉の向こうに消えると同時に、ディオンは訊ねた。

 私の家族は、私への虐待——暴力や暴言の罪にも問われている。
 貴族の家で起きる虐待は、家庭内のことというのもあって外には見えにくい。特に体裁を重んじる古い家であればなおのこと。ゆえに貴族の者が虐待の罪に問われ、裁判にかけられ、罰を受けることは稀だ。

「俺もさっきまで、処罰が軽く済むように諭してみるとは言ったけれど、イリエスが望めば殿下も俺の父も、最大限に配慮してくれるし、俺もそれを止めるつもりはない。それどころか、今の扱いは軽いくらいだと思うほどだ」
「ふふ。ディオン様と私の兄は友人関係にあったのに?」
「それはそれ、これはこれ。そもそも俺は、レイナルドを心の底から友だとは認めてない。それはわかるだろう?」

 心外だとばかりに嘆息するディオンに、私は苦笑する。

 ディオンとレイナルドの友人関係は、私が〈一回目〉の人生のときから変わらず築かれていたものだ。どの人生においても、彼と兄は友人ではあった。けれど〈一回目〉から〈九回目〉のディオンと、〈十回目〉である今世のディオンは事情が異なる。
 今世では、表面上はこれまで以上に親しげに見えていた裏で、ディオンはあの不思議な日記を見つけ、レイナルドの本当の顔をずっと探っていたそうだ。

「きみは、ずっと……幾度もの人生において、自分を酷く扱ってきた相手が憎くないのか?」

 ディオンは、理解できないとでも言いたげに眉を寄せる。
 私がどんな扱いを受けてきたのか、その詳細を事細かには彼に語ってはいないものの、虐げられてきたこと自体はディオンも知っている。折檻を受けてきた事実は以前のときに話したし、私の状態を見れば自ずと気がつくということだろう。

 何と言っても、最後に保護されたとき、私は『死にかけ』だった。
 仮に目の前で暴力行為が行われてなかったとしても、死にかけるほどの扱いをしていた事実は逃れようがないと彼は言う。

「憎くない……わけないです」

 ディオンの問いに、私は本心を答えた。

「ですが——過度な断罪は望みません。死人が増えても仕方がないですし、彼らがつらい目にあったところで、私の過去が変わるわけでもありませんから」

 一言で言えば、憎いに違いない。
 うんざりするほど見飽きた化け物たちの顔は二度と見たくないとも思うし、彼らだって私のことなど忘れたほうがいいと思う。
 ある意味では、彼らにとって私は、今の不幸の元凶のようなものなのだ。アルファやオメガに関係なく、不名誉な場所へと追いやった私を、彼らは恨んでいるかもしれない。互いにメリットのない、憎み合うような関係だ。会わないに越したことはない。

「きみが受けたことを、そっくりそのまま返してしまえばいいのに」
「ふふふ。それじゃあ、死んでしまいますよ」
「そうだよ。そうしたらいいって言っているんだから」

 ディオンは、ははっと笑いながら軽口のように話すが、目はまったく笑っていない。私が過度な処罰を望まないからしないだけで、ディオンとしては重い罰を与えたいのだろう。
 私は、そんなディオンに曖昧な笑みを向けた。

 彼の本心にそのまま頷く気持ちにはなれないのは、別に家族のためでもなければ、彼らに情けをかけようという優しさでもない。
 先ほどディオンに伝えたことも本心ではあるけれど、とどのつまりは「私自身が残虐な行為を下した」という責を負いたくないのだ。要は、単に私自身の身勝手な思いによるものである。

 騎士として、時には人を殺めることもあるディオンや、国や民を治める者として時に冷酷な判断を下すことのある王族の方々と違って、私は血生臭いことには慣れていない。自身から流れる血を見るのは慣れていても、誰かが血を流すのを望みたいとは思えなかった。

「優しすぎると思うけれどね」

 はあ、と溜め息をつくディオンに、私はばつ悪く目蓋を伏せる。

 会ったこともない、虐待の事実がどうかもわからない少年のことを思い、行動を起こし、私の与り知らないうちから心を配ってくれていたディオン。その正義感や温情に礼を尽くすのなら、父や兄たちにはきっと、彼の言うように誰から見ても納得いく罰を与えるべきなのだろう。
 けれど、それでも……積極的に頷くことはできなかった。

「私からは、重い罰は望みません……。ですが、王家の方々のご随意のままにしていただければ、私はそれで満足です」

 もとは、リュシオン殿下がいつか私に語ってくれたように、アルファ至上主義者を効率よく廃して、より良い国を築くための礎だ。私は、その過程で助けられたに過ぎないのだと——狡くても、そう思っていたかった。

「欲がないね」
「いいえ、ディオン様。欲ならば、ありますよ」

 そう言うディオンに、私は笑って答えた。

「命日を越えて——穏やかに生きてみたいです」

 そのために、私を苛む過去は忘れたい。
 私を痛めつける家族も、暴力は振るわれずとも性玩具となんら変わらぬ扱いであった結婚生活も、幾度と繰り返した不可解な九度の人生も。ぜんぶ。

「私は、今日この日まで生きたことがありませんでした。ディオン様に以前お話ししたとおり、私は何度も何度も十四歳の誕生日からの日々を繰り返して、いつもあの日に命を落としてきた。そしてまた十四歳へと戻って、無為な日々を過ごしていました」
「イリエス……」
「もしこの先、またどこかで命を落としたとして、再び十四歳の自分に戻るのか……もはや、私にはわかりません」

 二十三歳の秋をはじめて迎えた。
 こんなことは生まれてはじめてだから、未来はもう予測不能だ。

「でも——もう戻らなければいいな、とは思います。それに、できれば……亡くなるのは、もう少し先がいいなとも」

 この世界がどんな世界なのか、これまで何十年と生きてきていても、私はそのほとんど知らなかった。
 隣国へと続く街道が綺麗だったこと。軽装で森を一人彷徨うのは命がけであること。リベルテのような親切であたたかな人々がいること。その人たちが創り出す素晴らしい芸術。それから——ディオンと歩いた夕暮れの美しい街並み。

 色のない虚しい世界は、少し生きる場所を変えれば、鮮やかな景色が広がっていた。そこで私は、生きてみたい。

「叶うよ、必ず。——叶えてみせるよ」

 真っ直ぐに見つめる紅玉は、心の底からそう願っているという光が宿っていた。
 その言葉を信じて、私はそっと微笑んだ。


 ◇◇◇

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