【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第三章

31. 敵か、味方か

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 翌週——その日、私は公演が行われる舞台の裏で顔を青くしていた。

 視線の先にあるのは、舞台袖からチラリと見える観客席。
 その客席の中で、舞台の全容がよく見える高台の席——貴賓席と呼んでいるそこに、アルノルク王国の第三王子リュシオンの姿があったからだ。

 貴賓席は周囲の客席から一段高く設けられていて、仕切り壁も設置されているのだけれど、そこに人がいれば舞台袖からは「身分の高い者か富裕層が演劇を観に来ているのだな」というのがわかる席だ。役者の中には、舞台に立つ前にそこを見て、気合いを入れるなんて者もいる。
 こちらから見れば中にいる要人が誰かはわかるが、あくまでそこは貴賓席。一般客が往来できない作りになっているので、王城ほど厳重ではないにしても警備面も考えられているほうだろう。そこに警護の者がつけば、それなりにはなる席だ。

 劇団の評判が上がれば、いずれ貴人も観に来てくれるだろうと、トレヴァー団長が劇団が大きくする前から用意していたその席には、今では実際に各地の貴族が観劇に訪れてくれる。
 劇団リベルテは庶民でも貴人でも、誰もが楽しめる興行を目指し、着実に評判を上げている人気の劇団なのだ。

 だから、劇団で世話になっている私とて、貴族だけではなく王族が来ることも想定にはあったし、なんら不思議なことではないのだけれど……そこに他国の王族までもが来るとは、あまり想像できていなかった。いや、もっと正確に言えば、自分の故郷である国の王侯貴族が来ることを、私は想定できていなかった。

(どう、しよう……バレないようにしないと……)

 私の記憶に間違いがなければ、貴賓席に座っているのはリュシオン殿下に違いない。
 家の事情もあって、侯爵家の者ではあっても私自身は王族の方々と接する機会はほとんどなかった。けれど、王子王女たちの姿絵は市井でも出回っていたので、私も見たことがあったのだ。

 リュシオン殿下は容貌に華のある人物で、貴族からも庶民からも絶大な人気を誇っている、というのは異母妹エヴェリンの話だっただろうか。
 私が憶えている姿絵よりも年齢を重ねてはいるけれど、たしかに優美な印象の美男だ。薄茶色のサラリとした髪に薄紫色の高貴な瞳がいかにも麗しの王子、といった雰囲気の美男である。

 けれど、本当に私の目を引きつけていたのは、王子の存在でも美貌もなく……彼の周囲を取り巻く、騎士服を纏った男たち。
 リュシオン殿下の背後や周囲には、美しく品のある装飾が施された騎士服を纏う男——アルノルク王国の近衛騎士たちがいた。

 近衛騎士は、王族の方々を警護する任に就くゆえか、腕が立つだけでなく見目の良い者が多い。もちろん、忠誠心も持ち合わせていなければ近衛騎士は務まらないので内外ともに洗練された騎士たちだ。
 彼らはいかなるときも誠実で真摯ではあるが、こと公の場での警護であるほど、その表情は精悍さが増す。そのため、この瞬間にも王子には劣りはすれど、きらきらしい存在感を放っていた。

 だが、見目が良い騎士ばかりだから目を向けていたわけではない。

(まさか、ディオン様は来ていらっしゃらないよな……?)

 近衛騎士は、ディオンが就いた職だ。
 しかも第三王子といえば、いつぞやの秋にディオンが護衛についていた相手ではなかったか? 近衛騎士がつく相手は固定なのかそうでないのか、そもそもどのような体制で任務にあたっているかも知らないけれど、あまり良い予感はしない。

 もし、ディオンがリュシオン殿下の護衛としてついてきていたら……。

 そう考えると、自然と顔色が悪くなった。
 ディオンの姿がないかと、私は必死に目を凝らす。だが、貴賓席の後方で背筋を伸ばして不動に立つ騎士たちは、その体を目に留めることはできても、顔は薄暗がりに紛れていて、なかなか確認することができない。

 そんな私の焦燥を余所に、その日の公演は大盛況のうちに幕を閉じた。
 リュシオン殿下という貴人の賓客がいたこともあってか、役者たちも演出家たちも相当な気合いの入れようで、それは劇団員だけでなく観客たちにも熱波のように伝わっていき、最後には割れんばかりの拍手が起きた。

「みんな、お疲れ! 今日は特にいい出来だった! それでなんと、我々の劇を観に来てくださっていたリュシオン殿下から一言いただけることになったぞ!」
「おおっ! 本当ですか、団長っ!」
「気合い入れた甲斐があるなぁ!」

 公演直後の熱気で沸いていた舞台裏は、隣国の王子に直接言葉をいただけるなんて! と、いっそう色めき立つ。その熱気の中で私は一人、動揺していた。

(まずいことになったな……)

 結局、公演が始まる前と最中で、雑務をこなす間に貴賓席をチラチラと確認していたが、ディオンらしき人物は見当たらなかった。
 けれど、それで肩を下ろしていいと思えるほど、私は呑気に構えてもいない。

 近衛騎士の服に身を包んでいても顔を確認できなかった者もいるし、そもそも近衛騎士が貴賓席周辺のみにいるわけでもない。天幕の出入口や周辺を見回る者もいるだろう。
 ディオンがいたとしても不思議ではない、と思って行動したほうがいい。

(フードを被っておこうか。いやでも、貴人の前で顔を隠すのは無礼だと見なされるかも。なら、せめて後ろのほうにいれば見つからないかな……)

 ぐるぐると考えているうちにも、トレヴァー団長は団員たちにあれこれ指示を出していく。

「簡単にでいいから軽く片づけておいてくれ。ああ、危険なものは退けておこう。王子殿下に怪我でもさせたら大変だからな」

 どうやらリュシオン殿下はこちらの準備が済み次第、舞台裏にお越しになるとのことで、役者も裏方も一緒になって煩雑としている一帯を片づけ始めた。片づけと言っても、触れたら危ない道具をしまったり、少しでもスペースが空くように舞台装置をできる範囲で避けたり、ごちゃついていたものを整えたりといった程度だが、団員たちは頬を昂揚させながらきびきびと動いていく。

(それか……私一人がいなくても、誰も気づかないのでは?)

 いっそのこと、この場から逃げてしまおうか。思い始めたところで——。

「イル! ちょっとこっちに来てくれー」

 トレヴァー団長の声が通った。

「おーい、イルー? いないのかー?」

 いつもはすぐに返事をする私だが、このときばかりはすぐに返事もできずにいた。返事をすれば、この場から逃げ出すこともできない……。

 けれど、近くにいた団員に「団長が呼んでるぞ」と肩をつつかれ、その選択肢は失われてしまった。

「は、はいっ……! 今行きます!」

 このタイミングで声がかかるなんて、悪い予感しかしない。
 けれど、恩のあるトレヴァー団長を困らせるわけにもいかない。
 
 着替えは後回しにして汗を拭ったり、崩れた化粧を直したりしている役者陣や、リュシオン王子はどんな人物だろうかと思いを馳せる裏方陣の間を抜けて、私は天幕の奥側へと進み、団長のもとへと向かった。

「ああ、イル。やっときたか」
「すみません団長、遅くなってしま——……」

 ああ、ほら。
 悪い予感はあたるのだ。

「実はその……みんなへお言葉をいただく前に、王子殿下が直々にきみと話したいらしくてね。お断りしようとは思ったんだが……」

 眉尻を下げて申し訳なさそうにしている団長に、曖昧に微笑んで首を横に振った。

 トレヴァー団長の横に立っていたのは、リュシオン殿下だった。
 そして、殿下の背後には近衛騎士が三人ほど。さっと顔を確認したが、ディオンでなかったことは辛うじて幸いと言えるだろうか。
 
 今すぐ踵を返したい気持ちを堪えて、その代わりに「大丈夫です」と団長に目だけで伝えれば、気遣うようにそっと二の腕を摩ってくれる。無理強いはしたくないのだけれど、という彼の気遣いは十分に伝わるその手は温かかった。

 トレヴァー団長は訳ありの人間を抱えている劇団の長だ。もちろん、仲間を売るような行為は断じてしない。
 その団長が断れきれなかったのは、団長から見て「この人は敵ではない」と判断したからだろう。

 詐称したり、出任せを述べたりして、気に入りの劇団員とお近づきになろうとしたり、あるいは追ってきたりというような輩もいるのだが、トレヴァー団長は稀有な魔法である『嘘か真かを見抜く魔法』というのが使えるらしく、その手のものは通用しない。
 私は魔法の知識はまだ勉強中なので、その魔法の真偽のほどは不明だ。けれど、実際にこの劇団が本当に危ない目に遭うことはなかった。だから、私は団長と劇団のことを信じている。それに、そんな魔法がなくたって、トレヴァー団長の人の見る目は確かなのだ。

 団長は何かしらの意図があって、私と殿下を会わせたはずだ。
 その真意は読めないけれど、トレヴァー団長の気持ちは理解できたので、私は団長に抗議はしなかった。

「会えて嬉しいよ、イリエス。いや、今はイルと呼んだほうがいいかな?」

 リュシオン殿下はふわりと笑った。侮蔑も嘲弄もない、お手本のようなきれいな笑顔は誰もが見惚れるものだろう。

「こうしてきみと直接、挨拶をするのははじめてだったかな。私はアルノルク王国、第三王子のリュシオン・ジェレミ・アルノルクだ。不意打ちのような形で呼び出してしまってすまないね」
「お会いできて光栄です、リュシオン殿下。今の私は、ただの平民のイルです。殿下が謝られるようなことなど何もございません」

 そっと目を伏せて礼を取ると、リュシオン殿下は、ふふっと小さく笑う。

「きみがそう言うなら、イルと呼ぼうか」
「……恐れ入ります」

 謝るのも礼を言うのも変な感じはするけれど。ただデシャルムの家名も、嫁ぎ先のジードの家名も口にしたくはないので、本名を知る殿下が私を「イル」と呼んでくれるのは精神的には幾分有り難い。
 すると、恐る恐るといった様子で私と殿下を窺っていたトレヴァー団長がこほん、と一つ咳払いをした。

「では、私は席を外しましょう。劇団員たちの様子を見てこなければ。ああ、リュシオン殿下。イルは我が劇団の大切な仲間です。どうか……どうか、よろしくお願いします」
「心得ているよ。話が終わったら、私もそちらへ行こう」
「承知いたしました。——イル、きっと大丈夫だ」

 まったくもって大丈夫な気はしないのだけれど。
 でもここまで来てしまったら、引き返そうにも引き返せない。私にできることは、団長のことを信じることだけだった。

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