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28. 茜射す書斎 *
しおりを挟む「久慈さんは本当にいい子だなぁ。コマンドもちゃんと聞けるし、自分でお座りもできる。こんなに可愛いSub、そうはいないですよ。俺を喜ばせようとしてくれるのも、健気で最高です。このまま、もっとたくさん躾けてあげたいな」
たくさん褒められて、気分が高揚した。大きな男の手が自分の頭に優しく触れる感触がたまらなく心地良かった。なにより「もっと躾けたい」という言葉に胸が打ち震える。
彼の本心なのか、それともお仕置き後のAfter careからくる優しい声掛けなのか、実のところはわからない。
綾春だって、もっと彼好みに躾けてもらいたい。——でもそれを口にすると、箍が外れてしまいかねない。
だから、もっと欲しいとねだりそうな自分を無理やり押し込めて、東雲に悟られないように、綾春は慎重に暴走しそうな己を整えた。
「もう少しプレイを続けましょう。できます?」
「大丈夫です」
夕暮れが近づいたのか、床に落ちる影が伸びる。部屋もほんのり茜色を帯びてきていた。そろそろ帰らなければと思うけれど、まだ東雲とのプレイに酔いしれたい。
——だから、内にある欲望をすべて吐き出すわけにはいかない。
これはリハビリを兼ねたプレイ。深い関係になるのは危険だ。
その線引きをしっかりと心に刻んで、綾春はプレイの継続を許した。
「次は、ここに座れます?」
「それは……」
ここ、と東雲が指し示したのはなんと、彼の膝の上だった。
性的な行為はNGを出しているけれど、触れ合いは厳しい制限を設けていない。でも膝の上に座るのは、頭や頬を撫でるとか手を繋ぐとかと比べて、密着度が一際高い。
自分たちの関係で、それはアリなのだろうかと冷静さを取り戻しつつあった自分が自分に問う。それは、行き過ぎた行為ではないのかと。
けれど、理性を嘲笑うように、命じられたとおりにしなければと本能は揺れ動いていた。
「嫌なら大丈夫ですけど」
迷う綾春に、東雲は拒否の道を示した。
無理強いをしたいわけではないのだという彼の意思に、綾春の心の天秤がぐらりと傾く。
「いえ、座るくらいならできます」
むしろ座りたい。
もっと東雲に自分を委ねてみたい。
拒否ではなく許諾の意を示せば、東雲は嬉しそうに笑ってグレアを強めた。
「あ……ふ、ぅ……」
「グレア、強すぎます?」
その問いに、綾春は首を横に振った。
たしかに強い。体じゅうが痺れるほどに。
でも、まだ強められても綾春なら耐えられる。酩酊感にはまだ遠い。
「よかった。なら、Sit。久慈さんの好きなように座っていいですよ」
強いグレアと優しいコマンドに命じられるがまま、綾春は東雲の両脚の間へ体を滑り込ませて、右太ももの上に腰を下ろした。
東雲の片足に体重を預けて、両脚は彼の足の間に下ろす。そっと腰を支えてくれているので、思った以上に安定感はあった。むしろ東雲の太ももはがっしりと頑丈で、綾春が座ってもびくりともしない。
重さなど感じないという余裕の表情の中には、綾春が彼からの命令をきちんと実行できたことに対する喜びが浮かんでいた。
「Good」
仕置きで叩かれた尻が彼の太ももに触れ、意識が向く。せっかく理性を手繰り寄せたはずなのに、また霧散しそうになって慌てて頭を振った。
すると、綾春の仕草に東雲が気を遣う。
「首、苦しいですか?」
「あ、いえ」
「そう? 久慈さん、従順だから加減がわからなくなりそうです」
にこ、と微笑まれて胸がぎゅっとなる。
加減がわからなくなるのは、こちらのほうだ。
そんな顔を向けられたら……。
「今日のプレイはどうでした? Speak」
綾春が東雲の態度に逐一反応しているのを余所に、彼は涼しい顔をして問う。
どうやらこの体勢のまま、しばらく話をするらしい。
今夜は「軽くプレイを」と誘われたのに、気がつけばたくさんのコマンドを命じられ、お仕置きもされた。だからきっと、ケアも兼ねているのだろう。
さんざん褒めてもらえたけれど、決してサブドロップはさせまいという彼の気遣いもあるようだ。ただの支配者としてだけではなく、Subのコントロールを正しくしようという男に信頼する気持ちが強まる。
彼の配慮をあたたかく感じながら、綾春は思ったことを素直に伝えた。
「今日も、気持ちいいです。東雲さんも淀みなくグレア出せていたって思います。相変わらず……すごいグレアですけど」
今もなお、彼のグレアは綾春をうっとりとさせている。
「強すぎます?」
「いいえ、まったく。……すごく、心地いいです」
距離が近いから威圧感は増しているが、それは不快なものではない。首輪の感触に、腰にそっと回された手の温度。そして密着している太ももの逞しさに、気を抜けば堕ちてしまいそうなほど、彼の支配に置かれている。
手綱を握っているのだと明示するかのようなチェーンの無機質な輝きも、その先を掴む彼の指先も、まったく嫌ではない。それどころか、心地が良くて体が溶けそうだ。
「久慈さんが喜んでくれて、俺も嬉しいです」
「むしろ、俺ばかりが満たされてしまっている気がします。俺、東雲さんの役に立ててますか?」
プレイの最中に見た東雲は、満足そうな表情を何度も覗かせていたように思う。けれど、東雲もDomとして満たされたかはわからない。
どうしてもプレイ中は命令されたことに応じることに精いっぱいになりがちで、相手のことを濃やかに思いがける余裕がなくなってしまうから。
「もちろん」
ちゃんと満たされました、と東雲は頷いた。
その答えに綾春も安堵の笑みを浮かべた。
それからも会話は続いた。
その大半は、グレアの加減は大丈夫か、コマンドは気持ち悪くないかというリハビリとしての会話だ。しかし、その質問に「大丈夫」や「心地良い」という回答をすると、東雲は大袈裟ともとれるほどに綾春を褒めながら礼を伝えてくれた。
「可愛いSubに出会えたことに、感謝してます」
「っ……、そう思っていただけて光栄です」
Subは褒められたら嬉しい生きものだ。無論、人によっては褒められすぎるのを好まないSubもいるけれど、綾春は自分を肯定してくれる言葉をたくさんかけられるのには慣れているし、悪い気はしない。
ただ「可愛い」と言われるのは、Subとしての矜持が擽られるのと同時に、どうにもそわそわもする。嬉しいけど気恥ずかしい、そんな感じだ。
(可愛いってキャラではないだろうに。東雲さんは、褒め上手なDomだな)
話している間に東雲の手が首輪に触れる。
その指先がレザーを惜しむように撫で、留め具をゆっくりと外していった。時間をかけて外されたそれは、ガチャッと音を立てて床へと落ちた。
「今日の久慈さんも良かったです。またプレイしましょうね」
その一言とともに東雲のグレアは霧散し、消えていった。
それはプレイ終了を意味していて、綾春も何事もなかったように彼の太ももからサッと降りた。東雲が引き止めることもない、呆気ない終わりだ。
「もうすっかり暗くなりましたね」
「ああ……本当ですね」
東雲の視線の先、ふと窓の外を見遣れば彼の言うようにすっかり陽が落ちている。室内の灯りは、入室したときに東雲がつけた間接照明のフロアランプのみ。
「よかったら、夕飯、食べていかれますか?」
窓のカーテンを閉めながら東雲が訊ねた。
「いえ。もう遅いので帰りますよ」
「でも、まだ少し残ってますよね? それで運転するのは危ないですよ」
東雲の言うように、今日もまた綾春はぽやぽやとした状態が続いている。
先日、初めて彼とプレイしたときほど危ういものではないが、あたたかな湯に浸かり続けているような、そんな心地良さが尾を引いている。三十分もすれば抜けきるだろうけど、今すぐハンドルを握るのはたしかに危ない。
「せめてお茶でも飲んでからにしませんか」
ぼんやりと立ち尽くす綾春に、東雲は廊下へと繋がるドアを開けながら言う。綾春はお茶くらいならと、その誘いを有り難く受けることにした。
◇◇◇
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