【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第四章

42. 寒空の下、手を伸ばして

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 ディオンと街に繰り出したのは、昼過ぎのこと。

 朝のうちは陽が昇りきらない頃から、天幕に残る予定だった劇団員たちの朝食や昼食の準備を手伝って、昨日手が回らなかった分の洗濯や掃除をこなした。
 ディオンとの約束の時間はもともと手紙に「昼過ぎに天幕へ迎えに行く」とあったから、午前はいつも通りに過ごしたのだ。いくら休みをもらうとしても、最低限やれることはやってからディオンと出掛けるつもりだった。

「今日は、丸一日休みをもらえたのかい?」

 街を歩きながらディオンは問いかける。
 マオリルは比較的南にある街だけれど、冬ともなればそれなりに冷たい風が吹く。時折その寒さに身を竦ませながら、街路樹の連なる道をゆっくり並んで歩いた。

 夏の季節にはフードのついた薄手の上着を頭からすっぽり被って外を歩いていた私は、今は厚手の外套を羽織っていた。この外套も大きなフードがついていて、今日もそれを目深に被っている。
 僅かに顔を上げて、フードの内側からそっとディオンを仰ぎ見れば、古くからの友人としての顔が私を見ていた。

「はい。ああ、その……午前中は雑務をいくつかしてきましたが……。でも、お昼からはお休みをいただきました」
「ふふっ。それは丸一日とは言えないけれど、きみが楽しそうならいいか」

 楽しそうに笑うディオンに、私も頬が緩む。

「早く帰らなければならないかな?」
「あ……と、いえ。帰ったあとにも今日の分と、明日の準備をしようとは思ってますけど、それなりの時間に帰れれば大丈夫かな、と……」

 帰ってから掃除も洗濯もやりたい。その気持ちに嘘はない。劇団の役に立てるのはとても嬉しいから、仕事を与えてもらえるのは何だってやりたかった。
 だから、私が休みをもらうのは久しぶりで。しかも、自分から望んでとったのは初めてだ。そうやって、ディオンと出掛けることを楽しみにして、一緒にいられる時間が少しでも長く続くようにと考えている自分がいたことに少し驚く。

 ディオンとの外出に、予想以上に心が弾んでいた。

「それなら、色々見て回れるね。ああでも、イリエス……イルからしたら、住んでいる街だから、今さらなんの面白みもないかな?」

 名前を変えて暮らしている私に配慮してくれたらしく、呼び慣れない名前で話しかけてくれるディオンは、長い足をのんびりと動かしてくれる。成人して数年経ったけれど、結局たいして成長することのなかった私の歩幅にさり気なく合わせてくれていて、それが少しくすぐったい。

「そんなことありません。私が街へ出るのはお使いくらいのものなので、十分新鮮です」
「そうなんだ? じゃあ、せっかくだしイルの気になるところもたくさん回ろうか。時間も十分にありそうだしね」

 微笑むディオンに、小さく頷いた。

 外出の誘いは、ひと月前に届いた手紙から。
 そこに綴られていたのは、恒例になった日常の報告のほかに、ひと月後にリュシオン殿下と再びマオリルの街を訪問する旨が書き記されていた。そして、そのときに一日だけ休みを取るから一緒に出掛けないか? という誘いの言葉も。

「ディオン様、楽しみましょうね」

 自然と溢れた言葉に、ディオンがふっと笑う。
 冬の空気を纏う世界は、今までで一番煌めいて見えた。


 + + +


 冷たい風に、葉の落ちた木々が揺れる。

 それでもまだ陽のある日中は、外套をしっかり羽織っていれば体の芯まで冷えて動けぬほどではない。
 柔らかな陽射しを受けながら、私とディオンは雑貨店を回ったり、本屋に行ったり、少し歩き疲れたら川沿いのベンチで休んだりして過ごした。

「目当てのものが買えてよかったね」
「はい。喜んでいただけると良いのですが……」

 傾き始めた西陽が差し込む川面を見ながら、ゆったり歩く。夏の時期にはスイスイと泳いでいた鳥たちの姿も、冬の今は見かけない。おそらく彼らは渡り鳥だったのだろうと、半年前に見かけた鳥たちを思い出しながら、私は両手にかかる小さな重みを落とさぬようにしっかりと持ち直した。
 両の手の中にあるのは、シンプルな包装紙に包まれた小包だ。

「心配ないさ。イルが贈ってくれるものなら、トレヴァー氏は何でも嬉しいと思うよ。それに、きみが一生懸命悩み選んだんだ。嬉しくないはずがない」

 昼過ぎからディオンと街を歩いていたけれど、トレヴァー団長へのプレゼントを購入したのは、つい先ほどのこと。団長にいただいた小遣いで何か贈り物をしたいと相談したのは、マオリルの店をいくつか見て回りたいと話したディオンに付き合って、何軒か回り終えた頃だ。
 以前の視察の際に複数の店舗を見て回ったと話していたディオンだったが、仕事とそうでないときとでは心境が異なるそうで、あれこれ楽しそうに見ては「これは好き?」、「あっちはどう?」と私の好みを聞いてくれたのが印象的だった。

 ディオンも、私に何かを贈りたそうにしていた。
 けれど、彼からはもうすでに贈り物をもらっている。——今も胸元でひっそりと光るブルートパーズのペンダントだ。

 これ以上、何も望んでいない。素敵な贈り物をもういただいている。
 彼の気持ちを無碍にするのは心苦しかったけれど、代わりにと言わんばかりに天幕を出たときから考えていたことを相談したところ、彼は快く相談に乗ってくれたのだ。

 私から頼られたことが嬉しかったのか、そもそも人が良いのか……おそらく後者だろうけど、ディオンは私の話を親身に聞いてくれ、トレヴァー団長へのプレゼントを一緒になって熱心に考えてくれた。
 そうしてようやく買い求めたのが、いま私の手元にあるレターセットだ。

「でも、少し妬けるな」
「え?」
「だってほら。俺もイルに手紙を送っているのになーって」

 子どもっぽく拗ねた反応を見せたディオンに、はっとする。

「あ! え、ええっと……」

 彼にそう言われてみて、ようやく気づいた。
 自分のことばかり考えていたけれど、もともとディオンは私に何か贈り物をしようとしてくれていたのだ。その話題をすり替えるようにして、団長へのプレゼント選びに付き合ってもらった。それ自体はディオンも楽しそうにしてくれていたからいいとしても、最終的に選んだのはレターセットだ。

 贈り物にレターセットを選択したのは、ノートルさんや街の有権者に手紙を送ることの多いトレヴァー団長のことを考えてのことだった。さらに言えば、今は拗ねた様子のディオンからのアドバイスもあってのこと。
 しかし、手紙を頻繁に書いているのは、なにも団長だけではない。相談に乗ってくれたディオンも、私にたくさんの手紙を書いて送ってくれている。

 団長には返しきれないほどの恩があるけれど、それはディオンにだって同じだ。
 今の生活を続けたいと言った私の願いを叶えてくれている。ずっと気にかけて、心を配ってくれていたことを私はもう知ってしまった。彼の好意を無碍にするだけでなく、配慮の足りぬ選択をしてしまったことに今さらながら気がついた。

(私は、なんて考えの足りない人間なのだろう……)

 ディオンがつい文句を言いたくなるのも無理はない。

 私は周囲をきょろきょろと見渡した。
 何か贈り物ができる店はないかという焦りが行動に移っていた。

「ああ、ごめん。困らせてしまったね」

 あたふたとする私を見兼ねて、ディオンは謝罪を口にする。
 けれど、謝るべきは私のほうだと深々と頭を下げた。

「私のほうこそ、気が利かずに申し訳ありません。言い訳にしかなりませんが、人と関わりあう経験が乏しいゆえか、他者の心の機微に疎いのです……」
「そう? そんなことはないと思うけれど」
「いいえ、事実ですから。それにお恥ずかしながら、こんなに外を自由に歩いたのは初めてで……その……浮かれていたのだと思います」

 どんなに人生を繰り返していようと、いくら何冊もの本を隅々まで読んでいようと、それを糧にして暮らす知恵と経験が私にはない。恥じ入るばかりではあるが、自分ではどうしようもなかったのも事実だ。
 自分はやはり拙く、他者に迷惑をかける劣ったオメガなのだなと痛感して、胸が痛くなった。

「申し訳ありません……」
「イル、顔を上げてくれ。きみを困らせるつもりも、責めるつもりもないよ。さっきのは冗談のつもりというか……まあ、少しばかり妬心としんに駆られたのも本当だけれど、きみが謝ることではないからね」

 自分の不出来さを恥じていた私は無意識のうちに俯いていた。茜色に染まる石畳みの地面とつま先を見るともなしに見ていると、すぐそばから優しい声がかかる。声の主はもちろんディオンだ。
 けれど、私の心はなかなか晴れず「でも……」と、顔を上げられずにいた。

「じゃあ、そうだな……お詫びにもう少し俺に付き合ってくれないかな?」

 身を屈めたディオンは覗き込むようにして、私と目を合わせる。
 赤い瞳はきらきらと煌めき、澄んだ光を描いていた。

「それはもちろん……はい。私にできることでしたら何でもおっしゃってください。何ができるかはわかりませんが、精いっぱいいたします」

 ディオンの優しさにせめて、きちんと礼儀を通そうと頷く。すると、彼はくすっと魅力的な笑顔で微笑んだ。

「そう畏まらないでいいよ。せっかくなら夕食を一緒にどうかなって」

 提案されたのは、食事の誘いだった。

「食事、ですか?」

 ディオンからしてみれば、なんてことは無い誘いだったのだろう。けれど、私の予想にはなかった提案に思わずおうむ返しをした。

「そう、食事。じつは前に来たときに見つけた気に入りの店に、次はきみと一緒に行きたいと思っていてね。俺と食事をするのは嫌かな?」
「い、いえっ……いいえ。——お誘い、喜んでお受けいたします」

 ディオンの言うように、昔は苦手だった。
 今世で顔を合わせた日に行われたデシャルムの屋敷での晩餐や、それ以来誘われることとなったお茶会の席など、彼と食事をともにする機会は何度もあった。
 あの頃は、ディオンと会いたくない気持ちに、今ほど普通の食事に慣れていない体も相俟って、あまり楽しい時間とは言えなかった。

 でも、今は違う。
 ディオンに会いたくない気持ちは無くなったし、食事だって今は苦痛ではない。
 同年代の中では少食なのは否めないけれど、食事は楽しい行為なのだと教えてくれたのはリナ様やリベルテのみんな、そしてノートルさんやサーラさんのように親切にしてくれる人たちだ。

「良かった。それじゃあ行こう」

 嬉しそうに微笑むディオンに釣られて、私も口角が上がる。
 ディオンからのお誘いがこんなにも嬉しいなんて。また浮かれすぎているなと思ったけれど、心が揺れるのは止められなかった。

 手にしていた包みをいそいそと鞄にしまって、横を歩くディオンを窺い見る。すると、あっと思う間もなく、空いた右手に彼の左手が繋がれた。

「暗くなってきたから、はぐれないようにね」

 私をもっと知らない世界へと連れ出してくれる手は、冬の寒空の下でもあたたかく、心地の良く、私の手を大きく包んでいた。

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