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第一章

02. 〈十回目〉の朝

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 目を覚ますと、そこは簡素な寝台の上だった。

 侯爵家の次男の部屋としては、じつに簡素な——みすぼらしい部屋。
 だが、この部屋が私、イリエス・デシャルムの私室で間違いないと確信する。

「……十回目、か」

 いつものように、寝台脇に置かれた古びたチェストの上に置かれた手鏡を手に取って、自身の姿を確認する。
 鏡面がひび割れていて使い勝手の悪い手鏡は私が唯一持つことを許された、生みの母ステラの形見だ。

「確認するまでもなく、今の私は十四歳だろうけど。——ああ、ほら間違いない」

 手鏡には、胸元まで伸びたパサついた黒髪に、垂れ目がちの真っ青な双眸の少年が映っている。私自身はなんとも思わないけれど、一般的に見て顔のつくりは良いほうだろう。所謂『男らしさ』という印象はまったくなく、綺麗な顔立ちをしている。睫毛の一本一本が無駄に長いのも、男らしさを遠退かせている原因かもしれない。
 かと言って、少女めいてるわけでもなく、あえていえば人形めいてるという感じだろうか。まあそれは、生気がないという意味でもあるのだけれど。

 なんにせよ、血の通わぬ人形然としたそこに、諦念を帯びた表情が加わっているためか、あるいは骨ばった痩躯のせいか、線の細さとさちの薄さがやたらと際立った少年が鏡の中にいた。生気がなく、覇気もなく、血色も悪い。そんな憂いの少年。
 でもこの顔はたしかに、十四歳の頃の自分だ。間違いない。

 ——もっと十四歳らしく、明るい健全な顔はできないのかって?

 残念ながら、それは無理な話だ。
 というか、生まれてからこのかた、私が明るい気持ちになったことなどあっただろうか。……ああ、〈一度目〉の人生ではあったかもしれない。おそらく〈二度目〉の人生でも。

 私、イリエス・デシャルムは人生を繰り返している。
 イリエスが死ぬのは決まって、二十三歳になってからちょうどひと月後。正確に言えば、で一度だけ、二十三歳になる前に死を迎えたことはあるけれど。まあ、その一度を除いて『命日』はいつだって同じだ。

 死因は、そのときの人生によって都度変わる。
〈一度目〉は兄弟に腹や背中を苛烈に殴られて死んだ。〈二度目〉も似たような理由で死んだ。〈三度目〉はどうだっか……たしか冷水の中に落とされて、そのまま凍えて息絶えたのだっけな。〈四度目〉は自死を選び、〈五度目〉から〈八度目〉も何かしらの形で命が尽きた。〈九度目〉はだから、さすがに忘れようもない。毒死だ。
 ちなみに自死以外はいずれも、家族の手によって私の命は断たれている。

 そうやって〈四度目〉以外、私はまったく同じ日に人生の幕を下ろし、そして再び十四歳の誕生日へと戻ってくる。どうやら今回も例外ではなかったようだ。

 これまで「九度の人生を繰り返し辿ってきた」と言って、信じる者はいないだろう。私だって、他人にそんなことを言われても到底信じられない。そう考えているから『自分が死を遂げてもなお、人生を繰り返している』なんて話は今まで、どの人生においても、一度だって誰かにしたことはない。
 十四歳から二十三歳までの九年間を幾度も幾度も繰り返し、終わらぬ生を続けている——そんな馬鹿げた話なのだから。

 ……まったくもってイカれている。
 イカれているが——事実だ。

「……ってことは、明日には、発情期ヒートがやってくるのか」

 はぁ、と重いため息をついた。
 このため息も、もう何度も繰り返している。繰り返していても、止められない。もはや癖になっているのかもしれない。

 諦念の思いで呟いたのは、明日に迫る自身の変化についてだった。

 発情期ヒート——それは、オメガと呼ばれる特異な性を持つ者に課せられた『宿命』のようなものと言えよう。
 イリエス・デシャルムは、男性にしてオメガの性を有する生きもの。それが、このデシャルム家における私に対する認識である。

 人には身体的な雌雄を分ける男女という性のほかに、『第二の性』と呼ばれる三つの括りが存在する。男でも女でも、そこからさらにアルファ、ベータ、オメガに分かれるのだ。つまり、人は『男女の性』による特性のほかに、『第二の性』による特性を持って生きている。

 まず、アルファ。彼らは、頭脳も身体能力にも優れている者が多い。さらには見目が良いことも多く、まさに優等の性である。まあアルファだからと言って、本当に優れた素晴らしい人間であるかは、まったくの別であるけれど。そのことは他の誰よりも、この私がよく知っている。
 そんなアルファだが、男であっても女であっても、子をなすために必要となるを注ぐことができる。その量は多く、質も良いとされるので、身も蓋もない言い方をすれば『自身の子を孕ませる能力が強い』。それがアルファという性だ。女性アルファならば相手を孕ませることも、自分が孕むことも可能だ。まあ、子をなす確率は他の女性よりは低いのだけれど。
 そんなアルファ性を持つ者は、私が暮らすアルノルク王国では二割ほど。決して多いとは言えない数が、彼らの優位性をさらに押し上げているのかもしれない。

 次にベータだが、これについてはさして特性がない。というのも、アルファや後述するオメガには特出するものがあるが、ベータには『そういったものがない』というのが特性だ。
 ベータの男なら子を作る種を注ぎ、女ならば種を得て子をなすことができる。頭脳明晰だとか、強い身体を持つだとか、そういったことはなく、すべては個人の才能と努力、それから少しばかりの運次第。優秀にもなれるし、落ちこぼれもする。アルノルク王国に限らず、ほとんどの国や地域では大多数の人がベータだ。我が国であれば七割の人はベータと言われている。
 ゆえに第二の性なんて言うけれど、実際にその性を自分のものとして意識して暮らしているのは、マイノリティのアルファとオメガだけ。マジョリティのベータからすれば第二の性なんて他人事だ。

 最後にオメガについて。この性は、第二の性の中で言えば、他の二つの性よりも格段に生きづらい特性を持っている。
 まず大きな特性として、子種を注ぐことに優れたアルファと対照的に、オメガは男女ともに子をなすことができる。男であっても子宮にあたる器官が存在し、種を注がれることではらの中で子を作り、育て、生む能力を有する。有り体に言えば『子を孕む能力に長けている』のがオメガだ。
 そして、その能力を十二分に発揮するためか、オメガには『発情期ヒート』と呼ばれる期間があるのだが……これが、じつに厄介なのだ。

 発情期を迎えたオメガは期間中、アルファとベータを惹きつけるフェロモンを無意識的に放ち、相手を誘惑するという特性がある。また、性衝動が強くなり繁殖行動をすることばかり——平たく言えば、セックスのことばかりを考えざるを得なくなるのだ。

 個人差はあるものの、一般的に発情期の頻度は一ヶ月から数ヶ月に一度ほど。期間は五日前後。つまり、数ヶ月ごとに約五日の間、オメガは他性を誘惑する『魔性の生きもの』と化す。
 私の場合は、二ヶ月半に一度ほど。その厄介な期間は本当に情けなく、虚しい時間を過ごす。まるで獣のように理性を飛ばしそうになる自分が疎ましくて仕方がない時間だ。

 そういった特性がかつては、獣じみているだとか、品位がないだとか言われていた卑しい性——それがオメガ。
 オメガの性を持つ者は、この国では一割ほど。だから、オメガは数的にはいつだって不利だ。特にオメガの中でも稀有な男性オメガとあれば、なおのこと……。

 もっとも今の時代、オメガを表立って軽視する者は少なくなった。人類の長い歴史の中で文化や技術が発展し、それに伴い徐々に意識が変わったのだ。——一部の者を除いて、だが。

 嘆かわしいことに、その一部の者に私の一族が含まれる。
 私の生家のような極端な『アルファ至上主義』は、時代遅れもはなはだしい。それでも、いるにはいるのだ。特に、古い考えに縛られがちな貴族界隈には、そのような愚かしい主義主張がまかり通ると考えている馬鹿が、それなりにいる。

「ひとまずは、明日の準備か。……ケニーに手伝いを頼むほかないよな」

 私は重い腰を上げて、寝台から這い出た。
 ケニーという、私につけられている専属の世話係に、明日から必要となるものを準備してもらうため、まずは自身の身支度から始めることにした。


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