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56. 痛いほどの愛を *
しおりを挟む蓮哉に腕を引かれるようにして足を踏み入れたのは、二階の一室。
八畳ほどの広さにキングサイズのベッドがどんっと置かれた部屋は、蓮哉に言われずとも、そこが彼の寝室であるとわかった。
時刻はまだ昼と夕方の間で、窓には薄いレースカーテンが引かれただけ。
薄布越しの冬の陽光は西に傾き始めていて、一階のサンルームほどは部屋を照らしてくれていなかった。
ぼんやりとほの明るい、淫靡な雰囲気が二人の欲情を一気に高めていく。
「Stay」
「あ……っ」
部屋に入って早々、綾春はグレアとコマンドに縛られた。
蓮哉のグレアが、まるで細胞の一つ一つに染み渡るように綾春の体は歓喜で震える。いつもは〈Come〉で始まるプレイが、今日は様相が違う。それがまた、今までとは異なる二人としてのプレイを表しているようで、自然と心は湧き立った。
ぴたりと動きを止めた綾春を見て、蓮哉は目を細める。
「Good。そこでまずはKneelだ。両手を前に出して待っていて」
続けざまのコマンドに、綾春の体は素直に従った。そしてなによりも、蓮哉が自然とKneelを使ってくれたことに喜びと驚きが同時に押し寄せていた。
「蓮哉さん、そのコマンド……」
「ん? ああ、綾春はずっと心配してくれてたんだよな。——もう心配ないよ。Kneelも、たぶんグレアも」
「それは——」
よかった——そう言葉を紡ぐ前に、綾春の唇の前に蓮哉の人差し指が当てられた。〈Shush〉のコマンドはないけれど、放とうとした言葉は彼の指に溶けて消える。
「それよりも、躾を始めよう」
不敵な笑みを浮かべた男に、綾春の本能が騒がしくなる。期待に満ちた顔をしながら、部屋の入り口で座り込む綾春の頭をひと撫でして、蓮哉は部屋の奥へと向かった。そして、クローゼットから何かを持って戻ってくる。
その手に収められたモノに、綾春は小首を傾げた。
「……手枷?」
「そう。〈Stay〉と〈Kneel〉ができたご褒美だよ」
蓮哉が手にしていたのは、ワインレッドに染まったレザーの手枷。そこにピンクゴールドのチェーンがぶら下がっている。卑猥なのか上品なのかよくわからない玩具だけれど、ご褒美という言葉で綾春の本能はその枷を早く嵌めてほしいと欲する。
それに応えるように、前に差し出していた腕を蓮哉がすっと掴んだ。
「綾春によく似合うと思って買ったんだ。本当は足のほうもあるんだけど、今日はそこまでするのはしんどいだろうから。こっちだけな」
「ん……」
足枷もつけてほしいと思いながらも、彼の言葉に従いたくて、おねだりをぐっと呑み込む。その代わり、一切の抵抗は見せずにいると、綾春にはあっという間に手枷がつけられた。
「いいね、よく似合ってる」
手首に嵌ったレザーは、右手と左手の枷がきらめくチェーンで繋がっていて、両手を大きく広げることはできない。チェーンの長さはせいぜい二十センチというところ。
その不自由さが、もどかしくて、満たされる。
「Stand up。歩いて。ベッドの上でRollしてみせて」
チェーンをくいっと引っ張られ、綾春は本能のまま立ち上がる。
手枷をつけられたからか、蓮哉に支配されているというのが視覚的にも感覚的にも強くなって、じわりと頭が溶け始めていた。
ベッドの傍まで歩み寄れば、とんっ、と軽い力でベッドへと倒される。
倒れた先からほのかに感じる蓮哉の匂いを嗅ぎながら、綾春は体をごろんと横臥させた。
「ふふっ、もう気持ちよくなってる?」
綾春が横になったことで、膨らんだ股間が蓮哉の目に留まった。いや、綾春を跪かせ、手枷をつけたときには、もう彼は気づいていた。
緩く勃ち上がり始めているそこは、スウェットパンツの布を押し上げている。
「だって、蓮哉さんのグレア、気持ちいい」
恋人になる前までは……正式なプレイパートナーになる前までは、グレアを浴びたとしても自身を兆すような真似はしなかった。蓮哉のグレアは綾春にとって心地よく、何度もそうなりかけたけれど、リハビリ相手だからと欲望にストップをかけて、そうなるまいと気をつけていた。
でも、もうセーブする必要はない。
映画を観た、あの日の夜のように——それ以上に彼を求めて、求められたい。
「もっと欲しい?」
「欲しい。もっとちょうだい」
瞬間、ぶわりとグレアが強くなる。
「ぁ……ふぁ、っ」
苦しくなるほどのグレアに、自然と声が漏れ出た。
その様子に舌舐めずりをしながら、蓮哉は綾春が着ているスウェットトレーナーに手をかけていく。綾春の細身では裾や袖が余っていたそれを、蓮哉がぐっと捲り上げる。
露わになった腹部には、痛々しい暴力の痕が浮かんでいた。
「痛いか?」
「っ……ん、ちょっとだけ」
痣になっているそこを、そっと撫でられる。柔らかな肌をやんわりと押されると、ずきりと痛みが走った。
「俺以外の男に痕をつけられるなんて、いけない子だな」
「ぃ、っ……」
咎める口調とともに、さらに強く触れられて、また痛みが走る。
——これは罰だ。
好きでもない格下のDomに傷をつけられるような状況に、みずから飛び込んだ綾春への罰。考えなしに動いて飛び出した結果、今こうして蓮哉を悲しませてしまったことへの罰。
だから、この罰は甘んじて受けなければならない。
そう思って、歯を噛み締めて耐えようと思ったところで、すっと蓮哉の手が離れていってしまった。
「あ……なんで……」
「そりゃだって、つらいだろ?」
早く治せよ。
そう言って、綾春の眦にキスを落として腕を引こうとする蓮哉を、綾春は手枷のついた不自由な腕で食い止めた。
「ううん……やだ、待って。蓮哉さん、もっと触って。痛くても、触ってほしい。……腹のところ、他のやつにつけられた痕が残ってて、気持ち悪いんだ。蓮哉さんに上書きしてもらいたい」
風呂に入っているときも、この痣を見て気が滅入っていた。
好きな男と過ごせる時間に、この痛みと痕は不要だ。煩わしくて、忌々しくて、愚かな自分を呪いたくなる。
だから、今すぐに上書きしてほしい。この痛みも痕も、圧倒的な支配で押し潰してほしい。
「…………はぁ。綾春はおねだりが上手くて困るな」
じゃあ、と綾春は瞳を輝かせたが、そこに非難の色を濃くしたグレアをぶつけられた。それは綾春のおねだりを許可するものではない。我儘を言うSubを黙らせるための、愛ある鞭だ。
心地良いグレアの中に混ぜられた、綾春を咎めるそれに、息が一瞬詰まる。
「残念だけど、それは叶えてあげられない」
「なん、で……」
「俺だってできることなら、この美味そうな腹に吸いついて、噛みついてやりたいよ。でもさすがに、今ここに直接は痛いだろ」
むやみやたらに痛めつけたいわけじゃないからな、と蓮哉は言う。
ここ、と腹部に触れた手つきは、先ほどとは打って変わって、綾春を労わるような優しいものだった。
「やだ、お願いっ、痛くしていいから……!」
「だめだ。治ったら、いくらでもつけてやるから我慢な」
蓮哉の腕をぎゅっと握って縋りつく綾春の手をやんわりと振り解いて、彼は我儘な子供をあやすように、ぽんぽんと恋人の頭を撫でた。
「代わりに、他のところは嫌というほど可愛がってやるから。な?」
「あっ……!」
捲られていたスウェットを、さらにぐいっと上へと引き上げられる。手枷で一纏めにされている両腕も上へと上がり、頭上で所在なさげに震えた。
腹部だけでなく胸元まで晒されると、蓮哉はそこへ唇を寄せた。
「ちゃんと声出しな。痛いときも、気持ちいいときも」
「ん、ぅ……わかっ、た。……あっ」
いい子、と言われたのと同時に胸の突起を舐められた。小さな尖りを舌先で捏ねられて、じゅぱっと音を立てて吸われる。舐められていないほうは指で弄ばれ、胸はじんじんと疼いていく。
「あんっ、ぅ……はぁ、っ」
ピンと乳首を弾かれたと思ったら、もう片方の周囲に噛みつかれる。チリッという甘やかな痛みが広がり、もっと刺激が欲しくなって、綾春は胸を反らした。
「蓮哉さ、ん、それ……もっと噛んでっ。痕、いっぱいつけてほし、っ」
胸だけじゃなくて、彼が望むところ、すべてに。
「いいよ。たくさんつけてあげる」
「ぃッ、んんっ」
あちこちの柔らかな皮膚を齧るように食らいつかれ、綾春の唇からは痛みとも快楽ともつかぬ嬌声が漏れ出る。舐め回され、食いつかれ、歯を突き立てられるたびに体がくねる。そうすると、痣の浮かぶ腹部にも時折、鈍い痛みが走った。
だが、腹部の痛みよりも、腕や乳首の周り、鎖骨のあたりに噛みつかれる痛みのほうに意識が向いた。そして、その痛みが愛おしくて、もっと痛くして。心ゆくまで愛してほしいと、綾春は腹や胸を惜しみなく晒していく。
蓮哉に所有の痕をつけられていることに心と体は喜び、いっそう熱を帯びていった。
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