【完結】十回目の人生でまた貴方を好きになる

秋良

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第一章

03. 世話係ケニー

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「ありがとう、ケニー。助かったよ」

 粗末な私室に、荷物を運び込んでくれたケニーに礼を言う。

「いえ」

 小さく返事を返したケニーは、四十半ばのベータの男だ。私の第二の性が判明した七歳の頃から、私の身の回りの世話をしてくれている。言うなれば私の専属従者なのだが、私に忠誠を尽くし命を賭して私を護ってくれるような、そんなご立派な関係性ではない。
 彼は、ただの世話係。そして監視役といったところか。

「毛布に、タオル。それから水。——さすがに薬の確保は難しかったかな」
「はい。申し訳ありません」
「いや、十分だよ。手間をかけたね」

 ケニーによって運び込まれたのは、使用人ですら使わないほどに草臥くたびれて、あちこちほつれている毛布やタオルが複数。それから、大きめの水差しに汲まれた飲み水だ。なお、その飲み水が単なる水かそうでないかは、私には判別がつかない。見た目は無色透明。匂いも問題はないから信じるほかない。
 できれば、これらのほかに発情を抑制する薬を入手できれば良かったのだけれど、難しいだろうことは想定済みだった。〈三回目〉の人生から自身に起きる『初めての発情期』に備えるようになったが、一度たりとも薬を貰えた試しはない。それでも、もしかしたら……と、所望するだけはすることにしている。もちろん、今世も叶えられはしなかったけれど。

「発情期について、父上は何と?」
「特には、なにも」
「そう……」

 なにも、とケニーは答えたが、まあ何かは言われているだろう。おそらく文句なり嫌味なりを聞かされたに違いない。だが、それを彼が伝えることはない。
 ケニーはいつも仏頂面というか、無表情だ。だから何を考えているのか、何を思っているかも、私には読み取れない。これに関しては、過去に九度も彼に世話をされているのに、さっぱり理解できていない。

 そもそも私が、彼について知っていることは少ない。
 ベータの男性であることと、たしか没落寸前の子爵家の三男であることくらいだ。彼の実家が今どうなっているのかも、これからどうなるのかも、私は知らない。彼と長く接していても、彼との関係性はそれほどまでに希薄だ。

 ケニーとの付き合いは、もう七年——私は何度も人生を繰り返しているので実際はそれ以上——になるが、彼との会話も、彼がしてくれる世話も最小限である。
 それは私の実父であるジョスランと、父の妻であるオデット——私を生んだ母ではなくグェンダルとエヴェリンを生んだ女性だ——からの指示であり、ケニーの意思ではない……と思うことで、私は彼とどう向き合うべきか、なんとか折り合いをつけている。

(相変わらず、読めない男だな……)

 過去九度の人生において、私はケニーと言葉を深く交わしたことがない。
 ただそれでも、二十三歳の命日になるまでの間、ケニーの手によって殺されることはなかった。

 だから、殺意を持たれるほどのことを私がしなければ、彼は私にとって味方でないにしても無害な隣人であると思うことにしている。そうでないと、やっていられない。一番近くにいる男が敵であると考えながら、確定した死に向かって生き続けるなど……私には、まだできそうになかった。

「イリエス様の発情期中、日に一度は様子を見るようにと、旦那様より申しつかっております。ですので、お食事はいつもの時間にお持ちします」
「わかった。私の様子がおかしくても、気にせず入ってくれ」

 このやりとりも過去に何度もした。だから、彼からの申し出に私は素直に首肯する。といっても、日頃ケニーが私の私室へ出入りする際に、私の許可を取ったことなど一度もないのだから、首肯しようがしまいがケニーにとってはどうでもいいだろうけれど。
 ただ彼は一応、入室前に扉をノックしてくれるのだ。だから、ある程度ケニーは親切だと私は思う。

 許可を取らずに入るのに親切だと思うだなんて変かもしれない。しかし、そう思うのに無理もない。
 この部屋をおとなう者はケニー以外には、私の家族くらい。しかし、彼らはノックも無しに突然現れては、言いたいことを一方的に言い、殴りたければ私を殴り、蹴りたければ蹴って、満足したら去っていく。だからケニーは、私の家族に比べたら随分と私に配慮してくれていると思うのだ。

(発情期中の姿など、見られたくないのだけれど……こればかりは仕方がないか)

 訊くまでもなく、彼は今世でも律儀に一日一回の生存確認をしに来るだろう。これまでに例外はなかったから、まだ何も変化のない今世だけが例外であるはずもない。
 まあ私としては、この発情期中に飢え死んでも構わないのだけれども。それでこの狂った運命が終わってくれるのならばそれでよいし、終わらなかったとしたらまた今日からやり直すだけだろうから。

 だが、おそらくそれは難しい。やたらと体裁と外聞を気にする父は、発情期中にオメガの次男を死なせたとなれば、それなりの言い訳をしなければならないし、オメガゆえの利用価値を考えてもいる。だからこそ、父は私をみすみす殺しはしないのだ。——今は、まだ。

 だから発情期中の、ケニーによる私の生存確認は絶対だ。
 前世のどのタイミングだったかは忘れたが、「発情期中だから部屋に入らないでほしい」と言ったこともある。しかし、素気無く断られたので今世は抗うことをやめた。ケニーを困らせるだけだとわかっているからだ。

(ケニーを困らせたいわけではないからな。今世はそこから始めてみよう)

 ともあれ、薬はなくとも、数日間は部屋に籠れるだけの準備はできた。
 この家で嬲られるくらいしか価値のない私は、何かが入り用だと言ったところで望みは叶えられない。歴史ある侯爵家の次男だが、与えられている部屋は二階の隅にある陽当たりの悪い部屋。そこは代々、生まれてしまったオメガの監禁部屋の一つだ。

 私はぐるりと部屋を見渡した。
 監禁部屋と言うだけあって、部屋には簡素ながらも洗面室がついている。そこで用を足せるし、小さなたらいと冷たい水で体を洗うことも可能なため、私は七歳のときからこの部屋を許可無くして出ることを禁じられて生きてきた。まあ実際は人の目を盗んで、書物庫へ足を運んでいるのだけれど。
 そんな監禁部屋だからこそ、少しの蓄えを用意できれば、発情期の隔離部屋としては十分に機能する。

 この部屋以外に、私に与えられているのはギリギリ死なない程度の食事と、他人様にうっかり見られても不審にならない程度の身なり。読み書き計算と貴族としての最低限のマナーやしきたりの教育。それから、先ほど手にした母の形見である、古ぼけて鏡面にヒビが入った手鏡。
 それらが、デシャルム家にとって価値のない私に与えられているすべて。

 このような劣悪な環境ではあるが、私はこれから『十一回目を迎えることのない』ように、生きていかねばならない。

 ——もう繰り返すのはごめんだ。

「ところでケニー。いつもと違う作業をさせることになってしまったから、父上やオデット様に何か言われなかった? ケニーの立場が悪くなっていなければ良いのだけれど」

 私の問いに、ケニーは僅かに目を見開いた。何かを依頼するか、彼からの業務連絡へ返事をすること以外で、私から声をかけることはここ数年でなかったから驚いたのだろう。
 しかし、目を僅かに眇めつつも、ケニーは端的に答えてくれた。

「……問題ありません。必要物資ですから」
「いつもすまないね。オメガの私の世話は難儀だろうに」
「…………」

 ケニーは、私の言葉に否も是も答えない。
 でも、私はそれでもよかった。

 今朝、目を覚ましたとき——〈十回目〉の『朝』を迎えたとき、私は改めて……もう死に戻りたくない、と思った。先ほど、たとえば発情期中に飢えて死んで、また次の人生が始まったところでやり直すだけ、とは言ったけれど、本心で言えば〈十一回目〉は勘弁願いたい。

 無論、今までの前世でも同じことは思った。
 そりゃそうだ。望んでもいないのに何度も何度も十四歳からの人生をやり直しをさせられ、二十三歳で死ぬのを繰り返していたら「もう嫌だ」と思うのは当然のことだろう。だから、これまでも試行錯誤はしてきた。それでも上手くいかず、こうして人生を繰り返している。

 それがもう十回目。ついに二桁だ。嫌気も限界に達してる。

 何がいけないのか? 何が原因なのか? それが判れば苦労はしない。
〈十回目〉の朝を迎えてもなお、理由も原因も不明だ。だが、今までの前世と同じことをすればおそらく、この狂った運命の歯車は回り続けるのだろうとはうっすらと理解している。だから今世も……かつての人生でやったことのないことを試し続けるほかないのだ。

 の頭で考えた結果、今世ではまずはケニーとの交流を図るつもりでいた。別に特別な理由はない。これまでの人生でやったことがないから、やってみるだけのこと。たまたま思いついただけで、それ以外の理由などない。
 だから、これでケニーの態度が別に変わらずともいいのだ。少しずつやってみて、今後の何かが変わればこの狂った運命から逃れる手掛かりになるかもしれないし、そうでなければまた違う何かを考えるだけ。

 ……そうやって、今世も試行錯誤するしかない。
 今度こそ完全な死を迎えるために。

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