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03. 穢れた身体
しおりを挟むエルナはパンを小さくちぎって、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。
と、シャイルが食事のあとにエルナに着せる服を用意しながら、躊躇いがちに口を開いた。
「その……やっぱりエルナさんは、従弟の方を探しには行かないんですか?」
彼には、エルナの夢の話をしたことがある。
以前、いつもの夢を見た日、ひどく青ざめて目を覚ましたことがあって、世話係の彼を驚かせたのだ。何があったのかとオロオロする彼が不憫でならなくて、特段隠すつもりもなかったエルナはジェロッドが出てくる夢の話をした。シャイルに限らず、エルナの世話係を代々担当してきた子には遅かれ早かれ、夢の話をすることになる。
そのくらいジェロッドとの夢は定期的に現れて、エルナの心を翳らせる。
シャイルが訊ねた「探しに行かないのか」という質問に、エルナは曖昧に笑った。
探しに行くもなにも、エルナはこの娼館で働く男娼なのだ。許可をとれば花街を散策することはできても、この王都の外はおろか、王都内の他の地区に行くことすら容易には叶わない。
「その方に、会いたくはないんですか?」
「会いたいよ。……すごく」
思わず本音で返してしまって、エルナは気まずげに目を伏せた。そして誤魔化すように、まだ半分以上も残っている食事をもそもそと食べていく。
けれどスープを匙で掬っている間も、炒った卵を口に運ぶ間も、パンをちぎる間も、ぐるぐると先ほどの問いが頭の中を巡っていた。
「……探しになんて行けないよ」
ぽつり、と呟いた声は、世話係の少年にきっちりと届いたようで、彼は「どうしてですか?」と寂しそうに訊ねた。
シャイルはたしか十一歳で、もう少ししたら男娼として客をとりはじめる頃合いだ。その可愛らしい容姿に、ほんの少しだけかつての自分が重なって、エルナはつい口を軽くした。
「どうしてって……だって、僕は男娼だよ? しかも、十二歳のときから。もうずーっと体を売って生きてる。僕がいったい、どれだけの男に抱かれてきたと思う?」
エルナがこの娼館にやってきたのは、十二歳になったばかりの頃だった。
誕生日のお祝いに、と両親と共に村を出て、王都にやってきた。けれど、連れてこられたのは美味しい食事処でも、綺麗な花が咲き誇る植物園でもなく、夜の花が乱れる館であった。その館で、両親から娼館の主に引き渡された。
両親がエルナの目の前で、じゃらじゃらと音を立てる両手で抱えるほどの麻袋を持っているのを見て、自分は売られたのだと幼心に察した。「このご主人はあなたに優しくしてくれるわ」と話す両親はその後、一度もエルナを振り返ることなく去っていった。なんとも、あっけない別れだった。
娼館に売られたエルナは——当時はまだエルナもいう名前ではなかったが——そこで『エルナ』という名前を与えられて、男娼として働くように命じられた。十二歳になったばかりの少年は、半年で性技を学ばされ、その教育が終わると『はじめて』を競りにかけられた。
『はじめて』を売って以来、五日に一度の休みがあるほかは、風邪などで体調を崩さない限り、ずっと客をとっている。
「どんなに会いたくても……こんな穢れた体でジェロッドに会うだなんて、できないよ」
そう、十二歳の頃からエルナは男娼として、男に抱かれている。
何人に抱かれたなんて覚えていない。『はじめて』はかなりの高値で売れたらしいが、それを買った客のこともエルナは覚えていない。
男に抱かれたことをエルナが逐一覚えていようとなかろうと、幾千幾万と体を暴かれてきたのだから、穢れた体には違いない。
「エルナさんは、お綺麗ですよ」
小鳥が歌うような愛らしい声で返す少年の瞳に、嘘の色は一つも見えない。
その瞳に映るのは、諦念の表情を浮かべた自分の顔だった。
事実、エルナの容姿は美しい。
痩せっぽちだった十二歳の少年は緩やかながらも成長を遂げ、見目麗しい青年となった。薄い金色の髪は月の光に例えられるし、銀色を混ぜ込んだ薄灰色の双眸は神秘的で、涙で潤めば客は喜んだ。顔のつくりは女性らしいわけではなく、かといって男性的でもない。その中性的な雰囲気がまた良いのだというのは娼館の主こと支配人の言葉だ。
朧気ではあるが、両親の見目も良かったので、きっとそういう血筋だったのだろう。そして実の子供が美しく成長することを理解していた両親は、エルナを金に換えたのだ。それが金に困ったからなのか、単純な金欲しさなのか知る術もないが。
「ありがとう。でも、僕は綺麗なんかじゃないよ。汚いってわかってる」
容姿を褒められても、エルナは自分が綺麗だなんて思ったことはない。
胎には幾度となく白濁を吐き出され、性器は大勢の男に弄ばれてきた。上でも下でも口に咥えた他者の性器は数知れない。体のあちこちは舐め回され、どこであっても触れられていない箇所などない。——全身余す所なく穢れきっている。
「お金を払いさえすれば誰とでも寝るんだよ。そんな僕を心の底から綺麗だなんて、きっと誰も思わない。商品としては綺麗でも、人間として美しいわけじゃない。男娼の『エルナ』は綺麗だけど、本当の僕は汚くて醜い。穢れてる。それに商品としての価値だって、そろそろ落ち目だよ」
皿に乗った炒った卵をカチャカチャと匙でつつき回しながらエルナは言った。シャイルはそれを咎めるでもなく、申し訳なさそうに視線を彷徨わせていた。
それでようやく、エルナは自分の発言が無遠慮であったことに気がつく。
「あ、ごめん……。夢も希望もないことを言っちゃったね」
この娼館で働く多くの——エルナ以外のすべての——男娼や娼婦は、年季が明けるか身請けされるかして、真っ当な暮らしに戻ることを夢見ている。彼らのこともひっくるめて『穢れている』と言ってしまうのは、自分勝手が過ぎた。
穢れているのはエルナだけだ。
シャイルも、ほかの男娼たちも決して穢れてなどいない。エルナと違って、みんなちゃんと生きているのだから。
エルナが謝ると、シャイルは「大丈夫、気にしてません」と微笑んだ。十一歳にしては大人びている彼も、きっとエルナのように……いや、エルナ以上の苦労があって、この娼館にやってきたのだろう。
ゆっくりでいいのでご飯はしっかり食べてくださいね、と話すシャイルに頷いて、エルナは匙を動かした。
スープを一口一口ゆっくり食べて、パンも少しずつ口に入れては咀嚼する。それでも時折手が止まり、ぼーっとしてはシャイルに「エルナさん」と指摘され、また手を動かすのを繰り返すのだった。
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