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番外編

エフェドリンに浮かされて 01

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(まえがき)

お久しぶりです。
完結後も、お気に入り登録いただき、ありがとうございます。嬉しいです!
他サイトのほうでレビューや感想をいただいたこともあり、お礼を兼ねての番外編です。

時系列としては『60. 日々は過ぎて、春となり』と『61. 初夏の日の湘南』の間になる、とある春の日のお話です。
よろしければ最後までお付き合いくださいませ。それではどうぞー。


ー・ー・ー・ー


 透明度の高い水色の空。
 そこにぽつぽつと浮かぶ綿菓子みたいな白い雲。
 気温は日が昇ってから少しずつ上昇しているが、時折吹く風はいくらか冷たさが残っている。

 綾春の誕生日から約二週間。
 昨日は金曜日だったため、蓮哉は仕事が終わる頃合いを見計らって、東京・青山のオフィス近くまで恋人を車で迎えに行った。愛しい恋人を乗せた愛車は、蓮哉オーナーが恋人とともに週末を過ごすために夜の首都高を抜け、危うげなく葉山へと辿り着いた。それから二人は風呂でその日の疲れを流し、蓮哉が下拵えを済ませていた夕飯を一緒に作って食べて、夜には一週間ぶりのプレイとセックスに勤しんだ。

 そして、今——土曜の昼下がり。
 愛車の助手席に恋人を乗せて、蓮哉は再びハンドルを握っている。

「う、わ……蓮哉さん見て。すっご……」

 ハンドルを握る蓮哉とおしゃべりに興じていた綾春が、助手席から感嘆の声を漏らした。

「ここ、綺麗だよな。並木が長いから、運転しながら花見ができる」
「心なしか渋滞気味だし?」
「そうそう。いつもはうんざりだけど、この時期は渋滞も有り難い」
「桜のアーチって感じで、すごいよ。ちょうど満開だし。通り過ぎるのがもったいないくらい」

 綾春のヘーゼルの瞳が捕らえているのは、道路の左右に連なる桜並木だ。
 きっとあの綺麗な瞳の中に、薄ピンクの花たちがきらきらと瞬いているに違いない。

 さすがに運転中に綾春の顔を覗き込むわけにはいかないので、蓮哉はフロントガラス越しに満開の桜を見上げる合間に、ほんのりと上気している彼の横顔をチラッと見るに留めた。だが、それだけでも彼の楽しげな様子は十分伝わって、思わず口角が緩む。
 綺麗なものを愛でるのは好きだろうなと思っていたが、予想していた以上に楽しんでくれていて、蓮哉は気分良くアクセルを踏んだ。もちろん無茶な運転はせず、安全運転を心がけて。

「こうやって満開の桜の下をドライブするの、いいよな」
「うんうん。都内のほうもちょうど見頃でさ。俺も仕事で社用車に乗ることあるけど、この時期のドライブって気持ちいいよな」
「だな。でも桜に見惚れて事故、なんてことはやめてくれよ?」
「ははっ、気をつけるよ。蓮哉さんもね」

 綾春と初めて顔を合わせたとき、彼は後輩の辻を連れて、自らの運転で葉山にやってきた。そのあとも一度、車で来てもらったことがある。だから運転には慣れているようだし、蓮哉とて綾春がそんな危険な真似をするとは思ってない。
 でも万が一にも、そういうことが起きないようにと釘をさせば、同じように釘をさされたので「もちろん安全運転で行くさ」と蓮哉は答えた。今日に限らず、綾春を隣に乗せるときはいつも以上に優しい運転をしているつもりだ。

「運転、いつもありがとな」
「どういたしまして。ドライブは好きだから、気にしないで」
「俺、蓮哉さんの運転姿、好きだな」
「それはどうも」
「照れてる?」
「いいや。むしろ喜んでる」

 二人が土曜の休暇を利用して、桜のアーチの下をドライブしているのは、日本の春の風物詩——花見に行くためだった。

 花見に行こうか、と誘ったのは蓮哉だ。
 土を練りながら流していたラジオから、そろそろ開花しそうですね、とパーソナリティーの女性が伝えてたのは先々週のこと。綾春の誕生日に手作りのバングル型カラーを贈った週だ。

 冬から春にかけて、綾春の前ではなんてことはない素振りで過ごしていたけれど、カラー作りと器作りで幾ばくか神経を尖らせている自覚はあった蓮哉は、息抜きと恋人とのデートを楽しむために、先週の土日に綾春を花見に誘った。恋人からのデートの誘いに、綾春が否を答えることはなく、ちょうど見頃を迎えそうな今週末にドライブがてら花見に行くことになったのだ。
 
 先週末は、蓮哉の自宅でだらだらしながら、時にプレイ、時にセックスを混ぜつつ、どこへ花見に行こうかと二人で思案した。
 都内や横浜近郊まで行ってみようかとか、せっかくなら弁当でも作って行こうかとか、少し遠くまで日帰りでドライブに行くのもありかなとか、そんなことを話して。

 結局、二人が向かうことにしたのは、蓮哉の自宅から車で二十分もかからない小高い山の頂上にある公園だった。ただし、その公園に行くまでに、わざわざ迂回して、寄り道して、桜が咲き誇る道をいくつか経由しながらのお花見ドライブを兼ねて、だ。

「さて。そろそろ本当の目的地に着くよ」

 先ほどの桜並木もドライブの経由地の一つ。
 そのあともう一つ、ドライブしながら桜並木が楽しめる道を通って、坂道を登って降ってを幾度か繰り返したのち、蓮哉は綾春に声をかけた。

 一時間近くかけて葉山逗子周辺をドライブをして、ようやく着いたのは小高い山の上にある公園の駐車場。この時期だから満車も覚悟はしていたが、ちょうど午前の花見を楽しんだファミリーが帰るところで、空いた場所に蓮哉は難なく車を停めた。

 ドライブの途中で寄ったコーヒーショップでブラックコーヒーを入れてもらったタンブラーをそれぞれ手に取り、同じくコーヒーショップで調達したスコーンが二つ入った紙袋は蓮哉がさっと手に取る。それに加えて大判のストールを一枚、後部座席から引っ張り出してから、綾春に続いて蓮哉も車を出た。
 昼時を過ぎた柔らかい陽射しを浴びながら二人並んで、駐車場から伸びる階段を上がっていく。するとやがて、見晴らしの良い展望エリアへ辿り着いた。

「おー咲いてる咲いてる。それに、すっごい眺め!」

 たたたっ、と駆け出した綾春の先。展望台のすぐそば、眼下に広がるのは相模湾と高級住宅街。それに海の上にぽっかり浮かぶ江ノ島や、今日はよく晴れているから富士山と伊豆箱根連山までもが綺麗に見渡せる。
 高台に整備された公園からは、遮るもののない絶景が広がっていた。

「桜を見に来たつもりけど、あっちにも目が行っちゃうよなぁ」

 綾春が「あっち」と示したのは、青い空に悠然と映える富士の山。
 それには蓮哉も同意見で頷いた。この公園は本当に眺望が良い。広がる青とピンクの景色を眺めつつ、蓮哉は「でもどっちも綺麗だなー」なんて笑う上機嫌な恋人を眩しい気持ちで見ていた。

 それから公園内を歩いて、レストハウスや小動物園をひやかして。ハイキングコースに足を踏み入れようか迷いながらも結局やめて、蓮哉と綾春は再び、最初に眺望を楽しんだ展望台の近くまで戻ってきた。近くには大きな桜の木があり、その下では家族連れやカップルがレジャーシートを敷いたり、アウトドアチェアに座ったりして、思い思いの花見を楽しんでいる。

 蓮哉たちは展望台の土台部分に広がる、大人が腰掛けるのにちょうど良い高さに張り出た場所へと腰を下ろした。左側に蓮哉、右側に綾春が座った間には、拳二つ分の距離だけが空いている。
 何を敷くわけでもなく座ったため、ひんやりとしたコンクリートの温度がボトムス越しに伝わった。レジャーシートは一応持ってきてはいるが、車の中に入れっぱなしだ。弁当は持ってきてないし、スコーンとコーヒーは散策しながらどこかで食べればいい。腰を据えて桜を楽しむのも悪くはないけれど、今日はのんびり散歩をしながら桜と眺望を楽しむのも悪くないと思って、置いてきたのだ。

 腰をかけた後ろ、高射砲台跡を利用して作られたらしい展望台は、階段を上り下りしてはしゃぐ子供たちの笑い声に包まれている。

「寒くないか?」
「うん。平気」

 そう答えられつつも、蓮哉は綾春の肩にストールをかけた。綾春もそれを自然と受け入れて「ありがと」と微笑む。まるで付き合いたての女子に対するような、隙のない気遣い。そんな蓮哉の態度に、綾春はいつも擽ったそうにしながらも嬉しそうに目を細める。
 蓮哉は別に、綾春をか弱い人だとも女性的だとも思っていない。実際に彼は強く、しなやかで、男性としても一人の人間としても魅力に溢れた人だ。細身ではあるが立派な男性だ。だから、いわゆる女性が好みそうな今の蓮哉の行動を積極的に求めるタイプでは、もちろんない。それは蓮哉もわかっている。

 それでも蓮哉が綾春を大切に、大切に、それこそただの少しであっても困ることのないように手を尽くしてしまうのは、Domの気質とも言えるし、強い独占欲の裏返しでもある。
 自分のSubをどうしようもなく庇護したい。それが、自分の愛情を一身に注ぐ相手であればなおのこと。甘やかして、蓮哉から与えられる庇護に身を預けて、どこまでも依存させたい——。それを綾春も理解してくれている。蓮哉のSubとして、すべてを享受してくれている。

「ふふふ……」
「どうした?」

 ストールのかかった肩を僅かに揺らして笑う綾春に問うも「いーや、何でもない」と返ってきたので、蓮哉は「まぁいいか」とタンブラーを傾けた。
 欲深い蓮哉の心のうちを理解してくれているからこそ、綾春も蓮哉に世話をされるのを好んでくれているのを知っているので、深追いはしない。言葉にしなくても、心がつながっているとわかるから。そんな何気ないやり取りに気分がよくなった。

 隣に座る綾春も蓮哉に負けず劣らずかなり上機嫌で、鼻歌なんか歌いながら桜と青空を交互に見上げている。放っておいたら、子供のように足をぷらぷらと動かしそうな勢いだ。完全にオフのモードに入っている綾春が、年齢よりも少しだけ幼く見えるのは、自分にすべてを許してくれているからだと自惚れる。
 強く、しなやかで、眩しい恋人のことを、蓮哉は黒曜石の瞳で見つめていた。

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