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20. これはただの人助け

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 プレイの不一致がずっと続いていた綾春にとって、東雲はまさに一番理想に近いと感じたDomな気もする。軽いプレイをたった一度しかしていないけれど、その片鱗を感じることができた。
 このDomなら、ずっと満たさなかった綾春の渇きを満たしてくれるかもしれない……。そう思わずにはいられない。

 けれど、あと一歩を踏み出すのに勇気がいる。本当に、東雲とまたプレイをしてもいいのだろうかと理性が問う。

(人助けだとして、俺が東雲さんを都合よく利用しているだけじゃないか? 相手は病気を治せるかもって必死なのに、俺は自分の欲のために『利用できる』だなんて……そんなの不誠実じゃないかな……)

 恋人でも、恋愛ごとを挟まぬ関係でも、DomとSubの関係は本来、相互の信頼関係で成り立っている。
 支配と服従、庇護と従順——その関係を構築する大前提として信頼し合っている必要がある。だから「一方的に利用してやろう」という考えは、相手への裏切り行為に近い。

 無論、プレイ店でのキャストと客や、プレイバーで出会った一夜限りの者同士という関係ならば「利用する」という感覚はあってもおかしくないだろう。キャストにしても客にしても、そして行きずりの関係であっても、それぞれが一瞬の快楽を求めているのだから。
 でもそれは、利害関係が一致しているという点で一種の信頼関係が成り立っていると言える。

 ——治療行為を、自分本位な欲求不満の発散に使うなんて……許されるのだろうか。

 聖人君子になりたいわけじゃない。
 でも、悪いSubになりたいわけでもない。

 綾春が答えを返せずにいると、東雲は顔を上げた。申し訳なさそうな表情がそこには浮かんでいる。

「やっぱり、こんなこと言われると困りますよね。俺の都合に久慈さんを利用しようだなんて……」
「えっ。いや……利用だなんて、そんな……」

 利用する——まるで綾春の心のうちを読んだかのような言葉に、ドキリとした。

 どうやら東雲は、沈黙を続けていた綾春が「東雲が、Subである綾春を都合よく利用しようとしている」から困っているのだと勘違いしたらしい。
 自分を利用しようとしている、なんて考えていなかった。ただ「いい子」ぶって、答えを迷っていただけだ。むしろ利用しようとしているのは、綾春のほうなのに。

「いえ、いいんです。いかに利己的な考えかっていうのは重々承知してるんです。グレアが出せる……特別な相手だからリハビリ相手としてプレイに付き合ってくれ、だなんて、図々しいですよね」

 切れ長の目は伏せられて、寂しそうな色を滲ませていた。
 プレイのときには、あんなに支配者然としていたのに。プレイのときとは異なる表情に、綾春は困惑した。

 このDomに従いたいと思っていたはずなのに、今はこの男に手を差し伸べてやりたいと——そんな気持ちが沸いてくる。
 そんな悲しい顔でなく、葉山で見せてくれたような自然な笑顔でいてほしい。暗い表情は、東雲にはなんだか似合わないと思った。

(手助け……治療……リハビリ相手……。つまり、パートナーでもないってことだよな? 治療の手伝い、だもんな? 気持ちがなくて当然の関係だよな)

 ……それなら、悪い話じゃないのかもしれない。
 そう考えるのはズルいだろうか。人助けや治療という言葉で都合よく見せて、善人ぶって、その実は自分のSub欲を都合よく満たせる相手になってくれるかもしれないと思ってしまったのは、悪いことだろうか。

 でも東雲だって、自分都合の提案だと言っていた。グレアを出せる相手である綾春を利用しようとしているのだと。
 それならば綾春も、綾春の都合で彼の提案を受け入れるか否かを考えてもいいのではないか。

 プレイ店や、行きずりの関係と同じように……互いに利用価値があるからプレイの関係を持つだけだと。そう考えれば、DomとSubとしての信頼関係は成立しているんじゃないだろうか。その価値が違うだけで、お互い自己都合で利用するのは同じはずだ。——それでいいじゃないか。

「…………その……今日みたく、軽いプレイでよければ」

 さんざん悩んだ挙句、口から出た言葉は、綾春自身も予想していない答えだった。

「……いいんですか?」
「いいも何も……。誘ったのは東雲さんですよ」

 綾春からイエスが返ってくるとは思っていなかったのか、東雲は切れ長の目を見開いていた。

「治療のお手伝いということなら、まあ力になれるかなと思っただけです」
「はい」
「だから……パートナーではなく、人助け、です」

 言い訳がましく、人助けということを強調する。

「それで十分です。久慈さんは、優しいですね」
「俺にも、メリットがあるってだけです。それにリハビリ相手ってだけなので、お互いにいい人が見つかったら、それまで。……それでいいですか?」
「もちろんです。グレアを出してプレイできるってだけでも、俺にとっては奇跡みたいなものですから」

 ありがとうございます、と東雲は笑った。

 そう、これは人助け。治療の手伝い。リハビリの相手。
 パートナーではないのだと自分に言い聞かせて、不都合に蓋をする。飢え続ける自分の欲を満たすために、高ランクのDomである東雲を利用しようという浅ましい感情から背を向ける。虚しい関係などごめんだと考えていたお綺麗な自分をなかったことにして、内なる獣の渇きを癒やすことを許す。
 そういう選択肢を選んでしまった。

 こちらの都合を詳しく訊いてこないのにほっとして、綾春はハーブティーを一口飲んだ。苦みのない、ほんのり甘いお茶は、なんだか綾春の気持ちを落ち着かなくした。……やっぱりコーヒーのほうが良かったかもしれない。

「俺も、Subの欲求は強いほうです。だから東雲さんの藁にも縋る思いってのは、なんとなくわかります」

 その思いというのも、グレア不全症を患っているという東雲とは違って、綾春のほうがより利己的で不純な理由だ。「自分にとってメリットがある」と彼には伝えたが、単純に自分の渇きを満たしたいだけだ。
 渇ききっている欲深い自分を、満たしたいだけ。高尚な理由などない。

 そんなことはきっと、言わなくても東雲には悟られているだろうけど。でも口にすれば自分が嫌なやつだと思い知らされてしまうから、見て見ぬふりをしてほしい。そんな我儘な気持ちだけが体の中を巡っている。

「でもっ。東雲さんとのプレイは、今日と同じ、軽いものだけですからね? リハビリの一環、なので!」
「ええ、わかってます。久慈さんは俺を助けてくれるだけです」

 自分の不純さを隠したくて、軽いプレイのみを許可していることを念入りに強調して伝えれば、東雲は心得ていると首肯した。
 なぜこんなに必死に「軽いプレイ」であり、「パートナーではない」のだと主張するのか、綾春もだんだんとわからなくなってきて、はぁ……と息を吐く。

「なんで俺相手だと出せるんでしょうね」

 綾春としては、自分善がりな欲求を満たせて都合がいいのだけれど。

「うーん……ランクが近いっていうのは、あるかもしれません。なかなか合うランクのSubって見つからなくて、リハビリも思うように進まないんです」

 ああ、なるほど、と思った。
 綾春も今まで、自分と同程度のSubは片手で数えるくらいしか見たことがない。

「東雲さんのランクって、Sですか?」
「はい。わかりますか?」
「俺よりも上かなって。となるとS以上なんで。それに……東雲さんから溢れるグレア、怖いくらいでしたし」

 東雲とプレイしていたときに感じた、恐ろしいほどの支配欲。
 あれは快楽と恐怖が表裏一体だった。Subを征服したいという、底なしの欲——DomとSubとで違いはあれど、それは綾春にも覚えのあるものだった。

「怖いのはダメでした? それとも……良かった?」

 もうプレイは終わったはずなのに、そんな意地悪な質問をされる。
 綾春ははっとしてティーカップを握り締めた。指先が躊躇うように少し震える。
 グレアもコマンドも貰っていないのに、ちょっとした意地悪に再び体に熱が灯りかける。口を開くと甘い吐息が漏れ出てしまいそうで、否も応も答えられずにいると、東雲が先に口を開いた。

「すみません。プレイはしばらくぶりだったので、少しやりすぎましたね」
「いえ……。あのくらいのプレイで、あれだけグレアが貰えるなら、俺も悪くなかった、です……」

 しどろもどろながらも、綾春は答えた。
 東雲はプレイはしばらくぶりだと言うけれど、そこらのDomよりよっぽどこなれていた気がする。初めてのプレイ相手である綾春を上手にコントロールしていた。やり過ぎどころか、もっと欲しいと思わせるほどに。

「そう? なら良かった。久慈さん相手だと、どんなコマンドも従ってくれそうな気がして加減が難しかったから」
「それは……」
「違います? 違わないでしょう」

 くくっ、と東雲が笑う。
 時折混じる、有無を言わさない言葉にSub性が疼いて堪らない。

「何でもしてって顔、してましたよ」
「……」
「もっとプレイ、したかったですか?」

 お見通しだという視線が綾春の肌に刺さる。
 これはプレイではないのに、なぜ東雲の言うことに反論しようと思えないのだろう。彼に言い詰められると、まるで丸裸でホールドアップしている錯覚に陥るのはなぜだろう。

「…………は、い」

 視線に抗うこともできずそう答えれば、東雲は満足そうに笑った。と同時に「少し意地悪言いましたね。すみません」なんて謝るのだから、たちが悪い。
 物静かそうに見えて、引き際がわかっているようで、綾春はその掴みどころのない性格に無意識のうちに翻弄されていた。

 だから、なんとか自分を取り戻そうと、必死に言葉を探した。

「続きは、また今度で……」
「はい。ありがとうございます、久慈さん。お手伝い、楽しみにしてますね」

 間接照明に照らされた東雲の、なんとも嬉しそうな、ほっとしたような表情に、綾春の心臓はどくどくと脈拍を速め続けていた。



 ◇◇◇
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