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26. 陶芸家と支配者 *
しおりを挟むもう仕事の話は終わった。ここからはプライベートの時間だとでも言うように、自然に支配的な空気を纏い始めた東雲にドキリとする。
仕事の話をしているときは物腰が低く、ともすれば押しに弱そうな様子さえ見せるのに、Domの気配を纏う東雲はやや強引で有無を言わせない空気とともに、揺るがぬ支配欲を滲ませる。
穏和な気質に変わりはなさそうだが、そこに彼らしさや本質のようなものを見て、綾春の心臓は一気に拍動を速めた。
「隣の書斎に移りましょう。『軽く』なのでここでもいいですけど、オンとオフはきっちり分けたほうが俺も久慈さんも集中できると思うから」
東雲に連れられてリビングダイニングを出る。
すぐ隣の部屋に入ると、そこは東雲が書斎と言っていたように書物机が一揃えと、壁の一面には天井から床までの大きな本棚が置かれていた。上から下まで、多種多様な本が並んでいる。専門書からビジネス書、小説などに混じって漫画も置いてあった。
書物机とは別に、部屋の中央付近にはヴィンテージ風の黒いレザーを張った一人掛けソファもあった。
セーフワードやNG行為は前回と同じでいいですよね、という問いに頷くと東雲はソファへと腰を下ろした。
「久慈さん、Come」
入り口付近に立ちっぱなしだった綾春を、東雲はコマンドで呼んだ。同時にグレアが放出され、Subとしての綾春を暴き立てようとする。
「っ……」
相変わらず、すごいグレアだ。
先ほどまで穏やかな陶芸家だった東雲が、今ではこの場の圧倒的な支配者として君臨している。品の良いヴィンテージソファに座る姿は堂々として様になっているし、射抜くような瞳が綾春を捕らえて離さない。
綾春は、彼から貰ったコマンド通りに、ゆっくりとした歩調で男へと近づいた。
「Good boy。俺のグレア感じます?」
ソファに座る東雲の目の前に立つ。その綾春を見上げながら、彼は訊ねた。
そうだ、このプレイはグレア不全症を患う東雲の治療の一環で、リハビリでもある。プレイで気持ち良くなるのは悪いことではないが、東雲が綾春にグレアとコマンドをくれる分、綾春も彼の期待に応えないといけない。
「はい。今日も、出せていますね」
いつもは出せないなんて嘘のように、東雲のグレアをしっかりと感じる。
「本当に、いつもは出せないんですか……?」
「久慈さんがいないと全然ですよ。ほんと、不思議だなぁ」
甘くて重くて、逆らうことの許されないグレア。
それがたった一人——自分だけに向けられている状況に、心臓ごと明け渡してしまいそうになる。
(Domの色気が、すごい……くらくらする……)
そして、自分のことを見上げ続ける東雲の視線に、そわそわもした。
できれば見上げるのは自分でいたい。東雲には自分を見下ろしてほしい。Subとしての本能がもっとこの男に屈服しろと強請っている。
KneelもSitも言われてないけれど、跪いてしまおうかと悩んでいると、東雲が口角を上げた。
「今日はいいもの用意しておいたんです」
「いいもの?」
聞き返すと、東雲は腰高窓沿いに置かれた書物机へと視線を向けた。
「机の上、見てみて」
顎でくいっと指し示され、近づくことを許されたと理解した綾春は書物机へと近づいた。
そこに並んでいたのは、三つの玩具だった。
左から順に、太めの麻縄、チェーン付きのレザー首輪、ストライプ柄のネクタイ。
ネクタイはまあいいだろう。フリーの陶芸家で日頃スーツを着用することがなくとも、大人なら数本は持っているものだ。それに彼は、以前サラリーマンをしていたらしいから、ネクタイを持っていても不思議はない。
同様にして麻縄もそれ単独なら、なんら可笑しな品ではない。DIYでも使うものだし、陶芸家なら梱包材の一つとして持っていても不思議ではない。
——異質なのは、真ん中に置かれた首輪だ。
黒いレザーでできたそれは中央からチェーンが伸びていて、さながら犬のリードのよう。いや、リードというには些かいかがわしいデザインで、おそらくSM用かD/S向けのプレイグッズの一つだ。
書斎に置かれるものとしては、だいぶ不適切なアイテムだった。
首輪というのは、Subにとっては魅力的なアイテムである。
というのも、DomとSubの間には、Domが気に入ったSubに対してCollarと呼ばれる首輪を贈る、 Claimという風習がある。全員が全員贈るわけではないし、カラーも必ずしも首輪である必要はないのだが、Subはカラーをしていると精神的に安定しやすく、二人の信頼関係が強固である証にもなる。だから、正式なプレイパートナー……特に生涯をともに過ごしたいと希う相手には、カラーを贈ることが多いのだ。
無論、ここに置かれている首輪はクレームで使うようなものではなく、プレイ用のグッズだ。それは綾春にもわかる。
しかしこの首輪があることによって、麻縄もネクタイも通常ではない使い方を連想してしまうし、クレームの連想すらしてしまう。
それも東雲の意図するものだろうか……。
「これ……」
「ふふっ。気に入りました?」
ちらりと振り返れば、東雲が悠然とした態度でこちらを見ていた。
「久慈さんが好きなので躾けてあげます」
「ぁ……」
躾という言葉とともに、いっそう強くなるグレア。
指先まで絡めとられるようなそれに、心臓がバクバクと音を立てる。
——この男に躾けられたい。
それはSubの綾春にとって、自然な本能だった。
「どれでもいいですよ。『全部』というのも、もちろんアリです」
焦げつかせるような視線が纏わりつく。
一挙手一投足を逃すまいとする強烈な視線に促されながら、綾春は徐々に浅くなる呼吸を自覚しつつ、机の上へ視線を戻した。
(縄は、前のプレイバーにもあったな……。ネクタイも、渡したら縛ってもらえるってことか……? それとも目隠しされる、とか?)
綾春はSubとしてなら、縛られるのも、冷たくされるのも、自由を奪われるのも嫌いじゃない。むしろ好ましいほうだ。信頼するDomの好きなように躾けてもらえると悦びを感じる。
大きな怪我をするほどのプレイは嫌だけれど、おそらく東雲ならそこまで常軌を逸したプレイはしない。そもそも彼とは『軽いプレイ』しか許していない。
(首輪は……他意があるように思われないかな? でも……)
——この首輪で躾けられたい。
そんな希求を浮かべては消して、三つの玩具をそれぞれ見ながら悩んで……。そして結局、綾春は真ん中に置かれていたものを手に取った。
「決まった? じゃあ、口に咥えて持ってきて?」
「くわえ、て……?」
まさかそんなはしたない形で持ってくるように命じられるとは思っておらず、綾春は怯んだ。けれど東雲の目は相変わらず綾春をじっと見つめたまま。
そうすると、この男に逆らうことのほうが嫌だと感じて、先ほどまでの気持ちは一気に吹き飛んでしまった。
口を開けて、レザーの端を噛む。性的なプレイでも使われる玩具だろうが、所詮はジョークグッズのようなもので、レザーもチェーンもさして重い物ではない。顎に力を入れれば何とか落とさずに運ぶことができそうだ。
綾春は落とさないように慎重な足取りで、僅か十歩にも満たない距離をゆっくりと戻った。
手持ち無沙汰になってしまった両手の置き場がなくて、自らの背中へ手を回して腰元で両手首を掴むことでなんとか寂しさを紛らわす。ぎゅっと握った手は、じっとりと汗ばんでいた。
「それを選んだんですね。いい趣味してます」
にこっと微笑まれると、満たされる気持ちも増していく。
口に咥えた首輪をどうしたらいいか、困りながら東雲に視線を向ける。けれど彼からは何の指示も出ず、命じられず、ただただじっと首輪を咥えて、東雲の前で立ち尽くしていた。
しかし、いくら重くないとはいえ、何分も口に咥え続けるのには限界がある。涎が垂れてきそうだし、顎だって痛い。なんだか舌や唇も、じんじんと痺れてきている気がする。
持ってきてと言ったのは東雲なのに、どうすればいいのか。どれでもいい、全部でもいいと言ったのは聞き間違いだったのか。
「ん、んぅ」
歯向かいたくはないのだけれど、今の状況を理解してもらいたくて。なにより間違ったことをしているのかとだんだん不安になってきて、綾春は訴えた。と、東雲は微笑とも苦笑とも取れる顔をして、綾春の口元へそっと手を伸ばした。
「ああ、すみません。久慈さんがあまりにも健気で愛らしいものだから、意地悪したくなっちゃって。選んでくれてありがとう、Pass」
「ぷは……っ」
命じられたことに安堵して、綾春は噛み締めていた口をかぱりと開いた。支えを失った首輪が口元から滑り落ちて、差し出された東雲の手の中へと収まる。
「不安にさせましたね。大丈夫、Good」
「ちゃんと、できました……?」
「はい。俺もこれを選んでくれて嬉しいです。ちゃんと躾けてあげますね」
綾春の僅かな不安を見とめて、東雲は片手を伸ばし、綾春の頬を優しく撫でた。親愛とも信頼とも愛情とも取れる、ささやかな触れ合い。そこから「このDomに委ねていいのだ」という気持ちがふわりと広がっていった。
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