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第四章
82. 蛇のような男
しおりを挟む十日ほどかけて、第九部隊は山を越えた。
山を行くなか、予測は外れて敵襲はほとんどなかった。それがどうにも不気味ではあったが、兎にも角にも山越えは成功した。
レオンスが所属する支援班は、山を越えた皇国領側の麓に野営地を敷いた。
森の木々に紛れる形で天幕を張り、そこに帝国側から運んできた物資や火器類を置いていく。そこには衛生班と整備班も待機する予定であった。ここを起点にして、何十キロメートルか離れたところにある皇国の重要拠点と目されるフュメルージュ砦を目指し、砦を落とすのだ。それが第八および第九部隊に与えられた指令である。
山を越えられたということは、特攻隊の面々はまだ無事なのだろう。山中でも、彼らが怪我を負った痕跡や遺体を見つけることはなかった。きっと今頃は、砦制圧の足掛けとして監視塔へ攻め入っているのだと、そう思いたい。
(シモン隊長たち、無事だといいな……)
山を越えて一晩明けた翌日、レオンスたちオメガはエドゥアールにはじめて、新薬を飲まなくていいと言われた。
そればかりか市販薬——そもそもすでに処分されているため手元にはないが——すらも、服用をしないようにときつく言い含められた。それが意図するところを、レオンスはうっすらとだが捉えていた。
「では偵察隊を組む。歩兵、弓兵、騎馬班はあらかじめ決められた人員を出せ。斥候班は班長代理の指示下で、事前通達のとおり皇国を探ってこい」
それから衛生班、整備班からも数名、偵察隊に加わるようにエドゥアールが通達していく。
「……支援班からはジャンとバジル。それから、レオンス。以上の者は私に同行せよ」
「俺も、ですか?」
「そうだ。不服か?」
「いえ……」
エドゥアールからの指示にレオンスは目を瞠った。しかし文句は言わずに首肯した。
帝都から来た非情な指揮官の『標的』となっているのは、自分で間違いない。だが、誰がここで文句を言えようか。自分が否と言えば、声をかけられるのはアメデかオーレリーだろう。他にもベータの兵士はたくさんいるし、レオンスよりも優れたスキルを持つ支援班の者はいる。それでも、レオンスが選ばれた。
支援班の兵としての実力で選ばれたわけではないことは、誰もが察したことだろう。だが、他のベータ兵も声を上げることはできなかった。レオンスの代わりに声を上げたところで、同じ道を辿るからだ。
レオンスでなければアメデか? それでなければオーレリーか?
それ以外の選択肢をエドゥアールは与えない。レオンスがそれを理解した上で黙っているから、レオンスの気持ちを無駄にしないために皆、何も言えないのだ。
運悪く、二部隊の隊長と副隊長、そして各班の長を務めるようなアルファはエドゥアールの指示によって、特攻隊として別の任を遂行中だ。重要な任務を請け負う彼らの動向は、エドゥアールの耳には届いているだろうが、レオンスたちに知らされることはない。いずれにしても、ここにはエドゥアールに文句を言えるようなアルファはいないのだ。
(はぁ……何が起きるかわからないし、用心しておこう。二人に負担をかけないためにも、俺が何とかしないとな)
レオンスは、不安そうに見るオーレリーとアメデに「行ってくる」とだけ告げて、偵察隊へと加わった。
今まで彼ら二人には迷惑をかけてきた。この要塞に来た当初は、レオンスはオメガの中では一番に頼りになる存在だったと自負している。そうであろうと努力したし、事実、副作用の影響も少なく動けたのは三人の中ではレオンスが一番だった。それが初秋の頃から崩れ、何もかもがままらなず、手間をかけることが増えた。抑制剤を変えてから、レオンス以外のオメガの二人は発情期以外で大きく体調を崩すことはない。周期も変わらず順応している。第八部隊のイアサントも、問題ないようだった。
めちゃくちゃなのはレオンスだけだ。それゆえに、アメデたちに限らず、支援班の面々には特に気を揉ませてきた。
そんな自分ができることなら、やらなければ。それが彼らへの恩返しになるのなら、厳しい任務も耐えなければ。
そう思って、レオンスは拳を軽く握りしめた。
レオンスの決意そのままに、準備はもともと歩兵班と弓兵班が終えていたので、エドゥアールの通達後すぐの出立となった。
騎馬班と歩兵の何名かが、先を行く。しんがりを務めるのも同様に騎馬班と歩兵班の者たちだ。そしてその間を弓兵と整備兵、それから衛生兵が何名か歩いていた。レオンスも列のほぼ中央をジャンとバジルと共に歩いていく。昨日山を越えたばかりの体はへとへとで、一晩休んでも疲れが完全に取れることはなかった。
それでも、歩かなければいけない。レオンスのすぐ後ろ、列の後方にはエドゥアールと帝都から連れてきた彼直属の部下が歩いていて、厳しい目で兵たちを……レオンスを見ていた。
貴重な水をジャンとバジル、レオンスの三人で分けながら飲んでいく。
行軍中の物資の管理は支援班の仕事だ。しかし厳しい山越えを果たした直後のレオンスたちに、潤沢な物資はない。それを押すようにして、この偵察隊は皇国領にあるフュメルージュ砦のある方角へと向かっている。
行軍のなか、後方にいたエドゥアールが足を進めてレオンスのそばへとやってきた。
(指揮官がいったい何の用だ……?)
怪訝な顔を浮かべそうになるのを、レオンスはどうにか隠した。背の高い指揮官を横目で見遣れば、レオンスをじっと見つめていた瞳と視線がぶつかった。エドゥアールは、蛇のような目をした男だった。
その男が、レオンスにしか聞こえない程度の音量で訊ねた。
「私はね、レオンス。新薬の服用を中止させたのは、隊長陣だけではなくキミが一枚噛んでいると考えているんだがどうかね。当たりか?」
不意に投げかけられた質問に、レオンスははっと息をのむのを堪える。
ここで何かしらの反応を見せてしまえば、男の思う壺だ。あからさまに動揺すれば自分であると回答しているようなものだ。かと言って、素知らぬ顔ができるほどレオンスは当事者ではないわけではない。そもそも質問の真意がわからない。
必死に態度に出ぬよう押し隠したが、内心は動揺でいっぱいだった。
「私の質問に答えられない?」
「……いえ、そういうわけでは……」
この蛇のような男に、どう返すのが最適なのかレオンスは考えあぐねた。
中止を決定したのは隊長であるとありのままに答えるのがよいだろうか。だが、ここにシモンをはじめとした隊長陣は不在だ。聞いたとして、エドゥアールが彼らに何かしたいわけでもないだろう。
では、自分が提案したのだと馬鹿正直に答えれば、どんな処罰を言い渡されることか。
「まあ、いい。キミが答えようが答えまいが、それが真実であろうが、私にはどうでもいい。だが、私がキミを注視していることは伝えておこう。不穏な行動をとられては困るからな」
エドゥアールはにたりと嫌な笑みを浮かべた。訊ねたのは男のほうなのに「どうでもいい」とは、なんて言い草だと思ったが、その笑みに悪寒が走り、レオンスは何も返せなかった。
ただ、わかったのは、やはりこの男の標的はレオンスで間違いないということだ。そして、エドゥアールはレオンスが新薬の服用中止に何かしら関わっていると勘づいている。それは彼として——帝国軍として——都合が悪く、それゆえにレオンスを咎めている。では男はどんな手を使ってレオンスに罰を与えようというのか。
それを考えるだけで足が震えたが、弱みを見せまいと歯を食いしばった。俯くレオンスに、ジャンとバジルが声をかけてくれたが、レオンスは「大丈夫です」と答えて、平常通りの笑みを浮かべた。
偵察隊は、まだ僅かに雪を被る森を歩いていく。
エドゥアールが時折、レオンスに鋭い視線を送っていることに気づいていたが、レオンスはそれを正面から受けずに流し続けた。まるで頭のてっぺんからつま先まで、氷の中に閉じ込められたかのような冷たい圧力をかけ続けられた。それをレオンスは、エドゥアールの視線によるものではなく、春が始まるには早い気候のせいだと、自分自身を騙した。
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