3 / 110
第一章
02. 指令
しおりを挟むシモン・ブラッスールはその日、国からの通達が書かれた書面を睨みつけていた。
書面には、こう書かれている。
——新兵配属の通達。
ブランノヴァ帝国は此度の戦いにおいて、新戦力としてオメガの男性を徴兵し、兵役を課すことを決定した。
配属は、四月一日午前八時。全部隊に当該オメガ兵が配属される。各部隊長は新兵を迎える準備されたし。
そういった主旨がつらつらと、有無を言わさない指令として綴られていた。
「一週間後の四月一日午前八時、三名の新兵が我が第九部隊に配属される。彼らは全員オメガ。うち二名は、我が隊にパートナーがいる者だ」
三月二十四日、午後六時。
受け取った通達内容に渋面を作りながらも、シモンは努めて冷静に装い、部下たちへ通達事項を述べていた。
要塞の会議室に集めた部下たちは、シモンからの通達に驚きを隠せない様子で、目を丸くしたり、驚愕の声をあげたりする。そして、各人の動揺はあっという間に広がり、今しがたシモンから「オメガが配属される」という通達に対して口々に考えを述べ始めた。
「ここは戦場だぞ。オメガをどう使えってんだ。慰み者としての派兵か?」
「そうだとしても、発情期が来たら面倒だろうが。その間、その相手と天幕にこもらせとけとでも言うのか? ここは戦場だぞ」
「なんのための徴兵なんだ。手間がかかるやつが増えるだけじゃないか」
「ベータはともかく、第九部隊にはアルファもいるんですよ。隊長だって困りますよね?」
次々とあがる声に、シモンは眉間に皴を寄せた。
一番最初に不満の声をあげたのは、斥候班の班長ボドワン・デュカスだ。
斥候としての腕はたしかな男だが、軽薄な発言が些か目立つ人物である。ボドワンに感化されるように、騎馬班、歩兵班、整備班の班長も発言を重ねる。言葉は発しないものの、同席している弓兵班、衛生班の班長も困惑した表情を浮かべていた。
唯一、先んじて話をしていた支援班の班長ジャン・モンタンのみ、神妙な面持ちで話を聞いている。
「口を慎め、諸君。オメガに対して、その手の発言は侮辱にあたる。そして侮辱行為は国際的にも禁じられている」
思い思いの発言をしていた班長たちを一瞥したうえで、シモンはボドワンが『慰み者』という単語を使ったことに嫌悪感を示しつつ、高潔な態度で一喝した。それにより、自分たちの失言に気づいた彼らはハッとし、気まずそうに目を伏せる。
この世には、男女のほかに第二の性が存在する。第二の性には、アルファ、ベータ、オメガの三つが存在し、男女関係なく第二の性によって個々の人生が決まると言っても過言ではないほど、人々に大きく影響を与える性だ。
人口の大半を占めるベータと異なり、アルファとオメガは希少な性である。
アルファは、生まれつき頭脳も身体も優れた素質や能力を持つ、いわゆるエリートだ。政治や軍の中枢、各商会を取り仕切る者たち——そういった支配層はほぼ全員がアルファと言ってもいい。何をやっても一流。アルファに生まれれば勝ち組。『持てる者』への憧憬、羨望……そういうものを一身に集めるのが人口の二割ほどに生まれるアルファたちなのだ。
そんなエリートのアルファに憧れながらも、平均的な素質であるのが大多数のベータだ。彼らに関していえば素質としては凡庸だが、努力次第で有能な人物になれるし、怠惰に暮らせば平凡から落ちていく。なんにせよ、七割の人間はベータとして生きていくし、アルファにはなれずともオメガよりははるかに生きやすい。多くのベータは、そうやって第二の性に大きく振り回されることはなく生きていく。
一番希少とされるオメガは、三つの性の中では一番酷な運命を背負っていると言えよう。それは彼らが持つ、特有の体質にある。オメガは男女に関係なく、子を成すことができる。そしてそれゆえか、彼らには『ヒート』と呼ばれる発情期が存在する。発情期を迎えると己の情欲を律するのは難しく、フェロモンを撒き散らし周囲のアルファやベータを誘惑する。だから、発情期中の彼らは普通の生活すらままならない。そうやって第二の性に翻弄される、哀れなオメガ——それが大多数から見た彼らの印象だ。
かつて、オメガは忌避される存在であった。
発情期に己の意思と関係なく分泌されるフェロモンが、ところ構わずアルファやベータを誘惑するので、卑しい性という烙印を押されていた。もしこれが——発情期はさておき——アルファのように頭脳や身体的特徴が優れている素質を持つ性であれば違ったかもしれない。けれど、そういう特性はなかった。
かといって、オメガがとりわけ劣っているわけではない。努力して知識に長けたオメガもいるし、優秀な功績を修めたオメガも存在する。身体的には男女ともに華奢で小柄な者が多いが、彼らの能力は決してベータに劣っているわけではない。アルファに叶わずとも、人として生きるのに不足はない。
それでも昔、オメガに対して差別意識があったのは、このブランノヴァ帝国も含めて世界における負の歴史と言っていい。
「高潔なブランノヴァ帝国軍の者が、かような発言をしてはならない」
「はっ! 失礼いたしました、シモン隊長」
各々、己の行いを戒めるように、と言うと素直な態度で反省の色を示した。
彼らも決して悪気はないのだろう。ただ、それ以上に『オメガの徴兵』という衝撃的な指令に動揺したに過ぎない。それは、最初に書面を受け取ったシモン自身がそうだったから、気持ち自体はわからないでもない。
しかし、シモンの言うとおり、今やオメガへの差別的行為は前時代的なものになった。彼らへの差別は薄れ、国も差別を無くすために施策を行うようになって久しい。
それは『オメガもまた人である』という考えは無論のこと、技術の進歩によるところも大きい。発情期にもたらされる過剰なフェロモン分泌や情欲の高まりは、発情抑制剤でコントロールできるようになり、オメガが社会に出て働くことも可能になったことが差別的対応の撤廃を後押しした。昔はオメガには春を売ることしか職を与えられなかった世も、今ではアルファやベータに混じって、ごく普通の、ありふれた仕事に就くオメガがたくさんいる。
だが、それは平時であればだ。
戦地という緊迫した場所で、果たしてオメガは役に立てるのか。それは差別でなく、単純な疑問として多くの者が浮かぶところだ。
「ブランノヴァを勝利に導くため、オメガにも徴兵令が下った。これがどういうことか、諸君には今一度考えてもらいたい」
現在、ブランノヴァ帝国は、隣国であるベルプレイヤード皇国と戦争状態にある。
戦況はブランノヴァの劣勢。半年ほど前に開戦したこの戦いは、建国以来緩やかに、されど澱みなく領土の拡大を続けるベルプレイヤードからの平和的解決として同盟の申し出をブランノヴァが蹴ったところに起因している。
ブランノヴァ帝国は、一代前の皇帝が成した中規模の国で、ゾネグルント大陸の北西に位置している。時の皇帝エティエンヌが周囲の小国を侵攻し、服属させることで今の大きさまで拡大させた、大陸の中では新しい国である。十年ほど前、病に倒れたエティエンヌ亡き今、皇帝の名は実子であるアリスティドが継いでいる。
一方で、ベルプレイヤード皇国は、古き時代から大陸の長のように鎮座する大国だ。歴代の皇王が広い領土を統べ、何百年という時を亘ってきた強国。同盟や連合、あるいは元首に連なる者同士の婚姻などによって平和的に、着実に領土を広げるゾネグルント大陸の獅子だ。
そのベルプレイヤードが、他の国への交渉と同様にしてブランノヴァに同盟を持ち掛けてきたのは、これまでの歴史を鑑みれば、そう突飛なことではない。技術革新目まぐるしい昨今、海を隔てた先の別大陸からの侵略に備えるためにもゾネグルント大陸諸国は一つとなるべき、というのがベルプレイヤードが掲げる正義である。
実際に、その正義に反発する国は少なく、ゾネグルント大陸の八割強の国はベルプレイヤードの吸収されたか、同盟あるいは連合として名を連ねた。つまり、ベルプレイヤードは今や連合皇国である。
ブランノヴァにも、そのお伺いが来たわけだが、帝国の現皇帝アリスティドが一蹴したのだ。
さらにそこで「はいそうですか」と収まらなかったのがブランノヴァの国運の分かれ目だったろう。
前皇帝エティエンヌと違い、アリスティドはさして賢い元首ではなかった。軍事力からして、開戦前から劣勢なのは目に見えていたのにも関わらず、皇国に対して宣戦布告をしたブランノヴァは、今や帝都と疎開先を除いて戦地と化した。賢く強剛でカリスマ性を備えていた前皇帝が成した平和で強固な祖国という夢を、いつしか『大陸覇者』という強欲な夢に変質させた現皇帝の手によって、地は今もなお、燃えている。
そして、劣勢のブランノヴァは、アルファとベータの男性に限っていた徴兵をついに、オメガの男性にも伸ばした。それだけ国は……皇帝は『勝利』という二文字を獲得するために躍起になっている。民の命が赤く燃える地で果てようとも、この戦火は止まらない。
国は閉鎖され、亡命は許されない。徴兵を拒否することも叶わない。
戦うほかないのだ。
祖国のためではなく、家族のため、大切な者のため。——自らの命のために。
6
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
オメガの復讐
riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。
しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。
とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

君はアルファじゃなくて《高校生、バスケ部の二人》
市川パナ
BL
高校の入学式。いつも要領のいいα性のナオキは、整った容姿の男子生徒に意識を奪われた。恐らく彼もα性なのだろう。
男子も女子も熱い眼差しを彼に注いだり、自分たちにファンクラブができたりするけれど、彼の一番になりたい。
(旧タイトル『アルファのはずの彼は、オメガみたいな匂いがする』です。)全4話です。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる