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第一章

19. 仕事

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 やがてレオンスがふと目を覚ますと、夢で見たような、真っ白な部屋だった。

「…………あ、れ……」

 もしや、まだ自分は夢を見ているのかと、ぼんやりした頭で考える。
 体が重く、起き上がる力もなく、レオンスは目と頭を僅かにを動かして、あたりを見渡した。

 レオンスに与えられた個室にあるベッドよりも少しだけ広いベッド。その足元にはすぐに壁があるのではなく、向かい合わせに同じようなベッドが置いてある。それらはレオンスの横にも、向かいのベッドの横にも並んでいて、その合間には簡易椅子がいくつか。そこに、消毒液の匂いがつんとレオンスの鼻を刺激した。

(ここ……救護室、か……)

 ベッドが複数台並んでいるのは、兵士たちが眠る大部屋のいずれかか、救護室くらいだ。そして、兵士たちの大部屋はもっと雑然としていて、こんな清潔な雰囲気ではない。となれば、ここは救護室で間違いない。
 よくよく見れば、少し離れたベッドには傷病兵と思しき男が数人、寝息を立てていた。

「目が覚めたか」

 ぼやーっと、あたりを見渡していたレオンスのもとに、見知った顔が姿を現した。
 けれど、見知ってはいるが想定外の人物の登場にレオンスは起きたばかりの頭が混乱するのを止められなかった。なにせ、現れたのはシモン・ブラッスールだったのだから。
 目を瞠るレオンスを気にも留めずに、シモンはベッド横の椅子に腰を下ろした。慌てて身を起こしたかったが、上手く力が入らない。肘をついて肩を起こしかけたところで「そのままでいい。寝ていろ」と、やんわりと押し戻された。

「作業中に突然倒れて、整備班と支援班の者がここへ運んだんだ。覚えていないか?」
「ええと……はい。ご迷惑をおかけして、すみません」

 シモンに「覚えてないか?」と訊かれたが、倒れたことも朧気で、その直前のこともあまり覚えていない。

「あの……薬包作りはどうなりました? もしかして倒れたときに火薬を無駄にしたりなんかは……」

 直前かどうかは定かではないが、レオンスの最後の記憶では、火薬と古紙を前にして作業を行っていた気がする。あの体勢で意識を飛ばしたのなら、盛大に火薬を吹き飛ばしてたり、古紙をめちゃくちゃにしていないだろうか。包み終わった薬包が入った木箱をひっくり返している可能性すらある。
 そうなれば、手伝うと手を挙げたのがそもそもの間違いだったと言わざるを得ない。手伝いどころか、とんだお邪魔虫だ。

 レオンスが顔を青くしながら質問していると、シモンが答える前にのんびりした声が降ってきた。
 
「あっははは。起きて早々、作業の心配とはねー。お前さん、もしかしてこっち来る前も『仕事バカ』とか言われてなかったかー?」

 声の主は日中に会った、あの軍医だ。
 ちょっと診せて、と言いながら、軍医はレオンスの下瞼を引っ張って確認してから額と首筋に何十秒か手を当て、最後に口を開けるように言った。レオンスが大人しく口を開くと、ふむふむと頷いて「閉じていいぞー」と、間延びした声を寄越す。

「倒れた原因は?」
「まー、貧血と疲労だなー。そこに薬の副作用があわさって倒れたんだろーな。つーか、例の抑制剤、俺はあんまり賛成してねーのよ。こうやって副作用も頻繁に出るんだし。新薬なんて、やっぱ何あるかわかったもんじゃねーな。倒れたら元も子もないって、上はわっかんないかなぁー。あ、シモン、お偉い方には俺が文句言ってるってこと、言わないでおいてくれよ? 処罰とか、俺は真っ平ごめんだからな」

 シモンの問いに軍医はぺらぺらと答えた。二人は自分のことを話しているはずなのに「軍医とシモンは随分と気安い関係のようだな」ということくらいしか情報が入ってこない。
 頭の中では兎にも角にも、自分が迷惑をかけたという情けなさでいっぱいだった。頭はまだクラクラしていて、血が正しく体を巡っているのかもよくわからなかった。

「レオンス、今日はここで一晩明かしていけ。他にアルファとベータのやつもいるが、ベッドは離れてるし、衛生班のやつらもいる。変なことは起きねぇから、そこら辺は安心していいぞー」
「え、あ……でも……」

 ちょっと倒れたくらいで救護室のベッドを使うなんて申し訳なくて、レオンスはいよいよ起き上がらなければと、再度肘をつく。体が重い。軍医がレオンスの背中を支えてくれ、上体を起こすだけでも大変だった。はぁ……と苦しさを吐き出すようにして深く息をつけば、木々生い茂る森のような濃い緑の瞳と視線がぶつかった。
 
「医者の言うことは聞くものだ」

 投げられていたのは、シモンの呆れた視線だった。

「……すみません」

 レオンスは反論することもなく、視線から逃げるようにして俯きながら謝罪の言葉を口にした。
 時間外に作業を手伝ったはいいが、そこで倒れたレオンスのことを、シモンは呆れているのだろう。レオンスが彼と同じ立場だったら、そう思う。

 市販の抑制剤であっても時と場合によっては副作用が出ることは知っていて、新薬ともなれば未知な部分が多いことも理解していて、その危険性も十分に想像がついたはずだ。それにもかかわらず「オメガだから……」と卑下されるのを恐れて、自分の管理を怠ったのは完全にレオンスの落ち度だ。『自己管理ができない』という評価は、オメガにとって避けなければならないものだというのに。
 好き勝手に振る舞った結果、迷惑をかけている役立たずのオメガ——それが今のレオンスだ。

「レオンス」
「はい……」

 なんとか返事をして、そっと視線を上げると、シモンが真っ直ぐにレオンスを見ていた。その瞳には、初めて彼に出会ったときに見た穏やかさは一筋もなく、しんと冷えた冬の森のような色だけが浮かんでいた。

「明日は非番にするとジャンには伝え済みだ。まずは一日、救護室で休め。無論、要塞内をうろつくのは禁止だ。こいつの許可が出たら部屋に戻っていい」
「でも……」
「これは上官命令だ」

 そう言われると何も言えず、レオンスは口を噤んだ。命令に背くなんて選択肢があるはずもない。

「……それと、先ほどの問いだが、薬包については無事だ。火薬や古紙などの材料も然り。君は倒れるとき、きれいに材料を避けたらしいからな」
「あははは! やっぱ仕事バカだなぁー」

 軍医が愉快そうに声を上げて笑った。レオンスはバツが悪く、身を縮めることしかできなかった。
 軍医に『仕事バカ』と二度も言われたレオンスだが、あながち間違いではない。徴兵まで働いていた商会でも、世話役の知人に似たような理由で何度も呆れられたのだ。責任感の強さからか、レオンスが自分でも制御を違えるほどに無理をしてしまうことがあるのは昔からだ。

「笑いごとじゃない、クロード。——とりあえずだ。今の君は休むことが仕事だ。休めるときには休めと言ったのは覚えているな?」
「……はい」

 クロードと呼ばれた軍医は、肩を竦めてみせた。一方のレオンスは項垂れそうになりながらも、なけなしの気力をかき集めて、シモンの目を見て返事をした。せめて最低限の礼をもって接さなければ、叱られて落ち込んで不貞腐れる子供と同じだと思ったからだ。落ち込む暇があるならば、上官の鋭い視線を避けることなく受けなければいけない。

(知らず知らずに無理して、倒れて……。これじゃ、呆れられても当然だ……)

 シモンに「休めるときに休むのも仕事のうち」と言われたのは、つい一週間ほど前のことだ。その日、苦手意識をもっていたシモンに対して変化があった。だからこそ、目の前の男に呆れられたということに、レオンスは自分でも驚くほど落ち込んでいた。

「覚えているなら、どうして無茶をした?」
「……返す言葉もないです」

 休めるときに休めと説かれたことは、もちろん覚えている。
 しかし、今日は副作用の症状もなかったし、朝から体調もよかったのだ。

 あえて言うならば、救護室に物資を運んだ夜に薬包作りを手伝ったことが、レオンスの心を乱したのだろう。
 目が覚める前に見ていた夢も、幸せな記憶と、苦々しい記憶の半々を見ていた。
 病室や、消毒液や血の匂い、傷病人がいるという空気感に続いて『戦争』という虚しさを、改めて突き付けられたところが大きいと自己分析はできている。

 けれど、そんな夢の詳細や、この国勢への嘆きを今ここでシモン相手に話したところでどうしようもない。ただの言い訳だ。レオンスが自分の状況をよくよく考えて行動しなかった結果、今こうして救護室で世話になっているのは事実なのだから。だからレオンスは、ただ謝罪の言葉を述べて、頭を下げることしかできない。
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