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第一章
12. 砂の手紙
しおりを挟むクラヴリー公爵家の三人は、数日の滞在ののち、帰っていった。
二日目のお茶会のあと、私は熱を出し、寝台の上の住人となっていたので彼らを見送れなかった。発熱はおそらく、想い人との予期せぬ邂逅が心だけでなく体にも負荷をかけたせいだろう。さすがにクラヴリーの方々も寝込んでいる私を起こしてまで交流を図るつもりはなかったらしく、私はずっと一人で寝台の上でいた。
そのため茶会以降、見送りはおろか彼らが去るまでの間、一度も顔を合わせることはなかった。十中八九、疲労とストレスからくる発熱ではあったが、万が一にも伝染する病であったら公爵家に申し訳が立たなかったのもある。
(情けないことこの上ないが、今回ばかりはこの身体に感謝だな。彼と過ごす時間を減らすことができた。どうせ寝込むなら初日からがよかったけれど)
病弱設定は家族が流したフェイクだ。
だが、これまでも本当に寝込むことはあった。なにせ栄養状態が良くないままに虐げられ続けた人生だ。厳しい生活環境に慣れてはいても、たまには体が悲鳴を上げる。そういう意味では、当初はフェイクで作った設定は年を追うごとに真実になってきている。
そんな病弱の私だが、具合を悪くしたところで大した治療はされない。あまりにも衰弱が激しいときや、なかなか改善されないときはデシャルムが懇意にしているお抱えの医者から最低限の治療を受けられるけれど、それだけだ。
その医者だってアルファ至上主義者だし、父から言われているのかあくまで死なないように診察をするだけ。日頃の栄養状態の悪さとか、折檻でつけられた傷や痕だとかは治療されるどころか見て見ぬ振りだ。
だから今回も似たようなもので、薬を与えられるでもなく、私はただただ寝台で眠り、自己回復力に頼りながら時間が過ぎ去るのを待っていた。まあ私としては、多少熱が出ているくらいなら、家族がこの部屋を訪うことが減るので有り難いくらいなのだけれど。
そうしてようやく熱が下がったと思えば、すぐさま発情期が訪れた。
そのため、私が寝台から起き上がれたのは、クラヴリー公爵家の方々の訪いが終わってから、すでに二週間が経った頃だった。
外はすっかり夏の気配を濃くしており、窓から見える庭園の木々も青さを増している。これからさらに一段と暑さも増していくと思うと、無意識のうちに眉間に小さな皺が寄った。
極端に暑かったり寒かったりという気候は、私の痩躯には少々厳しい。真夏も真冬も苦手な季節だ。
「にしても……どうしたものかな。手紙だなんて……」
私の手には、一通の手紙があった。
クラヴリー公爵家の者からの手紙であることを記す白百合の印璽が捺された封蝋に、差出人としてディオン・クラヴリーの署名。流れるように、少し斜めに書かれた癖のある字体は、彼本人が書いたものだ。……これまでの人生で見たことがある、変わらぬ字体に懐かしさがこみ上げる。
私はその手紙を睨んでは何度もため息をつき、封を開けずに手紙をそっと机に置き——そしてまた手に取る、というのをかれこれ一時間ほど繰り返していた。
「……私に手紙を寄越すだなんて。クラヴリー公爵家は、いったい何を考えているんだ。それに父上たちも……」
爵位も年齢も上の方に対して失礼な発言ではあるけれど、部屋には私しかいないので許してほしい。それに加えて、いつもは思うだけで口にはしない父への苦言も自然と漏れ出てしまっているが、そちらも目を瞑ってもらおう。
だって、たまには多少の悪態をつかなければやってられない。
そうでもしないと、熱も下がり発情期も過ぎてせっかく持ち直した私の精神が、すぐにでも崩壊してしまいそうだ。一人のときくらい貴族らしからぬ態度をしてしまっても仕方がない。まあ貴族らしさなんて、そうそう必要になる場面はないのだけれど。
兎にも角にも、手紙だ。この手紙はいただけない。
ディオンから手紙が届いたというだけでも頭を悩ませるのに、それがこうして私にしっかり届くというのも、ため息を深くする。手元に届かなければ、なかったことにもできるのに。
今までのことを思えば、私宛ての手紙が届いたとして、父が私に馬鹿正直に届けるわけがないのだ。まあ、社交の場に出ることもない私に宛てた手紙なんて一通たりとも届いたことはないだろうけど。もし届いたとしても、何かと理由をつけて父が返事を書くなりなんなりすると思っていた。
それがどういうわけか、ディオンが綴った私宛ての手紙はきっちりと私のもとへ届けられた。しかも、封蝋もそのままに。
もしや父は知らないのだろうか? いや、まさかそんな馬鹿な。
(何が書かれていることやら……)
奇妙に思いながらも、私は手紙を睨んでいた。
ディオンから手紙が届いたというは、あの庭園での話は冗談ではなかったという証だろう。この手紙をケニーが持ってきてくれたとき、私は「あの場限りの提案ではなかったのか」と項垂れたものだ。
……いつまでも手紙の封を切らないわけにはいかないよなぁ。
父たちが確認しないのならば、私宛ての手紙は私が見るほかない。中身を見て、返事を書く必要もあるだろう。このまま放置すれば、公爵家からの手紙を無視したこととなり、礼儀を欠いていることになる。
私がどんなに彼を避けたいと思っていても、失礼なことをしたいわけではない。
開けたくないけれど、開けなければいけない手紙。
何が書いてあるのか、読みたくない気持ちと気になる気持ちのせめぎ合い。
——私は、また彼に期待してしまっているのだ。
そんな自分に心底うんざりする。優しい言葉をかけられても、いつかは冷たい瞳を向けられるというのに……。
「はぁ……」
ため息とともに意を決して、私はペーパーナイフで手紙の封を切った。
そして、なるべく心を落ち着けるように何度も自分に言い聞かせてから、便箋に目を通した。
『イリエスへ
先日は楽しい時間をありがとう。熱が出たと聞いているけれど、その後、体調はどうかな。俺たちの来訪で負担をかけてしまったようですまない。
今後も他愛のない話をしたり、お茶ができたら嬉しい。早く良くなるよう、祈っているよ。また顔を見せてくれ』
手紙には、やはりと言うべきか、優しい言葉が並んでいた。
(ああ……一度目と同じだ……)
知らぬ間に、つぅ……と、一筋の涙が頬を濡らしていく。
忘れていた——いや、忘れようと蓋をしていた記憶がまるで昨日のことのように蘇ってくる。
〈一度目〉の人生でも、私はディオンと文を交わしたことがある。
あのときも、この手紙のように始まりは私の体調を気遣うものだった。そして負担にならないような言葉遣いで、今後の希望が綴られていた。
体調が戻ったらまた茶会をしよう。いつか馬に乗ってどこかへ行こう。遠乗りが難しければ近場でもいいかもしれない。剣は苦手でも弓ならばどうだろうか。それよりは詩を作ったり音楽を嗜むほうが好きだろうか——などなど。
あの頃は、文でたくさん言葉を交わした。
親しくなって、友人という関係にもなれた。
あの頃は、まだ何も知らなかった。
私を疎んだ家族の加虐欲はやがてエスカレートしていき、苛烈さが増していくことも。その末に身体を穢されることも、その汚れた身をディオンに知られることも。それを知ったディオンが私から離れていくことも。冷たい目とともに彼が去っていくことも。
親しい友だと思っていた。
恋人にはなれずとも、楽しい時間を共有できればそれでよかった。オメガだと蔑まない彼に何度も救われた。
けれど、結局最後は、彼もオメガの私を厭わしく思うようになった。
全部、全部……知らずに、あの頃はディオンの優しさに、寂しい心をあたためていられた。優しくて、愛おしくて——残酷な記憶。
(この手紙は砂の城だ。いつかは崩れ去るもの。期待してはいけない)
今ここに、いつぞやのように希望に満ちた言葉が綴られていたとしても、決して鵜呑みにしてはいけないのだ。それは、自分が一番よくわかっている。
たとえ今世のディオンがこんなにも優しい言葉を私に贈ってくれたとしても、いつか彼は私を蔑み、存在すらも忘れてしまう。それならば、最初から何も期待したくない。
したくないのに——どうして、こんなにも喜んでしまうのか。
「私は、本当に単純だ。単純で……どうしようもなく愚かだ……。だからいつも、間違える」
好きな人から手紙を貰えたことに浮き足立つ自分が恨めしい。
これ以上、好きになりたくない。好きでい続けたくない。
なのに、ディオンの手紙がそれを許さないと言わんばかりに、私のもとへ届いた。
これは、どこぞで私の『死』を狂わせている何か——あるいは誰か——が、私を苦しめたいゆえなのだろうか。
もしそうならば、そいつの言うとおりになどなるものか。
そう虚勢を張って、浮かれる気持ちを振り払う。
「……一度手紙が来たとして、ずっと続くわけでもないだろう。なるべく無難な言葉を並べて、面白みのない手紙を返せば、向こうも送ろうだなんて思わなくなるはずだ。そうやって、自然と交流を無くしていけばいい。……まだ十回目は始まったばかりなのだから」
しかし、そんな私の思惑虚しく、ディオンとの奇妙な手紙のやりとりは、それからも続くこととなることをこのときの私はまだ知らなかった。
◇◇◇
(7/8:後書き)
足を運んでくださり、ありがとうございます! そして、たくさん♡やお気に入り登録もいただいていて驚いてます。
あまりよくわかってないのですが(笑)HOTランキングにも載せていただいているようで感謝感謝です。
のんびり展開でハピエンまで時間のかかるお話になるかと思いますが、イリエスとディオンを温かく見守っていただけると嬉しいです。
なお、平日は21時頃に1話分、土日祝はお昼~夜にかけて数話分を更新予定です。
それでは、引き続きお話をお楽しみくださいませ。
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