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第三章
24. 隣国の伯爵
しおりを挟むガタゴトと、馬車が揺れる。
ひ弱なオメガを乗せた馬車が走るのは、見慣れぬ景色が広がる街道——隣国パラウィット王国の東だ。街道脇には、春を彩る草花がそよ風に揺れていた。
まあ、長らく閉じた世界で生き存えている私からすれば、国内だろうと国外だろうと見慣れぬ景色に変わりはない。
十九歳になった私は、御者を二名とケニーだけを連れて、馬車に揺られている。嫁ぎ先へと向かうためだ。
「イリエス様、お加減は変わりないですか?」
「問題ないよ。これだけ馬車に揺られるのは初めてだから、さすがに腰もお尻も痛いけれどね」
「次の休憩まで、まだ時間がありますが……」
「平気だよ、ケニー。私に構わず進んでくれ」
「……かしこまりました」
移動中、ケニーはこうして私を気遣ってくれている。
私が嫁ぎ先に向かうまでの片道が、ケニーと言葉を交わす最後の時間だ。
私の夫になるのは、二十以上も年が離れた隣国の貴族だと聞いている。
名をアントナン・ジードといい、年齢は四十五。私が生まれたアルノルク王国の西方に位置するパラウィット王国で伯爵の地位を賜っていて、姿絵によれば濃い茶髪に同じく茶色の瞳を持つ中年の男性だ。
ちなみに、私は側妻として嫁つぐので、正妻ではない。
アルファのジード伯にはすでに六歳年下のアルファ女性の正妻がいて、今なお健在でいらっしゃる。
他国とはいえ、侯爵家の次男が、格下の相手に側妻として嫁入りするなど本来であれば異例だ。けれど、私が生まれたのは『デシャルム』という普通ではない家である。そして、相手のジード伯爵家もまた同じ穴の狢であることは言うまでもない。
なにより、このアントナン・ジード伯爵なる人物は、私の父がかねてより懇意にしたい相手であった。
つまり、簡単に言えば政略結婚だ。
父が私を差し出すことで、デシャルムは大きな利益を得ることができる。
ジード伯の領地では金属類の加工が盛んだという。我が国では見たことのない技術を使った繊細な意匠の装飾品が作られていたりもする。そのため、豊かな鉱山を有する父としては、是が非でもその技術が欲しかった。随分長いこと、ジード伯との密な交流を願っていたらしい。
しかし、ジード領とデシャルム領は、国も違えば場所も遠い。馬でも七日はかかる距離だ。馬車ならさらに遠い。
その上、領主のジード伯はすでにアルファの正妻を得ているだけでなく、オメガの側妻もいる人物だった。正妻との間だけでなく、側妻に産ませた子も多く、その数は十人にも及ぶ。
愛妾の話は聞いても、それ以上に側妻を求めている話はなかったそうで、私の父も到底縁は繋げぬだろうと思っていたらしい。凝り固まったアルファ至上主義の父も、さすがにオメガであっても侯爵家の者を側妻ですらない愛妾として差し出したくはなかったようだ。
風向きが変わったのは、私から父にある提案を持ち掛けてから。
私が「オメガとして、せめて家の役に立ちたい。できれば他国との縁を繋ぐために私を使ってほしい」と提案した頃だ。
ちょうどその折、父はジード伯の新たな噂を耳にしていた。
ジード伯がオメガの男性に興味を持ち、良い縁を望んでいる——ということを。
もちろん父は、一も二もなくその話に飛びついた。
ことの真偽を確かめるためにジード領へ遣いを出した。そこで、ジード伯が本当に男性オメガを求めていると知り、私の縁談をまとめてきたのだった。
愛妾としてではなく、二人目ではあるが側妻とさせたのは、おそらく父の手腕によるものだろう。腐っても侯爵家と言うべきか、あるいはアルファと言うべきか。そういう上手さと強運はデシャルムの強みだった。
ジード伯のことも、父の長年の希望も、まったく知らずに自身の婚姻を提案した私であったが、かくして『他国へ行きたい』という内に秘めた希望は叶えられることになった。願ったことが叶うのは、生まれて初めてかもしれない。
そういえば、結婚をするのも十回の人生で初めてのことだ。
デシャルム家は極端なアルファ至上主義のなかで生きているため、オメガを他家から娶ることはあれど、間違って生まれたオメガを嫁がせるのには慎重だ。不出来なオメガを外に出すことは恥だと考えているため、嫁がせ先はかなり厳選する。
間違って生まれたオメガの嫁ぎ先は、須らくアルファ至上主義の家だ。つまり、アルファ至上主義の家同士で、不要なオメガを産み腹として利用するのが常である。亡くなった私の生母も、他のアルファ至上主義の家から嫁いできたオメガの女性だった。
とはいえ、嫁ぎ先が見つからなければ一生を監禁部屋で過ごさせて、せいぜい甚振る玩具として使うだけ。
私の場合は、国内にアルファ至上主義の家系が近年減ってきているのと、年頃のアルファはすでに妻帯していたり、オメガだとしても男性は求めていなかったりで、嫁ぎ先はなかなか決まらないようだった。それ自体はこれまでの人生で知っていたから、父へわざわざ「他国の縁を」と言ったのだ。
おそらく私が二十三歳で命を落とさなければ、いずれは国外へと縁談の話を広げていただろう。私が知らないだけで、死ぬ前にそういう話が進んでいた可能性もある。そのくらい、今のアルノルク王国には、純粋培養されたアルファ至上主義者の貴族は少ない。
だからこそ、今世では私自らその話を打診した。ケニーの話を聞いたことでひらめいたからだ。
嫁ぎ先もアルファ至上主義の巣窟なので、暮らしぶりはさして変わらないだろう。それはわかっている。別に虐げられる暮らしから逃れたかったわけじゃない。
嫁入り話を持ち掛けたのは——偏にディオンと離れたかったからだ。そのためには、国内よりも国外のほうがより都合がよかった。
だから、ケニーの話を聞いて、これまでの人生で得た情報や経験を集約させた結果、賭けてみたのだ。国外のどこかへ嫁げる可能性に。
そうして、私は隣国パラウィットの貴族へと嫁ぐこととなった。
「イリエス様は、ジード伯がどんな方かご存知ですか?」
「いいや。お名前とお立場とご年齢くらいかな。あとは正妻のサビーナ様、それから側妻のリナ様との間にあわせて十人のお子様がいるのだったね」
ジード伯には正妻と側妻が一人ずついる。
子だくさんなのは、特に側妻であるリナ様に子を多く産ませたからだ。
アルファ女性からはあまり子は多くは産まれないので、当然とも言えよう。一人産むのがやっと、二人産めば上々。そういう意味では、私の継母であり、二人子をなしたオデットはよくやったアルファである。サビーナ様との間に産まれた子は一人で、アルファの男性らしい。
対して、オメガであるリナ様との間には数年おきに子をなしては産んできたという。一人目の子などは、私より年上だ。
隣国でオメガ向けの避妊薬が普及したのは最近のことらしいので、孕めば産む、という形でどんどん増えたようだ。ジード伯はかなりの好き者だったのか、あるいはリナ様とよほど種の相性がよかったのだろう。その子らはほとんどがアルファで、オメガが数名いるがすでに他家へと嫁ぎ済みらしい。
それゆえか、私が嫁ぐことが決まった際に言われたのは、産み腹としての価値ではなく、珍しい男のオメガとしての価値——要は、ただの慰みものだ。
子供はもう十分にいるので、むしろ要らないらしい。作るなとすら言われている。まあそりゃ十人もいたらもういいだろう。子供を養育するのだって、ある程度の金がいるのだから。
私としては、子を孕む必要性がないと聞いて、ほっとしていた。どこかへ嫁ぐ以上はそういうことも覚悟はしていたが、もし『命日』までに子をなして、さらに産んでしまったとしたら……いろいろと後悔しそうだ。
もし私が今世で、永遠の死を迎えることができたら?
あるいは、また人生を繰り返すことになってしまったら?
前者ならば子に寂しい思いをさせてしまうし、後者ならばたとえ次世でその子が存在していなくとも罪悪感に苛まれる。命を弄んだのだと悔いてしまう。
それに比べて、慰みものになることくらいはもう経験がある。……嫌悪感はあれど、致し方ないと心に蓋をすることができる。そう思っていた。
「その……イリエス様は、不安ではないのですか?」
いつぞやに聞いたことがあるような台詞。
このタイミングで、そんなことを訊かれるとは思ってもいなかった。
「……どうして?」
「見知らぬ土地の、それも親子ほども年が離れている方に嫁ぐのですから。心細くはありませんか」
私はその質問に答えを返さず、ただ笑みを浮かべた。
二人の会話を気にすることなく、馬車は旅路をひた進む。窓辺の外に流れる景色をどこか遠くに感じながら『心細さ』について考えてみる。
「そうだなぁ……どこに嫁いだとしても、きっと……ケニーと離れることが、一番寂しいね」
何十年と世話をしてくれたケニーと、こんな形で離れることに感傷的になっていた。
これまでの人生で、彼とは一番多く話をした。もうずっと好きも嫌いもない相手だったけれど、今世のケニーは好きだ。恋愛の意味ではなく、親愛の意味で。
最後まで、友人というほどの関係性を築くことはなかったが、それでも彼との関係性は随分と変わった。今世では随分と救われた。
また次の人生が始まっても、ケニーに話しかけてみようと思うほどに。
「私が妹の話をしたから、嫁ぐことをお決めになられたのですか……? でも妹は幸せに暮らしていて……。それに比べてイリエス様は……」
「関係ないよ、ケニー。私はデシャルム家のオメガだ。嫁ぎ先が見つかっただけで十分に幸せなことじゃないか」
ケニーの妹のように、幸せな結婚ができるなんて思っていない。
アルファ至上主義の家にオメガとして生まれてしまった時点で、幸せなんて望めない。それは何度となく人生を繰り返してきて、痛いほどに理解している。
私はせめてこれ以上、想い人によって心を揺り動かされたくないだけ。
私を私だと認識しない者しかいない場所で、何を感じることもなく、静かに死へと向かいたいだけ。……ただ、それだけなのだ。
それからも馬車はガタゴトと揺れながら走り続け、やがて隣国パラウィットにあるジード領へ入ったのだった。
◇◇◇
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