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21. 逃がしたくない
しおりを挟む蓮哉がコーヒーとハーブティーを持ってボックス席に戻ってきたとき、久慈はまだ心ここにあらずといった様子でぼんやりと宙を見ていた。その姿が二十七歳だという年齢よりも幼く見えて、どうしようもないほど庇護欲を掻き立てられる。
(可愛いな、久慈さん……。もっと虐めて、はしたない顔をさせて、ぐちゃぐちゃにしたい。甘やかして、蕩けさせたい)
あの夜。サブドロップして眠る久慈相手に考えていたことと、まったく同じことを今日のプレイで感じた。
——久慈綾春という男を自分の支配下に置きたい。
それは、今まで生きてきた中でもっとも強い支配欲であり、ここ数年で忘れかけていたDomらしい欲望だった。
「はい、どうぞ。ハーブティーです。熱いので気をつけて」
「あ……はい、ありがとうございます」
言葉がきちんと届いているのか心配になるくらい、いまだ蕩けかけている瞳。
色素の薄いヘーゼルカラーの瞳は、あの日見たときと同じように……いや、それ以上にきれいだ。
久慈がきちんとカップを受け取ったのを見届けてから、蓮哉はそれを手放した。「熱いので」と声をかけたが実際は適温で淹れられているはずだから、急いで口をつけても火傷することはないだろう。しかし、万が一手が滑ったら危ない。きれいなSubを自分の手以外で傷つけたくはなかった。
彼がハーブティーを一口飲んだところで、隣に座って話しかけた。
まだ少し、プレイ後のアフターケアをしたほうがよさそうだ。
「まだ、ぼんやりしてますね。体調が悪いとかはあります?」
「それは大丈夫です」
「よかった。プレイ、ありがとうございました。久慈さん、上手に従ってくれましたね。好きなものも取ってこれたし、可愛いところも見せてくれて。俺も満たされました」
久慈に投げかけた言葉に噓偽りはない。
プレイ中の彼は従順で、可愛かった。こちらの本能をどんどん刺激してくるから、セーブするのに苦慮したほどだ。
彼相手ならグレアが出せるのではないかとプレイに誘ったので、軽いプレイができれば御の字だと思っていた。リハビリで行われる〈Come〉や〈Sit〉が使えれば嬉しい。そう思っていたのだ。
けれど、ソファに座って彼をコマンドで呼び寄せた瞬間、その考えは吹き飛んだ。
自分のコマンドに従い、自分の元へやってくるSubがいる。自分だけに目を向けるSubがいる。美しい双眸が自分だけに向けられている悦びに全身が震えた。
(ここがキヨのプレイバーでよかった)
呼び寄せただけで、彼の小さな頭に喰らいついて丸呑みしてしまいたいほどの衝動が沸き上がり、そのまま押し倒したいという劣情が膨れ上がった。
それをなんとか理性で止めて、今いるところは友人・晴海清貴が経営するプレイバーだと思い出したからよかったものの、そうでなければ近づいてきた久慈に一体何をしていたことか。
もちろん、NG行為を無理やりするつもりは一切なかった。
そんな卑劣なDomに成り下がるつもりは、さらさらない。それは自分が一番忌避しているものだ。
だが、続けて命じたSitのコマンドで彼を座らせたときには「ギリギリまで攻めてみよう」という感情に天秤が振れていた。きらきらと澄んだ瞳を持つ彼の顔をぐずぐずに蕩けさせてみたかった。
だけど、蓮哉がそう思うのも仕方がない。「酷いこと」という蓮哉の言葉にピクリと体を震わせるのだから、久慈だって人が悪い。あんないかにも期待してますって反応と物欲しそうな顔をされたら、くらりと来ないDomはいないだろう。
それからは理性との戦いだった。
ギリギリを攻めたい一方で、久慈の嫌がることは絶対にしたくない。
だから慎重に、真剣に久慈と向き合い、彼がどこまで自分に委ねてくれるのかを見極めながらプレイを続けた。
(俺のグレアにまだ耐えられそうだったよな。でも、気持ちいいのには弱そうだった。そういうの、たまんないな)
SランクのDomである蓮哉のグレアは、ともすれば凶器となるものだ。
それは、かつての自分が犯した過去のあやまちによって重々承知している。
「久慈さんは、グレアとコマンドに弱いほうなんですかね? まだ蕩けてて、可愛いです」
アフターケアを兼ねながら、まだとろんとした表情の久慈に問いかける。
すると彼は「はぁ……」と、熱っぽいため息を混ぜながらも、蓮哉のグレアがすごすぎるのだと答えた。そう言われると、蓮哉は何とも言えない気持ちになった。
自分のグレアとコマンドで蕩けきっているSubに対する独占欲と、それと相反して自分のDom性への危機感。ぼんやりと、危なっかしい様子の久慈を見ていると、これを自分が与えたのだという優越感と、自身の力に対する恐怖が綯い交ぜになっていく。
ただそれでも、ぽわぽわとした表情でハーブティーを飲む久慈からは目が離せない。
サブスペースほどの心地には至っていないようだが、このまま帰すのはまずい。もうしばらくは話をしながら、彼が抜け出すのを待つべきだ。それに——この状態の久慈を放っておきたくなかった。
まだ手元に置いておきたい。こんな可愛いSubを他人に見せたくない。晒したくない。
(仕事で来たときは、かなりしっかりした人に見えたけれど……本当に可愛い人だな……)
コーヒーの苦みで頭を働かせながら、ぽわぽわしている久慈を観察する。
すらっとした体は細身だが、痩せすぎというわけではない。それは先ほどのプレイでリボンを巻きつけていたときにもわかった。
モデルのような長い手足に、きれいな顔。髪も瞳も淡い色合いだから、染めていたりカラーコンタクトを入れているのかとも思ったが、髪の根元から美しい色合いが続いていたのでおそらく地毛だ。コンタクトは入れているかもしれないが、瞳のほうも色は自前だろう。
なにより、容姿もさることながら、Subとしての色香がすごい。
彼を目の前にした自分は、餌を前にして涎を垂らし続けている肉食獣と変わらないであろう。そんなことを自覚しながらも、美しくもかっこいいSubを愛でずにはいられなかった。
「東雲さんとのプレイでサブスペースに入ったら、とんでもないことになりそうですね。恐ろしいくらいです」
そう言って小さく笑ってみせるのも、なんとも好ましかった。
サブスペースに入ったら? そんな妄想をDomに話すなんて……期待を寄せていると思われることくらい、わからないのだろうか。
(はぁ、まったく。そんなこと言って……無自覚っぽいんだよな、この人。俺を悦ばせて殺す気か……)
心の中で悪態をつかずにはいられないほど、蓮哉は久慈に魅了されている。
あの日……雨の降るエストレージャでの出会いから、自分が久慈にあらぬ気持ちを寄せている自覚はある。
相手はランク下のSubだから。
大切な仕事の取引先だから。
自分はグレアを出せぬ欠陥Domだから。
考えるべきことはいくつもあるのに、そんなことは後回しだと本能が理性を殴り飛ばす音が頭の中で聞こえた。
「久慈さん」
本能で呼んだ彼の名前。
「——また俺と、プレイしませんか?」
その提案は自然と口から出てきた。
今、久慈を誘わないといけないと思った。他のDomに取られたくなかった。誰かの手に渡る前に囲って、何がなんでも手に入れろと本能が叫んだ。
百パーセントの保証はないが、久慈相手ならグレアが出せる。プレイもできる。しかも久慈が自分のコマンドに従い、命じたことを忠実にこなす姿を見て、体が震えそうなほど満たされた。それほどまでに、久慈は魅力的だ。
だったら、迷うことはない。手に入れればいい。
第一、食べてくれと言わんばかりに無防備な姿をさらす自分の獲物を手放すDomなんて、世界中探してもいないだろう。自分の中のDomとしての本能が、目の前のSubを逃がすなと叫びを上げ続いている。
その声を止めることなど、もはや考えていなかった。
ぽかんとした表情で目を丸くする久慈は「東雲さんと?」なんて、わかりきった質問を返した。
「はい。お嫌でなければ、検討していただけませんか。今日みたく軽いプレイの相手として」
「それは……」
軽いプレイの相手として——。
そんなこと、微塵も考えていないのに。
もっと虐めて、嬲って、悦がらせて、隅々までぐちゃぐちゃのドロドロにしてから、自分がいなければダメだと植えつけて、それ以上に甘やかしたい。頭のてっぺんからつま先まで、体だけでなく心ごと自分に溺れさせたい。
けれど、本心を口にすれば拒否されるのは目に見えている。
どうやら彼が、パートナーとする相手選びにかなり慎重を期するタイプなのは、会話の端々から伝わってきていた。パートナーはいるかと不安そうに訊ねるときも、嫉妬や浮気の心配を口にしていたときも、瞳の奥は不安そうな色と一線を引こうか迷う色が揺れていた。そして、それは——今も。
(でも……、逃がしたくない)
やっと見つけた希望のような相手。
いや、そんな綺麗なものじゃない。ただ単に飢えた獣のごとく彼を手中に収めたいだけだ。でも、それはある意味では、最もDomらしい欲求と言える。
ならば彼を絡めとるために、甘い言葉を吐いて、上辺を飾る言葉をかけて、真摯な態度で接して。人畜無害で紳士なDomという皮の中に、望まれるだけの支配力をちらつかせて。きみを満足させられるDomなのだと信じさせれば……きっと、彼は落ちる。
久慈がプレイ不足なことは知っている。
そして、高ランクゆえか性分ゆえか、他のDomとのプレイでも満たされきれずに、欲求不満な体が疼いていることは、さっきのプレイで十分に伝わってきているのだから。
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