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第二章
28. 交渉
しおりを挟む大陸の北西に位置するブランノヴァ帝国は、夏になっても内陸ほど暑くならない。といっても、夏らしい陽射しが降り注げば、汗ばむほどの気温にはなる。
そんな夏の季節に入り始めたこの日、レオンスは要塞の最上階にある一室にいた。
「ブラッスール隊長、お呼びですか」
「来たか、レオンス。込み入った話になるから、こっちに来て座ってくれ」
最上階には、執務室と呼ばれる部屋が複数存在する。いずれも、この要塞に詰めている第六から第九までの部隊長を主とする部屋だ。
この階にはそのほか、会議を行う部屋や、隊長たちの個室が連なっている。
つまり、普段ならレオンスが最上階に足を踏み入れることはない。ここに来たのは第九部隊に配属され、この要塞にやってきた初日以来だ。
あの日と同じ部屋の扉を開けたレオンスを迎えたのはシモンと、副隊長のエジットだった。
その二人に通されたのは、執務室の中から繋がる別室だった。低いテーブルを左右囲むように、三人掛けのソファが一つずつ並んでいる。その片側に座るように言われ、レオンスは腰を下ろした。
(話を聞きたいらしいけど、隊長に副隊長もいるなんて……よっぽどのことか? 正直、アルファしかいないところで話すのは、ちょっと怖いんだよな……まあ、文句は言わないけどさ)
今日、レオンスがここに来たのは、シモンに呼び出されてのことだ。
はじめ、ジャンから「隊長が呼んでいる」と聞かされたときは、何かしてしまっただろうかと構えてしまった。しかし、どうやらジャンの話を聞く限り「聞きたいことがあるから時間を作ってほしい」とのことで、レオンスに悪い話ではないとのことだった。そのため、多少緊張はしているが、なるべくいつも通りを心がけて最上階へとやってきたのだ。
「早速だが本題に入ろう。今日、君を呼んだのは、君たちオメガについて、いくつか話を聞かせてもらいたいためだ」
「オメガについて、ですか」
それについては、予想はしていた。
レオンスから話を聞きたいとなれば、レオンス自身のことか、オメガのことか、どちらかだ。そして個人的な質問——極めてプライベートな質問——をされる理由は思いつかなかった。
「君たちの任務内容と成果については十分な報告を受けている。が、気になるものとして、やはり義務付けられている抑制剤のことがある。……率直に訊くが、あれの効果について、レオンス、君はどう考えている?」
深い緑色の瞳には、思慮深い光が映っていた。
(どう考えている、か……。まあ、良いきっかけかもしれないな)
ここにきて抑制剤の話を持ち出されるのは、実はレオンスとしても渡りに船だった。
レオンスは一つ息をついてから、口を開いた。
「はじめは、強い抑制効果をもたらす夢のような薬だと考えていました。俺も、アメデやオーレリーも。待機宿舎で聞いた治験データでは副作用の話はありませんでしたし、実際に発情期中でも日中動き回れるという効果もあります。市販されている従来の薬だと、そうもいきませんから。ですが……人によって抑制の効果は出づらいようです。それに……正直に言えば、思っていた以上に副作用が強いです」
「副作用については、私もジャンから報告を受けている。具体的にどんな症状か教えてもらえるか?」
「人によって結構違いますね。俺は、頭痛と吐き気が一番多いです。オーレリーは目眩が酷そうですし、息苦しさが出ることもあるとか。アメデも、俺やオーレリーと似たような感じですかね」
レオンスが貧血と過労、そして副作用で倒れたのは五月のことだ。
それからレオンスは、オーレリーとアメデと相談して、副作用があっても作業を無理なく進められるように工夫を凝らして任務にあたってきていた。そのおかげか、以前のオーレリーのように、休まなければならないほどの症状に悩まされるのは数えるほどで、作業の遅れが出ていることもない。レオンスに限っていえば、倒れたとき以来、休むほどの強烈な副作用は一度もない。
そういう状況だけ見れば、薬がもたらす副作用と上手く付き合っていると言えるのかもしれない。
だが、副作用そのものがなくなったわけではなく、症状がつらい日はたしかにあり、互いが互いを支え合いながら作業をしているという状態だ。レオンスの体調が悪ければ、アメデやオーレリーが助けてくれるし、逆もまた然りである。
三人で力を合わせているから何とかなっている、というのが客観的な評価だと言える。
なにより、副作用がどれほどつらいかは人によるし、日によってもまちまちだ。症状も違えば、酷さやつらさも異なる。こうして口で説明はできても、実際のところ体感として理解してもらうのは少々難しいかもしれない、とレオンスは思った。
(せっかく隊長が機会を作ってくれたんだ。ダメかもしれないけど、話してみる価値はあるか?)
厳しい顔をして「なるほど……」と呟いて、何やら思案しているシモンに対して、レオンスは意を決して言葉をかけた。
「ブラッスール隊長、提案してもよいでしょうか?」
何かしら考えていると思しき上官に対して、レオンスは投げかけた。思考を遮ってしまうのは申し訳ないが、今だからこそ提案する好機だと思ったのだ。怒られはしないか、怒られずともレオンスのような雑兵が提案など一蹴されて嗤われないかと思いつつ顔色を窺う。
だが、レオンスが構えていたのは杞憂に終わり、シモンは特に機嫌を損ねるわけでもなく「言ってみろ」と返した。なので、レオンスは腹にぐっと力を込めてから口を開いた。
「俺はともかく、アメデとオーレリーについては新薬の服用を中止するのはダメですか?」
レオンスの提案に、シモンははっとした表情を浮かべる。それに構うことなくレオンスは言葉を続けた。
「市販の発情抑制剤に変えれば、副作用はだいぶ落ち着くかと思います。彼らが以前服用していたものであれば、なおのこと良いですが……なんであっても今の新薬よりはよっぽどマシなはずです。発情期に個室から出るのは叶わないでしょうけど、今後も新薬を服用し続けて副作用が続くよりは良いかと思うんです」
レオンスが提案していることは、完全に規約違反なのはわかっている。ともすれば、罰則ものだ。
けれどそれでも、レオンスは言葉を止めるつもりはなかった。
「新薬の服用が義務なのは理解しています。しかし、本当に必要とされているのは、課された任務を全うすることかと。新薬の副作用のせいでロクに動けないよりは、発情期中の不足を考慮しても市販薬で日々動いてもらうべきだと、俺は思います。幸いにして、俺たちの発情時期は重なっていませんから」
そう、きっぱりと告げた。
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