【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第三章

37. 荒唐無稽

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「そうして俺をイリエスへと導いてくれたのが、この日記だ」

 紆余曲折を語ったディオンが私に差し出したのは、一冊の日記。
 青い表紙に白字で『Diary』と記された装丁の本は、私がこれまで九度の人生においても見たことのないものだった。

「中を拝見しても……?」
「もちろん、構わないよ」

 日記を両手で受け取って、私は恐る恐る表紙をめくった。
 表紙からは年月が経っている印象を受け、中のページも少し黄ばみがかった紙がまとまっている。決して新しいわけではないそのページには、数年ぶりに見るディオンの筆跡が書き記されていた。

 今世でも交わした手紙と変わらぬ字体に、懐かしい気持ちと、この日記に何が書かれているのかという不安が混じり合いながら、私は慎重にページをめくる。
 そこには、先ほどのディオンの話にもあったとおり、私が十四歳から二十三歳になるまでの九年でディオンと交流したことと、それによってディオンがいかに心を震わせていたかという想い。そして、が添えられたイリエスの死と、それに対する嘆きと後悔が綴られていた。

 綴られている内容は——私の〈一度目〉の人生に酷似していた。

 違うところといえば、私が死んでから、さらにひと月分の日々が綴られていることだろうか。
 そこには私の知らない月日があった。

「その日記に書かれていることは、本当のことなんだろう?」

 まるで確信があるかのように、ディオンは述べる。
 ディオン視点で綴られているそれが真実かどうかなど、他人の私にわかるはずもないのに……。けれど、彼の言うように、そこには真実の一つが書き記されていることが私にはよくわかった。

 なぜかって? その日記の中で『イリエスが死んだ』と綴られている日は、私が毎度命の灯火を一度消す『命日』とまったく同じ日付なのだ。
 今世のディオンはもちろんのこと、誰もが知るはずのない……私の命日。その日付がはっきりと書き記されていた。

 日記を睨んだまま押し黙る私の様子を見たディオンは、問いへの答えを肯定と受け止めたようだった。

「ただ、どうにも理解できない。日記の日付はこれから先のもので、きみは……当たり前だが、亡くなってなどいない。そもそもきみはまだ二十二だし、この日記に書かれているイリエスは他国になど嫁いでいない。つまり、日記の中の俺とイリエスは似ているようで差異がある。でも——」

 馬鹿げているとは思うけれど——と前置きし、彼は私の目を見て告げた。

「俺には……このイリエスが、きみと同一人物に思えてならないんだ」
「同一人物、ですか」
「そう。変な話をしているだろうけど、俺はそう思っている」

 彼の話は矛盾している。
 差異があると言った口で、同一人物ではないかと話すのだから。

 だが、その可笑しさは彼自身が一番よくわかっているのだろう。その表情は、静かに耳を傾けていた私を馬鹿にするものでも、自分自身の理解しがたい考えを嘲笑うものでもなく、呆れるほど大真面目で真摯なものだった。

 そこまでディオンを突き動かすものは、なんだろう?

 すると、言葉にしなかったその問いに答えるように彼は口を開いた。

「……日記を読んだとき、俺はイリエスという少年を助けたいと思ったんだ。会ったことも話したこともない相手なのに、なぜだかそう強く思った。何か、強く訴えてくるものがあった。だから、この日記についても、きみについても、ずっと調べて気にかけていた。——なあ、イリエス。きみなら、この日記について何か知っているんじゃないか?」

 ランタンの炎を映しながら、赤い瞳がゆらゆらと揺れる。
 天幕の布にも二人分の影が揺らめいて、それは私とディオンそれぞれが、心の中でもやもやとしている不安や疑問を映し出しているかのようだ。

 ディオンとて、どう説明していいかわからないのだろう。
 亡くなったと記された人物と、目の前で生きている人物が同一人物だと考えているなんて頭がおかしくなったと言われても不思議ではない。

(時を超える日記と、理不尽な生から抜け出せない私、か。……日記が何たるかは本当にわからないけれど、私自身も何か感じるところがあるのは事実だ)

 はたして、私のことをありのままに伝えるべきか。
 正直言って、かなり悩ましい。

 今のところ、ディオンは私の身に起きている不可思議な真実を知っているわけではないようだ。繋がらぬ点と点を無理やりに繋げているだけ。
 けれど、『未来』が綴られているらしき日記に書かれていたイリエスという少年とまったく同じ名を持つ者である私が、日記の謎を握っていると考えてしまうのは十分に理解できる。

 私を真っ直ぐに見つめてくるディオン。その瞳は澄んでいる。
 彼は不審に思われることも覚悟して、この話をしてくれたのだろう。

 このまま何も、知らぬ存ぜぬでいることもできる。
 けれど……悩んだ末に話してくれたであろう彼の思いと考えを聞くだけ聞き、私からは何も語らずに無碍にしていいのか。ぐらぐらと心は揺れていた。

(さて……どうしよう……)

 私はディオンから視線を外し、再び日記をじっと睨みつけ、まずは自分と向き合ってみる。その間も、ディオンが私の反応を今か今かと待っているのを感じることができ、重ならない視線の熱さまでもがありありと伝わってきた。
 視線の熱さは、私を揶揄うためでも笑い飛ばすためでもなく、日記に記された『私への虐待と、その末の死』を心の底から心配してのことなのだろう。

 ディオンが纏う空気はどこまでも優しい。
 いまだ口を噤もうとする、私にさえも。

 そんなディオンの覚悟を無駄にしていいとは——やはり、到底思えなかった。

「……荒唐無稽な話を、お聞きになる覚悟はおありですか?」

 日記のことなど、何も知らない。
 けれど、不可思議なことが起こっていることは身をもって知っている。

 だから、二つの因果関係は判らずとも、ディオンが手にした日記のように、私の身に起きている理解しがたい状況を話してもいいのではと。今ならば……今、目の前にいるディオンならば、頭がおかしくなったと思われるような話も信じてくれるのではと。——気がつけば、そう思っていた。

 私の問いに、ディオンは真剣な眼差しで頷いた。

 彼の意思を受け取った私は、深呼吸を何度も繰り返す。
 肺いっぱいに空気を入れ込んでは吐き出して、不安な気持ちを自分の中から追い出す。代わりに入れ込むのは、小さな期待とひそかな願い。怯える自分を叱咤して、私はようやく口を開いた。

「ディオン様。もし私が……イリエスという人間が……すでに九度、命を落としていると言ったら、あなたはどうしますか? 今、目の前にいる私は〈十度目〉のせいを生きていると言っても、嘲笑わらわずにいてくれますか?」

 他人からすれば信じ難い真実を含んだ言葉は、遠くで聞こえる喧騒から隔絶された天幕内を満たしていた空気を震わせ、ディオンのもとへと運ばれていく。
 あれだけ覚悟を決めても、最後のほうは緊張と不安で震えてしまい、きちんと音となって届いたかどうか怪しい。——話しているうちに、もしディオンに馬鹿にされてしまったら……と、心配でたまらなかった。

 しかし、私の紡いだ言葉はきちんと音となってディオンに届いたようで、きらきらしい貴公子は大きく目を見開き、当惑した顔をしていた。

「十度目? それは、何かの比喩か?」

 比喩であれば、どれほど良かったか。
 素直な彼の反応に、強張っていた肩の力が幾分か抜ける。

 ディオンの反応はもっともで、すぐに「そうだったのか」と納得されずとも落胆はしなかった。むしろ「そんな馬鹿げた話、あり得ない」と一蹴されなかったことは安堵すらもたらした。

 私は、純粋な疑問を呈するディオンと、まずは否定の言葉を吐かれなかったことに胸を撫で下ろした自身の現金さに苦笑しつつも、首を横に振りながら答えた。

「いいえ。比喩などではなく、そのままの意味です。——私はこれまでに九度、命を落とし、そのたびに十四歳の自分に生まれ戻っているのです。まるで抜け出せない迷路のように、何度も何度も。飽きるほどに十四歳からの人生を繰り返して……今、私は〈十度目〉の人生を生きています」

 言葉にすると、なんとも滑稽な話だ。

 けれど、どんなに滑稽であっても、これ以上にどう説明したらいいのか、上手い言葉が見つからない。
 弁の立つ者ならば、もっと理解しやすい説明ができるのかもしれないが、幾度の人生を繰り返そうとも、さして他者とのコミュニケーションをとってこなかった私では、ただ事実を連ねるだけの説明が精いっぱいだった。

「まあ、信じられない話ですよね……」
「それは…………」

 ディオンは眉根をぎゅっと寄せ、息を詰める。
 何かを言いたいのか、その形の良い唇を震わせて口を開くものの、何も音を発することなく閉じて……そして、また開くというのを何度か繰り返していた。

 まあ驚くのは無理もない。信じられないのだって仕方がない。私だって、突然こんなことを告げられたら似たような反応をすると思う。むしろ、はじめから馬鹿にされなかっただけ、随分といい反応だろう。
 何も言わずに眉を寄せるディオンに何か声をかけてあげたいけれど、私もまた彼へ何と声をかければいいのかわからず、口を噤んでいた。

 否定され、嘲笑われ、馬鹿にされても仕方がないことだ。
 いくら説明したところで、荒唐無稽な話にしかならないのだから。

 長い、長い沈黙が、天幕内を流れる。

「——これまでに九度、命を落としていると言ったか?」

 たっぷりの時間のあと、ディオンは沈痛な表情で訊ねた。

「……ええ、そうですね」

 やはり馬鹿馬鹿しいと言い捨てるだろうか。
 それならそれで、もう腹を括ろうと私は彼の問いを肯定した。冷たくされるのは、慣れっこなのだから。

 すると、ディオンは小さく息を吐いてから「イリエス」と私の名を呼んだ。その声はひどく優しく、ランタンに照らされる横顔には慈愛の眼差しが浮かぶ。

 はっと息を呑んだそのとき、ディオンはことさら心地の良い声色で言った。

「ずっと、つらかっただろう。それでも……今、生きてくれていて、ありがとう」
「——っ」

 湧き出る感情がこらえられないとばかりに椅子から立ち上がったディオンは、私の前に跪き、私が持っていた日記をそっと膝の上に置く。そして、私の両手を宝物を扱うかのように優しく掬い取った。

 彼の手は驚くほどに温かい。……いや、私の手が冷えすぎているのか。

 思いがけない言葉と行動に、私はディオンを見つめた。ただ、何かが喉に詰まったかのように何も言えず、反応すらできず、椅子に座ったまま微動だにできずにいた。

 けれど、それは一瞬のこと。
 手を握られているうちに、「つらかっただろう」と私を気遣い、「生きていてくれて良かった」というディオンの言葉が時間をかけて、じわり、じわりと私の心に沁みこんでいく。——私の目からは、いつしか堪えきれないものが流れていた。



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(2024.7.26 後書き)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
相変わらずの誤脱っぷりで、ちょこちょこ修正しています。本当にすみません。

お気に入り登録や♡、感想なども大変励みにさせていただいています。暑い夏を乗り越える活力になっています…!

週末の土日ですが、1話3話ずつ更新予定です。
15時頃、18時頃、21時頃に投稿します。
引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。

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