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23. 営業部のエース
しおりを挟む「久慈さーんっ、大ニュース!」
ランチが終わり、午後イチからの会議を二本終わらせて自席に戻ってきた綾春の耳に、陽気な男の声が届いた。まったく、月曜から元気なやつだ。
あれから——東雲とプレイしてから、二週間が経っていた。
「なんだよ、騒がしいな」
面倒くさそうに反応してみたものの、綾春だってそう機嫌は悪くない。
あのプレイ以来、東雲とはまだ会っていないが体の調子はすこぶる良かった。
少し前までは、担当している仕事が立て込んで残業続きだったり、モラルのないDomに言い寄られてサブドロップしたりと不運続きではあったものの、東雲とプレイをしてからはSubとしての充足感が得られたこともあってか、仕事は順調に進み、残業もほとんどなくなった。
仕事のトラブルもすべて解消し、サブドロップしたのが嘘のように体も軽い。
これで東雲の新作に見合うプロジェクトが見つかれば良いのだが……残念ながら、それについては引き続き模索中だ。
それでも、以前ほどは極度の焦りや不安がなくなった。
「ニュースですよ、ニュース! 俺、めっちゃいい話持ってきました! 聞いてください、っていうか聞いてもらわないと困るんですけどっ」
「あーはいはい。ちゃんと聞くから、そこに座れ」
デスク脇に置かれた丸椅子を引き寄せて、辻に座るよう促す。
落ち着きのない営業部エースは「ありがとうございまーすっ」と礼を言って、その椅子へと腰掛けた。
「で? ニュースって?」
「へっへへーっ。なーんと! 俺、新規オープン予定のレストランの案件、ゲットしてきましたー!」
イェーイ! と手を掲げた辻の両手はどちらもVサインを作っている。
「へえ、そりゃおめでと」
二十代とはいえ四捨五入すれば三十路男のダブルピースはないだろう、と心の中でつっこみつつ、祝いの言葉を返す。新たな案件が舞い込んできたのは、実際にプランニングをしたり店舗をデザインしたりする綾春にとっても喜ばしいことだ。場合によっては、家具の新規発注なんかもある。そうなれば俄然やる気も上がる。内装のデザインを考えるのも好きだが、家具の仕事はさらに好きなのだ。
とはいえ、辻が新規案件を取ってきたこと自体はさして珍しくはない。だから、ラフな返しをしたのだが……。
「ちょ、もっと喜んでくださいよぉー」
「いやだって、お前は営業なんだから案件取ってくるのは普通だろ」
「もぉー! 違うんですってー! 新規案件をただ取ってきたってわけじゃないんですってー」
やたら絡んでくる辻を訝しんでいると、彼は小脇に抱えていたドキュメントケースを開けた。そして、そこから資料の束を取り出す。
「はい、これ資料です」
「ん。俺が見てもいいのか」
「もちろんです! あ、ちなみにその資料はこの十日くらいで、中井さんに張り切って作ってもらいました!」
小首を傾げながらも、綾春は差し出された資料を受け取った。
左上をステープラーで留められた十数枚ほどのA4サイズの紙束。その一枚目——表紙には『新規スペインバル店舗デザインプラン提案書』とある。
もしや……と思いながらページを捲っていくと、店舗に関するコンセプトシートのほか、店舗外装や内装のイメージラフが何枚か纏めてあり、表紙にあった新規に建てるスペインバルのイメージがまとめて記載されていた。
「…………これ」
綾春は息をのんだ。
その提案書に載っているスペインバルは、綾春が求めてやまない東雲の新作によくマッチした店舗だと思った。
「ピンときました? 来ましたよねっ、ねっ?」
何度も何度もページを捲っては、店舗のイメージラフを見る。
興奮した様子の辻がきらきらした目で綾春を見ていたが、綾春の目は資料に釘付けだったために辻の表情は見えていなかった。
綾春が手にしている提案書に描かれたイメージイラスト。
集成材を使った遊び心あるテーブルに、太陽のようなオレンジ色をした布張りのチェア。壁は白の漆喰で、天井も白を基調とした木目だ。その天井にはエジソン電球をメタルフレームで囲った照明付きのシーリングファンがぶら下がり、ドアや窓枠には地中海ブルーが使われている。
スペインバルというよりは、地中海沿いのリストランテかカフェテリアといったほうがしっくりくるかもしれない。
どっしりとした木目調で統一された落ち着いた店ではなく、カジュアルでフレンドリーな雰囲気にまとまったスペイン料理の店舗。——東雲が作ったターコイズブルーや藍色の器と相性が良いと思った。
気になるところと言えば、客に対するコンフォートの面だろうか。カジュアルなのは悪いことではないが、気安すぎると綾春が求めている雰囲気とは離れてしまう。
コンセプトシートによればターゲットはF1層で、背伸びしすぎず安すぎずな価格帯で美味いスペイン料理を味わえるという店にするらしい。ディナーだけでなくブランチからカフェタイムまでの日中も営業するとある。
場所は、中目黒との記載があった。
中目黒といえば、若い人も多く訪れる街だ。目黒川沿いに写真映えするオシャレなカフェがあったり、某有名芸能事務所をはじめとして芸能プロダクションがいくつかあることもあってか芸能人の目撃情報があったりするからだろう。
東雲の器を使った料理なら写真映えもするだろうけれど、写真映えだけでなく料理もしっかりじっくりと味わえるような店で素敵な器に出会ってほしい。
渋谷や原宿よりは、多少落ち着いた客層になりそうではあるが、どうだろう——。
「中目黒か。立地はいいよな」
ぽつりと呟きながら資料を見ていると、綾春の懸念を察したように辻がとっておきの笑顔を向けた。
「中身も申し分ないですよ。だってここ、神楽坂にあるスペイン料理の店、エストレージャのオーナーが新しく手掛けるやつなんです!」
「エストレージャの?」
綾春は目を丸くした。
エストレージャは先日、綾春がサブドロップした店だ。
今では苦い思い出も作ってしまった店だが、料理は美味く、店の雰囲気も良かった。居心地のよい空間が作られているのは、オーナーの心配りが素晴らしいからだ。
東雲の器には、あの店のような場所が似合うと思っていた。そのオーナーが手掛ける新規店。——この店ならば間違いない。
「……いいな、これ。めちゃくちゃいいよ」
「でしょでしょ! いいですよねっ」
ようやく『良い』という感想を述べた綾春に、辻はいっそう笑顔を濃くした。
「辻、このプロジェクトって……!」
「ふふーん、大ニュースって言ったでしょ? うちが内装手掛けたいって営業かけて、ばっちり取ってきました! プロジェクトリーダーは中井さんで、久慈さんにも声かけるって言ってましたよ!」
いつの間に営業に行ったのか、どうやら辻は本気で新規案件を取ろうと奔走してくれたらしい。
先日エストレージャを訪れたいと言い出したのは、もしかしたら事前に何かしら情報を仕入れたため視察に行ったか、あるいは気さくな性格の辻のことだからオーナーか店員にそれとなく情報を聞き出して動いたのかもしれない。なんにせよ、営業部エースの名は伊達じゃなかったようだ。
さらに、中井も一枚噛んでいるという。
辻と中井がこっそり動いていたことは寂しくもあるが、確定してない案件を教えて、綾春に変な期待を持たせないよう配慮してくれたのだろう。
二人が自分のために一肌脱いでくれたことが、素直に嬉しかった。
すると、話に挙がっていた中井もタイミングよく通りかかり、こちらへとやって来た。
「おー、なんだもう話がいったのか。辻、お前早ぇよ」
辻の頭を小突きながら、中井は綾春の隣の席へと腰掛ける。綾春の隣席は中井の席ではないが、ちょうど席の主は業務都合で不在だ。戻りは夕方だと聞いている。
「へへへー、真っ先に久慈さんに報告しなきゃって思って、つい」
「まーいいけどな」
悠然と足を組みながらオフィスチェアに座る中井は、ニヤッと口角を上げた。
「ってことで、その案件どうよ? あの器、合いそうだろ?」
中井の表情は自信に満ちていた。
綾春は自分の仕事に絶対的な自信を持っているが、それと同じくらい……それ以上に、先輩である中井の腕には信頼を寄せている。綾春がこの道に進むきっかけになったのも、じつは中井の存在が大きい。
「ああ、決まりだな」
同じく自信に満ちた笑顔を返すと、中井は手を挙げた。そこへ手を差し出して、宙で互いの手を打つ。中井とのハイタッチは、良い仕事が生まれるときの合図だ。
どうやら、ようやく綾春に運が向いてきたらしい。
「俺、東雲さんに連絡してくる」
話を聞いて、すぐに東雲の顔が浮かんだ。
プレイをした日の帰り道、東雲が運転する車の中で「新作についてはもう少し時間をかけたい」という綾春の話に、東雲は「急ぐ必要もないので久慈さんにお任せします」と言ってくれていた。だが、やはり先が決まらないことには落ち着かなかったはずだ。
ずっと預かりっぱなしで良い進捗を伝えられていなかったので、すぐに東雲に伝えたかった。
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