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第一章

17. 救護室

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 レオンスが作業場で物資の仕分けをしたのち、衛生班へ運んだのは包帯やガーゼ、消毒液が入った瓶などだ。
 さすがに量が量だったので、手持ちで運ぶのには難儀しそうだった。なのでレオンスは、台車を借りてゴロゴロと転がして運んできた。指定された物資が木箱に綺麗に納められているのは、レオンスが衛生班が検品しやすいようにとまとめた結果だ。
 今頃バジルは、レオンスとは別の場所——そこも衛生班が詰めている部屋の一つだ——へ、同じように台車を転がして物資を運んでいるところだ。

「支援班レオンス・リデック、入ります。依頼のあった物資を届けにきました」
「あー、ちょっと待っててくれー。今、手が離せなくてなー」

 レオンスが入り口で声をかけると、部屋の奥から返事が返ってきた。

 救護室は広々とした大きな部屋で、入ってすぐは軽傷の人をすぐに治療するための椅子や台が置いてある。そしてその奥、布で仕切った先はベッドが複数台並んでいる。軍医や衛生班が付きっきりで見なければならない傷病兵が寝る場所だ。
 どうやら声の主は部屋の奥にいて、手が離せないらしい。
 このまま物資を置いていくのは忍びなく、レオンスは声の主がやってくるのを待つことにした。

 きょろきょろと辺りを見渡すと、薬品が入った棚や、清潔そうな布が何枚も重ねて置かれているのが見える。ちらりと仕切りの奥を見ると、レオンスの部屋にあるものより幾分大きなベッドが見えた。

(……ここには、あまり長居したくないな)

 帝都の病院でも見たことがある、既視感のある光景にレオンスはそっと息を吐いた。
 衛生班の根城とも言える救護室には、この数ヶ月で何度も訪れてはいる。今日のように物資を届けたり、言伝をしに来たりだ。レオンスはなるべく他者に心配をかけたくないので、副作用で体調が悪くて救護室へやってきたことはないが、具合の悪いアメデやオーレリーに付き添って来たこともある。

 衛生班には数人の軍医のほか、衛生兵や彼らを補佐する衛生要員で構成されているが、入り口付近に人がいないとなると今日の救護室は人手不足のようだ。もしかしたら、バジルが向かった先のほうに人が寄せ集められているのかもしれない。
 部屋の奥から響く、カチャカチャという器具が擦れる音。耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな呻き声と、ぼそぼそと何かを伝える声。比較的どこでも薄暗い要塞の中で、珍しいほどに明るい室内。嗅ぎ慣れないはずなのに、懐かしさを覚える消毒液や薬品が混じり合った匂い。

 あの頃、あのとき——何年か前にも、レオンスが毎日のように嗅いだ匂いに似ている。部屋に満ちる空気感や、そこから発する雰囲気も。
 違う場所、違う状況でも、『病室』という共通点から、レオンスは無意識のうちに過去の残滓に手招きされていた。意識がぼんやりとして、それでいて頭の中では目まぐるしく、いつぞやの日々を反芻する。

「いやぁー、すまんすまん。待たせたなぁ」

 思考の海にずぶずぶと落ちかけていると、のんびりとした口調が降ってきた。
 その声にはっと顔を上げると、背の高い男が布の仕切りの間からひょこっと出てくるところだった。よくやく部屋の奥から姿を現した軍医の一人だ。明るい茶色の髪は耳にかかる程度には短く、それよりもさらに薄い茶色の瞳はにこにことレオンスを映し出す。人が良さげな笑みを浮かべた、しかしどこか食えない雰囲気を纏ったアルファの男性であった。
 手巾で両手を拭いながらやってきた彼からは、消毒液と僅かに血の匂いがする。

「いえ、お気にせず。こちら、話をいただいていた補填分です。確認してもらえますか?」
「ありがとさん。どれどれ……」

 レオンスが足元の台車を指し示すと、軍医は躊躇いなく箱を開け、中身をざっと見た。

「こりゃまた、随分と丁寧に包んで持ってきてもらったなぁ。これなら、すぐ使えそうだ。助かるよ」
「他に足りないものがあれば、発注できるか伝えておきますけど、何かありますか?」
「んー、そうだなぁ……あ、そうだ。次の輸送に間に合うなら、鎮痛剤と止血帯をいつもより多めに欲しいと頼んでくれねぇか?」

 人の良さげな笑みを浮かべながら、軍医は答えた。
 鎮痛剤と止血帯という響きに、レオンスはつい眉を寄せてしまう。その表情を疑問と受け取ったのか、軍医は台車から木箱を下ろしながら説明を補足してくれた。

「近々、東の森の先にある敵拠点に攻め入るって言うんでな。使わないに越したことねぇが、多めに用意しておいたほうがいいだろ? まぁ、ここんところ、他の地域のほうが何かと物騒だ。発注したとこで、こっちまで回ってくるかはわかんねーけどなぁ……」
「そう、ですか……」

 軍医が事も無げに話す内容が、レオンスの頭の中でぐるぐると回る。
 
 ここは戦地だ。
 戦いの場に出る兵がいれば、そこで怪我を負って帰ってくる兵もいる。だから、治療するための薬や包帯などが必要で、衛生班はそれを救護するのが仕事。
 戦闘行動が増えれば、怪我を負う危険も増す。無論——死の可能性も。

 レオンスのいるファレーズヴェルト要塞は、大規模な戦闘をしている地域には面していない。敵である皇国からの攻撃も、そこまで激化していない地域にある。
 けれど、他の地では大規模な作戦が繰り広げられている。そのことを理解していたはずなのに、レオンスはまだどこか、それが遠い地の話だと思っていたのかもしれない。
 実際に戦いに赴かなくても、傷を負った者をこの目で見てきたはずなのに……。

「でも、だ。俺は、救える命はきちんと救いてーのよ」

 だから、バジルやジャンにもよく言っておいてくれたら嬉しい、と軍医は笑った。
 話すうちに慣れてしまった消毒液や薬品の匂いが、僅かにぶり返す。それにレオンスの胸は押し潰されているかのように、ひどく痛んだ。木箱に詰まった消毒液が入った瓶同士が、カチャンとぶつかる音がした。

「……二人には、よく伝えておきます」
「ああ、頼む。ありがとな」

 レオンスは一礼して、救護室を後にする。
 物資を無事運び終えたら台車を返しに行き、バジルにも報告しなければ。それが終わったら、ジャンにも話をしに行かなければならない。
 アメデとオーレリーには申し訳ないが、畜舎へ帰るのは少し遅くなりそうだと思いながら、レオンスは駆け足気味で作業場へと戻っていった。

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