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最終話

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 空虚の空間から現れた手が、ブラドの喉を捕らえた。
「ファレグ様、その人を殺しては駄目!」
「っく、」
 喉に掛かった負荷を逃すため、ブラドの足が爪先立ちになる。
「どうしてだいマルグリト」
 ブラドの手の甲から流れ出す血が無数の矢となる。矢はファレグを貫かんと飛んだが、
「無駄だよ」
 魔物の肌のすぐ手前で霧のように蒸発した。ブラドの喉を掴む手に力が入る。
「魔族は原始魔法に対抗するすべを持っている。君の攻撃なんていくらでも打ち消せるよ。君は教えてもらわなかったのかな」
「ファレグ様!」
「言っただろう。僕はイリーナを殺した犯人を殺してやりたいと」
「その人は、お師匠様を殺してはいません!」
 叫んだマルグリトの言葉に、ファレグの手がやや緩んだ。
「何?」
「ぼくは思い出した……全部思い出しました。お師匠様はその人の先生に殺されたんです。その人はお師匠様の血を飲みはしたけれど、殺してはいません。お師匠様は相打ちになって、最期にその人と彼の師匠に血呪の魔法を掛けてぼくからずっと遠くまで引き離したんです!」
「……それは本当かい」
 ファレグはブラドに問う。
「俺の魔法を強化するために先生はイリーナ・カガロフスカヤを殺したんだ。俺が殺したも同然だ」
 掠れ声でブラドが答えた。
「君の師は?」
「……そいつの師匠の魔法で随分歩かされたが、結局はそれが元で死んだよ」
 苦々しげにブラドは言う。
 ファレグがブラドの首から手を離した。ブラドは勢い余って古ぼけた床に倒れ、咳き込む。微小な埃が空気中に舞った。
「ふうん。じゃあ、君の中にはイリーナの血も流れていると言うわけだ」
「ファレグ様……、」
「……食い殺したりしないよ。僕にそんな趣味はない」
 仮面じみた顔からファレグの表情は読み取れなかったが、マルグリトには彼が妙に寂しそうに見えた。
「ブラド・オラフ――あなたを逮捕します」
 魔力を封じる強力なまじないが施された手錠が、ブラドの手首をガチャンと囲った。
「あなたの雇い人についてはいずれ捜査の手が伸びるでしょう」
「必要ねえよ」
「えっ?」
 自棄になったようにブラドは溜め息を吐いた。
「あんたの力が手に入らないんじゃ、黙ってても意味がない。洗いざらい喋ってせいぜい減刑してもらうさ」
「……正直と言うか何と言うか……。あなたとは……お師匠様のこと、お話したかったです」
 虚しく笑ったマルグリトを見ながら、ブラドも少し口を歪めた。


「マルセル管理官!」
 カミュ巡査長が走って来た。その向こうでは何人かの警察官や魔法管理官がブラドを連行していく。ちらりとこちらを見たブラドと、マルグリトの目線がかち合う。マルグリトは何も言わずに見送った。ブラドもぷいと顔を背け、歩いていく。
「今日は大変でしたね」
 カミュは時間外労働にも嫌な顔をせずに苦笑する。
「奴を雇った者ですが、案外早く検挙できそうですよ」
「と、言いますと?」
 マルグリトは首を傾げる。
「昼間捕らえられたあの引ったくり犯が、監視対象になっている不法集団の一人で、」
 カミュがペンで頭を掻く。
「どうやらそいつらが用心棒に原始魔法使いを雇ったと言っているようで」
 マルグリトが目を丸くした。
「それは、なんと言うか、また奇遇な」
「ここから先は我々警察の領分ですからね、任せてください。明日になればまたマルセル管理官にもお話を聴くことになろうかと思いますので、今日はこれで」
「はあ。では」
 爽やかに去っていくカミュを見ながら、マルグリトはぺこりと頭を下げた。

 びょうと風に吹かれながら、マルグリトは坂を下るファレグの背を見た。
「あのう。ファレグ様」
「なんだい」
 ファレグの種族は発声器を持たず、声は魔力によってすぐ近くから聞こえてくる。
「ぼくは……犯人の顔を覚えていないのではありませんでした」
 マルグリトは痣になった左手首を見つめた。まだブラドの血が付いていた。
「お師匠様が、ぼくに血文字で魔法を掛けたんです。犯人の顔を思い出せないように。もし犯人に、ブラド・オラフかその師匠に邂逅してしまったときに、罷り間違ってぼくが彼らを殺してしまわないように」
 ファレグは歩きながらも黙って聴いていた。
「覚えていたら、復讐心を募らせていたら、彼らを殺してしまうかもしれないから。ぼくが管理官になっても職務を外れることのないように。お師匠様が混じったブラド・オラフの血にぼくの血が触れて、やっと思い出したんです」
「マルグリト」
 先を行くファレグの声は穏やかだった。
「さっき、僕を呼ぶために君が見せてくれた幻影、なかなか良かった」
「え」
「久しぶりにイリーナの姿が見られた。君も随分鮮明に覚えているものだな」
 マルグリトが頬を赤らめる。
「ぼくは……ぼくも、お師匠様に拾われていなければ、今こうして生きていたかも判りませんから」
「墓参りをしないのか、と君は言ったね」
 土の道が石畳に変わる。
「イリーナはもう死んだ。僕が墓に花を添えたって彼女は喜びなんかしないだろう。死後の世界があるなら別だが、そんなものはないからね」
 だけど、とファレグは言った。
「そこが彼女を憶えている者の、記憶の集まる場所だと言うのなら、――そうだね、僕も行こう。もっとはっきり、イリーナを憶えていたいから」
 風が雲を吹き飛ばす。月明かりが二人を照らした。
「……はい!」
 朗らかにマルグリトの顔が綻ぶ。
「それよりも君、体術だけでも彼に勝てたんじゃないかい?」
「えっ」
 ぎくり、とマルグリトの肩が強張った。
「なんでわざわざ僕を呼んだの」
「え、いや、それは、その」
 確かに保安官であるマルグリトは体術の教練を厳しく受けている。特別に訓練したわけでもなさそうなブラドになら勝ることが出来るだろう。
「君、もしかして僕を彼に会わせようとしたね?」
 立ち止まり、開けているのかいないのか判らないような目でファレグはじっとマルグリトを見た。
「う……」
「……まあいいよ。僕も人間に混じって暮らすうちにそういう気持ちも解るようになってきた」
 たじろぐマルグリトに、ファレグが溜め息混じりに呟いた。
「彼はイリーナの最期に立ち会った人間の一人だものね」
「すみません、余計な事とは思ったんですけど」
 ファレグは困ったようなマルグリトをしばらく見ていたが、また歩き出した。
「構わないよ。そのおかげでイリーナに会えたからね」
「……はい」
 マルグリトの声は風にかき消された。
「泣きたいときは泣くといいよ」
 雨の匂いがして道を往く人々に降水を予感させる。
「……はい」
 今夜はやはり嵐になるだろう。
「感情の消化手段の豊富さは人間の特権だ」
 じゃあ、とファレグは手を振った。管理課宿舎の前だった。
「……、はい。ありがとうございました。おやすみなさい」
 深々とお辞儀をして、マルグリトは門に向き直った。
 その目に涙が滲んでいた。

 明日からもまた普通の毎日が始まる。
 だが、この夜はせめてイリーナとの思い出に浸ろう。
 ファレグもきっとそうするだろう。

 三つの魔石が埋まる手のひらを握り締めて、マルグリトは門をくぐった。
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