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60. 日々は過ぎて、春となり
しおりを挟む恋人かつパートナーになってから、二人は変わらぬ日々を過ごしていた。
相変わらず綾春は多くのプロジェクトを抱えて忙しく過ごしていたし、蓮哉も新しく請け負うことになった湘南のホテルと中目黒のバル向けの器を作りながら、今までの依頼もこなし、さらに綾春からイメージした器を時折作っては自由が丘にある知り合いの雑貨店へ卸しにいく。建築の仕事も、声をかけてもらえるうちはと細々ながらも続けている。
一ノ瀬との一件はあったが「もう我慢することを止めたのだ」と、蓮哉は言っていた。もし一ノ瀬に何か言われて、再び脅されるようなことがあっても、耐え忍ぶことはしないと。まあ仮に一ノ瀬が無粋な真似をしようものなら、中井が撮影した動画を武器に、出るところを出るつもりだけれど。
そう——恋人ができたからといって、仕事は止まらないし、納期も待っちゃくれない。
だけど、変わったこともいろいろある。
互いの予定がなければ、金曜日の夜に蓮哉が車で迎えに来てくれて、週末は葉山で過ごすようになった。予定があるときはその分、平日夜にご飯に行ったり、晴海のプレイバーに顔を出して軽くプレイをしたりもする。
二人の恋はいたって順調で、蓮哉の家には綾春のものが少しずつ、着実に増えていった。
そんな日々を過ごしているからか、仕事が多忙でストレスが増えてしまうときでも、綾春が抗不安薬を飲むことはほとんどない。抑制剤も、蓮哉との関係がこのまま続くのなら軽いものに変えていけるかもしれない、と医者にも言われたくらいだ。
綾春は、二十七年間生きてきたなかで、一番充実した日々を送っている。
穏やかながら幸せな日々を過ごす中で、一度だけ、綾春は蓮哉にカラーのことを訊ねたことがある。
師走の、寒い季節に結ばれたあの頃に、蓮哉は綾春にカラーを贈りたいと告げ、それを綾春は快諾した。蓮哉らしいものを贈ってほしいと我儘にもねだった。そのカラーは、まだ贈られていない。
「じっくり考えたものを贈りたいから、時間をかけたい。待っていてくれないか」
そう言われて、綾春はもちろん問題ないと返答した。
カラーはDomとSubの間では特別なもので、カラー専門店にオーダーメイドを依頼するパートナーも少なくないからだ。物によっては数ヶ月かかるとも聞くので、綾春は待つことに不満はなかった。
どちらかといえば、そんなに時間をかけて用意してくれているということが嬉しかった。
そうして、冬の季節は過ぎていき、そろそろ春がくる。
◇◇◇
三月十七日。
日曜日のこの日、綾春はいつものように金曜の夜から葉山にある蓮哉の自宅にやってきて、恋人との時間を楽しく過ごしていた。
「綾春、ちょっとこっち来て」
サンルームの天井ガラスから降り注ぐ陽光の温かさに、ソファの上でうとうとしていた綾春は、蓮哉の声で覚醒する。昨日の夜も隅々まで愛されて、食べ尽くされたからか、朝食を食べたあとにやって来た眠気に抗えず、夢へと誘われかけていたらしい。
「んぇ? ふぁ…………なに?」
「寝てた? 起こしてごめんな、おはよう。まあ、ちょっとね。Come」
呼ばれた声へと顔を向けると、リビングダイニングの入り口に蓮哉が立っていた。
「どうかした? 蓮哉さん」
Comeのコマンドで呼ばれた嬉しさに体を満たしながら、蓮哉へと歩み寄る。長身の彼を上目遣いで見れば、蓮哉は身を屈めてご褒美として唇にキスを落とした。
「ん……はぁ。なになに、どうしたの?」
わざわざ廊下へ繋がるところまで呼び寄せてキスをして、何がしたいのだろうと首を傾げると、蓮哉はただ口を弧に描くだけで、綾春の腕を掴んで隣の部屋——書斎へと導いた。
以前のプレイのときに蓮哉が座った一人掛けのヴィンテージソファの前まで来ると、「Kneel」と言われて、素直に命令に従う。
「Good。そのまま目瞑ってて」
「えっと……」
「お願い」
優しく微笑まれる。綾春は突然始まったプレイに訳がわからないと思いつつも目を瞑る。と、またもや唇に触れるだけのキスをされた。
一瞬でも驚いて目を開けそうになったが、きゅっと手を握って耐える。
すると、がさごそと引き出しを開けるような音がして、それから不意に左手を掴まれた。
「蓮哉さん……?」
「痛いことはしないから。もう少しだけStay」
まだ何をしようとしているのかは教えてくれないらしい。仕方ないので、綾春は小さな不安を覚えつつも、蓮哉の好きにさせようと肩の力を抜いた。
そんな綾春に「ありがとう」と礼を述べた蓮哉は、「このままで」と言ってから掴んだ手をそっと離した。
(ほんと、急にどうしたんだろ……)
言われた通りに左手を宙に浮かべたままでいると、蓮哉が何やら細い金属の輪っかようなものを綾春の手首に嵌めている感触がする。
また手首を拘束したプレイだろうか、とうっすら目を開けたくなるのを理性で制していると、ふっと満足気に笑う声がした。
「ねえなに? そろそろ目、開けていい?」
もうそろそろ答え合わせがしたくて、つい急かしてしまう。
と、蓮哉もやりたいことが果たせたのか、綾春の要望に答えた。
「ちゃんと従ってくれてありがとう、Good。それじゃ、Open」
優しいコマンドに促されて、綾春はゆっくりと両目を開いた。明るさに慣れるために二、三度パチパチと瞬きをして。そして真っ先に見たのは、宙に浮かべたままの左腕。
いったい何をされたのかと、その手首を見遣って——綾春は息を呑んだ。
「これ……カラー?」
「そう。よくわかったな」
綾春の左手首には、シンプルな細身のバングルが着けられていた。シルバーを基調としたそれは、中央に一箇所だけ陶器でできたビーズのようなものが二つ嵌められている。
「作ったんだ。カラーとかアクセサリーとか作ってる作家の知り合いがいるから、そいつに教えてもらいながら。このビーズ部分も俺が焼いてる」
蓮哉は、綾春の左手を掬い上げて、陶器の部分を指でそっと撫でた。その大きくて、きれいな手に見惚れる。
これまでも何度も彼の手には見惚れてきたけれど、今このときほどドキドキしたことはない。彼の手が作るもので、彼の所有物だと示すものを贈られた喜びがひしひしと込み上げた。
「気に入ってくれると、嬉しいんだけど」
「どうしよう……。すごく……すごく、嬉しい」
綾春が目を瞑っている間にソファへ腰を下ろしていた蓮哉へにじり寄り、太ももへと頭を預けた。
嬉しさを伝えたくて、甘えたくて、彼に触れたかった。
そんな恋人の希求を受け止めて、蓮哉は両脚を僅かに広げて、綾春の体を招き入れる。その右脚に擦り寄りながら、綾春は左手首を掲げて、うっとりとバングル型のカラーを見つめた。
「蓮哉さん、こういうのも作れるなんてすごいな」
「装飾品の類いを作ったのは初めてだよ。それに後にも先にも、きみにしか作らない」
自分だけが特別、と受け取れる言葉に心臓が拍動を速める。
ああ、好きだなと改めて思った。
「バングル型なのは何か理由が?」
好きが溢れて止まらなくなる前にと、綾春は気になったことを訊ねた。
「首輪やチョーカー型は嫌だって言ってただろ?」
「うん。首は、空けておきたいからね」
「じゃあ、それ以外で定番の指輪やネックレスなんかも考えたんだけど……指輪は、次の機会にとっておこうと思って」
「次?」
カラーは、劣化や好みの変化などで買い替えることはあるけれど、一度にそう何個も贈るものではない。となると『次』というのは、いま貰ったカラーが劣化してしまったときの買い替え時ということだろうか。
そんなことを考えながら問えば、蓮哉は綾春の髪を梳きながら事も無げに答えた。
「恋人としてプロポーズする用に、だよ」
それはもう……その言葉だけで、十分プロポーズになってしまっている気がして。綾春はたちまち顔が赤くなった。
「あー……っと、うん。……えっと、そ、それで?」
嬉しい動揺をなんとか抑えて、綾春は先を促す。
本気なんだけど……まあいいや、と蓮哉は呟きながらも、言葉を続けた。
「で、いろいろ考えたんだけど、綾春は普段は時計をしてるだろ?」
「まあ、風呂とかプレイのとき以外は大抵ね」
何年か前に腕時計をスマートウォッチに変えてからは、何か理由がない限りはオンオフ問わずに身に着けている。
時計としての機能もそうだが、スマホと連動させているのでトークアプリに来たメッセージも短いものであれば確認できるし、予定管理にも便利でリマインダーを振動で通知して会議や納期等の忘れ防止に役立てられて便利なのだ。電子決済も頻繁に使うので、スマートウォッチの利用頻度は高い。
それに、ヘルスケアの側面でも、Subとしてはかなり重宝している。
「それで、仕事中でもプライベートでも、手首を見る機会は多いようだから。……時計を見ようとしたら、自然とカラーも目に入る」
そっと手首を取られて、キスを落とされた。
スマートウォッチと重ね付けしても浮かないような色にしたつもりだ、と補足されて、綾春は今の感情をどんな言葉で表現したらいいかわからなくなった。
——とにかく、どうしようもなく、嬉しかった。
四六時中、自分のことを考えていろというのは、束縛が嫌いなSubや恋人は嫌がるかもしれないけれど、綾春は心ごと支配してもらいたいから、想いごと束縛されるのは何よりの幸せだ。
「誕生日おめでとう、綾春。これからの人生は、俺の大切な人、大切なSub、俺の唯一として生きてほしい」
そう。今日、三月十七日は綾春の二十八歳の誕生日。
とっておきの言葉と贈り物を貰って、綾春は眦に涙を浮かべながら深く深く、何度も頷いた。
これからは、蓮哉との人生が始まるのだ——。
◇◇◇
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