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第三章
62. 漆黒との再会
しおりを挟むクロードの診察を受けて十日ほどが経ち、年末が近づいているこの日、レオンスは厩舎にいた。
ここに来たのは、シモンに誘われたからだ。
発情期が明けてから今日まで、レオンスはなるべく任務以外ではシモンと出会わないようにしていた。
もともとレオンスが請け負うことが多い任務の中では、シモンと顔を合わせるのは通信関係の補佐くらいしかない。市販薬の入手ルートを確保する際には、やりとりも頻繁に発生したが、今はそのルートは順調に稼働しているため、やりとりも減った。なのでここ何日かは任務が終わったあとにささっと食事をとり、部屋にこもっていれば自然とシモンと会うことはなかった。
なるべく顔を合わせないようにしていたのは、シモンに会ってどういう顔をすればいいか、わからなかったからだ。
シモンとは、もう二度も発情期を共に過ごしてしまった。
あんなに心の通じていない者と体を重ねることを忌避していたのにもかかわらず。どんなに発情期がつらくても、それはしまいと決めていたのに。
相手に感謝こそすれ、責めるべきではない。そう思っている。
けれど、心の準備も無しに彼に会ってしまったら何を口にするかわからなかったのだ。詰る言葉をかけてしまうかもしれないし、きつい態度をとってしまうかもしれない。あるいはその逆で、男に媚びるような行動を無意識にしてしまう可能性すらも恐れていた。
もはやレオンスは自分の感情も、心も、考えも、どうすべきなのかも、よくわからなくなっている。
レオンスは本能に翻弄され、考えて、擦り切れて、弱っていた。
そんなレオンスの部屋に、メモ書きが挟まっていたのは昨晩のことだ。
『嫌でなければ、あの日の約束を果たしたい。明日十時に、厩舎にて——』
署名はなかった。
しかし、書かれた内容からして送り主は一人しかいなかった。
レオンスは一晩悩みに悩んで、誘いを受けることにした。
『嫌でなければ』という前置きがあるので、レオンスが姿を現さなくてもシモンは察してくれるだろう。この最近、レオンスがシモンを避けていることにも気づかれていると思う。
けれど、あの約束は……互いの願いを一つ叶えるという約束は、元をただせばレオンスが提案したことだ。
何の落ち度もないシモンを、レオンスの自分勝手な都合だけで避け続けることも、彼との約束を一方的に違えさせることも、レオンスの良心が痛んだ。だから、いろんな気持ちを押し込んで厩舎にやって来たのだ。
「レオンス、来たか」
「お疲れ様です、シモン隊長」
ここに来るまでに何度も葛藤をしたが、それをおくびにも出さないようにして、レオンスは努めていつも通りの声色で挨拶を返した。もっとも、レオンスはころころと表情が変わる性格でないだけで、ポーカーフェイスではない。色々と思い悩むことがある様子なのは、多くの部下を見てきたシモンには容易く見抜かれてはいるだろう。
「遅くなってしまったが、君が見たいと言っていたものを見せようと思ってな。冬は任務が落ち着く時期だし、テネブルも最近退屈そうにしていたから、良い機会だろう」
「ありがとうございます」
冬の季節だからか、厩舎にはシモンの愛馬であるテネブルのほかにも、多くの馬が馬房に入っていた。
ファレーズヴェルト要塞近くでは、不穏な動きは起きていない。雪深いこの付近では、冬の行動は敵味方ともに制限せざるを得ないからだ。それゆえ、偵察や牽制のために国境付近も含めた周囲を見回るために要塞を発つ騎馬兵も、今は最低限の人数となっている。厩舎には、冬の時間をゆったりと過ごす馬たちと、その世話をする兵がいた。
「おはよう、テネブル」
レオンスは美しい青毛の馬に近づいて、声をかけた。
すると「撫でていいぞ」という目を返してくれたので、それに甘えて首を優しく撫でてやる。優しい目がレオンスを捉えていて、レオンスは自然と笑みが浮かんだ。
「テネブルも、レオンスに会えて喜んでいるようだな」
「厩舎の手伝いをたまにさせてもらうんですけど、俺の顔を覚えてくれてるのか、いつもこうして顔を出してくれるんですよ。ほんと、馬は賢いですよね」
シモンの愛馬であるテネブルとの距離が縮まったのは、五月頃だ。
与えられた任務を早く終えたレオンスが、何か手伝えることはないかと思って厩舎に顔を出したとき。たまたま愛馬との時間を過ごしているシモンに声をかけられて、そのまま彼が愛馬と駆ける姿を見ることになった。
そして二つの漆黒が軽やかに、力強く、美しく大地を駆ける光景が忘れられなくて、「また馬で駆けるところを見せてほしい」と話したのが、秋が始まる頃のことだった。
五月のとき以来、レオンスが厩舎を訪れるとテネブルが何かを訴えるような眼差しで見てくるようになった。レオンスを呼び寄せるように小さく鼻息をついたりするので、レオンスもテネブルのことを毎回気にかけるようになった。
厩舎や馬の管理は騎馬班の管轄なので、レオンスが勝手をすることはない。指示を受けた分を手伝ったり、手伝いがないときには馬を見せてもらって癒されたりだ。
その中で、レオンスを好意的に思ってくれている馬がいることは喜ばしかった。
そんな話をしながら、レオンスはいつぞやのようにテネブルへ馬具をつけるのを手伝った。
「こういう冬の日でも、テネブルは寒くないんですか?」
「ああ、問題ない。彼は優秀な軍馬だし、馬は寒さに強い生き物なんだ。それに、ここ数日は寒さも幾分と和らいでいる。加えて、今日は天候も悪くない。君が外に居続けるのにも、今日ならそう悪くはないだろう」
馬具をひと通りつけ終わると、シモンは毛皮で作られた外套や耳あてのついた帽子をレオンスに渡してきた。
「これは?」
「着てくれ。さすがに、その格好で外に居続けると体が冷える」
発情期明けなのだから体調には気をつけてほしいとも言われて、レオンスは一瞬息をのんだ。けれど、言われたことに動揺したことを隠したくて、俯き加減で頷くのがやっとだった。
動揺を見せないようにして、手渡された外套と帽子を身に着けていく。
シモンも、馬に乗るのを邪魔しない形ではあるが暖かそうな外套と帽子を手早く着ている。
今しがた、レオンスが身に着けたのは、外で任務を行うときに着用が推奨されている共用の防寒具だ。冬場でも畜舎の世話や、物資の確認を任されている支援班は夏場ほどではないものの外での任務を行ってはいる。一人につき一着は冬用の厚手のジャケットを支給されているが、さらに防寒をするために共用の防寒具が用意されているのだ。
外での作業時は、これを身に着ける日も増えてきていた。
一方で、シモンが身に着けている防寒具は、共用のものとは意匠が異なっていた。よくよく見れば、騎馬班が身に着けるものによく似ている。おそらく隊長であるシモンのために用意されたものなのだ。黒と灰色が混じった動物の毛を使って作られている外套と帽子は、彼によく似合っていた。
「それでは、行こうか」
テネブルの手綱をとって、シモンは馬房から愛馬を出し、厩舎の外へと向かう。
レオンスも、テネブルとは反対側のシモンの横を並んで歩いた。
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