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31. 青い春の過ち #

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 東雲蓮哉は、早くから自分にDomであることに気がついていた。

 ダイナミクス検査は中学入学時に実施されるが、蓮哉は十歳の頃にはDomとしての本能が開花してしまい、母親に連れられて病院へ検査へ行き、Domの判定を受けている。
 日本では、小学四年生にもなれば二次性に関する授業が開始され、ダイナミクス検査の前には基本的な性への理解を学ぶ。しかし、未熟で多感な年ごろの子供の中で「自分はDomだ」と公言するのは難しく、小学生のときは自分の二次性を明らかにすることなく過ごした。

 その後、中学生になると検査があることもあって否が応でも「誰がDomだ、誰がSubだ」という話題は挙がり、蓮哉がDomであることは緩やかに周囲に知られることになった。

 とはいえ、世間一般として二次性に関する差別は絶対にあってはならないとされている。
 蓮哉のほかにも同学年に、数名ではあるがDomはいて、また同様にしてSubもいた。DomにしてもSubにしても、子供ならではの揶揄いのようなものはあったが、蓮哉が通っていたのはそれなりに優秀な子が多いとされる中間一貫校ということもあってか、イジメというほどの出来事はなく中学時代は何の問題もなく過ぎていった。

 そうして、高ランクのDomながらも無難な学生生活が続くと思われた高校一年生の冬。——その日は、朝から冷たい雨が降っていた。

 降り続く雨は煩わしいけれど、金曜日の放課後は何気ない時間が過ぎていく。いつもの光景。

 蓮哉は当時、弓道部に入っていた。
 翌日の土曜日は都内にある私立校と交流試合が予定されていて、その日は軽い練習のみで解散となっていた。雨が降っていることもあり、体を冷やさぬようにと顧問から指示を受け、部員たちはおのおの帰路につく。

「蓮哉、おつかれー」
「おー」
「明日の試合、頑張ろうな!」
「お互いにな」

 部活仲間と別れを告げて、弓道場に併設された更衣室をあとにする。
 外は冷たい雨ばかりでなく、風も吹き始めていた。たしかにこのまま外に居続けると顧問の言うとおり体の芯まで冷えそうだ。自分も明日に備えて早く帰ろうと、校門を出たところで「あ……」と声を漏らした。

(ケータイ忘れた……)

 ブレザーのポケットを探ったところで、携帯電話をどこかに忘れたことに気がついた。更衣室なら帰り支度をしているときに気づいているだろうから、教室に置き忘れたのだろう。
 そういえば部活に行く前に、机の上に置いた記憶がある。そのとき、隣のクラスの弓道部員が「今日は早めに練習が始まる」と教えに来てくれて、慌てて教室を出た。きっとそのまま置いてきてしまったのだ。

 連絡相手は友人と家族くらいなので別に数日手元になくてもいいのだが、明日は交流試合もあるので連絡手段はあるに越したことはない。それに、土日を挟んでしまうので教室に置きっぱなしというのも少し不安だ。

 蓮哉は再び校門をくぐって、自分のクラスがある校舎一階へと向かった。
 昇降口で上履きに履き替えて、廊下を歩いていく。と、しばらく歩いたところで、何やら話し声と物音が聞こえてきた。雨音に掻き消され気味だが、数人が騒いでいるような声と、その中に混じる嫌がるような小さな悲鳴。

 何か良くないことが起きていると察し、蓮哉は声がするほうへ駆け出した。

「——いいから、早くしろよ」
「で、できませ……」
「あぁ? なんて言った、香澄かすみぃ。俺が『跪け』って言ってんの。聞こえてんだろ?」
「ひっ……で、でも……浅井あさいくん、Normalだよ、ね……こんなの……」

 雨が降る放課後の校舎では、教室内の話し声はそれほど遠くまで響かない。おそらく当人たちは、この雨音に便乗して自分たちの声が教室の外まで漏れ出ていないと踏んでいるのだろう。教室から職員室までは距離があるので、たしかに教員がこの声に気づきはしない。
 だが、さすがに教室が並ぶ廊下まで行けば、彼らの声は耳に届いた。会話から察するに、Subの生徒が数人からプレイを強要されているようだった。

(誰だよ、胸糞悪ぃ……!)

 蓮哉が走る速度を上げた瞬間、ダンッ、と大きな音が廊下まで響いた。誰かが机を蹴った音のようだ。

「はぁ、なに? 文句あんの? Subって服従するのが好きなんだろ。なあ悠斗ゆうと
「そうそう。あーあ、同じSubとして情けないなぁ。諒平りょうへいがNormalでも、きみはSubなんだから、ちゃーんと命令には応えないと。ねぇー、芹澤せりざわ香澄ちゃーん?」
「う……うぅ……」

 いよいよまずいという会話が聞こえたところで、蓮哉は半開きになっていた教室の前方にある扉へ駆け寄った。自分のクラスとは異なる教室だ。

 ガラッ! と扉を開けると、教室の後方奥に立っていた三人の男子生徒が一斉にこちらを振り向いた。その三人のうち一人に見覚えがある。先ほど名前を呼ばれていた一ノ瀬いちのせ悠斗——同学年のなかでも数少ないSubの一人だ。ということは、一ノ瀬の隣に立つ二人のうち、どちらかが浅井諒平と呼ばれていた生徒だろう。
 その三人の陰に隠れて、小柄な男子生徒がびくびくとしながら壁際に追い詰められていた。その彼も見覚えがあった。こちらもSubの芹澤香澄だ。

「お前ら、何してる!」
「やっべ!」

 蓮哉が姿を見せるなり、芹澤を囲っていた三人のうち一人——浅井でも一ノ瀬でもない名前のわからない生徒だ——は、逃げるようにして蓮哉がいない後方の扉へと向かった。しかしそれを蓮哉は見逃すまいと、声量高く叫んだ。

「おい〈待て〉!」

 蓮哉の声に、逃げようとした生徒がビクッと体を竦める。
 その姿を見止めて蓮哉はさらに声を上げた。

「逃げんなっ! そこを動くなよ。おい、そこに〈座れ〉って!」

 それは本当に無意識のもので。
 逃げようとした生徒が立ち止まったのに安堵したのと同時に、苦しげな呻き声が二つ聞こえてきた。

「あ……あ、ぁ……」
「うぇ……なに、そのグレア……やば……」
「え……?」

 声のほうを見れば、先ほどまで蓮哉を睨みつけていた一ノ瀬が蹲っている。また芹澤も顔色をいっそう悪くして床にくずおれていた。浅井も蒼白な顔をして、蹲る二人を見下ろしている。

 そこで蓮哉はようやく気づいた。——先ほどの言葉がコマンド化してしまったのと同時に、自分が強力なグレアを放っていたことに。

 Normalと思しき生徒が体を竦ませるほどの強力なグレアだ。
 この場にいるSubに影響が出ないわけがなかった。

「あ……っと、ごめん!」

 慌ててグレアを引っ込める。
 しかし、蓮哉の行動はすでに一歩遅かったようで、一ノ瀬ははぁ、はぁと肩で息をしている。顔色はかなり悪く、芹澤に至っては呼吸困難に陥りかけているのか、ひゅっと浅い息を吐きながら首元に手をあて、ガタガタと震えている。

 蓮哉のグレアを急にあてられ、サブドロップに陥っているのは明白だった。

「まずい……。浅井! あと、そっちのやつも! 先生呼んで来て!」
「え……、え……?」
「いいから早くっ」

 蓮哉は浅井ともう一人に指示を飛ばした。
 戸惑いを見せた二人だが、グレアは出さずとも蓮哉の気迫に押されたのか、転がるようにして教室を出ていった。二人が職員室に向かったことを信じて、蓮哉は蹲る芹澤と一ノ瀬のもとへと駆け寄った。

「芹澤、一ノ瀬。ごめん。大丈夫だから、ゆっくり息を吸って吐くんだ」
「はっ……ぁ、ひ……ぅ……っ……」

 二人に向かって、ケアをしようと試みる。
 けれど蓮哉自身も軽いパニックに陥っていて、うまくコマンドが出せそうにない。そもそもサブドロップをさせたのが自分なのでグレアを出すのは危険な気がした。

「う……く、そ……なんだよ、お前……。ほんと、洒落になんない……」

 口元を抑えながら、一ノ瀬が吐き捨てる。今にも吐きそうな様子だ。
 だが、悪態をつける程度には意識もあるので、おそらくサブドロップというほどの悪症状ではなかったか、あるいは自力で浮上できるくらいの軽いサブドロップで済んだようだ。まだその場で蹲ってはいるので動けはしないようだが、時間が経てば快癒の方向へ向かうはずだ。

 問題なのは、芹澤のほうだ。
 蓮哉は芹澤の小さな背中をさすりながら「ごめん、落ち着いて」と声をかけるも、なかなか彼の呼吸は安定しない。

「そいつ……僕よりランク低いから、病院……連れてったほうが、いいよ……。きみのケアじゃ、余計……悪化する……」

 そう言ったのは、ぐったりと壁に凭れていた一ノ瀬だった。

 一ノ瀬が言うには芹澤のランクはそれほど高いわけではないため、高ランクの蓮哉の本気に近いグレアにあてられたことで恐慌状態に陥っているらしい。
 こうなると、その状態にしたDomがコマンドやグレアを使うのはご法度だ。そんなことは、Domの判定を受けたあとに受講が義務付けられているDom向け講座で教えられてはいる。だが、まさか自分がそれを起こしてしまうとは思ってもいなかった。

「おい、お前たち! 大丈夫かっ」
「東雲くん、そこを退いてくれ。芹澤くんを運ぶから、きみは下がってなさい」

 蹲る芹澤のそばで当惑していると、ようやく教師たちが駆けつけてくれた。浅井たちも廊下から覗き込むようにして、教室内を恐る恐る見守っている。

「芹澤くん、もう大丈夫ですからね」

 やってきた教師の中には体格の良い男性の体育教師のほか、養護教諭もいる。
 すぐに持って来られた担架に乗せられて、芹澤は大人たちの手によって教室から運ばれていった。

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