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第一章

26. 予測とズレ

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 翌朝、レオンスはいつも通りの午前六時に目を覚ました。
 起床後、身支度を整えていくなかで、昨夜使ったままベッド脇に放置してしまった性具をあらかじめ貰っておいたたらいに張った水で綺麗にする。丁寧に水気を切ったら、再びバッグに仕舞ってベッドの下へと戻した。それから、義務付けられている抑制剤を飲んで食堂へと向かった。

 午前七時。
 いつもと同じ時間に行くと、アメデとオーレリーも同じタイミングでやって来た。けれど、二人とも顔色が優れない様子だ。

「おはよう、二人とも。……もしかして副作用?」
「レオンス、おはよう。うん……今日は目眩がすごくて」

 頭に片手を当てながら、青い顔をして答えたのはオーレリーだ。
 小柄で線の細い彼が具合を悪そうにしていると、いっそう儚げで、今にも倒れてしまいそうだ。

「僕も、ちょっと頭が痛くて。副作用なのか、雨のせいなのかは、よくわかんないけど」

 アメデはそう言いながら、食堂の窓へと視線を向けた。
 ここ最近は、生憎の空模様が続いていて、今日も早朝からざあざあと雨が降っている。

「無理するなよ? 俺、今日はこっちの作業が早く終わるはずなんだ。そしたら手伝いに行く」
「そうは言っても、レオンスだって発情期でしょ? 今日もまだ?」
「ああ、今日で三日目かな。昨日はちょっと熱っぽさが引きづらかったけど……まあ、こうして部屋の外に出られる程度には新薬が効いてる」

 こめかみに手を当てながら訊ねるオーレリーに、レオンスは努めて明るい声で返事をした。昨夜、様子を見に来てくれたアメデも「ならよかったよ」と、小さく微笑んだ。

 軽く話をしながら、それぞれトレイを手に取って、料理が並ぶ一角へと向かう。長テーブルに並ぶ料理が盛られた大皿から、思い思いの料理を自分の皿へとよそっていった。
 目眩がすると言っていたオーレリーは、小さなパンが一つと野菜のスープを少しだけ。頭痛がするアメデは、オーレリーと同じものに果実を少し。それで全て。二人とも見た目以上に体調が良くないのは、一目瞭然だった。
 レオンスは、パンとスープ、それにグリルされた鶏肉を二切れ取った。発情期を迎えているため食欲はあまりないのだが、二人を心配させたくなかったし、発情期中は体力をかなり奪われるのだ。多少無理やりにでも食事をとったほうがいいため、ギリギリ食べられそうな範囲での選択であった。

 そうして三人揃って、いつも座っている場所へ座る。相変わらず周囲は気を遣ってくれて、やや離れたところに他班の兵士がいた。朝の情報交換をするのに支障はない範疇だ。

「昨日はあのあとずっと部屋に? その、今回も一人で対応するんだよね……?」

 小声で、少し訊きにくそうにしながらアメデが問う。
 発情期事情は、オメガの二人には話しているが、やはり他の者にはできるだけ話したくない。レオンスは頷きながら、同じように声を落としつつ答えた。

「あーうん。やっぱりどうしても、知らない誰かと……って考えられないんだよな」
「まあ、気持ちはわかるよ。僕もこの前、ジョエルがいなかったらって思うと、嫌だもの」

 ジョエルというのは、アメデの配偶者だ。
 アメデは先月の中旬に、ほぼ予定通りで発情期がやってきた。彼のヒートが始まったのは、今回のレオンスのように日中の作業中だったが、ちょっとだけ厄介な状態であった。というのも、アメデは抑制剤をきちんと服用していたが、その日は薬の効きがあまり良くなかったのか、抑えられるはずのフェロモンがかなりの量、漏れ出てしまっていたのだ。
 またそれに比例するように、アメデも発情状態がなかなか抑えられない様子だった。つまり、新薬の効果が予想通りに発揮されなかったのだ。

 このとき、運が悪いことにレオンスたちは畜舎の作業をしているところで、近くには厩舎があった。そのため、厩舎にいた何人かのアルファが僅かにあてられてしまい、レオンスとオーレリーは一緒に作業していた支援班の兵士と共に、すぐさまアメデを個室まで運んだ。

 アメデと、彼の伴侶であるジョエルは、婚姻関係を結んでいるが『つがい』になってはいない。
 番になれば、オメガが放つフェロモンは番であるアルファにしか嗅ぎ分けられなくなる。独占欲を満たしたいアルファと、不特定相手の劣情を駆り立てる心配をなくすことができるオメガとでは、メリットのある関係を紡ぐことができる。妊娠率も番になったほうが高く、アルファ、オメガ共に大きな充足感を得られる。そんな関係性を成立させるのが、番という関係だ。
 しかし一方で、番になってしまうとオメガ側に不利な状況も発生してしまう複雑な関係でもある。

 成立した番はアルファ側から解消することも可能ではあるが、オメガが番の関係を結べるのは生涯に一人だけ。また、番を解消されたオメガは心身ともに脆くなり、早世する場合もあると言われている。
 また、番を解消しなくとも、何らかの事情で相手のアルファが突如いなくなった場合、残されたオメガには壮絶な苦しみを味わうことになる。番関係は続くため、発情期に不在のアルファを求め続けなければならなくなるのだ。それゆえに、こちらも心身に異常をきたす可能性が高いと言われている。
 つまり、オメガからすれば大きなリスクも伴うため、番にならない夫婦やカップルは多い。まして今は戦時下——番を失う可能性はゼロではないのだ。

 そういった背景からか、アメデとジョエルは結婚はしているが番ではなかった。ゆえに、アメデのフェロモンに伴侶のジョエル以外のアルファがあてられてしまうのも、仕方がないことだった。
 ただ、運が悪いことに時を同じくして、ジョエルが所属する整備班は、緊急のトラブル対応に追われていた。要塞から離れた森林内で作業をしていたため、ジョエルがアメデの様子を知るまでに数時間かかってしまった。
 そういう、いくつか不測の事態が重なって、アメデのもとへジョエルが到着したのは日が暮れる頃だった。

 ジョエルが到着するまでの間、アメデは毛布を頭から被って、なんとか一人でやりすごしていた。
 フェロモンが抑えきれないアメデのため、レオンスとオーレリーはアメデの個室前でジョエルの到着を待った。不測の事態に備えるにも、強い発情状態であるアメデの近くにはオメガしか寄れなかったのだ。
 ただし、オメガの力はどうしたって鍛え上げたアルファやベータの兵よりも弱い。そこで、少し離れたところに、非番だった衛生兵のベータの兵士も待機してくれ、ジョエル以外のアルファが無理やりアメデを襲うことがないように見張りもつけてもらえた。不安が募るなか、対応できることは全てやったのでジョエルの到着を待つのみ、という状況だった。

 幸いにして、厩舎であてられたアルファたちは瞬間的に劣情を抱きはしたが、いずれも屈強な精神を持つ軍人であったために己を律することができた。それゆえ不幸な事故は起きなかった。市販の抑制剤と同様にして、アメデから距離をとれば見境なく襲おうという気にもならずに済んだらしい。
 そうこうしている間に、ようやく戻って来たジョエルが心配そうにアメデの個室へ入っていたのをオーレリーと見送って、その場をあとにしたのをレオンスは覚えている。
 あのとき、誰も望まぬ結果にならなくてよかったと、レオンスは心底ほっとしたのだ。

「レオンスが大丈夫って言うならいいけど、発情期の件も含めて、体調は本当に大丈夫なの?」
「平気。二人の手伝いに行けるくらいには元気だよ」
「それならいいけど」

 薬の効き目にしても、副作用にしても、新薬が未知数なものだということは、この数ヶ月で三人とも身をもって実感していた。
 新薬服用後の発情期は、レオンスは今回で二回目、アメデとオーレリーがそれぞれ一回ずつ。期間中の症状も効果も三者三様。副作用についても、症状も頻度もまるで違っている。配属前に、新薬についての治験データは十分に取れており、基本的には安全である旨の説明を受けてはいたが、今はもう、それを真に受けてはいない。かといって、その文句を言う先もないことはレオンスも、アメデもオーレリーもわかっていた。
 新薬の効果について『予想』のずれがあろうとも、国はオメガ男性の徴兵を止めるつもりはなかったのだろう。だから「治験は十分」などと説明を受けたのだ。

 もし『オメガ男性の徴兵』という手を使っても戦況が変わらなければ、国は次に、何に手を染めるのか。
 そう考えるとレオンスは発情期だろうと、副作用があろうと、己に課されたことを必死にこなす以外の選択肢を取ることなどできなかった。
 頭にはいつも、家族の笑顔が浮かんでいた。

 だから、レオンスは頑張るしかない。
 発情期の熱っぽさや、副作用の気持ちの悪さを押しやってでも、オメガは国の役に立っていると思われないといけない。
 たかがレオンス一人で、何かが変わりはしないだろうけど。

「午後になったら、そっちに行くよ」

 レオンスがそう言うと、不安な顔をしながらもアメデとオーレリーは小さく頷いた。二人にとって、年上のオメガであるレオンスは、恋人とはまた別の形で頼れる相手になっているようで、それが嬉しかった。
 体調が芳しくないときの心細さを、レオンスは知っている。
 いつしか、弟のように思い始めていた二人を、レオンスは大切にした。

 第九部隊のオメガ三人は、そうして僅かな食事をとって、それぞれの作業場へ足を運んだのだった。

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