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51. 素直な気持ち

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 蓮哉を好きだと、目を合わせて言えたことに、ほっとした。
 ぐるぐると悩んで、体の真ん中で絡まって、縺れて、ぐちゃぐちゃになっていた感情の糸がようやく解けるような感覚だった。

 そして、好きだと言えたから、もっと自分の想いを伝えたくなった。

「俺たちって、どうしたって本能からは逃げられないだろ? だからまだ、体の相性が良かったから好きになったんじゃないかって不安はゼロじゃないんだ……。もし『俺の欲を満たしてくれるから好きになったんだろ』って言われたら、俺はまだ素直に首を横に振れないとも思う。あと、蓮哉さんは仕事相手には違いないから、『もし別れたらどうしよう、気まずいよな』とか、そういう現実的なことも考えてたりする。俺はSubだし、そういう性分だから……そういった面倒なこと、またぐるぐる考えて、だめになりそうになると思う」

 好きな気持ちに偽りはないけれど、後ろめたさや迷い、戸惑い……まだまだ疑問に感じてしまいそうなことはある。綾春はいろいろと考えてしまうほうだから、これからも悩んで沈むことだってあるだろう。
 でも、些細なことを気にするなと言われて、すっぱり悩みを忘れられるのなら、こんなに体をボロボロにしてない。

「……それでもいいなら、蓮哉さんの気持ちに応えたい。蓮哉さんに体だけじゃなく、心ごと支配してもらいたい」

 いつか返事を、と言われたあの気持ちに。
 そう想いをこめて、綾春は蓮哉をじっと見た。

 すると、蓮哉は綾春の頬を撫でから、ぎゅっと左手を握り締めてくれた。

「たくさん考えてくれてありがとう。やっぱり綾春は、俺の救いであって希望だ。だから、俺からもう一度言わせて。——綾春、俺のSubに……俺だけのSubになってほしい。パートナーとしても、恋人としても、俺と一緒になってほしい。きみのことが好きだ」
「うん。——俺もなりたい」

 笑顔で返事をすれば、触れられた左手の指を絡められ、そっと掬い上げられて、手の甲にキスを落とされた。
 気障ったらしい仕草なのに、蓮哉がすると静謐な印象になる。

 なんだか心地が良いなと思っていると、絡められた指を僅かに強くぎゅっと握られた。

「綾春、一つだけ言っておきたいことがある」
「な、なに……?」

 ピリッと空気が震えた気がした。
 本当に少しだけ……そばにいる綾春なら感じ取れるくらいの微量のグレアを当てられて、欲求不満の体にほんのり熱が帯びる。

「綾春は『別れたらどうしよう』って言ってたけど、その心配はいらないよ。俺、相当支配欲と執着心が強いほうだから」

 Sランクだからな、と蓮哉は悪い笑みを浮かべた。
 彼がそう告げたとおりに、綾春のことを丸ごと支配したいという激情を湛えた黒い双眸がすっと細められる。

「俺のSubは綾春だけだ。こんなに手に入れたいと思ったSubなんて、ほかにいない。俺だって、綾春とのプレイに満たされたんだ。絶対に離さないし、逃がさない。別れるなんて天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。そんなこと二度と言えないように、心ごと俺に縛りつけてやる」

 プレイ中ではないのに、支配者の瞳が綾春を捕らえる。
 ベッドに横になったままの綾春は、唾を飲み込むことも、瞬きをすることすらも許されないような錯覚に陥っていた。そしてそれが、すごく嬉しい。

「——覚悟しておいたほうがいいよ。退院したら、きみのこといっぱい支配して、躾けて、どろどろに甘やかしてやるから」
「う……ん……」

 綾春は、それに頷くのに精いっぱいだった。

(退院したら、か……。嬉しいし楽しみだけど、そうすぐってわけにはいかないもんな)

 たった一泊二日の入院だから、明日には退院する予定だ。
 けれど、今日は週の真ん中で、週末の休みにはまだ数日ある。

 蓮哉が住んでいるのは葉山で、綾春は東京の都心に勤務している。自宅も会社から電車と徒歩で三十分程度の距離に住んでいるため、葉山まで行くには車でも電車でも片道一時間以上かかるだろう。

(週末の予定、聞こうか……どうしよう……)

 平日の勤務終わりに蓮哉の自宅へ向かうのはなかなか大変だ。
 以前、平日夕方に葉山へ向かったことがあるけれど、あのときは仕事としての用もあったので就業時間中に会社を出て、社用車で葉山を訪れた。あのときと違って、さすがに私用で社用車を借りるわけにはいかないし、そもそも仕事をサボりたくはない。
 となると、やはり明日退院したところで、すぐに蓮哉に会うのは難しいかな、なんて思って寂しい気持ちになった。

「綾春? いま、何考えてた?」
「え……っと」

 寂しいという顔に出ていたのか、蓮哉が心配そうに声をかけた。
 微量のグレアは今も綾春を揺蕩うように包み込んでいる。

「ていうか蓮哉さん、グレア……いいの?」

 平日に会えないのは寂しい、なんてことを考えてたとも言えず、綾春は別の質問を投げた。
 今さらだが、ここは病院であり、病室だ。個室に押し込められているので、グレアが出ていても他者への影響は限りなく低いのだけれど。

「ケアの一環だよ。また不安が悪化しないように、少しあげようと思って。医者にも許可はもらってるから心配ない」
「そう、なんだ」

 まあそれならいいか、と思っていると、蓮哉が目を細めた。

「それより、もっと他に考えてたこと、あっただろ?」
「あー……っと、それはその……」
「……仕方ないな。綾春、Say言ってみて。何考えてた?」
「う……コマンドなんて、ずるい」
「ずるくても何でもいいよ。ほら、教えて」

 そう言われると、綾春は逆らえない。
 それに……恥ずかしいけれど、知ってもらいたい気持ちも半分くらいはあったから。コマンドで言われなくても、きっと綾春は本当のことを教えていた。それをあえてコマンドにすることで、蓮哉が命じて言わせたから仕方ないという状況に仕立ててくれるのだから、このDomは優しくてずるい。

「その……さっき蓮哉さん、『退院したら』って言ってくれただろ。でもさ、まだ明日も平日だなぁって思ったんだ」
「うん。それで?」
「ほら、仕事終わりに、こっちから葉山まで行くのは大変だから。それで、次に会えるとしたらって、いつになるかなーって……そう思っただけ……!」

 言っているうちに、顔が赤くなっていく気がした。やっぱり、言葉にすると恥ずかしい。まるで明日も会いたいと言っているようで。……いやまあ、それは合っているのだけど。

 見つめる蓮哉の瞳から逃げるように、綾春はそっと目を逸らした。

「きみは可愛いな、ほんとに」

 ぽん、と頭を撫でられた。
 ご褒美とばかりに撫でられると、指先が温かくなっていく。

 すると、優しい手つきとは裏腹に怪訝な声で問われる。

「でも、まさかとは思うけど、明日、出社するつもりだったのか?」

 呆れ返った声色に、逸らしていた目を戻す。
 理解できないといった表情で蓮哉が綾春を見ていた。

「え? それは、まあ。午前は厳しいだろうけど、昼には退院できるらしいから。午後からは働けるかなーと思ってるよ。あーでも一度シャワーを浴びて着替えてから出社したいかなぁ……って、そういや俺、荷物、会社に置きっぱだ。明日の退院手続きどうしよう」

 ミーティングを中断して休憩と称して外に出て、中井に話を聞いてもらった帰り道で一連の出来事に遭遇した。そこで蓮哉を助けて、腹を殴られ、そのまま病院に運ばれたので荷物は会社に置きっぱなしだ。自宅の鍵が入った鞄も財布も、いつものレザーのトートバッグに入っている。
 手間をかけてしまうが、終業後、中井に荷物を持ってきてもらったほうがよさそうだ。

 そんなことを考えていると、ぺしっと額を軽く小突かれた。いきなり何だと蓮哉を見ると、眉間に深く皺を寄せていた。

「あのなぁ、綾春……きみ、なんで病院に来たのかわかってるのか? 不安症でいつ倒れてもおかしくないところに、腹を殴られたんだからな。明日どころか、せめて週末までは休め。中井さんもそうしてもらうって言ってたよ」

 え、そうなの? と返すと、ベッド脇に置かれたスマホがブブッと振動した。ボトムスのポケットにしまっていたものを看護師か誰かが、そこへ置いてくれていたらしい。
 蓮哉が取ってくれたので、右手で受け取って顔認証でロックを解除する。

「——ほんとだ。ちょうど連絡が来た」

 通知を見ると、中井からトークアプリでメッセージが届いたところだった。
 そこには、今週残りは休めという指示と、会社に置きっぱなしの荷物はあとで持ってきてくれることが書かれていた。

「わかったなら、今日はもうゆっくり休みな」
「うん。そうするよ。……あ、でも」

 蓮哉に次、会えるのはいつだろう。
 それを訊ねたくて——できれば週末には会えるといいなと思って、口を開いたときだった。

「明日、迎えに来るよ」
「……ふぇ?」

 綾春が質問するよりも先に、蓮哉の声が届いた。

「退院して、二人で葉山に帰ろう。それで、週末まで一緒にいよう」
「……いいの?」
「いいというか、そうしてほしい。綾春の家まで送り届けようかとも考えたんだけど、心配だから一人にしたくないんだ。だから、俺の家で世話をやかせてくれないか」

 思わず、ぱちぱちと瞬きをした。
 明日もまた蓮哉に会える。たったそれだけのことに心が満ちる。

 ——あーなんだ。俺……蓮哉さんのこと、めちゃくちゃ好きなんだ。

 友人からのメッセージには『今度は惚気話を聞かせてくれ』という言葉で締められていた。本当にあの男は綾春のことをよく知っている。
 惚気話をするかはさておき、美味い飯と酒を奢ろうと思いながら、綾春はメッセージに『ありがとう』と返信をした。



 ◇◇◇
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