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7.影と光は交錯する
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召使いたちの食事は、時間がある時に厨房に用意されている賄をそれぞれが食べることになっていて、ハイジの食事も同様だった。
アデレイドのメイドになってもそれは変わらず、彼女にマナーの練習をさせられる以外は、ハイジは厨房で食事をしている。
「ギーゼラやピエールと一緒に食事をすることはないの?」
アデレイドに尋ねられ、ハイジは「めったにありません」と答える。
侯爵夫妻の世話が優先されるので、召使たちの食事の時間はばらばらだ。ハイジは、たまにピエールと一緒に食べることもあるが、大体は一人で済ませていた。
「だったらハイジが学院へ行っている時は、私も同じように厨房で食べることにするわ」
アデレイドはそういうが、厨房には何時もピエールがいる。
「召使のだれかに入れ替わりがばれたらどうするんですか?」
「ピエールが給仕に言っているときに食べるようにするから、大丈夫よ」
心配するハイジをよそに、アデレイドは平然としていた。
賄いは、普段侯爵家で出される食事と違って、質素で品数が少ないと言っても、気にしていないようで、入れ替わっている日、アデレイドはハイジのふりをして厨房で昼食を食べることに決めた。
離れを与えられてから、毎朝、アデレイドは登校前にやってくる。ハイジもそれに合わせて早めに離れに行くようにした。
入れ替わる時、アデレイドは書斎の姿見を占有して身だしなみを整えるので、準備に時間がかかる。終わるまで待っていては学校に間に合わなくなるし、同じ場所で着替えるのも嫌なので、ハイジは小さな鏡が付いている洗面所で着替えていた。
週に一度だった入れ替わりも、アデレイドはだんだんと増長していき、彼女が二年生に進級する頃には、ハイジは一日置きに身代わりでソーンダーズ学院へ通うようになっていた。
学院から帰ると、アデレイドの宿題を毎日押し付けられるので、ハイジのメイドとしての仕事も一日おきになる。
ハイジは、アデレイドが学校に行っている日に、離れの掃除をしたり、使われたものを洗ったり、部屋を片付けたりしていた。
掃除用具は離れにあるが、洗濯機は屋敷と共有だ。洗濯場は厨房の隣にあり、裏口は厨房に直結している。ハイジが洗濯物を持っていくと、ギーゼラがアデレイドの様子を聞いてくる。
「お嬢様は、離れで何をされていらっしゃるの?」
学校から帰ってきても屋敷に入らず離れに直行して、夕食の時間まで入り浸っているから気になるのだろう。
「――いつも書斎でお過ごしです」
ゲーム三昧だというわけにもいかないので、ハイジが誤魔化すように言うと、彼女は感心する。
「そう。毎日お勉強をされていらっしゃるだなんて、やっぱりお嬢様は真面目な方だわ」
ギーゼラは、書斎が仕事や勉強をするための部屋だと思い込んでいるようで、そこで遊んでいるとは考えられないのだろう。ハイジも彼女の勘違いを正そうとは思わない。
アデレイドが勉強をさぼってばかりだといいつけたところで、ハイジの得になることは何もない。
告げ口すれば、入れ替わりをやめさせてもらえるだろうが、ハイジは屋敷を追い出されるだろう。彼女は余計なことは言ないようにした。
ハイジがメイドの仕事をしていたある日、洗濯するものを裏方に持っていくと、厨房ではピエールがいつもより早い時間に夕食の下ごしらえをしていた。
そこへギーゼラがやってくる。
「ピエール、今日の買い物の時に郵便局へ行って、この手紙を出してきてくれない?」
彼女が、公爵家の紋章で蠟封された封筒をテーブルの上に置くと、彼は弱った顔をする。
「ああ、すみません。今夜は大旦那様のご希望で凝った料理を出さなければいけないので、もう買い物はもう済んでいるんですよ」
下ごしらえにも時間がかかるので、もう作業に入っていたらしい。
「それは困ったわね。私はこれから大奥様のマッサージをしなければいけないし、ウルリヒは大旦那様とお出かけだし……」
侯爵夫人のマッサージが終わった後では、郵便局が閉まってしまうそうだ。
「じゃあ、私が出してくるわ」
ハイジがいうと、ギーゼラは「えっ」と躊躇する。
日中にハイジが屋敷のそばをうろうろすれば、双子の秘密がばれると恐れているようだ。
それに、召使いたちにとってハイジの立場は微妙だ。侯爵が認めていないから、アデレイドと同じようには扱えないが、だからといって使いっ走りをさせていいのだろうかと悩んでいるようにもみえる。
「この格好で出歩けば、侯爵家のメイドにしか見えないし、誰も使用人に注意を払わないでしょう。それに、離れの掃除はもう終わっていて、お嬢様が帰ってくるまですることがないから、散歩がてらにいってくるわ」
お仕着せを着ているし、メイドキャップのふちについているフリルのおかげでうつむき加減にしていれば、顔もわからないだろう。そういうと、ギーゼラは「そうだね」と手紙をハイジに渡す。
「大切なお手紙なので、窓口で配達証明をもらってきてくれる?」
ハイジは、彼女から郵便料金も預かって、裏口から出ていった。
通学以外で屋敷の外へ出るのは初めてだ。幼いころから「寄り道をしてはいけない」と言われていたので、中学校を卒業して自由な時間が増えてもどこか遊びに行こうという考えが及ばなかったし、アデレイドの代わりに学院へ通う登下校は、いつもデニスが一緒なので、寄り道もしない。
ハイジは、郵便局での用事を済ませると、繁華街へ行ってあちこちのお店を覗いてみる。
侯爵家を出れば、一人で生活しなくてはいけないので、物の相場を把握しようと思ったのだ。
貴族がよく利用するというデパートへ行って、そこに入っている店のショーウィンドーに飾られている商品の値段に驚く。
アパレル店では最新流行のドレスや、それらに合わせた小物がいくつか展示されていた。アデレイドの部屋で見たことのあるブランドの店では、フレグランス一つがハイジの一月分の給料だ。ドレスなど一着も買えない。
店員がハイジに気が付くと、「お嬢様」と声をかけてきたが、買うつもりもないので、早々にデパートを出る。
屋敷に帰ると配達証明をギーゼラに渡してから離れへいく。書斎では、アデレイドが待っていた。
「どこへ行っていたの? 私が学校から帰る時間には、離れにいなさいよ」
彼女は制服から着替えもせずソファーに座り、ゲームに熱中していて、画面を見ながらハイジに尋ねた。
「申し訳ございません。郵便局へ行っておりました」
「郵便局へ? その格好でいったの?」
アデレイドが意外そうな顔をする。
「町へ行くのなら、もっと可愛い服を着ていけばいいのに」
そういわれても、ハイジの普段着は、ギーゼラがリサイクルショップで買う古着ばかりで、メイド服よりもみすぼらしい。黙っていると、アデレイドは何の気なしに言う。
「なんだったら、外出着を作ってあげましょうか?」
ハイジの脳裏にデパートに飾られていたドレスが浮かんだ。デパートを出れば手ごろな店もあったが、着てみたいデザインのものは人気のため品薄で、それなりの値段もするからやはり手が出しにくかった。そんなものを簡単に”作ってあげる”などと言われれば、まるで施しをあたえられているようで気分が悪い。
「いえ、お気持ちだけで十分です」
腹立たしい気持ちを押し殺して答えたので、アデレイドはハイジが気分を害したことに気が付いていない。
「そう? ま、いいわ。今日の分をやっておいてちょうだい」
彼女が目だけで指し示す机の上には、手の付けられていない宿題が載っている。ハイジはそっとため息をついて、机に向かった。
宿題をやりながら、ハイジはデパートで、”お嬢様”と声をかけられた時のことを思い出す。ハイブランドの店員がわざわざ出てきてメイドに呼びかけるなんて、とびっくりしたのだ。
「所作がとてもお上品ですから、王宮にお勤めになっておられる貴族のお嬢さまでしょう。ぜひ店内でカタログをご覧になってください」
店員は、エプロンにメイドキャップをつけているお仕着せ姿のハイジを、王宮のメイドと勘違いしたようだ。所作が上品なのも、ソーンダーズ学院で身に着けた上流階級の作法のせいだろう。
けれど、ゆっくりしていれば下校時間になって知り合いに会うかもしれない。ハイジは店員の申し出を丁重に断ってデパートを出た。
店員に間違えられたことで、ハイジは本当なら自分は侯爵令嬢なのに、と思ってしまう。
(身代わりではなく、私がアデレイドになれないかしら?)
デニスは別として、学院では、取り巻きをはじめ誰も気が付いていない。一卵性双生児なのだから、アデレイドを陥れて立場を入れ替えることが可能なのではないかと考えてしまう。
だが、一緒に暮らしてアデレイドをかわいがっている侯爵夫妻は、さすがにハイジたちを見分けることができるだろう。それに、姉妹を陥れることにはやはり気が引ける。ハイジは、魔が差したような自分の考えをうち消した。
しばらくすると、アデレイドが新しいワンピースや小物をいろいろと買って離れに持ってくる。
離れのクローゼットは屋敷にあるのよりずっと小さく、制服やお仕着せの予備も数着おいてあるからすぐにいっぱいになった。靴やバッグの箱も積み重ねられた。
それらは屋敷のほうにある物よりもランクは落ちるが、貴族令嬢が普段着にしていてもおかしくない品々だ。増えていくたびにハイジも着てみたいと思ったが、アデレイドの服だと思うと苛立たしい。
見ないふりをしていると、ハイジが学院に行って帰ってきた日に、アデレイドが離れにいない時があった。夕方遅くに帰ってきたアデレイドは、クローゼットに掛けていたワンピースを着て、ボンネットを被っていた。
「どちらへ行かれていたのですか?」
ハイジが尋ねると、彼女はボンネットを取って髪を下ろしながら「ちょっとね」という。
「この格好なら、町で知り合いに会っても気づかれないから、気軽に遊びに行けるわね」
頭をすっぽり覆うボンネットは横についているレースのおかげで真正面からしか顔が見えない。中に髪を隠して顔を合わせないようにすれば、下校途中の学院の生徒にあってもアデレイドだと気づかれなかったらしい。
アデレイドは上機嫌で、普段の高価なドレスに着替えだす。
「ハイジの所作も、上品になってきたから、もう私が作法を教える必要はないわね。次からお休みの日は自由にしていいわ」
屋敷の使用人はみんな交代で週に一度休んでいる。ハイジも当初は学院の休みの日にメイドの仕事を休むと決められていたが、アデレイドは”お休みの日は、上流階級の所作を教えてあげる”などと言って、離れに来るように強要したから、休みなどあってないようなものだった。
今まで「まだ及第点を上げられない」と言っていたくせに、突然どういう風の吹き回しだろうと、いぶかしく思っていると、アデレイドが肩をすくめる。
「そんな目で見ないで。お詫びにここにある服を、いつでも好きな時に着て出かけていいわよ」
疑いのまなざしに気が付いたようで、一年以上も無休にさせたことを反省しているようだ。クローゼットの中のワンピースや小物類を自由に使っていいといわれて、ハイジの心がわずかに弾む。
「……ありがとうございます」
素直に感情を出すことはできないが、ひとまずハイジはお礼を言った。
アデレイドのメイドになってもそれは変わらず、彼女にマナーの練習をさせられる以外は、ハイジは厨房で食事をしている。
「ギーゼラやピエールと一緒に食事をすることはないの?」
アデレイドに尋ねられ、ハイジは「めったにありません」と答える。
侯爵夫妻の世話が優先されるので、召使たちの食事の時間はばらばらだ。ハイジは、たまにピエールと一緒に食べることもあるが、大体は一人で済ませていた。
「だったらハイジが学院へ行っている時は、私も同じように厨房で食べることにするわ」
アデレイドはそういうが、厨房には何時もピエールがいる。
「召使のだれかに入れ替わりがばれたらどうするんですか?」
「ピエールが給仕に言っているときに食べるようにするから、大丈夫よ」
心配するハイジをよそに、アデレイドは平然としていた。
賄いは、普段侯爵家で出される食事と違って、質素で品数が少ないと言っても、気にしていないようで、入れ替わっている日、アデレイドはハイジのふりをして厨房で昼食を食べることに決めた。
離れを与えられてから、毎朝、アデレイドは登校前にやってくる。ハイジもそれに合わせて早めに離れに行くようにした。
入れ替わる時、アデレイドは書斎の姿見を占有して身だしなみを整えるので、準備に時間がかかる。終わるまで待っていては学校に間に合わなくなるし、同じ場所で着替えるのも嫌なので、ハイジは小さな鏡が付いている洗面所で着替えていた。
週に一度だった入れ替わりも、アデレイドはだんだんと増長していき、彼女が二年生に進級する頃には、ハイジは一日置きに身代わりでソーンダーズ学院へ通うようになっていた。
学院から帰ると、アデレイドの宿題を毎日押し付けられるので、ハイジのメイドとしての仕事も一日おきになる。
ハイジは、アデレイドが学校に行っている日に、離れの掃除をしたり、使われたものを洗ったり、部屋を片付けたりしていた。
掃除用具は離れにあるが、洗濯機は屋敷と共有だ。洗濯場は厨房の隣にあり、裏口は厨房に直結している。ハイジが洗濯物を持っていくと、ギーゼラがアデレイドの様子を聞いてくる。
「お嬢様は、離れで何をされていらっしゃるの?」
学校から帰ってきても屋敷に入らず離れに直行して、夕食の時間まで入り浸っているから気になるのだろう。
「――いつも書斎でお過ごしです」
ゲーム三昧だというわけにもいかないので、ハイジが誤魔化すように言うと、彼女は感心する。
「そう。毎日お勉強をされていらっしゃるだなんて、やっぱりお嬢様は真面目な方だわ」
ギーゼラは、書斎が仕事や勉強をするための部屋だと思い込んでいるようで、そこで遊んでいるとは考えられないのだろう。ハイジも彼女の勘違いを正そうとは思わない。
アデレイドが勉強をさぼってばかりだといいつけたところで、ハイジの得になることは何もない。
告げ口すれば、入れ替わりをやめさせてもらえるだろうが、ハイジは屋敷を追い出されるだろう。彼女は余計なことは言ないようにした。
ハイジがメイドの仕事をしていたある日、洗濯するものを裏方に持っていくと、厨房ではピエールがいつもより早い時間に夕食の下ごしらえをしていた。
そこへギーゼラがやってくる。
「ピエール、今日の買い物の時に郵便局へ行って、この手紙を出してきてくれない?」
彼女が、公爵家の紋章で蠟封された封筒をテーブルの上に置くと、彼は弱った顔をする。
「ああ、すみません。今夜は大旦那様のご希望で凝った料理を出さなければいけないので、もう買い物はもう済んでいるんですよ」
下ごしらえにも時間がかかるので、もう作業に入っていたらしい。
「それは困ったわね。私はこれから大奥様のマッサージをしなければいけないし、ウルリヒは大旦那様とお出かけだし……」
侯爵夫人のマッサージが終わった後では、郵便局が閉まってしまうそうだ。
「じゃあ、私が出してくるわ」
ハイジがいうと、ギーゼラは「えっ」と躊躇する。
日中にハイジが屋敷のそばをうろうろすれば、双子の秘密がばれると恐れているようだ。
それに、召使いたちにとってハイジの立場は微妙だ。侯爵が認めていないから、アデレイドと同じようには扱えないが、だからといって使いっ走りをさせていいのだろうかと悩んでいるようにもみえる。
「この格好で出歩けば、侯爵家のメイドにしか見えないし、誰も使用人に注意を払わないでしょう。それに、離れの掃除はもう終わっていて、お嬢様が帰ってくるまですることがないから、散歩がてらにいってくるわ」
お仕着せを着ているし、メイドキャップのふちについているフリルのおかげでうつむき加減にしていれば、顔もわからないだろう。そういうと、ギーゼラは「そうだね」と手紙をハイジに渡す。
「大切なお手紙なので、窓口で配達証明をもらってきてくれる?」
ハイジは、彼女から郵便料金も預かって、裏口から出ていった。
通学以外で屋敷の外へ出るのは初めてだ。幼いころから「寄り道をしてはいけない」と言われていたので、中学校を卒業して自由な時間が増えてもどこか遊びに行こうという考えが及ばなかったし、アデレイドの代わりに学院へ通う登下校は、いつもデニスが一緒なので、寄り道もしない。
ハイジは、郵便局での用事を済ませると、繁華街へ行ってあちこちのお店を覗いてみる。
侯爵家を出れば、一人で生活しなくてはいけないので、物の相場を把握しようと思ったのだ。
貴族がよく利用するというデパートへ行って、そこに入っている店のショーウィンドーに飾られている商品の値段に驚く。
アパレル店では最新流行のドレスや、それらに合わせた小物がいくつか展示されていた。アデレイドの部屋で見たことのあるブランドの店では、フレグランス一つがハイジの一月分の給料だ。ドレスなど一着も買えない。
店員がハイジに気が付くと、「お嬢様」と声をかけてきたが、買うつもりもないので、早々にデパートを出る。
屋敷に帰ると配達証明をギーゼラに渡してから離れへいく。書斎では、アデレイドが待っていた。
「どこへ行っていたの? 私が学校から帰る時間には、離れにいなさいよ」
彼女は制服から着替えもせずソファーに座り、ゲームに熱中していて、画面を見ながらハイジに尋ねた。
「申し訳ございません。郵便局へ行っておりました」
「郵便局へ? その格好でいったの?」
アデレイドが意外そうな顔をする。
「町へ行くのなら、もっと可愛い服を着ていけばいいのに」
そういわれても、ハイジの普段着は、ギーゼラがリサイクルショップで買う古着ばかりで、メイド服よりもみすぼらしい。黙っていると、アデレイドは何の気なしに言う。
「なんだったら、外出着を作ってあげましょうか?」
ハイジの脳裏にデパートに飾られていたドレスが浮かんだ。デパートを出れば手ごろな店もあったが、着てみたいデザインのものは人気のため品薄で、それなりの値段もするからやはり手が出しにくかった。そんなものを簡単に”作ってあげる”などと言われれば、まるで施しをあたえられているようで気分が悪い。
「いえ、お気持ちだけで十分です」
腹立たしい気持ちを押し殺して答えたので、アデレイドはハイジが気分を害したことに気が付いていない。
「そう? ま、いいわ。今日の分をやっておいてちょうだい」
彼女が目だけで指し示す机の上には、手の付けられていない宿題が載っている。ハイジはそっとため息をついて、机に向かった。
宿題をやりながら、ハイジはデパートで、”お嬢様”と声をかけられた時のことを思い出す。ハイブランドの店員がわざわざ出てきてメイドに呼びかけるなんて、とびっくりしたのだ。
「所作がとてもお上品ですから、王宮にお勤めになっておられる貴族のお嬢さまでしょう。ぜひ店内でカタログをご覧になってください」
店員は、エプロンにメイドキャップをつけているお仕着せ姿のハイジを、王宮のメイドと勘違いしたようだ。所作が上品なのも、ソーンダーズ学院で身に着けた上流階級の作法のせいだろう。
けれど、ゆっくりしていれば下校時間になって知り合いに会うかもしれない。ハイジは店員の申し出を丁重に断ってデパートを出た。
店員に間違えられたことで、ハイジは本当なら自分は侯爵令嬢なのに、と思ってしまう。
(身代わりではなく、私がアデレイドになれないかしら?)
デニスは別として、学院では、取り巻きをはじめ誰も気が付いていない。一卵性双生児なのだから、アデレイドを陥れて立場を入れ替えることが可能なのではないかと考えてしまう。
だが、一緒に暮らしてアデレイドをかわいがっている侯爵夫妻は、さすがにハイジたちを見分けることができるだろう。それに、姉妹を陥れることにはやはり気が引ける。ハイジは、魔が差したような自分の考えをうち消した。
しばらくすると、アデレイドが新しいワンピースや小物をいろいろと買って離れに持ってくる。
離れのクローゼットは屋敷にあるのよりずっと小さく、制服やお仕着せの予備も数着おいてあるからすぐにいっぱいになった。靴やバッグの箱も積み重ねられた。
それらは屋敷のほうにある物よりもランクは落ちるが、貴族令嬢が普段着にしていてもおかしくない品々だ。増えていくたびにハイジも着てみたいと思ったが、アデレイドの服だと思うと苛立たしい。
見ないふりをしていると、ハイジが学院に行って帰ってきた日に、アデレイドが離れにいない時があった。夕方遅くに帰ってきたアデレイドは、クローゼットに掛けていたワンピースを着て、ボンネットを被っていた。
「どちらへ行かれていたのですか?」
ハイジが尋ねると、彼女はボンネットを取って髪を下ろしながら「ちょっとね」という。
「この格好なら、町で知り合いに会っても気づかれないから、気軽に遊びに行けるわね」
頭をすっぽり覆うボンネットは横についているレースのおかげで真正面からしか顔が見えない。中に髪を隠して顔を合わせないようにすれば、下校途中の学院の生徒にあってもアデレイドだと気づかれなかったらしい。
アデレイドは上機嫌で、普段の高価なドレスに着替えだす。
「ハイジの所作も、上品になってきたから、もう私が作法を教える必要はないわね。次からお休みの日は自由にしていいわ」
屋敷の使用人はみんな交代で週に一度休んでいる。ハイジも当初は学院の休みの日にメイドの仕事を休むと決められていたが、アデレイドは”お休みの日は、上流階級の所作を教えてあげる”などと言って、離れに来るように強要したから、休みなどあってないようなものだった。
今まで「まだ及第点を上げられない」と言っていたくせに、突然どういう風の吹き回しだろうと、いぶかしく思っていると、アデレイドが肩をすくめる。
「そんな目で見ないで。お詫びにここにある服を、いつでも好きな時に着て出かけていいわよ」
疑いのまなざしに気が付いたようで、一年以上も無休にさせたことを反省しているようだ。クローゼットの中のワンピースや小物類を自由に使っていいといわれて、ハイジの心がわずかに弾む。
「……ありがとうございます」
素直に感情を出すことはできないが、ひとまずハイジはお礼を言った。
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