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第一章
23. 本能ではなく
しおりを挟むジャンと共に駆け足で救護室に向かうと、支援班と整備班の者が複数と、自分と同様にレオンスが倒れたことを知ったオーレリーとアメデが中の様子を窺っていた。
聞けば、オーレリーとアメデ以外の者は倒れたレオンスをここに運んできたそうで、彼が倒れる直前まで共に薬包作りをしていたという。
(彼は、また時間外に作業をしていたのか……)
彼らには後ほど事情を聞くと伝えて、それぞれ持ち場や自室に戻るように促す。オーレリーとアメデは特に心配そうにしていたが、彼らにあとでレオンスの状況を伝えると約束して下がってもらった。
月もだいぶ高い位置に昇っていた。
衛生班の兵に案内され、シモンは救護室の奥へと向かう。
その奥、傷病者用のベッドが並ぶ一番端に横たわる姿を見た。
「これは……。クロード、彼は大丈夫なのか?」
横たわるレオンスは、青白い顔をして目を閉じていた。
彼の端麗な容姿も相俟って、一瞬生きているのかと疑うほどだ。シモンは息をのみ、そばについていた軍医のクロードに訊ねていた。
「大丈夫かって訊かれると、まぁ今んところ命に別状はねぇな。ちゃーんと生きてるから安心しろ。たしかに、こんだけ綺麗だとお人形さんみたいで、生きてるのかって疑っちまうけどなー。ははは」
「そうか……」
ほっと、肩の力が抜けた。
簡易椅子を引っ張り、そこへ腰かけるとクロードもまた隣の椅子に座る。
レオンスは目を覚まさない。だが、薄い毛布の下で呼吸にあわせて彼の胸が僅かに上下していて、彼が生きていることを理解した。クロードの言うように、見目麗しい彼が目を閉じて、身動き一つせずに横たわっている姿は人形のようだった。
「シモン。レオンスのことが気になるか? そんなに血相変えて飛んでくるなんてお前にしては珍しいな」
「それは……そうだろう。オメガが徴兵されて、倒れたとあれば何が起きたのかと考えるのは自然だ。本来ならば、彼らがいるべきところではない。それに、戦地の苛烈さをお前も知っているだろう」
軍医のクロードとは長い付き合いだ。
共に第九部隊に配属される前から、彼とは顔見知りだ。所属部隊が異なる時期もあったが紆余曲折あり、今はこうして同部隊で任務にあたっている。飄々とした医者と、堅物だと言われるシモンとでは全く共通点がないように見える二人だが、不思議と馬が合い、プライベートでも酒を飲み交わす仲だ。
彼とは多くの戦地を駆けてきた。
シモンは馬を繰り、剣を振り、敵をなぎ倒してきた。その傍らで、クロードは戦地で消えんとする命の灯火と向き合ってきた。シモン自身、怪我を負って彼から手当てを受けたことは数えきれないほどにある。
鍛え抜かれた軍人ですら、当たり前のように怪我をする場所——それが戦場だ。
ブランノヴァ帝国は領土拡大のため、周辺の弱小諸国へ侵攻し、制圧し続けた。それは軍人であるシモンにとっては任務の一つであり、国のため民のためにと思って行ってきたことだ。
しかし、目の前で横たわる彼にとってはどうだろう。
徴兵令を受けて兵役を課された一般人。ましてオメガ。本来であれば、彼らを護るのが自分たちの責務ではないか。
「お前が言わんとすることはわかる。まー、俺が訊いてるのは『オメガが』ってことじゃなくて、『レオンス個人』に対してってことだけどな」
同部隊になったことでいっそう気安さが増したクロードは、薄く笑みを浮かべながらシモンに訊ねていた。
「こいつのこと、気に入ってるだろ?」
「……どうだろうな」
「お前にしては歯切れの悪いこって」
クロードの指摘したいことは、わかる。
シモン自身、オメガだからレオンスのことが気にかかっているわけではないと気づいている。
「彼は……危なっかしくて、見てられない」
「あー、それはまぁ、気持ちは俺もわかる。でも若い頃のお前も、こういう無茶をよくしてたじゃねーか」
「若い、か。レオンスと我々は、さして歳も変わらないがな」
「まーそりゃそうだけど。でも兵士としちゃ、新米みたいなもんだろ。だから加減もわかんねーし、無理もしがちだ。そういうところ、昔のお前に似てるよ」
そう言われ、シモンは眉根を寄せた。
若かりし日が脳裏に蘇る。
言われたように、シモンも若い頃はかなりの無茶をした。
厳しい訓練に明け暮れて、意識を飛ばすようにして僅かな睡眠をとるのは日常茶飯事であった。自分の実力がわからぬうちに無茶をして、怪我を負ったことも一度や二度ではない。そして、その怪我が完治しないうちに再び訓練に戻って傷口を開かせて、目の前の軍医を怒らせたこともある。
シモンが戦地へ出られるようになってからは、領土拡大を目的とする小国との戦いで戦地を駆け、命のやり取りも幾度となく行った。危うく死にかけた場面もあるが、運がよかったのか生き抜くことができている。
とはいえ、かつての自分の行動は、まったく褒められたものではない。
今でこそ多くの兵を束ねる地位となったこともあり、指揮官自らが無茶をすれば隊の乱れや士気の低下に繋がるため、自制する術を覚えた。だが、本来のシモンはレオンスに負けず劣らず無茶をする性質であった。それをクロードが笑いながら指摘しているのだ。
「無茶するお前の背中を何度も何度も、ただ見送って。帰ってきたと思ったら体中あっちこっちボロボロで、見るに堪えない友を何度も処置せにゃならなかった俺の気持ちが、少しはわかったんじゃないか」
「ははっ。お前が、私のことをそれほど思ってくれてたとは知らなかったな」
「おい、やめろ。そういう意味じゃねーよ、気色悪い。まーでも、旨い酒を飲み交わせる相手を失いたくない気持ちが、今のお前にはわかんだろ?」
ねちねちと嫌味を言う友に冗談で返せば、気色悪いと笑われた。
だが、クロードが言う「失いたくない」気持ちは、嫌になるほどわかる。これまでも、共に戦地を駆けた同志がたくさんいた。そのうちに命を落とした者も少なくない。彼らを失った痛みは今でもシモンの心に暗い影を落としている。
そして、その影をさらに濃くするような寒気が、今まさにシモンの背中を伝っていた。
目の前の佳人に何かあったら……。
そう考えるだけで、体の底から冷えていく気がした。
「こんな細い体で、無茶するとはな」
「それには同感だ。にしても、こういうやつらまで戦地に駆り出すなんて、まったく。上はどうかしてるよ。護るべきやつらにまで国を背負わせんなよ」
クロードの言うように、戦地へ駆り出された者の両肩には国の未来や、民の平穏が重く伸し掛かっている。その重さに心を病む者は少なからずいるのだ。軍人にせよ、徴収兵にせよ。
レオンスは、どうやら色々と背負いがちな性格をしているようだ。シモンが若い頃よりも、ずっと。
だからこそ心配ではあった。その性格が、彼を遠いところへやってしまうのではないかと。シモンは気が気ではないのだ。
(若い頃の私に似ている、か。たしかにそれは問題だな……)
シモンが、自分よりもはるかに強い自己犠牲の精神を持つレオンスに興味が湧いたのは、出会った瞬間からだった。
その美しくも冷たい容姿と、それに透明感を足したような清涼感ある薄荷の匂い。彼が放つフェロモンの匂いが鼻をくすぐっただけで、体中の血が沸き立つ錯覚に陥った。互いの相性が良いことは、レオンスも気づいていただろう。どうしても引き合うような感覚に陥った。
けれど、彼そのものに興味が引かれたのは見目の麗しさや相性ではなく、彼を形作る中身だった。人一倍働こうという姿勢、同じオメガの兵士はもちろんのこと、多くの仲間を気遣う心、思慮深そうに周りをよく伺い、そっと手を差し伸べる優しさが彼にはあった。表情をころころと変えるタイプではないが、嬉しいことがあれば微笑んだり、苦慮することがあれば眉を僅かに顰める様子にシモンは目を奪われていた。そして、そんな彼が時折、昏い瞳をしていることにも気がついた。
誰とでも分け隔てなく礼節をもって接するが、決して気さくではない。常に一枚何かを隔てているような、一歩先に踏み込んではこない彼の心の奥が気になった。そこに触れてみたいと思った。
気づけばいつしか、彼に惹かれていた。
「レオンスにはしっかり言い聞かせてやれよ。お前が、今後もそう思う相手にしたいんなら、なおのことな」
「……わかった」
長年の友に心のうちを読まれて、シモンは苦々しい気持ちで了承の返事をした。
レオンスのことを愛おしいと思っている。
アルファとオメガ、互いの性が引き合っているだけとは言えないほどに、彼から目が離せない。もっと彼が知りたくて、もっと彼と話してみたくて、もっと自分を知ってもらいたい。
本能ではなく、一人と男として彼と接していきたいと思った。
命燃えゆく大地で、シモンはレオンスに出会ってしまったのだ。
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