【完結】心を失くした男娼は旅する従弟の夢を見る

秋良

文字の大きさ
上 下
3 / 21

03. 穢れた身体

しおりを挟む


 エルナはパンを小さくちぎって、ゆっくり咀嚼して飲み込んだ。
 と、シャイルが食事のあとにエルナに着せる服を用意しながら、躊躇いがちに口を開いた。

「その……やっぱりエルナさんは、従弟の方を探しには行かないんですか?」

 彼には、エルナの夢の話をしたことがある。
 以前、いつもの夢を見た日、ひどく青ざめて目を覚ましたことがあって、世話係の彼を驚かせたのだ。何があったのかとオロオロする彼が不憫でならなくて、特段隠すつもりもなかったエルナはジェロッドが出てくる夢の話をした。シャイルに限らず、エルナの世話係を代々担当してきた子には遅かれ早かれ、夢の話をすることになる。
 そのくらいジェロッドとの夢は定期的に現れて、エルナの心を翳らせる。

 シャイルが訊ねた「探しに行かないのか」という質問に、エルナは曖昧に笑った。
 探しに行くもなにも、エルナはこの娼館で働く男娼なのだ。許可をとれば花街を散策することはできても、この王都の外はおろか、王都内の他の地区に行くことすら容易には叶わない。

「その方に、会いたくはないんですか?」
「会いたいよ。……すごく」

 思わず本音で返してしまって、エルナは気まずげに目を伏せた。そして誤魔化すように、まだ半分以上も残っている食事をもそもそと食べていく。
 けれどスープを匙で掬っている間も、炒った卵を口に運ぶ間も、パンをちぎる間も、ぐるぐると先ほどの問いが頭の中を巡っていた。

「……探しになんて行けないよ」

 ぽつり、と呟いた声は、世話係の少年にきっちりと届いたようで、彼は「どうしてですか?」と寂しそうに訊ねた。
 シャイルはたしか十一歳で、もう少ししたら男娼として客をとりはじめる頃合いだ。その可愛らしい容姿に、ほんの少しだけかつての自分が重なって、エルナはつい口を軽くした。

「どうしてって……だって、僕は男娼だよ? しかも、十二歳のときから。もうずーっと体を売って生きてる。僕がいったい、どれだけの男に抱かれてきたと思う?」

 エルナがこの娼館にやってきたのは、十二歳になったばかりの頃だった。
 誕生日のお祝いに、と両親と共に村を出て、王都にやってきた。けれど、連れてこられたのは美味しい食事処でも、綺麗な花が咲き誇る植物園でもなく、夜の花が乱れる館であった。その館で、両親から娼館の主に引き渡された。
 両親がエルナの目の前で、じゃらじゃらと音を立てる両手で抱えるほどの麻袋を持っているのを見て、自分は売られたのだと幼心に察した。「このご主人はあなたに優しくしてくれるわ」と話す両親はその後、一度もエルナを振り返ることなく去っていった。なんとも、あっけない別れだった。

 娼館に売られたエルナは——当時はまだエルナもいう名前ではなかったが——そこで『エルナ』という名前を与えられて、男娼として働くように命じられた。十二歳になったばかりの少年は、半年で性技を学ばされ、その教育が終わると『はじめて』を競りにかけられた。
 『はじめて』を売って以来、五日に一度の休みがあるほかは、風邪などで体調を崩さない限り、ずっと客をとっている。

「どんなに会いたくても……こんな穢れた体でジェロッドに会うだなんて、できないよ」

 そう、十二歳の頃からエルナは男娼として、男に抱かれている。
 何人に抱かれたなんて覚えていない。『はじめて』はかなりの高値で売れたらしいが、それを買った客のこともエルナは覚えていない。
 男に抱かれたことをエルナが逐一覚えていようとなかろうと、幾千幾万と体を暴かれてきたのだから、穢れた体には違いない。

「エルナさんは、お綺麗ですよ」

 小鳥が歌うような愛らしい声で返す少年の瞳に、嘘の色は一つも見えない。
 その瞳に映るのは、諦念の表情を浮かべた自分の顔だった。

 事実、エルナの容姿は美しい。
 痩せっぽちだった十二歳の少年は緩やかながらも成長を遂げ、見目麗しい青年となった。薄い金色の髪は月の光に例えられるし、銀色を混ぜ込んだ薄灰色の双眸は神秘的で、涙で潤めば客は喜んだ。顔のつくりは女性らしいわけではなく、かといって男性的でもない。その中性的な雰囲気がまた良いのだというのは娼館の主こと支配人の言葉だ。

 朧気ではあるが、両親の見目も良かったので、きっとそういう血筋だったのだろう。そして実の子供が美しく成長することを理解していた両親は、エルナを金に換えたのだ。それが金に困ったからなのか、単純な金欲しさなのか知る術もないが。

「ありがとう。でも、僕は綺麗なんかじゃないよ。汚いってわかってる」

 容姿を褒められても、エルナは自分が綺麗だなんて思ったことはない。
 胎には幾度となく白濁を吐き出され、性器は大勢の男に弄ばれてきた。上でも下でも口に咥えた他者の性器は数知れない。体のあちこちは舐め回され、どこであっても触れられていない箇所などない。——全身余す所なく穢れきっている。

「お金を払いさえすれば誰とでも寝るんだよ。そんな僕を心の底から綺麗だなんて、きっと誰も思わない。商品としては綺麗でも、人間として美しいわけじゃない。男娼の『エルナ』は綺麗だけど、本当の僕は汚くて醜い。穢れてる。それに商品としての価値だって、そろそろ落ち目だよ」

 皿に乗った炒った卵をカチャカチャと匙でつつき回しながらエルナは言った。シャイルはそれを咎めるでもなく、申し訳なさそうに視線を彷徨わせていた。
 それでようやく、エルナは自分の発言が無遠慮であったことに気がつく。

「あ、ごめん……。夢も希望もないことを言っちゃったね」

 この娼館で働く多くの——エルナ以外のすべての——男娼や娼婦は、年季が明けるか身請けされるかして、真っ当な暮らしに戻ることを夢見ている。彼らのこともひっくるめて『穢れている』と言ってしまうのは、自分勝手が過ぎた。
 穢れているのはエルナだけだ。
 シャイルも、ほかの男娼たちも決して穢れてなどいない。エルナと違って、みんなちゃんと生きているのだから。

 エルナが謝ると、シャイルは「大丈夫、気にしてません」と微笑んだ。十一歳にしては大人びている彼も、きっとエルナのように……いや、エルナ以上の苦労があって、この娼館にやってきたのだろう。

 ゆっくりでいいのでご飯はしっかり食べてくださいね、と話すシャイルに頷いて、エルナは匙を動かした。
 スープを一口一口ゆっくり食べて、パンも少しずつ口に入れては咀嚼する。それでも時折手が止まり、ぼーっとしてはシャイルに「エルナさん」と指摘され、また手を動かすのを繰り返すのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

魔術師の卵は憧れの騎士に告白したい

朏猫(ミカヅキネコ)
BL
魔術学院に通うクーノは小さい頃助けてくれた騎士ザイハムに恋をしている。毎年バレンタインの日にチョコを渡しているものの、ザイハムは「いまだにお礼なんて律儀な子だな」としか思っていない。ザイハムの弟で重度のブラコンでもあるファルスの邪魔を躱しながら、今年は別の想いも胸にチョコを渡そうと考えるクーノだが……。 [名家の騎士×魔術師の卵 / BL]

貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~

倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」 大陸を2つに分けた戦争は終結した。 終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。 一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。 互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。 純愛のお話です。 主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。 全3話完結。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!

小池 月
BL
 男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。  それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。  ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。  ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。 ★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★ 性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪ 11月27日完結しました✨✨ ありがとうございました☆

【奨励賞】恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する

SKYTRICK
BL
☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆描写はありませんが、受けがモブに抱かれている示唆はあります(男娼なので) ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

処理中です...