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29. 六本木で映画をひとつ

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 社会人ともなると、季節はあっという間に巡っていく。
 気がつけば蝉の鳴く季節は終わり、短い秋も瞬く間に過ぎて、北風が吹く季節——十一月も半ばになっていた。木枯らし一号が吹きました、というニュースを耳にしたのは、もう一ヶ月ほど前だろうか。

(東雲さんは……さすがに、まだ来てないか)

 仕事の取引相手であり、一時的ながらプレイのリハビリ相手となった東雲とのプレイは夏以来、定期的に行っている。
 頻度は二、三週間に一度程度なので、回数にすると十回に満たないほどだが、彼とのプレイのおかげか抗不安薬を飲まなくてはいけないことが減った。どうしても仕事のストレスや、日々のちょっとした不安は完全に消し去れないので薬を手放すことはできないが、半分ほどの服用で済んでいるのは驚きだ。
 彼とのプレイは軽いものに留めているから抑制剤を減らすことはできない。でも、プレイ相手がいることが不安抑止に繋がっている面は大きい。

 今までもプレイは月一でしていたけれど、東雲とのプレイは今までプレイしてきたどのDomよりも綾春のSub性が満たされる。性的な接触のない軽いプレイなのに、あのグレアを感じるだけで支配される喜びを強く感じられるのは、やはり東雲が類を見ない高ランクの持ち主だからだろうか。

 恋人やパートナーに恵まれてこなかった綾春としては、たとえ軽いものであっても、東雲とのプレイにかなり助けられていた。プレイのみの相手というのは、いつも虚しさを感じてしまうのに、東雲にはそれを今のところ感じていないのも有り難い。
 リハビリだから、治療行為だから、という建前があるため、そういう虚しさを感じずにいられるのかもしれない。

(まあ、都合よく利用してる引け目はあるけどさ……)

 引け目はあるけど、虚しくはない。もしかしたら『人助け良いことをしている』と自分を騙せているだけなのかもしれないけれど。

 そんな小さな葛藤はあれど、綾春は今日も東雲とプレイをするため、六本木で彼と待ち合わせをしていた。彼と会うのは二週間ぶりだ。
 待ち合わせ場所は、高層オフィスビルを中心に美術館や映画館、レストランなどが入っている大型複合施設の一角。家族連れもカップルも訪れるレジャースポットとしても有名な場所だ。

 青く澄んだ冬晴れの空がきれいな午後だった。

 指定の場所につき、綾春はスマートウォッチの画面に目を向けた。
 時刻は午後十二時四十分。東雲との待ち合わせは午後一時なので、あと二十分もある。この日が待ち遠しかったからか、早く着きすぎたらしい。十分前くらいを目指していたのだけれど、いつもより自然と早足になってしまっていたようだ。

 電子書籍でも読んで時間を潰すか……とスマホのアプリを立ち上げていると、若い三人組の女性グループがチラッと綾春を見るのが視界に入る。「見て、あの人。すっごいイケメン」なんてやりとりが聞こえて、にっこり微笑み返せば、キャッと可愛らしい黄色い悲鳴を上げて、彼女たちは小走りで映画館のほうへ早歩きで行ってしまった。

(彼女たちも映画かな。何観るんだろ)

 綾春がこんな場所で東雲を待っていたのは、実はプレイのためだけではない。彼女たちが映画館に向かったかは定かではないが、これから綾春は東雲と二人で映画を観る約束をしているのだ。

 仕事相手で、リハビリを兼ねたプレイをする相手というのが今の二人の関係だけれど、こうして休日などのプレイ前に少し時間をとって食事をしたり、美術館巡りに付き合うようなことが増えてきた。東雲と過ごす時間はプレイ中でなくとも楽しくて……友人のような関係になってきたことに、悪い気はしない。

「久慈さん」

 過ぎ去る女性たちの後ろ姿が完全に見えなくなり、読みかけの小説の表紙をタップして開いたところで声が掛かった。顔を上げると、東雲が立っていた。

「今の見ましたよ。罪な男ですね」
「ちょっと笑ったくらいですよ。大袈裟だなぁ」

 デジタルで表示された時刻は、まだ約束の十五分前。

「東雲さん、早いですね」
「そう言う久慈さんこそ。お待たせしました?」
「そうでもないですよ。けど、お互いワクワクして早く着いちゃいましたね」

 そう返せば、東雲もくすっと笑った。

 二人で映画を観ようという話になったのは、何かの話をきっかけに、綾春が好きなシリーズものの映画をたまたま東雲も好きだと知ったことが理由だ。
 その最新作がついに日本で公開されるとあって、それならプレイをする前に一緒に観に行かないかという話になった。

 綾春は普段、映画は一人で観に来るタイプだ。なので、先日プレイをしたあとの他愛もない話の流れから「一緒に観に行かないか」と誘ったのは東雲だった。映画は一人で観るものと決めているわけではないので、綾春は快く了承して今に至る。

「少し早いですけど、向かいましょうか」

 東雲が一歩踏み出す。
 上映時間までまだ三十分以上あるが、ドリンクを買ったりトイレに寄ったりしていれば、あっという間に時間は経つだろう。

 なんだかデートみたいだな、と思ったところで慌てて考えを振り払って、綾春も彼のあとに続いた。





 映画を観たあと、二人は同じ複合施設内に入っているホテル内にあるステーキハウスにやって来た。夜は東雲の友人である晴海がオーナーを務める麻布のプレイバーで軽くプレイをする予定だが、その前に早めの夕食をとるつもりで店に入った。
 夕食どきにはまだ早いが、休日とあって店はそれなりに混んでいる。予約席と書かれた札が置かれているテーブルも少なくない。それでも運良く席は空いていて、綾春たちは四人掛けのテーブル席へと通された。

 トマホークステーキに帆立のグリル、数種類の野菜を使ったサラダとフライドポテトを頼み、さらに生ビールを二つ頼んだ。今日、東雲は車ではなく電車で来たらしい。それなら酒も飲めるとのことで、綾春も気兼ねなくアルコールを頼んだ。

 ほどなくして運ばれてきたビールグラスを軽く合わせて乾杯をする。二人してゴクゴクと豪快に半分ほど飲んだところで、東雲から映画の話題に触れた。

「今回の新作も面白かったですね」
「いや、ほんとに!」

 綾春たちが観たのは、人気のクライムサスペンス映画だ。
 元刑事の探偵サイラスが、助手のミラとともにひょんなことから毎回難解な事件に巻き込まれ、それを持ち前の推理力と機転、そして行動力で解決していく、というのが話の大筋だ。
 今回の最新作は、シリーズでいうと三作目。『映画やゲームの三作目は駄作』なんて不穏なジンクスを聞いたりもするが、そんなことはなく良作と呼べる出来だった。誰かと感想を語り合いたくなるくらいにはワクワクしたし、観て良かったと満足度も高い作品だったと思う。

 とはいえ、まだ公開したて、かつ根強いファンも多いシリーズの最新作だ。映画館の近くのレストランで細かい話をするのは気が引ける。それは東雲も同じようで、声のトーンは落とし気味に、内容も核心には触れないようにしながら、互いに感想を語り合う。

「そういえば、サイラスたちがピザを食べてたレストラン。あそこ、昔行ったことがあります」

 東雲が切り分けたトマホークステーキにフォークを刺しながら言った。精悍な男が口を開けて肉を喰らう様は、見ていて気持ちが良い。

「へえ。今回の映画のロケ地はたしかイタリアでしたっけ? 旅行か何かで?」
「学生の頃に友人と卒業旅行で。晴海ともう一人と俺の、むさい男三人旅でしたけど」

 もう一人がどうかは知らないが、東雲は精悍で見目の良い男だし、晴海も上品な顔立ちをしているので、むさ苦しいという言葉とはかけ離れている気もする。けれど、学生時代の男旅なんて、たしかに華はない旅ではある。綾春も経験はあるので、東雲の言わんとすることはわかった。

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