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番外編
エフェドリンに浮かされて 02
しおりを挟む「日本人ってさ、好きだよな。桜も富士山も。そーいう意味ではこの公園はどっちも味わえてお得かも」
「猿と孔雀もいるし?」
「そそ。猿見たのなんて久しぶりだし、孔雀なんてももっと久々」
綾春は楽しげに笑う。
この公園では、広場の一角で小動物が飼われている。さらに猿が飼われている円形の檻もあり、その中では猿が元気に動き回っていた。
桜や海を見渡せる絶景だけでなく愛らしい動物も愛でられるゆえか、この公園は子連れの客も多い。きゃっきゃっと鈴を転がしたような笑い声をあげ、ちょろちょろと走り回る子供たちは見ているだけで和んだ。そんなちびっこたちを横目に、蓮哉たちも動物たちを見て回ったのだけれど、可愛らしい姿に意外と大人でも楽しめたところだった。
「今度は動物園にでも行ってみるか?」
紙袋からスコーンを取り出して、綾春に手渡す。
チョコレートがごろごろ入ったスコーンを齧りながら「どうせならさ」と切り返した。
「サファリパークでもいいよな。ライオンとかキリンとか、間近で見るの。ついでにどこかで一泊して帰ってくる。どう?」
「いいな。あとで計画立てようか」
普通の恋人みたいなおしゃべり。数年前までは、こんな幸せが訪れるなんて思わなかった。その幸福を与えてくれた恋人は「楽しみだな」と答えながら、絶景と花見を楽しんでいる。その一方で蓮哉は、桜を眺める愛しい彼の横顔に目を奪われていた。
今日の綾春は、ベージュに黒いクロスラインが入った薄手のニットカーディガンに、白のカットソー。ボトムスは着心地の良いイージーパンツといったラフなスタイルだ。……つくづくイケメンだと思う。
モデルのように整った顔立ちの綾春が、晴れた春の空の下でタンブラーを傾け、スコーンを齧る姿は、ただそれだけで絵になる。それなのに、そんなに無防備で柔らかい笑みを浮かべているのだから、目が奪われないわけがない。蓮哉だけが特別なわけではない。花見を楽しみにきた客が自然と綾春のことを目で追っていた光景を、蓮哉は先ほどの散歩中に何度も目にした。
美しい花を愛でにきたら、美しい男も見られたのだから、彼女たちも良い休日になっただろう。だが、この男は自分のもの。どんなに熱視線を送っても、綾春は絶対に渡さない。
見知らぬ相手にまで小さな嫉妬を燃やしている自分に内心で呆れ、やれやれとため息をつく。座っているだけでモテまくっている恋人の顔を眺めながら、蓮哉もコーヒーとスコーンに口をつけた。
保温性のあるタンブラーに入ったコーヒーはまだ温かく、美味しい。彼も自分もコーヒーは好きだから、ドライブのお供はもっぱら、こういったブラックコーヒーだ。そしてコーヒーショップで売ってたスコーンなだけあって、こちらもほろ苦いコーヒーによくマッチしている。
「こういうの、いいよね」
「そうだな」
そよそよと、春のそよ風が吹く。
こんなに魅力的な彼だから、捕まえておかないと自分以外の誰かのところへ行ってしまうんじゃないか、なんて感傷が時折、蓮哉を襲う。想いを通じ合わせても、言葉を紡ぎ合っても、体を自分のものにして、カラーを贈っても……心はきちんと満たされているのに、もっと欲しいと欲が出る。
すると、蓮哉の心を見透かしたように綾春がわざとらしくスマートウォッチに目をやった。いや、正確にいえば彼が見たのはスマートウォッチではなく、その左手首に嵌ったバングル——二週間前に蓮哉がプレゼントした二人だけのカラーだ。
綾春はおもむろに左手首を空に掲げ、バングルをきらきらと揺り動かす。柔らかな春の午後の日差しをきらりと反射させた先には、満開の桜が咲き乱れていた。
「きれーだなぁー」
その言葉が向けられたのは、桜か。カラーか。
手作りのカラーは、蓮哉のファンだと言ってくれた綾春に気に入ってもらえるだろうとは思っていたけれど、想像以上に喜んでくれて、気合を入れて作った甲斐があった。長く、大切にしてほしいから手入れ道具も用意している。今後は手入れも一緒にやっていくつもりだ。そのときは、一時的にカラーを外した彼が不安にならないように、たっぷり甘やかして、ケアをして、自分のものだと知らしめてやりたい。
「そういえばさ。満開の桜の木の下を歩くと気が狂う、なんて言うだろ? 今ならその気持ち、ちょっとわかるかも」
突然投げかけられた問いかけに、蓮哉は首を捻った。
「どうして?」
「だって、これだけ綺麗に咲くんだから。こんなん見てたら、誰だって興奮するって思わない?」
すでに満開を迎え、青い空に薄ピンクの模様を幾重にも落とす桜の花。
その下で微笑む、美貌の恋人。
「それは……あやが興奮してるってことか?」
「んー…………そうかも」
ふふっ、と笑った綾春に蓮哉はたまらず口元を手で覆った。ついついニヤけてしまった顔を隠していると、隣に座る綾春が「蓮哉さん、何考えてるのかなぁ」なんて、くすくす笑う。
すぐ近くでは、まだ幼い子供が遊んでいるのにもかかわらず、大人ならではの言葉遊びを交わして、春うららの時間を楽しんでいく。
晴れて恋人という関係になれて数ヶ月。リハビリ相手というパートナー未満のような関係の頃よりも、良い意味で格好つけずに崩した態度を見せあえるようになり、彼と言葉を紡ぎあう楽しみはいっそう増した。
久慈綾春のすべてが、好ましい。
こんなきれいな人を自分のSubにできたことに、この上ない喜びを感じる。
桜を見て——あるいはカラーを見て——興奮してきた、なんて蠱惑的な発言をした綾春に「じゃあそろそろ帰ろうか」と、欲を隠せぬ言葉をかけようとしたとき。突然、さぁっ……と強い風が吹いた。
「ぅわ、風つよ……」
さわさわと爽やかな音を鳴らしながら風に揺れた枝から、薄ピンクの花びらがはらはらと零れ落ちる。空に舞い散る桜たちに、綾春はじぃっとへーゼルの瞳を向けていた。
色素の薄いアッシュカラーの綾春の髪も風にさらさらと靡き、長い睫毛が瞬きに揺れる。揺れる髪が顔に当たって煩わしいのか、きらめくカラーが嵌った左腕でそっと髪を抑えていた。
そんな春の一幕で——まるで、彼が風にさらわれてしまいそうに見えて。
「……っ」
蓮哉はつい、反射的に綾春の左腕を掴んでいた。
「どうしたの、蓮哉さん」
突然、左腕を掴まれた綾春はきょとんと目を丸くさせながら、自分の左隣に座る蓮哉を見た。春特有の強い風は二人の間を通り抜けたらすぐに止み、今は花びらがはらり、はらりと緩やかに舞うのみ。
首を傾げる綾春に、蓮哉はようやくはっと我に返った。
「……いや、その」
「ん?」
「綾春が……桜に連れていかれるんじゃないかって、焦った」
言葉にすると、なんとも恥ずかしくて。
「……ふはっ! なにそれ。連れていくって……ふふっ。蓮哉さんってさ、結構ロマンチストなところ、あるよね。桜にねぇ……くく……あははっ」
「笑うなって。自分でも恥ずかしいって思ってるんだから」
蓮哉はいつも大らかに構えていて、余裕綽々でいるはずなのに、そんなことある? と、綾春がおかしそうに笑う。実際のところ、蓮哉自身も『綾春が桜に魅入られて、そのまま消えてしまうんじゃないか』なんて考えをした自分に驚いていた。冷静になるとかなり恥ずかしいことをしたので、顔が熱い。こんなこと、馬鹿正直に言わなきゃよかったのに。
でもどうしてか、本心を言わなければ、本当に桜が彼を連れさらってしまうような気がしたのだ。だから、つい素直に言葉が漏れてしまった。
「——大丈夫、どこにも行かないよ。そのためのこれ、だろ?」
一頻り笑って満足した綾春が掲げて見せたのは、陶器のビーズがついたバングル。この世でたった一つの、蓮哉が綾春に贈った二人だけのカラー。
「そうだった」
その左手首を引き寄せて、蓮哉はカラーに唇を落とした。
カラーはSubを縛る『首輪』だ。自分に繋ぎ止めておくための楔。
誰にも入る隙を与えない強固な信頼関係を形にしたカラーは『このSubは自分のものだ』と周囲に知らしめてくれる。それは、美しく咲き乱れる桜や春風相手であっても、同じこと。
綾春の手に嵌ったカラーを見ていると、急に芽吹いた馬鹿げた不安はそよ風にのって、春の空へと消えていった。
「帰るか」
「賛成」
左手首をそのまま引き寄せて繋いだ手。
瞬間、またもや強い風が吹いて、蓮哉と綾春の間を幾欠片もの桜の花びらが吹雪のように風にさらわれていく。けれど、蓮哉は愛しい男の手をしっかりと捕まえていた。だから、綾春がどんなに桜に魅入られたとしても、決してさらわれたりなどしない。
溢れ出る思いを閉じ込めるようにして、蓮哉は自分より僅かにだけ小さく、細い指が美しい手を愛おしむように、ぎゅっと強く握り締めた。
◇◇◇
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