【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第四章

46. 古びた家と壊れぬ玩具

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 その日の午後。
 私は急遽休みをもらって、街外れにある古びた一軒家の前に来ていた。

 いつも通りに、フードを目深に被って厚手の外套を身に纏い、マリオルの街を足早に歩く。発情期前に歩いたときと同じく、冬の風景が広がっている。
 その中を一人で歩くのも、こんな場所に来るのも、いつもはあり得ない。ノートルさんに会いに行くときも、食材や日用品の買い出しのときも、必ず誰かと一緒にしかしてこなかった。はじめて自分で希望した休日だって、ディオンと一緒だった。

 なのに、今は誰も伴わず、たった一人で天幕から離れた場所を歩いている。

(ここ、だよね……)

 見上げたのは、一軒の古びた家。誰かが住んでいる様子はない。
 ぼろ家と呼ぶほどに朽ちているわけではないけれど、小さな庭は手入れされず雑草が伸び放題で落ち葉で地面が埋まっている。窓こそ割れていないが、外壁や屋根には傷んだ箇所があって、人が住むには修繕が必要な様子だった。

(本当にこんなところに……?)

 家を見つめながら、ここにいるという人物を脳裏に描く。
 その人が私の記憶にあるままなら、煌びやかと言うには真逆の場所に足を運ぶことを好まないはずだ。己の身分を誇りに思い、生まれた性を至上のものだと振り翳す彼らが、このような萎びた場所を好むはずもない。

 でも、届けられた手紙の主が確かで、その内容に嘘がないのならば、彼らは必ずここにいる。私をこの場へ呼び出したのは、他ならぬ彼らなのだから——。
  
(嫌だな……)

 できることなら、今すぐ踵を返して帰りたい。
 暗い気持ちは私の体を硬くする。ここに来るまでの足取りも十分に重かったが、今はさらに重りを両足につけたかのように動かせない。

 そうしてしばらく立ち尽くしていたのだけれど、このままでいるわけにもいかず、私は震える指先で玄関の呼び鈴を鳴らした。

「…………」

 残念ながら中から反応はない。呼び鈴が壊れているのかもと扉をノックしてみても、反応はない。けれど、中に誰かがいる気配を薄らと感じた。
 意を決して扉に手をかけると、意外にもそれはすんなりと開く。恐る恐る足を踏み入れれば、やはり人のいる気配がした。

 足を進めたくない気持ちをどうにか押し込め、一歩ずつ前に進んでいく。
 室内も外と同じく荒れていた。ぼろぼろに剥がれた壁紙に、ホコリと蜘蛛の巣だらけの天井と床。今はまだ陽のある時間帯だが、手入れのされていない背の高い樹木が庭に植えてあったこともあってか、室内に陽の光は届かず薄暗い。

 こんな薄暗い家に、私を呼び出した相手がいるのだろうかと疑問はいっそう膨らむ。けれど、玄関を入って続く短い廊下の先、僅かに扉が開いているのが見えた。部屋からは灯りが漏れていて、誰かがいることを物語っている。

 嫌がる心を無理やり宥めながら、私は灯りの漏れる部屋の扉をゆっくりと開いた。

「ああ、やっと来たか。相変わらず愚鈍だな」

 忌々しげな舌打ちとともに、苛立った様子の声が耳に届く。

「イリエス兄上が愚鈍なのは、オメガなので致し方ないですよ。地図を片手に一人でここまで来られただけ、褒めて差し上げてもいいくらいですかね」

 不機嫌さを露わに眉を寄せながら古い木の椅子に座る青年の横では、それよりも体格の良い男が立っている。何がおかしいのか、ニタリと笑う姿に生理的な嫌悪がこみ上げた。

 扉を開いた向こう、いくつかのランタンに照らされた室内には私がよく知る——二度と会いたくなかった人物が二人、こちらを見ていた。
 蛇のような四つの瞳が舐めるように私を捉えて、自然と後ずさった私の足をその場に縫い留める。久々に投げられた侮蔑の視線にぞわりと背筋が凍るが、長年にわたって躾けられた体は考えるよりも早く口を開いていた。

「——ご無沙汰しております、レイナルド兄上。それからグェンも……」

 丁寧なお辞儀とともに挨拶を向けたのは、実兄のレイナルドと異母弟のグェンダル——『もう一通』の手紙の送り主は、兄と弟の二人からだった。

(あの封蝋は間違いではなかったんだな……)

 封蝋にあったのは、カナリアの紋章。鉱山と縁のあるカナリアの印璽は、デシャルム家の者が使うものを意味していた。
 その紋章が捺された封蝋付きの手紙に、差出人の名はなかったが、カナリアの封蝋とくれば、その手紙が意味することはわかっていた。父はこんなまだるっこしいやり方は好まない。なので、兄か異母弟。あるいは、その両方。

 そうして封を切り、中に入っていた一枚の便箋。そこに綴られていたのは『久しぶりに会おう』という表面上は友好的な言葉と、リベルテの天幕からこの家までの地図だけ。
 兄の言葉をそのまま受け取るのならば、私は手紙の意図を正しく汲み取れたらしい。できれば、すべて私の勘違いであってほしかったのだけれど。

「待ちくたびれたぞ、イリエス」
「へぇ。随分と毛並みがよくなりましたね。切ってしまったのは少々もったいないとは思いますけど」

 ——長い髪、お似合いでしたのに。

 凍りつく私のことなど気にも留めず、ブーツを踏み鳴らしながら近づいてきたグェンダルは私の髪を一房掬い上げ、耳元で囁いた。

「…………っ」

 数年ぶりに聞く、薄汚い欲を纏った声に肌が粟立つ。
 殴りかかりたい気持ちでいっぱいだったが、実際には指一本動かせない。心とは裏腹に、積み重ねられたグェンダルへの恐怖と嫌悪で体は硬直しきっていた。

 すると私が何も反応しないのをいいことに、グェンダルは髪を遊び、肩を撫で始めた。前よりもさらに大きくなった手が背中を辿って、腰をなぞり、臀部へと到達する。張りや柔らかさを確認するような手つきに吐き気を催すも、その手を振り払うことができずにいた。否が応でも過去の記憶が蘇り、体が震える。

「伯爵に可愛がってもらいました? それとも逃げ出したあとですかね」
「グェン……」
「ねえ兄上、答えてくださいよ。僕たちよりも満足できました?」

 ひと頻り私の感触を確かめたグェンダルは、舌舐めずりをしながら臀部を撫で続ける。質問に答えを返せずにいると、椅子に腰掛けていた兄が小さくため息をついた。

「グェンダル、ひとまずその辺にしておけ」
「すみません、レイナルド兄上。お話があるんでしたよね」

 兄の制止は一見救いの言葉にも聞こえるが、実際のところは身を硬くした私を案じてではなく、目の前で弟の醜態を見るのが煩わしかっただけだろう。その証拠に、臀部を弄る手は止んでも腰に手を回すのは止めないグェンダルを、それ以上咎めはしなかった。

「イリエス、他に誰も連れて来てはいないだろうな?」
「はい……私一人で参りました」

 ここに来ることは、劇団の誰にも知らせていない。
 本音を言えば、一人で街へ出るのは怖くて心細かったので、できることなら誰かを連れて来たかった。いつもはルーや劇団のみんなとしか歩かない道を、それでも一人でやってきたのは、こいつらが待ち受けているとわかっていたからだ。

「ならいい。手早く用件を済まそう。——家に戻って来なさい、イリエス」
「え……」

 告げられた言葉に目を瞠る。

「……いま、なんとおっしゃいましたか……?」
「帰ってこいと言ったんだ。こんな簡単なことすら理解できないなんて、まったく……婚姻を結んで外に出ようとも、愚鈍は愚鈍なままだな」

 高圧的な口調にたじろぐも、続けられた言葉にようやく頭が回転し始める。

 家に帰る? 兄は今、そう言っただろうか。
 せっかくあの苦痛しかない家から逃げ出すことができたのだ。嫌に決まっている。

 けれど、今ここで「嫌だ」と拒否を示したところで兄の機嫌を余計に損なうことは目に見えていた。数年ぶりに顔を合わせたけれど、独裁的な態度も威丈高な物言いも何一つとして変わっていない。
 私はかつての記憶を辿りながら、なんとか口を開いた。

「……私は、すでに死した身だと聞き及んでいます。死人の私を今さら、栄えあるデシャルム家へと連れ戻す意味があるとは思えません。それに、私はオメガです。父上や兄上のお役にも立てない落ちこぼれは、もはや不要でしょう」

 明確な拒否の言葉の代わりに返したのは、兄の発言の意図を問うもの。
 私が愚鈍だと言うのなら、それこそ不要なはずだ。病を理由に亡き者とできたのだから、体良く処分できたと喜ぶならまだしも、連れ戻す道理がない。——そう言って、私への関心を逃がしたいと精いっぱい冷静ぶった。

 しかし、レイナルドは、まるで頭の悪い人間を相手にするような表情を浮かべて、やれやれと大袈裟にため息をつく。

「そうだな、お前が病によって亡くなったとしているのは本当だ」
「……それならば、私のことはどうぞお捨て置きください」
「なにもお前に期待しているわけではないよ。社交に出すつもりも、再びジード伯へ嫁ぐ必要もない。ジード伯どころか、ほかのところへも嫁がなくていい。お前はただ、私たちのもとへ戻ってくるだけでいい。いくら頭の足りぬお前でも、家族への恩を忘れたわけではないだろう?」

 ああ、やはり。
 彼らの考えはなんとなく読めてはいた。だから、見つかりたくなかったのだ。

 ——結局、こいつらは自分たちに都合の良い玩具が欲しいだけなのだ。

 どう扱ってもいい、壊れることのない、文句を言わぬ玩具が欲しい。
 過去九度の人生で散々見てきた醜悪な瞳が、じとりと私を見据える。そうまでして求める玩具は、乱暴に扱えば実際には壊れることを、こいつらはまったくもって理解していない。仮に壊れたところでどうでもいいのか、それとも壊れる発想自体がないのか。頭が足りないのはいったいどちらだと叫びたくなるが、呆れて反論する気も失せていた。
 どちらにせよ『壊れるまでは自分たちのもの』という、彼らの気が狂った考えを私ごときが正すことなどできないのだから、何を言っても無意味だ。

 何度も繰り返して、散々理解していたはずなのに……。
 たった数年離れていただけで、呪わしい生を忘れていた自分が恨めしかった。





・--・--・--・

(2024.7.31 後書き)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

筆者は鬼か何かか⁉︎ってくらい、めちゃくちゃ不穏な展開になっていますが、最後はハッピーエンドなので…!
よろしければ引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
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